オオカミが本当に来たのか? 中国経済、危機の実相
編集委員 後藤康浩
「中国経済の危機」は高成長を続けてきた過去10年でも繰り返し語られてきた。人民元の上昇による輸出競争力の低下、人件費をはじめとするコスト増、模倣だけで独自技術のない企業、石油や鉄鉱石など資源消費の膨張と対外依存の高まり、経済格差がもたらす社会不安、国有企業優先で育たない民間企業、一人っ子政策の結果としての若年労働者の不足――。数え上げれば片手では足りないほど危機の要因が指摘されてきた。要因はそれぞれ個別にみれば正しい指摘だが、高成長は持続し、危機は起きなかった。「中国経済の危機」を警告する声はオオカミ少年のようになり、中国経済の強さがかえって際立つ結果となった。
だが、今、中国経済に「オオカミ」がやってきた。その最先端は浙江省温州にある。筆者が北京に駐在していた1999年、温州を取材で回ったことがある。「ライター村」、「ボタン村」、「カバン村」、「変圧器村」、「紳士靴村」など同じ商品をつくるメーカーが数十から数百社も集積する村がそこかしこにあり、製品種は30近くに及んでいた。それぞれが村のなかで激しい競争をすることで競争力を蓄え、中小企業ですら製品の過半を輸出するというグローバル市場志向の強い産業地帯だった。「ライター村」はそこだけで世界の70%のライターを生産するといわれたほどの競争力だった。もうひとつ温州の特徴は大半が民間企業であり、中国共産党などの指導や統制の枠外にあったことだ。
その温州に今回、テレビ東京のカメラが入った。そこでみえたのは、すべてが逆転した世界だった。温州の強みだった輸出競争力は人民元高と人件費の高騰で失われ、欧米の需要減退が追い打ちとなって、企業倒産の嵐が吹き荒れていた。自由で小回りの効く民間企業の強さは、逆に国有商業銀行からの資金調達がままならない弱みに変わり、資金ショートで倒産する企業が続出していた。
温州の転落は温州だけの問題ではない。隣接する上海や江蘇省、さらに輸出志向の強い広東省、大連など中国沿海部は同じ構造に直面しており、同様の危機が中国の産業に広がっているからだ。さらに温州は住宅バブルの発信地のひとつでもあった。マンションやオフィスビルの価格をあたかも料理を炒めるようにして値をつりあげる「炒房団」と呼ばれたのが温州商人たちだった。温州商人が資金難に陥り、手持ち物件を投げ売りし始めたことは住宅バブル崩壊のひとつのきっかけにもなった。
北京、上海では「年収の30倍以上」といわれた中国の住宅バブルは崩壊を始め、広東省や上海の一部では最盛期の半値以下に急落した物件も出ている。中国の中流層の購買力や不動産の賃貸収入ともかけ離れ、高値での転売のみが価格の合理性を支えていた中国の住宅市場はついに正常な価格への修正を始めたのだ。住宅バブルの大きな要因はもちろん過剰流動性にある。中国のなかに行き場のない余剰資金がうなり、投資先を求めていたからだ。住宅バブルが崩れ始めたいま、その行き先は商品に再び向かいつつある。ただ、この3、4年話題となっていたニンニク、緑豆など保存しにくく、換金性も低いものからシフトし、今、選択されているのは金やダイヤモンド、さらに最先端が翡翠となった。
世界ではあまり注目されない翡翠だが、中国ではなじみの深い宝石類で、縁起物でもあることが中国の余剰マネーを引き付けている。だが、翡翠が吸収できる余剰マネーは限られる。いずれ翡翠バブルの崩壊も来るだろう。中国経済は行き場を求めてさまよう余剰マネーさながらにしばらく漂流を続けるのかもしれない。