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原始仏教の経典は、繰り返しのフレーズ(リフレイン)がやたら多くないですか? 原典の完訳本をみると、ありえないレベルのリフレインです。 古代インドはそういった文体なのかと思ったら、バガヴァッド・ギーターとか普通の文章ですよね。 なんで原始仏典は、あれほど繰り返しフレーズが多いのでしょうか?

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回答(3件)

それは「憶えるため」です。普通に考えて。 あなただって毎日同じ人と出会ったら、その人のことを嫌でも憶えるでしょう。それと同じことです。

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AIに聞いてみました。 ご指摘の通り、**原始仏教の経典(特にパーリ語の『ニカーヤ』や漢訳『阿含経』)には、驚くほど多くの繰り返し(リフレイン)**が見られます。これは、古代インドの文体というより、初期仏教特有の事情と、当時の文化的な制約に深く根ざしています。 結論から言えば、この繰り返しは主に**「記憶・伝達」と「リズム・強調」**という2つの目的のために意図的に採用された手法です。 1. 口承文化(オーラル・トラディション)のための手法 原始仏典が成立した時代、仏陀の教えはまだ文字として記録されておらず、僧侶たちによって口頭で暗記・伝承されていました。この口承文化こそが、リフレインが多用された最大の理由です。 * 記憶の補助(マニュアル化): * 繰り返しのフレーズは、教えの骨子や重要な論理構造を定着させるための「目印」や「区切り」となります。現代の歌のサビや詩の押韻と同じように、暗記を非常に容易にします。 * 経典が長大になるほど、繰り返しのパターンに従って記憶を呼び起こす方が確実でした。 * 間違いの防止(正確な伝達): * 重要な教えや手順(瞑想の段階、修行のステップなど)を何度も繰り返すことで、伝達の過程で内容が欠落したり、誤って伝えられたりするリスクを最小限に抑えることができました。 * 結集(けつじゅう)の産物: * 仏陀の入滅後、弟子たちが集まって教えを確認し合った「結集」の際、皆が一致して記憶していたフレーズが定型句として多用されることになりました。 2. 説法のリズムと強調 経典はもともと、静かに読むためではなく、人々に聴かせ、教え込むための「説法」の記録です。リフレインは、その説法にリズムと説得力をもたらしました。 * リズムと聴衆への訴求: * 繰り返しは一種の**朗誦(リズム)**を生み出し、聴衆の注意を引きつけ、飽きさせずに教えを理解させる効果がありました。 * 重要な教えの強調: * 「すべての現象は無常である」「すべての現象は苦である」「すべての現象は無我である」といった核心的な教え(三法印など)は、経典全体を通して繰り返し出現します。これは、仏教徒にとって最も重要な概念を、聞き手の意識に刻み込むための強調表現です。 『バガヴァッド・ギーター』との文体の違い 『バガヴァッド・ギーター』は、ヒンドゥー教の叙事詩『マハーバーラタ』の一部であり、詩節(シュローカ)によって構成された文学作品としての側面が強いです。 | 経典 | 原始仏典(ニカーヤ/阿含経) | バガヴァッド・ギーター | |---|---|---| | 主な目的 | 教団内での教えの記憶と維持 | 神学的な対話と哲学の提示 | | 文体 | 散文主体で、記憶のための定型句が多い | **韻文(詩節)**で、物語と対話が中心 | | 背景 | 口承による教団内マニュアルの側面が強い | 宗教・哲学的な文学作品 | 『ギーター』も韻文としての繰り返しや対句はありますが、原始仏典のような**「同じ文言が何度も続く」というマニュアル的な反復は少ないため、より「普通の文章」として感じられるのです。原始仏典のリフレインは、その成立が口承時代に遡る「生きた教えの記録」**であったことの証拠と言えます。

口伝の教えを筆写したからです。 口伝では重要な教えを繰り返していました。くどいほどにねw