加藤登紀子 「隠し子つくれば」と聞くと高倉健さんは
編集委員 小林明
歌手生活55周年を迎えた加藤登紀子さん(76)は「居酒屋兆治」で高倉健さんの女房役、ジブリアニメ「紅の豚」で声優として出演するなど、映画と関わりが深いことでも知られる。今回のインタビューでは、高倉健さんや宮崎駿監督らとの貴重なエピソード、テレビドラマ撮影、映画の鑑賞体験などについて回想してもらった。
出演を断っていた「居酒屋兆治」、私が女房役では納得できない
――「居酒屋兆治」(1983年)は女優として初の本格デビューになりましたね。
「最初はかたくなにお断りしていたんです。だって私、プロの女優じゃないし、健さんの大ファンでしたから。健さんの女房役を私がやるなんて、一人のファンとしても絶対に納得できなかった。でもプロデューサーが来て『女優ではなく、加藤登紀子として出てほしいんです』と熱心に説得されたので、『そこまで言ってくださるなら』とお引き受けすることにしました」
――なぜ素人の加藤さんを起用したのでしょうか。
「これは推測ですが、映画の中で函館の居酒屋主人を演じた健さんが、暴言を吐いた客を我慢できずに殴って警察に捕まり、私が出迎えに行くシーンがあるんです。私、実生活でも学生運動のリーダーだった藤本敏夫と獄中結婚し、接見したり、出所を出迎えたりしていましたから、そのイメージが皆の頭にあったんじゃないでしょうか。警察署を一緒に出て、並んで波止場を歩くシーンで私がふと物思いにふけっていると、健さんが私の顔をのぞき込みながら『(ご主人のことを)思い出すんですか……』と突然、おっしゃったので驚きました」
健さんは左翼学生のヒーロー、インタビューでビックリ質問
――任侠映画「昭和残侠伝」シリーズ(65~72年)の主役だった健さんは左翼学生たちのヒーローでしたからね。
「そうなんですよ。反帝全学連委員長だった藤本も熱狂的なファンで、そのしぐさまで熱心に研究してマネしていましたから……。健さんは、そんな学生運動家たちに自分の映画が広く支持されていたことをかなり意識していたようです。藤本の葬儀(2002年7月死去)にも、一周忌にも、お花を贈っていただきました。とてもうれしかったです。私、映画の中で何も演技をしていないのに、スタッフのほか、珍しく降旗康男監督までが『とても良かったですよ』と褒めてくださった。皆さんが藤本のイメージをダブらせながら映画の中の私を見ていたような気がします」
――夫の藤本さんが映画を間接的に結び付けたわけですね。
「そういう部分はあったと思います。でも私に出演依頼が来たのは、ほかにも伏線があります。実はその数年前、雑誌のインタビューで健さんにお会いしているんです。健さんは降旗康男監督の『冬の華』(78年)を撮影中で、私の新曲『時代おくれの酒場』も聞いていただきました。そんな縁があったので、『居酒屋兆治』で私が健さんの女房役で出演し、『時代おくれの酒場』が主題歌になったのかもしれません」
――健さんへのインタビューでは何を聞いたんですか。
「私、困ったことに、誰にでも平気でとんでもないことを聞いちゃうタイプなんです。健さんには『どこでもいいから、隠し子をつくったらどうですか』なんてぶしつけな質問をしてしまいました。今から振り返ると、よくそんな大胆なことを聞けたなと思いますが、健さんは日本の宝ですからね……。その遺伝子は絶対に残しておいた方がいいと思ったんです」
遺伝子は残した方がいい、「いいね」とノリノリだった健さん
――健さんは江利チエミさんと離婚した後、独身を貫きましたからね。反応はどうでしたか。
「すると、怒られるわけでもなく、意外にも本人が面白がって、『それ、いいね。じゃ、隠し子、つくっちゃおうか……。あの娘なんかどうだろう?』なんて笑いながらノリノリで答えてくれました。おかげでその場は大爆笑。健さんって、無口なイメージがあるけど、普段はよくしゃべるし、とても陽気で冗談好きなんです。ただ人への気配りはきめ細かいし、とても心が温かい人。それは強く印象に残っています」
――映画出演で演技の極意はつかめましたか。
「クランクインで私、ひどく緊張しちゃって、セリフを言った後、『キーが少し高かったかしら』なんてつぶやいてしまった。そしたら健さんが『キーなんて気にしないでくださいよ』とゲラゲラ笑い出したんです。『演技なんてしなくていいですから。そこで遊んでいてください』とも言われた。それで気分が一気にほぐれて、後の撮影は楽に臨めるようになりました」
「健さんがすごい名優だなと感心したのは、ここぞという演技は1度しかやらないこと。終盤に2人でやり取りする長回しのシーンがあって、最初はどうせ練習だろうと思って気軽にやっていたら、『はい、OKです』と言われてビックリ。あっさり本番が終わってしまった。『え、これでいいの?』とこちらが戸惑ったくらい……」
「『居酒屋兆治』は歌も思い出深いですね。函館の温泉旅館で皆で宴会したんですが、私は健さんが主演した『網走番外地』の主題歌を弾き語りで歌ったんです。それで『はい、2番をどうぞ』ってマイクを手渡したら、なんと健さんがそのまま歌い始めた。『ああいう場面では健さんはめったに歌わないんですよ』と周囲が驚いていました。そんなこともあり、健さんに映画の中で『時代おくれの酒場』を歌ってほしいと願いしたら、すんなり快諾してくれました。こうして健さんの歌声が映画のエンディングに流れることになったんです」
貫禄あった加賀まりこさん、立ちたくない理由は二日酔い
――加藤さんは東京大学演劇研究会出身ですが、もともと演技に興味があったんですか。
「ええ、かつて女優を夢見た時期もありましたね。発声練習や身体訓練に励みながら、女優、衣装係、小道具を掛け持ちしていました。出演3作目かな。英国の劇作家アーノルド・ウェスカーの『大麦入りのチキンスープ』で主役も演じています。英国の下町の肝っ玉母さんの役。あまり知られていませんけど、実は『居酒屋兆治』に出る前、渡哲也さん主演の日活のヤクザ映画『拳銃無宿 脱獄のブルース』(65年)にも歌手役で出ているんですよ」
――テレビドラマはどうですか。
「『お多江さん』(68年TBS系で放映)というホームドラマに加賀まりこさん、中山千夏さん、淡島千景さん、加東大介さんらと出演したこともあります。加賀さん、中山さんとはいつも一緒。よく飲み歩いていたので面白かった。加賀さんは私と同い年だけど、堂々としていて貫禄がすごいんです。たとえばドラマの立ちげいこで、演出家が『すみません、加賀さん。立ってやってもらえませんか』と頼んでも、『なぜ立たないといけないの? 私、立たなくていいと思います』なんて全然言うことを聞いてくれない。演出家はオロオロするばかり。でも、本当は二日酔いが理由で加賀さんが立ちたくなかったことを知っていたから、私たちは陰でクスクス笑っていました」
映画初鑑賞は小6で「チャタレイ夫人の恋人」、泣けた「ディア・ハンター」
――昔から映画を見るのは好きでしたか。
「大好きでした。最初に見たのはなぜか『チャタレイ夫人の恋人』(55年)。小6くらいかな。母に連れられて京都の映画館で見ました。貴族男性と結婚した美しい妻が森番とあいびきする話。小屋で2人がギシギシと激しく愛し合うラブシーンがすごかった。私は奥手でしたが、その場面は鮮明に覚えています」
「ほかには『ディア・ハンター』(79年)も忘れられない映画ですね。アメリカの田舎町からベトナム戦争にかり出された若者たちの話。ロシアンルーレットで命を落としたりするんだけど、主人公ロバート・デ・ニーロが思いを寄せる片思いの恋人メリル・ストリープとのやり取りが切なくてね……。ボロボロ泣けてきちゃって、映画館の赤電話から『私、悲しくて仕事に行けないわ』と事務所に連絡を入れたのを覚えています。『チャタレイ夫人の恋人』もそうだけど、私が好きな映画には女の生きざまというテーマがある気がします」
「紅の豚」のジーナのモデルとは? けむに巻いた宮崎駿監督
――宮崎駿監督のアニメ映画「紅の豚」(92年)では声優としてマダム・ジーナ役で出演しました。
「ジーナはイタリア空軍のパイロットだった主人公ポルコ・ロッソの昔なじみ。3度飛行機乗りと結婚して全員と死別している未亡人です。セリフはもちろん、彼女が歌うシャンソン『さくらんぼの実る頃』も私が担当しました。実はジーナが歌っている姿や表情は私を参考にしたんですよ。宮崎さんの演出で撮影した私の映像をもとに、アニメのセル画を描いたそうです。その記念としてセル画を宮崎さんからいただき、今も事務所に大切に飾っています」
「宮崎さんは映画も音楽もよく知っていらして、とても勉強になりました。私、ジーナは米国に渡り、女優・歌手として活躍したドイツ出身のマレーネ・ディートリヒをイメージしたんじゃないかと思ってるんです。一度、宮崎監督に『ジーナはディートリヒがモデルじゃないですか』って直接聞いてみたら、宮崎監督はニヤニヤ笑いながら、『さぁ、どうでしょう? ご想像にお任せします』なんてけむに巻かれてしまった。だから真相は謎のままです。まあ、謎のままの方が夢やロマンがかき立てられていいですけどね」
(聞き手は編集委員 小林明)
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