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古文の問題で質問です。 空欄には「降りる」という動詞の古語、「降る」を活用させた形が入る。適当に活用させたその語を入れよ。 ○○を見れば、 という問題なのですが、解説には「空欄には体言(名詞)が来ると分かります。なので連体形の降るるが正解です。」とあります。 上二段活用で連体形が降るるなのはそうなんですが、なぜ名詞が来るはずなのに連体形なんでしょうか。連体形って名詞に接続する形のことですよね?連体形自身も名詞になれるんですか?

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回答(4件)

解説が誤りです。 単純に格助詞「を」は体言、又は活用語の連体形に接続するので、連体形にするということです。 古文では動詞の連体形に続く名詞は省略する場合が多く、この場合も「降るる(の)を見れば」の抽象名詞「の」が省略されているということです。 連体形自身も名詞になれるのではなく、続く名詞が省略されているということです。動詞が名詞に転成するのは連用形です。 「行きはよいよい帰りは怖い」の「行き」「帰り」、また「流れ」「流し」「走り」などは連用形名詞です。◆

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国文系の教授たちは言語学を知りません。連体形には名詞を修飾する不思議な力があるとオカルトのような理解をしています。言語学的には名詞を修飾できるのは名詞だけです。例体形は動詞が名詞化された姿です。名詞だから名詞を修飾できるのです。 連体形は動詞や形容詞や助動詞が名詞化されたものである。このように理解するのが言語学的には正しい態度です。しかし、国文系の教授たちは連体形の後ろに名詞が省略されていると理解しています。たしかに連体形に名詞を修飾する不思議な力があるというオカルト主義でいる限りそのように考えるしかありませんね。 物理も同じです。正電荷と負電荷は互いに引き合い、同じ電荷は反発する。それはオカルトです。分かりますか。遠隔操作はSFの世界だから許される超能力です。現実にそのようなものはありえません。正電荷が作る電場から負電荷が力を受け、その負電荷が作る電場からその正電荷が力を受ける。これが正しい解釈です。

>連体形って名詞に接続する形のことですよね? そのように考えてはいけません。 「連体形=体言に連なる形」という「名称」は、 連体形のもつはたらきのうち、ごく一部の代表的な働きを言い表したものにすぎません。 連体形は、 体言に連なる形でもあるし、 連体形接続の助詞や助動詞に接続する形でもあるし、 係助詞の「ぞ、なむ、や、か」や、疑問語を結ぶ形でもあるし、 詠嘆を込めて文を言い終える形でもあるし、 中世以降は、終止形の代わりに文を終える形でもあり、 「体言に連なる」以外にも、多くのはたらきを持っているのです。 それと同様に、 「未然形」も、「まだそうなっていない形」ではないし、 「連用形」も、「用言に連なる形」ではないし、 「終止形」も、「文を終止する形」ではないんです、本当はね。 >連体形自身も名詞になれるんですか? 「準体法」といい、「連体形の中に名詞を内蔵する」というはたらきがあります。 「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマが、少し前、はやりましたよね。 この「逃げる」がそうです。 「逃げる」という連体形を、「体言相当」と見なして、「逃げるは」と主語にしています。 主語になれるのは、名詞ですよね。 でも、高校生は、準体法がわかりにくければ、 「「こと」などの形式名詞を補って考える」と理解したほうが手っ取り早いです。 「逃げる「こと」は、恥ではあるが役には立つ」。 「降りる「ところ」を見ると」「降りる「人」を見ると」「降りる「姿」を見ると」。 このように、適宜「体言を補う」という考え方でも、「〇〇」を連体形に活用させることはできるし、 「を」という格助詞が「連体形接続」だから、と単純に考えるだけでも、 問題は解決します。

連体形自身も名詞になれるんですか? はい。名詞相当の働きをします。文法の本に書いてあるはずです。 国語の学習分野に諺、故事成語があり、例はいくらでもあげられます。 ・過ぎたるは及ばざるがごとし。 ・物言わぬは腹ふくるるわざ。 ・三十六計、逃げるにしかず。 ・鶏口となるも牛後となるなかれ ・言わぬが花 ・習うより慣れよ ・義を見てせざるは勇無きなり ・知らぬが仏