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回答(3件)
近代俳句では掛詞も嫌われます。 俳諧の時代には、掛詞を用いることはよくありました。 芭蕉の 蛤のふたみにわかれ行秋ぞ では、「ふたみ」が伊勢の地名「二見」とハマグリの「蓋・身」の ダブルミーニングですし、 「行」は「わかれ行く」と「行く秋」の二つにかかっています。 しかし、俳諧が文学性を高めて俳句になるとともに、 俗っぽい笑いを誘う掛詞のような遊戯性が排されていきました。 子規が唱導した「客観写生」にはそぐわない技巧だったのです。 それでも、明治時代には虚子が 大根の花紫野大徳寺 という句を詠んでいて、 大根の花の色の「紫」と京都の地名「紫野」がかけてあります。 しかし、こういう句は稀です。
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掛詞はダジャレじゃないです。 掛詞はダブルミーニングで、1つの言葉に複数の意味を持たせることです。具体的には、ねづっちで知られる謎掛けの「その心は〜」の部分が掛詞になっています。あれはダジャレじゃないですよね。 ダジャレというのはダブルミーニングとは異なり、同じかよく似た発音を繰り返すことです。
家庭教師のマナベスト > スタッフブログ > 【国語・古文】掛詞(かけことば)の表現 https://manabest.jp/blog/23454/ > 何のためにそんな掛詞を使ったのか。単なるダジャレとはどのような違いがあるのかなど、見ていきたいと思います。 詳細はブログを見てください。