中国、円借款「内々に解除」打診 天安門後に日本財界人に(外交文書公開)
89年、外交文書公開で判明

中国の李鵬首相が天安門事件の約5カ月後、民主化弾圧を理由に中国への第3次円借款供与を事実上凍結していた日本政府への対応策として、国際社会の目に付かないよう内々に凍結解除への話し合いを進められないかと日本の財界人に持ち掛けていた。23日公開の外交文書で分かった。欧米と共に形成する対中制裁包囲網からひそかに抜け駆けし、経済的苦境に陥っていた中国と組むよう日本側に求めた形だ。
日本の経済界からは李氏の提案を評価する声が上がった。中国は円借款供与への手応えを感じたとみられる。複数の文書からは、日本企業の利益にもつながる円借款供与に前向きな財界人らを取り込み、渋る日本政府から歩み寄りを引き出そうとした中国側の思惑がうかがえる。
李氏が水面下調整を打診したのは1989年11月。斎藤英四郎経団連会長を最高顧問とする日中経済協会訪中代表団との会談で「公表せず、作業を少しずつ始めたらどうか」と呼び掛けた。「公表すれば欧米の反応、反響が必ず出るだろう」と述べ、私案として日本からの水面下での調査団受け入れを挙げた。
中国の意図に関し、若月秀和北海学園大教授(戦後日本外交史)は「財界人を味方に引き入れ、日本政府の態度を和らげる狙いがあったと思う。自民党政権に対する経済界の影響力に着目した巧妙な政治手法で、中国は情に絡めて切り崩すのが上手だ」と分析する。
会談時、訪中団は李氏の提案に関し「進めてほしい」(出席者)と李氏に伝達。帰国後、中山太郎外相に「今動けば将来10倍、100倍得るものがあろう」と報告した。
政府は即座には賛同しなかったが、後に態度を軟化。翌90年7月の先進国首脳会議(ヒューストン・サミット)で、欧米に先駆ける形で海部俊樹首相が供与方針を表明した。同年11月、凍結解除に踏み切った。〔共同〕