「ニコ動」で進行するコンテンツ革命、熱狂の舞台裏
ネット上の才能を現実世界に解放~ドワンゴの挑戦(1)

千葉市の幕張メッセに併設されたイベントホール。ライブの中盤にさしかかり、暗転したステージに彼女たちが浮かび上がると、会場は割れんばかりの歓声に包まれた。3Dアニメーションがところ狭しと踊って歌う、バーチャルアイドルたちのオンステージだ。
初音ミクに鏡音リン・レン、巡音ルカ、GUMI、Lily……。男女8人が入れ代わり立ち代わり登場し、14曲をコンピューターによる合成音で歌い上げた。バーチャルアイドルはステージ手前に設置された透明のスクリーンに投影される。奥で生演奏をするバンドの姿が透けて見えるため、あたかもそこにいるかのような錯覚におちいる。
どの曲も彼女たちのオリジナル曲で、テレビで流れるようなメジャー曲ではない。無名の素人クリエイターがニコ動で発表したものばかりだが、詰めかけた6000人の観客は声を張り上げ、ペンライトを振りかざし、熱狂していた。半分は女性で、中高生の姿も目立つ。都内から来たという女子高生(17)は「マジやばい。楽しい。感動して泣けてきた」と興奮冷めやらない。
これは近未来を想像した話でも、ごく一部の"オタク"の世界に閉じた話でもない。大手メディアの多くはこのイベントを報道しなかったが、実は大人の知らないところでコンテンツの革命ともいえる事態が進行していた。
コンテンツを「自給自足」する若者

大型連休前半の4月28日と29日、前代未聞の大規模イベント「ニコニコ超会議」が幕張メッセ全ホールを使って開催された。主催はニコ動を運営するドワンゴ。2日間で約9万2000人のニコ動ファンが詰めかけた。客層は、ニコ動の登録会員のうち約63%を占める10歳代から20代が中心。20代人口の約81%がニコ動ユーザーで、1日のニコ動の平均視聴時間は1時間41分と10代であればテレビ視聴を既に超えている。
バーチャルアイドルが登場したのは、超会議の目玉で「ニコニコ超パーティー」と銘打たれた夜間ライブ2日目の一幕。ライブはニコ動の「ニコニコ生放送(ニコ生)」でも同時中継され、視聴者は動画の上を流れる「コメント機能」で合いの手や歓声を投げかけた。
初日は4時間超、2日目は6時間超の長丁場となったライブの視聴料金は2000~2500円。にもかかわらず2日間で延べ約85万8000人、約230万のコメントが殺到した。コメントは会場の大型モニターにもリアルタイムで映し出され、ネットの視聴者と会場が一体となってライブを盛り上げた。会場の6000人と数十万人の視聴者が熱狂したのはバーチャルアイドルだけではない。
きゃりーぱみゅぱみゅや柴咲コウなどの「プロ」も登場したが、それはごく一部。主役はバーチャルアイドルのオリジナル曲などを歌う「歌い手」に、曲に合わせてダンスをする「踊り手」など、さまざまな動画を投稿し、人気を博したニコ動発の素人アーティスト総勢240人である。
曲、踊り、映像、パフォーマンスなど、披露されたほとんどの素材は、プロが世に送った商品ではなく、素人がニコ動で発表した無料のコンテンツ。テレビ視聴率が低迷し、CDが売れない時代。だが若者たちはエンターテインメントを嫌いになったわけではない。じつはコンテンツを「自給自足」して楽しんでいたのだ。
「若い世代はネットとリアルの区別なんてない。最初からネットもリアルもあるんだから」「商業音楽なんか全然聞かないで、毎日『初音ミク』ばかり聞いてる10代の子たちがすごく増えていった」――。

ニコ動を運営するドワンゴの川上量生(のぶお)会長はニコ動を舞台に進行している現象を分析する。ただ、最初からこうだったわけではない。2006年12月に産声を上げてから5年超。ニコ動は文字通りユーザーと二人三脚で、あらゆる動画をストックする巨大倉庫の「ユーチューブ」とは別路線をたどって成長し、若者のコンテンツ消費のあり方を大きく変えた。
二次創作、三次創作で遊ぶユーザー
初期のニコ動は、まるでルールを知らない子どもが新たなおもちゃを与えられ、めちゃくちゃに遊ぶように、荒れ放題だった。
最初にはやったのは「MAD」と呼ばれるジャンルの動画。ニコ動版のウィキペディア「ニコニコ大百科」にはこうある。「MADとは、動画や音声を編集、改編し新たな意味を付加された動画や音声のことを指す。つまり、二次創作物である。本来MADとは、『気が狂った』などを意味する単語であり、MADと名の付く作品は内容に癖がある物が多い」
要するに既存の映像と音声を素材に編集し、面白い動画を作る遊びだ。もちろん、ほとんどの素材が著作権者の許諾を得ておらず、ニコ動は違法コンテンツであふれ返った。だが悪いことばかりでもない。ヒットすれば大きな広告宣伝効果が生まれる。代表的な例がニコ動で人気ジャンルとなったバンダイナムコの家庭用ゲーム機向けソフト「アイドルマスター(アイマス)」だ。

アイマスはプロデューサーとなってアイドルを育成し、ステージで歌って踊らせるゲーム。その映像を、ゲームとは関係ない音楽と合わせ、切り貼りして編集した新たな動画が矢継ぎ早に投稿された。音楽と寸分違わぬキャラクターのダンスに、視聴者は"萌(も)え"、喝采を送った。
テレビアニメやCM、CD、DVDなどの商業コンテンツを素材とした多くの「MAD動画」が権利者の申し立てを受けて削除される中、バンダイナムコは黙認した。商業音楽を素材としたアイマスMAD動画は削除されたが、申し立てがないゲームやアニメの音源を使用した動画が残り、ユーザーはさらにその二次創作、三次創作を繰り返して遊んだ。
「初音ミク」が最高の遊び道具に
ドワンゴは違法状態を解消し、ユーザーに自由度を与えようと08年4月、日本音楽著作権協会(JASRAC)と包括契約を締結。JASRAC管理楽曲を演奏したり歌ったりした動画を投稿することが可能となったが、CD音源を勝手に使用することは許諾範囲に含まれておらず、ユーザーは大人の締めつけに、次第と商業音楽から離れていった。
代わりに最高の遊び道具として脚光を浴びたのが、バーチャルアイドルの初音ミクだった。
初音ミクは、ヤマハが開発した音声合成ソフト「VOCALOID(ボーカロイド)」の声質をアレンジし、キャラクターのイラストを加えて擬人化させた、いわゆる「ボカロ」シリーズの草分け。メディアでは初音ミクばかりが取り上げられるが、実は鏡音リン・レンやGUMIなど、後発のボカロソフト・キャラクターも初音ミクに勝るとも劣らない人気を誇っている。

07年後半から、このボカロソフトに、自身が作詞作曲したオリジナル曲を歌わせた動画をニコ動に投稿する通称「ボカロP」が活躍し始めた。聞こえのよいサウンドと、人間が歌っているような声質にユーザーは驚き、「メルト」や「ブラックロックシューター」など100万再生を超える大ヒット作がいくつも生まれた。そのクオリティーはプロの世界も無視できないほどだ。
実際、ボカロ曲がメジャーレーベルのCDとなる「メジャーデビュー」が08年半ばから相次いだ。以降、ボカロ曲は何度もオリコンの週間ランキングでトップ10入りし、カラオケでは歌われた人気ランキングの上位にランクインするなどの実績を残すようになる。
ただ、このメジャー進出やランキングだけにとらわれると、ボカロ人気の本質を見誤る。人気の構図は既存の商業コンテンツとは大きく異なり、既存の指標で人気度を測ることもできない。
歌、振り付け、ダンス、CG……広がる「ボカロ」
ボカロPもまた、ニコ動の熱狂的なユーザー。商業音楽のようにやぼなことは言わない。CDや放送・カラオケなど商業利用についてはJASRACに信託するが、ニコ動などネットでの創作活動については、ほとんどが許諾なしで利用可としている。
ユーザーはこの「仲間」が作ったボカロ曲に敬意を表しながら二次創作、三次創作に取り組み、楽しむようになった。新たな創作の「元ネタ」にして遊び始めたのだ。うるさい商業コンテンツには見向きもせずに。
あるユーザーはボカロの合成音の代わりに自分で歌い、別のユーザーがハモりやエフェクトなどを加えてアレンジ。楽器が得意なユーザーは演奏し、さまざまな人気の歌い手の音源をつないでメドレーを作るユーザーも出てきた。一方、ダンスが得意なユーザーが振り付けをし、それを参考に「踊ってみた」動画を投稿するユーザーも続出した。

さらには「MMD」という3Dアニメーションの制作ソフトを使い、ボカロキャラクターがダンスをするオリジナルのCG(コンピューターグラフィックス)作品を作るユーザーまで現れた。MMD自体、ニコ動ユーザーが開発し、無償で提供されているニコ動発のCGソフトだ。
続々とプロになる「ボカロP」
みんなが歌い手や踊り手などの「アーティスト」やCGクリエーターなどの「スタッフ」として活躍することで、元ネタのボカロ曲に新たな付加価値が備わり、切磋琢磨(せっさたくま)して質も向上していく。ユーザーはテレビにかじりつくようにニコ動発のコンテンツに夢中になっていった。この波及効果が元ネタの人気を押し上げ、ボカロPのメジャーデビューを後押しする好循環を生んでいる。
だからボカロPはプロになってもニコ動ユーザーであることをやめない。千葉県に住む「Junky(ジャンキー)P」も、その1人だ。
中学でギターを覚え、高校でバンドを組んだジャンキーPは、最初は人気ロックバンド「X(エックス)」のコピーをしていたが、作曲にも挑戦するようになった。バンド活動を続けるうちに「音楽で食べていきたい」との思いが募り、本格的に音楽を学ぼうと一念発起。04年に私立音楽大学の作曲科に入学した。
ただ、音大に入った音楽のエリートでも、音楽で身を立てられるのは一握り。ましてやプロの作曲家は最難関だ。「音大出て、バイトでメシ食ってる先輩はたくさんいた。でも自分は絶対にそうはなりたくないと思っていた」。大学3年となった07年、ボカロが登場し、道が開けた。
「この波に乗りたい」。ニコ動にかじりついていたジャンキーPも、気がつけば音大で留年を繰り返しながら、ボカロ楽曲の制作にのめり込んでいた。
「どんなに売れても、ニコ動への投稿はやめない」

処女作の投稿は09年9月で、以降、12作品を投稿。10年4月に投稿した4作品目、鏡音リンに歌わせた「メランコリック」は投稿からわずか9日で再生回数が10万回を超え、翌11年7月には100万再生を突破した(現在は約160万)。この間に生まれた関連動画は1000以上。メランコリックの1年後に発表した「スイートマジック」は、さらにニコ動らしい展開となった。

スイートマジックの歌声はボカロの合成音ではなく、ニコ動で人気の歌い手の「ろん」が吹き込んだ。映像もCG作成に定評のある別のユーザーが担当。このユーザー同士のコラボレーションによる元ネタの動画は現在97万再生。だが、派生した関連動画は1500以上にものぼり、MMDを使ったCG作品が170万再生を記録するなど、本家をしのぐ作品も現れた。
こうした人気に支えられ、ジャンキーPは11年8月、初となるメジャーCDアルバムを発売、プロのミュージシャンとしての活動を始めるに至る。昨年末には著名なアーティストからの楽曲提供依頼があった。今夏の発売に向けて鋭意、制作しているというジャンキーPはこう話す。
「たとえこの先、作曲家としてどんなに売れてもボカロ楽曲の制作は続けたいし、ニコ動への投稿もやめない。やめられないと思う。それほどニコ動は魅力的な場所」
普通の大学生がプロのミュージシャンに
商業コンテンツの世界から距離を置き、遊び道具のコンテンツを自ら生みだしたニコ動ユーザー。遊びは、言い換えれば生産活動にほかならない。その裾野は確実に広がりを見せている。
「ニコ動で人生が変わった」と話すのは「八王子P(23)」。先のニコニコ超パーティーの2日目にも出演し、DJとして人気の歌い手とコラボレーションした。
八王子Pは07年に都内の理工系大学に入学。プログラミングなどを学び、将来はSE職を目指す大学生だった。音楽が好きで、イベントなどでDJをすることもあったが、それ以外の音楽経験は特にない。IT系の会社に入るつもりで、プロのミュージシャンになろうとは「まったく考えていなかった」。そんな彼が著名なボカロPとなったきっかけは、当時、ニコ動を席巻していた人気のボカロP「kz」率いるユニットの人気曲をニコ動で聞いたことだった。
クリエーターがクリエーターを呼ぶ好循環

「あんなかっこいい曲を自分も作ってみたい」。独学で作曲を学び始めた八王子Pは、約1年後の09年12月、ニコ動に「エレクトリック・ラブ」を初投稿。軽快なテクノポップの処女作は、いきなり10日で10万再生を記録するヒット作となり、一躍、ニコ動の有名人となった。
作曲はすべてコンピューターによる「打ち込み」で、楽器は使わない。音楽理論を勉強したわけではないが、「好きな曲をひたすら耳コピすると、和音の法則が見えてきた」。続く楽曲もユーザーの支持を受けヒットを連発。ボカロファンのあいだで人気が高まり、イベントなどで自主制作のCDを1枚1000円で販売すると2000枚も売れた。
「CDを出しませんか」「契約しませんか」。昨年夏になると活躍がレコード業界関係者の目に止まり、複数の誘いが舞い込んだ。そして今年2月、ボカロ曲を集めたCDアルバムでメジャーデビューを果たす。契約を結んだ所属事務所は、くしくも憧れていたkzさんと同じ会社だ。
八王子Pは振り返る。「この2年の変化はものすごかった。今の自分を、ボカロを始めた当時はぜんぜん想像できていない。やっぱりニコ動にチャンスをもらえたおかげだし、ニコ動での活動を通じていろんな人とつながることができた」
クリエーターが新たなクリエーターを呼び込むという好循環。ニコ動発コンテンツの活躍の場は、着実に広がりを見せている。
既存メディアにも影響力

エクシングが展開するカラオケ「JOYSOUND」には1700曲以上ものボカロ曲が蓄積され、歌われたランキング上位には著名ボカロ曲が著名アーティストの曲と肩を並べている。kzさんによる新曲「テル・ユア・ワールド」は、先の年末年始に放映されたグーグルのテレビCMに起用され、話題を呼んだ。3月のCD発売初週にはオリコンランキングの4位にランクイン。ボカロ曲の初週販売では最高の3.3万枚を売り上げた。
八王子Pも負けじと活動領域を広げている。今年2月、NHKの番組「週間ニュース深読み」で初音ミク特集があった際に依頼されて作ったボカロ曲は、そのまま同番組のエンディングテーマに採用された。聞いたNHKのスタッフが絶賛し、その場で決まったという。
もはや、既存のメディア産業やエンターテインメント産業にまで影響力を及ぼすニコ動発のクリエーターたち。ボカロPだけではなく、歌い手や踊り手などからも「スター」が誕生しつつある。
高校生だった08年5月からボカロ曲を中心に歌ってみた動画を80本も投稿している「実谷なな」は、10年10月、「ルカルカ★ナイトフィーバー」でCDデビューした。
「歌い手」や「踊り手」もデビュー

同曲は人気ボカロPの「samfree」の作品で、巡音ルカが合成音で歌う本家は250万再生を超えるメガヒット作。実谷ななが歌った動画も240万再生と本家に迫る人気で、多くの踊り手が音源として使用している。ニコ動における総再生数は1500万超。今年3月には、その中から人気の19のボカロ曲を集めたベストアルバムをエイベックスから発売した。
同じく高校時代の08年8月から現在まで、150本以上もの動画を投稿している人気の踊り手「愛川こずえ」は、09年10月よりほかの人気踊り手と組んだダンスユニット「DANCEROID」の中心メンバーとして活躍。DVDの発売や多数のイベント公演をこなしている。ブレイクのきっかけは自身が振り付けをしたルカルカ★ナイトフィーバーの動画。再生回数は本家をしのぐ328万回もある。

コンテンツは自分たちで作り、自分たちで盛り上げるという仲間意識に支えられたメジャー進出。既存の商業活動とは一線を画したニコ動の文化は、与えられるのではなく生産するという新たなコンテンツ消費のあり方を示したといえる。
稼げる場所を才能あふれるネットの住民に与える――。川上会長がニコ動を始めてからずっと、ニコ動が果たすべき使命として据えているテーマだ。
ネット上にあふれる才能を現実世界に解放
「才能の無駄遣い」「もっと評価されるべき」。ニコ動の初期、こんな「タグ」が多くのMAD動画に付いていた。ばかげているし、違法でもある。でも、発想やクオリティーは素晴らしいと、ユーザーは評価した。
ニコ動は、違法状態を排除すると同時に、リアルの場でユーザーがパフォーマンスを披露するイベントを開催したり、「ニコファーレ」という常設のイベント会場を設置したりと、ネットに続く地平に活躍の舞台を用意し、ユーザーと二人三脚でニコ動の世界を育てていった。
ゼロからコンテンツを生み出すことができるボカロとの幸運な出会いもあり、ようやく稼ぐことができるユーザーが誕生するまでに成長した。だが川上会長は、この程度では満足しない。
「働かないニートがネットで大量にコンテンツを作ってる。そんなのは日本くらい。でも、それがニコ動の強さでもあるんですよね。確かに、まだニコ動はまったく日本のためになってない。でも、予感みたいなものは感じている。ユーザーを見てて、こいつらと一緒だったら世界で勝負できると思ってる。ニコ動が日本に貢献できるんだったら、そこだなと」
稼げるようになったユーザーは、まだ一握り。ましてや「外貨」稼ぎまでには、ほど遠い。挑戦は、今も続く。この春、ニコ動はまた新しいことを始めた。(続く=次回は12日に掲載します)
(電子報道部 井上理)