「紙の本は最後」 真のデジタルファーストで出版再生
メディアリボーン(1)
電子出版を手掛けるインプレスR&Dが、出版業界で異色の挑戦を続けている。書店などと組み、本を1冊ずつ製本して販売する「プリント・オン・デマンド(POD)」による書籍の流通環境を整備。数百~数千冊しか売れないような希少本でも、著者が読者に届けやすくするのが狙いだ。
国内出版市場は11年連続で減少が続き、2015年は金額で前年比5.3%減と過去最大の落ち込みとなった。PODによって、需要がありながらこれまで流通しにくかった書籍が出回るようになる。新しい需要が掘り起こされ、長引く出版不況に薄日が差し込むきっかけになるかもしれない。
紙の本は「ラスト」でOK
「活版印刷の書籍は、日本で100年以上の歴史がある。それにも関わらず、書店には新刊本ばかりが並ぶ。もっと多様な書籍を流通させたかった」。インプレスR&Dの井芹昌信代表取締役社長は、PODサービスにかける思いをこう語る。
同社は2012年に出版社を対象とした書籍の流通プラットフォーム事業「NextPublishing」を立ち上げ、約250タイトルを世に送り出してきた実績がある。契約した出版社が書籍データを納品すると、まず電子書籍としてオンライン書店に配本できる。加えてPOD対応の印刷機を所有するオンライン書店やリアルな書店向けに、注文が入る度に1冊ずつ印刷・製本して紙の書籍として販売もできるのが特徴だ。
当初POD版は印刷機を持つ米アマゾン・ドット・コムや三省堂書店など一部に限られていたが、2015年10月に楽天と組んで全国の書店が1冊からでも印刷した状態で取り寄せ可能にするなど販路を順次拡大してきた。
コンセプトは「デジタルファースト、ブックラスト」。意味するところは、編集から制作、流通まですべてデジタルでくみ上げた低コストなプラットフォームだということ。「まずコストをかけて紙として書籍を発行し、それをまたコストをかけてデジタル化したものを電子書籍として流通させる発想が出版業界では主流。逆転の発想で作りあげたのがNextPublishing」(井芹社長)。最初に紙の本ありきではなく、最終的な出力形態の一つとして紙を捉えていることから「ブックラスト」をうたっている。
具体的には、電子書籍や紙の書籍など需要に応じた形で流通させればよいとの考え方に立ち、マスターの書籍データを作る仕組みを採用している。PODの活用により、電子書籍だけで刊行するのとほぼ同じコスト感覚で、電子書籍と紙の書籍の同時刊行を実現できる。印刷費や製本費を織り込まずに注文に応じて1冊ずつ印刷できるためだ。「書籍発行の経費を、従来より一桁安くできる。約400部売れれば採算がとれる」(井芹社長)という。
人気が出れば、通常の書籍としてまとまった数を印刷し、全国の書店へ配本して並べることも可能だ。
既に契約している出版社は20社弱。岩波書店が絶版本を復活させたり、小規模な科学系出版社が専門書を発刊したりする際に活用している。
NextPublishingでテストマーケティングを実施したおかげで、ヒット作品が生まれた例も出てきている。同じインプレスグループのクロスメディア・パブリッシングが2015年3月に刊行したビジネス書「未来をつくる起業家」がそれだ。担当編集者で書籍編集部の吉田倫哉氏は、当時をこう振り返る。「刊行を検討したい際、売れるかどうかの見極めが難しかった。まず試しに売り出して、手応えがあれば通常の書籍として流通させられるNextPublishingの存在を知り、渡りに船の話だと思い飛びついた」。
本著は、約20社のスタートアップ企業経営者が過去の失敗談を含めて、日本で起業する難しさとコツを紹介するという内容。編集者が積極的にSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)やニュースサイトで宣伝したことが功を奏し、徐々に話題となっていく。電子書籍版の価格をPOD版の半額に設定したことから電子書籍で購入する読者が多かったが、高くても紙で読みたい需要が少なからずあることも分かった。
「これは行ける」――。手応えを感じた吉田氏は、上司にかけあい通常の書籍として刊行することを決定。こうして未来をつくる起業家は、2015年10月に通常の書籍として全国の書店に並べられることになる。NextPublishingをテストマーケティングで使った際にかかったコストは「従来の出版に比べればごくわずか」。返本のリスクにおびえることもなく、ある意味損をしない仕組みだと感じたという。
国会図書館の歴史的資料から青空文庫まで
インプレスR&Dは、NextPublishingを活用してくれる出版社を開拓するとともに、自ら「デジタルファースト、ブックラスト」を実践する最先端の出版社の姿も模索する。
現在社内で抱える5人の編集者に、それぞれ編集長としての権限を与えている。NextPublishingの仕組みを使って、主にIT(情報技術)関連で今までにないタイトルを産み出すのが狙いだ。「5人はそれぞれ、たった一人の編集部を持っているようなもの。企画ごとに予算を設定し、経費内であれば自由にライターやカメラマンの力を借りて、書籍を発行できる」(井芹社長)。大胆なアイデアに挑戦してほしいとの思いから、書籍が売れればそれに応じて本人の報酬も上がる編集印税制を敷いている。
これまでに最も売れたのが「DSP/RTBオーディエンスターゲティング入門」というネット広告技術に関する書籍。読者層は限られる内容だったが、業界関係者の間で話題になるタイミングですかさず刊行したことから1万部以上が売れた。
他にも、国立国会図書館が所蔵する歴史的な資料価値の高い書籍を一般読者でも入手できるようにしたほか、著作権が切れた文学の名作をまとめた「青空文庫」を文字サイズの違う三つの判型を選んで買えるサービスも始めた。PODだからこその新しい書籍の姿を探そうと指呼錯誤を繰り返す。
実は井芹社長自身も、NextPublishingを活用する著者の一人。たまたま実家の熊本県益城町を訪れていた際に熊本地震に被災したことから、自らの経験をまとめた「熊本地震体験記―震度7とはどういう地震なのか?」をNextPublishingを通じて2016年6月に緊急出版した。生々しい体験をいち早く後世に伝えて災害対策に生かし、収益の一部を熊本地震の義援金として寄付したいとの思いからだ。
これまで出版業界は、紙をデジタルに置き換えて、右肩下がりの収益を補おうとし続けてきた。しかし電子書店が一般的になり多くの読者が今まで以上に手軽に書籍を入手しやすい環境が整ったにもかかわらず、狙い通りにはなっていない。2015年の電子出版市場規模は1502億円で前年比31.3%増と好調。だが、紙と電子を足し合わせた規模でみると前年比2.8%減となり、5.3%減だった紙の市場の落ち込みをカバーするまでにはいたっていない。
いうまでもなくスマートフォン(スマホ)の浸透によって、デジタルかアナログかを問わず、読者が書籍に向き合う時間は着実に減りつつある。これまでの紙で売れるかどうかを前提に判断したコンテンツばかりを生み続ける限り、出版市場が再び活況に沸くことはないだろう。まして不況になればなるほど、売りやすいものばかりしか作りにくくなる。
読者の好みはますます細分化してきており、出版する側と読み手の側の溝はこのままでは深まるばかりだろう。そんな中で、多様なコンテンツを血液のように読者の手元に届けるために、少数多量生産という概念を出版業界に持ち込んだNextPublishing。スマホ時代に求められている新しい「出版のカタチ」の一つを示しているのは間違いない。
(日経コンピュータ 高田学也)
[ITpro2016年6月15日付の記事を再構成]
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