日銀、物価目標導入は10年越し 白熱の02年議事録で判明
当時の速水総裁「無謀な賭け」
物価目標を導入すべきか否か――。日銀は1月の金融政策決定会合で脱デフレへ大きな判断を迫られ、最終的に目標導入に踏み切った。日銀が29日公開した2002年7~12月の決定会合議事録をみると、約10年前も日銀は同じ問題に悩んでいたことがわかる。当時の議論は、その後、長く日銀が物価目標を拒む論拠にもなった。(肩書は当時)
「日銀は1~2%の物価目標を導入すべきだ」――。02年に物価目標論議が高まるきっかけとなったのが、2月に自民党のデフレ対策特命委員会がとりまとめたデフレ対策。「目玉」が物価目標の導入だった。政府内でも、経済政策の「司令塔」役を担っていた竹中平蔵経済財政担当相が物価目標導入の必要性を繰り返し訴えていた。
小泉純一郎首相が9月に不良債権の処理加速を閣僚らに指示し、同月末に内閣改造で竹中氏が金融相を兼務すると、論議は熱を帯び始める。
日本経済の立て直しへ不良債権処理は避けて通れないが、急げば一時的にデフレを深める。日銀の金融緩和による支援が不可欠と考えた竹中氏は10月はじめ、速水優総裁と会談。物価目標の導入などを直接迫った。
「インフレターゲティング(物価目標)といった議論は不良債権処理の痛みを和らげる観点から、かなり本筋を外れている」(藤原作弥副総裁)。10月10、11日の決定会合では、竹中氏の要求へ疑問の声がさっそく上がった。植田和男審議委員も物価目標を導入すれば「長期金利の上昇が急激になり、2%ぐらいでは止まらない」と、金利急騰の懸念を表明した。
決定会合メンバーも一枚岩ではなかった。藤原副総裁が物価目標を「そもそも金融政策の透明性を高めるための枠組みだ」と解説すると、中原真審議委員が「透明性の観点から意味があるならば、一度議論しておくべきだ」と問題提起した。
竹中氏は次の手に打って出る。「政府・日銀が一体となってできる限り早期にプラスの物価上昇率の実現を目指す」。12月13日の経済財政諮問会議。政府の中長期の経済財政運営の姿勢を示す「改革と展望」の改定素案で事実上、物価目標の導入を改めて迫った。
12月の会合での議論は白熱した。中原審議委員が条件付きの容認論を展開。(1)政府による財政規律確保の約束(2)目標達成の時期を明示しない(3)短期的な日銀の金融政策の自由度が保証される――という3条件を満たせば「日銀と政府が(物価目標を)共有することに問題はない」と訴えた。
しかし、容認論は中原氏以外には広がらなかった。山口泰副総裁は「なかなか(目標達成の)有効な手段がないという問題を抱えている」と慎重姿勢を強調。須田美矢子審議委員も物価目標の導入をゴルフにたとえて「バンカーから直接ピンに入れるようなもの。マイルドなインフレを引き起こすのは無理だ」と、むしろ過度なインフレにつながる懸念を表明した。
最終的には速水総裁が議論を方向付けた。物価目標を導入すれば「経済を無謀な賭けにさらす」と導入見送りを主張。「インフレ予想ではなく、成長期待を高めることが重要だ」と訴えかけた。
「一体、日銀はデフレ克服のストーリーをどのように描いているのか。しばらくは克服をあきらめろという議論も含まれているのか」。政府代表としてこの日の会合に出ていた竹中経財相は、強い表現で脱デフレへの道筋を示すよう迫った。だが結局、日銀が物価目標の導入に踏み切るのに、その後約10年を要した。