「誘拐」された女性が、結婚を受け入れる本当の理由
キルギスの誘拐結婚(後編)
【エピソード3】 本当の気持ちがわからない~チョルポン~
キルギスの誘拐結婚は、実に複雑なものだ。そこには、キルギスの村社会の人間関係、価値観、遊牧時代からの歴史が絡み合っている。前編で紹介したファリーダやアイティレックが誘拐された現場に居合わせたときには、キルギスで取材を始めて2カ月余りがたち、その複雑さがわかってきていたが、取材を始めた当初はなかなか理解できずにいた。
なかでもよくわからなかったのが、誘拐され、結婚を承諾するキルギスの女性たちの気持ちだ。誘拐結婚についてよく尋ねられることに、「なぜ誘拐されたキルギスの女性たちは、逃げずに結婚を受け入れるのか」というものがある。自分が誘拐されたら、どんな手段を使ってでもその場から逃げる。女性ならそう考えるのが普通だろう。私もそうだった。
18歳になったばかりのチョルポンに出会ったのは、キルギスで取材を始めて間もない2012年7月6日。取材に同行していた運転手から、友人の弟が前日に女性を誘拐し、翌7日に結婚式を挙げると聞き、急きょ取材に向かった。そこにいたのが彼女だった。
驚いたことに、チョルポンは笑顔で部屋に入ってきた。客が来ると胸に手を当て、ほほ笑んで深々とお辞儀をして迎える。とても2日前に誘拐されたばかりの女性には見えなかった。しかし、独りになると急に表情が暗くなり、肩を落として考え込んでいた。冒頭の写真は、彼女が独りでいたときに撮った1枚だ。
チョルポンを誘拐したのは、23歳のアマン。誘拐の2カ月前の2012年5月、町で彼女を見かけ、一目ぼれをしたのだという。二人が顔を合わせたのは、誘拐当日までで、たったの3回だ。誘拐されたチョルポンは、遠く離れたアマンの家に連れ込まれ、6時間抵抗しつづけたが、最後には結婚を受け入れた。
なぜ、アマンとの結婚を受け入れたのか。そう尋ねると、チョルポンはこう答えた。「結婚は早すぎたと思います。でも、キルギスの女性にとって、いったん男性の家に入った後に、そこから出るのは恥ずかしいことなんです。高齢の女性にも説得されました。高齢の女性を敬うのはキルギスの伝統です。結婚を拒否して実家に帰ると、両親に恥をかかせてしまうので、あきらめて結婚を受け入れました」
キルギスの取材を始めた直後にチョルポンと出会ったことで、誘拐結婚という行為そのものの実態を取材することも大事だが、誘拐結婚に直面した女性の心の葛藤をもっと知りたい、と強く思うようになった。誘拐され、悩み、結婚を受け入れた後、ほとんど何も知らない夫やその親族との生活にどう入っていくのか。誰も知り合いのいない村社会で、近所付き合いはどうしていくのか。
それには、誘拐の瞬間や、結婚式の前後だけでなく、もっと長い期間、誘拐で結婚した女性に密着して取材することが必要だと痛感した。その機会は、2012年の取材の最後に訪れた。次のエピソードでは、私に心の葛藤を見せてくれたある女性を紹介する。
【エピソード4】 「報道」でなく「ドキュメンタリー」として伝えたい~ディナラ~
キルギスの誘拐結婚の取材でいちばん難しかったのが、誘拐され、結婚を受け入れた女性の心の葛藤を知ることだった。誘拐の瞬間だけを強調して「報道」することもできるが、それだけに終わらせたくない。一瞬で流れていってしまう「報道」でなく、立ち止まって考えられる「ドキュメンタリー」として、女性たちの心の葛藤を、写真で伝えたかった。
それを可能にしてくれたのが、当時22歳の大学生だったディナラだ。キルギスの取材で、私がいちばん長く、ともに過ごした女性である。
ディナラが誘拐されたのは、2012年10月21日。誘拐したのは、23歳の高校教師アフマットだ。誘拐の10日前、ナルインの市場で出会ったディナラに一目ぼれをし、2回目に会ったときにプロポーズをしたが、やんわり断られていた。アフマットは、誘拐結婚が違法だとわかっていたし、生徒の模範にならなければとためらったが、両親に勧められたこともあり、誘拐を決行した。
アフマットの自宅では大勢の人が待ちかまえていて、家の一室にディナラを連れていき、説得にかかった。花嫁の象徴である純白のスカーフを頭にかぶせられそうになったディナラは抵抗し、スカーフを外す。冒頭の写真はその時、撮影したものだ。前編で紹介した、結婚を拒否したファリーダの状況にそっくりで、私はディナラが結婚を拒否して実家に帰るとばかり思っていた。
しかし、誘拐から5時間余りたった頃、ディナラは結婚を承諾。私は彼女が嫁いだアフマットの家に2週間ほど泊まり込み、結婚式の準備から家庭生活に入っていくまでの過程を取材することにした。
当初ディナラは、人前で疲れた表情や不満を一切出さず、むしろ不自然に笑顔を見せることすらあり、何を考えているのか理解できなかった。結婚式の後に撮ったポートレートには、アフマットと腕を組み、ほほ笑むディナラが写っている。しかし、台所などで独りになると、もの思いにふけっていた。
結婚して3日後、私と二人きりになると突然、ディナラが露和辞典を手に取り、話しかけてきた。「家事が多すぎてもう体がもたない」「アフマットは私のことなんて本当はどうでもいいと思っているはずだ」。
「もし子どもが女の子だったら、将来、誘拐結婚はさせたくない」
その日以降、私たちは夜中、みなが寝静まった後に二人で台所へ行き、辞書を片手に会話するようになった。大学ではロシア文学とトルコ語を学んでいる、都会のきれいなアパートに住むのが夢で、1年後にトルコのアンカラでコンピューター関係の仕事に就く予定だった……。2年ほど付き合っていたボーイフレンドもいたという。
それでもアフマットに誘拐され、結婚を受け入れた理由を尋ねると、ディナラはこう言った。
「アフマットのことはよく知らなかった。でもこれはキルギスの伝統だから、受け入れたの」
2012年の取材を終えて帰国する際、ディナラは「子どもができたら、出産するときにまたキルギスに来て、写真を撮ってほしい」と私に言った。2014年1月、私は再びキルギスを訪れた。ディナラが2月に出産すると聞いていたからだ。1年4カ月ぶりに再会したディナラはぐっと大人びて、臨月の大きなお腹をなでながら、少し恥ずかしそうな笑顔で私を迎えてくれた。
ディナラはこの時、産休中だったが、夫が勤める学校でロシア語の教師として働いていた。結婚当初は近所付き合いが大変だったというが、今では細かい礼儀作法を身につけ、そつなくこなしていた。その姿からは、嫁いだ村でずっと生きていくことを受け止め、思い描いていた未来は奪われても、必ずここで幸せになってみせるという覚悟すら感じた。
2014年2月8日、ディナラは第1子を出産した。元気な女の子だ。
2014年の取材中、ディナラはふと「いいパートナーにめぐり合って、その人と幸せな家庭を築いていくことが、女性の幸せだと思う」と言った。私にはその言葉が、自分に言い聞かせているように聞こえた。
出産前、子どもの性別を聞いていなかったディナラは、「もし子どもが女の子だったら、将来、誘拐結婚はさせたくない」と言っていた。娘をあやすディナラの表情からは、穏やかな日常を過ごしているように思えるが、彼女の中から、思い描いていた未来を奪われた悲しみは消えることがないのかもしれない。
母になったディナラは、一人の凛(りん)とした女性になった。誘拐という違法な手段での結婚ではあったが、ディナラの「物語」はそこで終わったわけではない。私が切り取ったのは、彼女の人生のほんの一部にすぎない。彼女の新しい生活は、まだ始まったばかりだ。
出会った女性たち一人ひとりの「物語」を、これからも見つづけていきたいと思う。
1983年生まれ。フォトジャーナリスト。大学在学中に、西アフリカ・ガンビアの地元新聞社、ザ・ポイント紙で写真を撮りはじめる。「ニュースにならない人々の物語」を国内外で取材。ナショナル ジオグラフィック日本版で、2012年9月号「失われたロマの町」、2013年7月号「キルギス 誘拐婚の現実」を発表。キルギスの誘拐結婚の写真は世界的に広く注目され、フランスの報道写真祭の特集部門で最高賞、全米報道写真家協会フォトジャーナリズム大賞の現代社会問題組写真部門で1位を受賞。その他、米ワシントン・ポスト紙、独デア・シュピーゲル誌、仏ル・モンド紙、デイズ・ジャパン誌、米ニューズウィーク、マリ・クレール誌(英国版、ロシア版)など、数々のメディアで作品を発表。著書に、『フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳 ―― いま、この世界の片隅で』(岩波書店)。
[日経ナショナル ジオグラフィック社『キルギスの誘拐結婚』を基に再構成]
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