「1秒」の重み変わってる? IT化、株取引一瞬で明暗
エコノ探偵団
「1日を1秒長くする『うるう秒』を巡って世界各国が大激論をしたと聞きました。1秒の重みって変わってきたのでしょうか」。近所の大学生の情報に探偵事務所の所長が関心を示した。「大きなテーマですね。今回は私が調査しましょう」
「まず国際的な議論をおさらいしてみよう」。所長は日本の標準時間を管理する独立行政法人、情報通信研究機構(東京都小金井市)に向かった。広報部の広田幸子さんに話を聞くと「うるう秒を7月1日に挿入します」と答えてくれた。
今はセシウムなどの原子の性質を利用した「原子時計」で1秒の長さを決めている。8万6400倍すると24時間だが、現在の地球の自転周期はそれよりわずかに長い。そこで、うるう秒で調整する。ところが、いつ入れるか規則性がないため、コンピューターなどは手作業で変更しなければならず、コストがかかり、トラブルが生じる可能性もある。「昨年、国際会議で廃止が議論されましたが、結論は先送りされました」
1000分の2秒で注文処理
「たかが1秒、されど1秒か。そういえば、株式市場では1秒よりずっと短い時間で取引できるようになったと聞いたぞ」
所長が東京証券取引所を訪ねると、担当者は「2010年1月に稼働した株式取引システムのアローヘッドは、それまで2~3秒かかっていた注文処理速度を1000分の2秒まで短縮しました」と胸を張った。コンピューターを使い高速で自動的に売買を繰り返すことで利益を増やそうとする海外の機関投資家のニーズに対応したという。
「個人投資家はどうなんだろう」。所長は自宅で株式のインターネット取引をしている東京都在住の男性(62)とコンタクトを取ることができた。その男性は「機関投資家にはかないませんが、1日に何度も売買するデイトレーダーにとって、1秒の違いは大きいです」と教えてくれた。
1円単位の値動きをみて株を売買しているが、この値段で売ろうと思っても、ライバルに1秒遅れただけで取引が成立しないこともある。「昔は証券会社に電話して注文するのが当たり前で、秒単位の勝負なんて考えもしませんでした」
「IT(情報技術)の発展で1秒の重みが増しているな」。所長がさらに調べてみると、様々な場面で「秒単位の争い」が増えていることがわかった。
アクセスも秒単位の争い
大学生の就職活動では、会社説明会の参加申し込みなどをネットで受け付ける企業が増えた。先着順の場合もある。東京都内の男子大学3年生(21)は「受け付け開始ピッタリにアクセスしようとしても、1秒遅れるとつながらないことが多くて困ります」と話す。
ランニングが趣味の千葉県在住の女性(37)は「市民マラソン大会の参加申し込みをネット上で先着順に受け付けることが多く、1秒を争うことがあります」という。首都圏で開催されたある大会では、午前10時の受け付け開始ちょうどにボタンをクリックして申し込んだはずが「与えられた整理番号は2000番目ぐらいでした」と嘆いた。
「そういえば、最近の時計やパソコンは時刻がまず狂わないらしいな」。所長は東京・秋葉原にあるヨドバシカメラのマルチメディアAkibaへ向かった。時計売り場へ足を運ぶと、小倉穣嗣さんが対応してくれた。「電波時計は『標準電波』という電波を受信して、自動的に時刻を正確に合わせてくれます」
国産販売の8割は電波時計
標準電波は原子時計の正確な時刻情報を送信している。昨年3月、東日本大震災の影響で福島県内からの送信が一時的にストップしたものの、4月に再開すると、電波時計の売れ行きは再び伸びた。「すでに国産時計の販売の8割は電波時計です」と小倉さん。所長は「昔から使っている手巻きの腕時計は5分ぐらい遅れても全然気にしなかったな。時代が変わったということか」とつぶやいた。
標準電波の送信は情報通信研究機構の仕事と聞き、再び広田さんに尋ねると「パソコンやデジタル家電の時刻を自動的に正確に合わせる仕組みも普及しています」と説明してくれた。
原子時計内蔵の全地球測位システム(GPS)衛星から受信した電波や、原子時計から直接送られる情報を基に時刻情報サーバーの時刻を正確に合わせ、インターネットなどを通じてほかのサーバーに時刻を伝える。サーバー同士でも相互に照らし合わせ、ネットを通じて末端利用者のパソコンやデジタル家電の時刻を合わせる仕組みだ。機種にもよるが、携帯電話も基地局からの情報で時刻を正確に合わせることができる。
さらに探っていくと、「正確な時刻」を証明するビジネスが誕生していることも分かった。タイムレコーダーや駐車場管理システムなどを手掛けるアマノや、セイコープレシジョンなどの企業が提供する「時刻認証サービス」だ。総務省所管の財団法人、日本データ通信協会(東京都豊島区)の認定した機関だけがサービスを提供できる。
ネット上の証券取引や商品の売買、電子入札などの普及に伴い、法的な紛争などに備えるために、取引履歴や電子文書の作成時刻を秒単位で正確に証明することが必要な場面が増えている。時刻認証サービスを使えば、電子文書がいつ作成されたか、その後改ざんされていないかを証明することが可能になる。
「これまで以上に1秒が貴重になっていると同時に、時刻の正確性も、より求められているようです」。所長の報告に依頼主の大学生も納得した。
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「なんでも秒単位で考えるようになったら大変ですね」。事務所で部下の深津明日香が先週の報告書を書き直しながらぼやくと、所長が一言。「君のその仕事、締め切りを8万6400秒以上過ぎているぞ」
<単位の定義、より正確に>原子時計が「長さ」にも影響
地球の自転周期から決めていた「時間」の定義は、20世紀半ばにより正確な原子時計を基準にするよう変更した。「長さ」も、より正確さを追求している。
世界標準の「メートル法」は1795年、革命直後のフランスで1メートルを「地球の子午線の4分の1(北極点から赤道まで)の距離の1000万分の1」としたことに始まる。フランスは各国にメートル法の採用を働き掛け、日本は1886年にメートル条約へ加盟した。1890年には白金イリジウム合金製の「メートル原器」がフランスから届き、これが約70年にわたり日本の産業界にとって長さの基準となった。
1983年からは「1秒の2億9979万2458分の1の間に光が真空中を伝わる距離」に切り替わった。原子時計による正確な時間は長さにも影響したわけだ。
一方、「重さ(質量)」は1795年に決めた「1000分の1立方メートル(1リットル)の水の質量」という定義に基づく「キログラム原器」が今も活用されている。だが、キログラム原器の質量は経年変化するため、より正確な定義が検討されている。時が流れ、科学が発展するとともに、様々な単位の定義も進化していく。
(編集委員 宮田佳幸)