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初心者俳句の添削をお願いしますm(_ _)m 最近俳句に興味を持ち、試しに自分でも一句作ってみましたが、身近に見ていただける方がいないため、客観的な評価をいただきたく投稿しました。↓ 「名月や渋谷見上げぬ肩ばかり」 名月がきれいに浮かんでいるにも関わらず、渋谷では誰も見上げず視界は無数の肩に圧迫されているという情景です。 名月の美しさと対比する事で、都会の煌びやかで賑やかな風景の中に、荒涼とした虚しさを表現したいと思いました。 この句をどのように感じられるか、またどこを修正するべきかなど、上達のために率直なご意見を賜りたいです(辛口大歓迎)m(_ _)m

文学、古典172閲覧

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回答(5件)

「名月や渋谷見上げぬ肩ばかり」 月を見上げて「名月だなあ」と感動しつつ、渋谷の人波に目をやると「誰も月を見りゃしない…」という虚しさを感じました。 興味深い一句ですが、私なりに気になるところを添削させていただきます。 中七の「渋谷見上げぬ」で理解するまで時間がかかりました。無理やり中七におさめて窮屈になってる印象です。 あえて分かち書きすると 「名月や/渋谷/見上げぬ肩ばかり」といったところでしょうか。 この句は助詞の使い方次第で化けることができる句だと思います。 「渋谷」に助詞をつけて 「名月や/渋谷は見上げぬ肩ばかり」 とすると状況を理解しやすく、情景が浮かびやすいかなと思いました。 しかし、これでは中八になってしまうため、あえて助詞を省いたのだと思います。 なのでもうひとつ考えたのが、「名月や」を「名月の」にかえることです。 「名月の渋谷/見上げぬ肩ばかり」 これならば無理やり中七におさめた印象もないし、情景も浮かびやすいかなと思いました。 「名月の渋谷見上げぬ肩ばかり」 いかがでしょうか。

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助詞のやが問題です 詠嘆のやですから、おお名月だ、と見上げているので、正反対になります 渋谷が言いたいのですから、渋谷からはじめましょう 渋谷駅名月見上げぬ人の波 渋谷駅誰も見上げぬ名月よ 渋谷駅誰も知らない名月よ 名月と書かずに別の季語を立て、肩ばかりみえることを書くのであれば 中秋や見えるは渋谷の肩の波

「渋谷見上げぬ」がわからないです。 渋谷より下のほうにいるけど、渋谷を見上げない? 名月を見上げない、と言いたいのなら 「名月や」で切ってしまったらおかしいです。 名月を見ずに渋谷の人の群れ にすれば、あなたの言いたいことに近づきます。

名月や渋谷見上げぬ肩ばかり 拝読しました 今回とてもよい着眼点で、類想を避けようとなさる意思を感じます さて、今回も切れ字の用い方がよろしくないようです 「渋谷では名月を見上げない人ばかりだ」と言いたいのなら素直に「名月を」でいいと思います 「渋谷見上げぬ」ですと「渋谷を見上げない」と読め、意味がだいぶ変わってしまいます 「見上げぬ肩」もわかりにくいです 肩が見上げるとは基本言わないからですね 少々省略させ過ぎかも知れません 解説を読めばわかるのですが、俳句は本来、解説をせず17音だけで勝負をする世界ですから また、「見上げぬ」が素直すぎるようにも思いました そう言わずに見上げていないことを表現する発想の転換があると、俳句として質が一段階上がると思いますので、ここが質問者様の工夫のしどころになります 例をあげますと「名月を背負ふ」みたいなことです 語順を変えて中七や下五に持っていく(そのままでは音が足らない場合は「望の月」「今日の月」など名月の子季語を用いる)ことを考慮に含め、推敲なさるといいかも知れません 前回の句まで分かち書きをされていましたが、修正されている点がよかったです 今後句会や俳句ポスト365などに投稿したくなると思いますので、分かち書きをして提出すると、大勢の前で指摘されてしまう危険があったのでヒヤヒヤしていましたが安心しました では、健闘を祈ります

「名月や渋谷見上げぬ肩ばかり」 渋谷を?渋谷の?渋谷が?渋谷に?渋谷は? 自分も肩に圧迫されて見上げられなかった? 結局よくわからない。