無謀か一途か 43歳の型破りなNBA挑戦
スポーツライター 丹羽政善
その日、バスケットボール選手の阿部理(おさむ)と待ち合わせたのは、シアトル・マリナーズの本拠地セーフコ・フィールド近くのカフェ。早めに着いて仕事をしていると「少し遅れる」との連絡があった。1時間の制限区域に止めていた車が気になって外に出ると、遠くの方から大男が歩いてきた。それが、阿部だということは一目で分かった。
■周りと比べても頭2つ抜ける
2メートルを超える身長。それは180センチ、190センチの人が当たり前のようにいる米国でも限られた領域だ。店の中に入ってパンを買うためにレジに並んだ阿部は、周りの人と比べても頭2つ抜けていた。
「昔は、嫌だったんですけどね。背が高いことが」。阿部は意外にもそう振り返る。
「今は、ギフトだと思える。でも中学の頃、190(センチ)以上は、人間じゃなくて、怪物だというイメージがあって、そこを超えるとき、すごい嫌だったことを覚えてます。だから、超えてからもしばらくは189って言ってました。高校3年の春に出たウィンターカップ(全国高校バスケットボール選抜大会)のとき、もう身長は190を超えていたんですけど、登録は189になってます」
図らずも彼が口にしたウィンターカップの頃、"阿部理"という名前はもう、日本のバスケ界に知れ渡っていた。慶大に進学し、在学中の1991年、3年のときからナショナルチームのメンバーとなり、以降、数々の国際大会で活躍することになる。
■日本バスケ界の歴史に名刻む
大学を卒業後は、日本鋼管(現・JFEエンジニアリング)、トヨタ自動車などでプレー。新人王やベスト5賞、スリーポイント王などを獲得。名実ともに日本バスケ界において、その名を歴史に刻んだ。
その阿部は今、一途(いちず)に米プロバスケットボールのNBA入りを目指し、7月からシアトルでトレーニングを続けている。ほぼ休みなく毎日。しかし、どんなに汗を流し、何時間練習しても、NBAチームと契約するどころか、結果次第では契約の道が開けるトレーニングキャンプへの招待選手としての参加も、見えない中での日々だ。
「どういう方法があるのか、本当に必死で模索しているところです」
先月、43歳になった彼にはチームへ契約を働きかけてくれる代理人もいない。各チームがひそかに行うトライアウトに呼ばれることもない。焦りが募る。
■ドラフトで指名、わずか60人
通常、NBA選手になるには、米国内の大学で活躍することが前提だ。実績を残せば、毎年6月に行われるドラフトで指名され、NBA入りが決まる。しかし、1年で指名されるのはわずか60人。漏れた選手は、少し触れたように何の保証もない招待選手として10月から始まるトレーニングキャンプに参加するか、欧州のチーム、あるいはNBAの下部組織デベロップメントリーグ(通称Dリーグ)と契約して、チャンスをうかがうことになる。
阿部のような海外選手は、自国のリーグなどで活躍するとドラフトにかかる。だが、欧州のリーグにはNBAのスカウトが派遣されても、「日本のリーグにスカウトの人が来てくれるわけでもない」と阿部。となると、「こっち(米国)に来ないと、NBA選手になるチャンスはまずない」というのが彼の考えだ。
■アポもなし、球団に直談判
むろん、米国に来たからといってチャンスが転がっているわけではない。阿部はむちゃもした。
「去年は、クリッパーズの球団事務所へ直談判しにいきました」
アポイントなしで?
「はい。とにかく、レジメ(履歴書)だけでもいいから、(チームのトップに)渡させてくれと。直接渡せなくてもいいから、これを置かせてくれとお願いしたんですけれど……」
結果は?
「駄目でしたね。鉄格子越しに『ノー』とか言われて。10分、20分粘っていたら、球団の事務所から人が出てきて、『ちゃんとアポイントを取ってきてください』と。『こっちからも連絡をしますから』と言ってくれたんですけれど、さっぱり連絡がなくて……」
同じく昨年、NBA選手をクライアントに持つトレーナーのもとも訪ねた。今季はナゲッツでプレーするネイト・ロビンソンと一緒にトレーニングをし、彼のエージェントを務めるエリック・グッドウィンにも会い、何とかNBAとのパイプを作ろうとしたが、それらは今も実を結んでいない。
今年は7月にシアトル入りすると、クリッパーズのジャマール・クロフォード、ロビンソン、キングスのアイザイア・トーマスといったシアトル出身のバスケット選手らが参加するプロアマのサマーリーグへの参加を試みた。
■「一緒にプレーさせてくれ」
このサマーリーグにはDリーグ、または海外のリーグでプレーしながらNBA入りを目指すという、阿部と似た境遇の選手らが集まってくる。NBA選手にとってみれば調整の場だが、NBAのスカウトが来る可能性を考えれば、阿部らにとっては遊びではなくなる。
ところが今回、渡米が遅れたことが原因でプレーできなかった。「ごり押ししたんですけれど、1人例外を認めたら、収拾がつかなくなるということで……」 。ただ、何とかならないかと関係者に聞き回るうちに、NBA復帰を目指すウィル・コンロイという選手が、毎週火曜、木曜日にシアトル市内でピックアップゲーム(ゲーム形式の練習)を主催し、そこにクロフォードらが来ることを教えられた。
サマーゲームに通ううちにコンロイの姿を見つけた阿部は、頼み込んだ。
「一緒にやらしてくれ。どうしてもプレーしたいんだ」
これも、言ってみればむちゃなお願いである。そのコンロイのグループは、高校時代から仲間だったバスケット選手らの集まりで地元色が濃い。阿部の申し出は同窓会の集まりに全くの部外者が来て、「一緒に飲んでいい?」と言っているようなもの。
しかし、そこは米国。コンロイは阿部を受け入れた。
「誰にでもできることじゃないから」。さらにコンロイは言っている。「あのおっさん、なかなかシュートがうまい」
■熱意に加え、スキルもある
熱意だけでなく、スキルもある。もう断る理由がなくなった。今は週2回、一緒にピックアップゲームをしながら、同じ目標を目指す。
阿部にとってそこへの参加はNBAへの道が開けることはゼロではないが、可能性としては高いものではない。とはいえ、実際にNBA選手やそこを目指す選手と接することで自分の現在地が分かる。それが大きかった。
「あと、目で入る情報ですね。ビデオでは無理」
もっとも、肌で感じて、彼らにはかなわないと感じさせられる部分もあるそうだ。
「やはり、彼らと同じように動いて、フィールドで勝負するということは、現実的に無理」
では、何で勝負していくのか。
「僕の場合は、シュートするフィニッシュのところで勝負しないと話にならない」
■自分の中で常にせめぎ合い
そうは言っても、そこで勝負できるのかと聞くと、表情を曇らせた。
「まだ、あんまり見えてないですね。3ポイントシュートもまだしっくりきてないんですよ、実は」
そんなときは「大丈夫だ、頑張れ」という自分の中の声が小さくなっていき、「もう十分じゃないか」と弱い自分が心を支配することもあるそうだ。
「常にせめぎあっている自分はいる。やっぱり、メンタルなコンディションとか、体のコンディションによって、ネガティブな声がもちろん、大きくなることがある」
だが「最終的には絶対NBAのコートに立てるはずだ、っていう自分が出てきて、それが勝って、ずっとここまで続いている」。阿部は自分に言い聞かせるように話した。
彼をそこまで駆り立てる一つ大きな原動力がある。こんな話を始めた。
「2006年に引退の危機があった。そのとき、カウンセラーの先生の治療を受けたんですが、その方の長男が小学校6年のとき、いじめが原因で脳内出血を起こしたそうです。その後、植物状態(の患者)になって22年頑張った。その話を聞いたとき、いじめをなくさなければと」
■「NBA選手になれば発信力生まれる」
「それだけじゃない。戦争とかも、ある意味、いじめみたいなところがある。そういう世界を変えていきたいと思ったんですよ。もしも僕がNBA選手になれば、発信力が生まれる。人が話を聞いてくれるじゃないですか。そういう立場になれば、人も(メッセージを)受けとってくれる。そんな思いがどこかで自分を支えているのかもしれません」
先月、阿部は43歳になった。
もう大人である。大人は良くも悪くも、それなりの計算をする。これをしたら、どういう結果を招くのか。それが正しいのか、間違っているのか。できること、できないこと、その勝算。
阿部自身、「どれだけの確率でNBAに行けるかと考えたら、天文学的な数字。分母がもう、どれだけ大きくなるか」と難しさを自覚する。しかし、「何かストップできない」。
そんな阿部を否定する人はいるだろう。無理だ、無理だ。大人になれ。
■経験生かし、指導者への道も意識
だが、クリッパーズのトップに履歴書を渡そうとしたり、コンロイのグループに飛び込みで「入れてくれ」と言えたりする43歳はなかなかいない。
やりたいことと現実の世界。その年齢になれば、できないことを正当化する理由を並べ、多くは妥協する。阿部はやりたいことをかなえるための理由を探す。
将来、この経験を生かして指導者になれば、いい選手を育てられるのではないかと思ったが、それは彼も意識しているようだった。
「得たものはたくさんある。自分を通して人体実験をしているようなものだから。だから、もっと伸び盛りの子どもたちに伝えていければ、そういう機会があればいいと思うけど……」
けど?
■「ポジション、日本にない気がする」
「そういうポジションは日本にないような気がするなあ」
変わり者扱いされているから、というのがその理由らしいが、彼はトロント・ラプターズのヘッドコーチで、かつて日本代表チームのコーチを務めたこともあるドウェイン・ケーシーの連絡先を知ってますか、と聞いてきた。
「メールのアドレスなら分かる」と答えると、「それを教えてください。連絡をとってみます」。
阿部は、ケーシーに長文のメールを打った。「何でもやるので、チームに呼んでもらえないか」
彼は言う。「直球ではNBAに入れないから、変化球で」。型破りな挑戦は、まだまだ続く。