就活で陥る「自己分析」の落とし穴
しかし人事担当者は「過度の自己分析、そしてそこから書かれたESが学生の素顔を見えづらくしている」と言う。本記事と次回記事で自己分析とエントリーシートを、就活生と人事の間に横たわっているズレを追う。
■「自己分析」は万能のツールではない
自己分析はその名の通り「自分で自分の人生を振り返り、分析する」もの。よほど自分を客観視できる人でない限り、「都合の良い主観や解釈」が入ってしまう。つまり、分析する自分自身のさじ加減で、結果をいくらでも自分寄りに変えられるということだ。こんな人事担当者のコメントもある。
なぜ、こんな迷走が始まるのか。そもそも自己分析は「自分を知るため」にやるものだ。しかし「自分を良く見せたい」「早く内定をもらいたい」という意識が働く就活の場では、知らず知らずのうちに結果を「自分寄り」に曲げ、そこに「理想とするもう一人の自分」を見いだそうとしてしまうからではないだろうか。結果から出てくるのは、等身大の自分ではない。ここに大きな落とし穴がある。
自分らしさと離れた「自己分析の自分」が語る志望動機を聞かされ続けた人事担当者たちは、こう口をそろえる。「就活生本来の姿が見えなくなるような自己分析なら、無理にやらなくてもいい」
■入社してからも影響が
自己分析に頼りすぎると、社会に出てからつまずいてしまうケースもある。
何のために自己分析をするのか。頭を冷やして考えてみる必要がある。それは「仕事や企業を選ぶ」ためだ。では自己分析は、本当に仕事や企業選びに最も役立つ方法なのだろうか。そもそも仕事や企業を選ぶのであれば、自分を知るより先に、業界や企業研究を幅広くやってみるのはどうだろう。
どんな仕事や会社に興味を覚えるかも、立派な「自己分析」だ。
■自分を知る方法はいくつも
自己分析の結果にとらわれる就活生の多さに、心配した人事担当者が思わずこうコメントする。
自己分析で自分を知ることは間違いではないし、そこで「やりたいこと」や「向いていること」が見つかることも大いにある。ただ、これまで述べてきたように、自己分析は「自分の主観と願望」が入りやすいものだし、企業も「本当の適性は入社してからでないと分からない」と言う。目安になればよし、という程度のものだ。
だから「自己分析がうまくできない」なんて悩んで自分を追い込むのはやめよう。そんな必要はまったくない。何より、自分を知る手段はほかにも存在する。本でも、映画でも、スポーツでも、恋愛でもいい。たくさんの物を見たり、人の話を聞いたり、自己分析以外でも「自分」を気づかせてくれるものはたくさんあるのだ。
(ライター 双里大介)
[日経ビジネスアソシエ特別編集 みん就データブック2012の記事を基に再構成]