子育て校長だからわかること
~ママ世代公募校長奮闘記(1) 山口照美
右手にライフワーク、左手に飯の種
その日、生後3カ月半の息子の背中をトントンしながら、Facebookを眺めていた。ある人が、リンクをシェアしてつぶやいていた。 「どんな人が応募するんだろう」
リンク先には「大阪市立小・中学校の校長を公募します」とある。
「どうせ45歳以上からで、教員免許必須なんだろうな」と、何気なく募集要項を開いた。
「35歳以上、管理職経験あり、教員免許不要」
進学塾の校長になったのは25歳の時。3年間の管理職経験もある。現在、39歳。要項を慌ててスクロールし、締め切りを確認する。2012年9月10日まで。今日は9月8日、速達で出せば間に合う。
寝付いた赤ん坊をそっと布団におろし、ダウンロードした応募書類と論文に取りかかり、明け方の授乳時間を挟んで書ききった。添付する証明写真を撮りに行く暇がなく、夫にiPhoneで撮影してもらってコンビニで出力した。写ってはいないが、足元には赤ん坊が寝転び、娘がピースサインで写ろうと飛び跳ねている。最終的に投函(とうかん)する前、少しだけ迷った。
「子どもがかわいい盛りに、責任の重い仕事についていいものだろうか」
いや、でもこれは千載一遇のチャンスだ、と思い直す。
ずっと教育現場に戻りたかった。28歳で塾を退職し、小さな広報代行会社を運営しながらも、教育ブログを書きため、高校での進路講演を引き受け、児童養護施設での学習支援ボランティアに参加した。「経済格差を教育格差にしない」をテーマに、仕事がしたかった。
ビジネスを続ける上で、私が意識してきた言葉がある。
「右手にライフワーク、左手に飯の種」
好きなことが、そのまま仕事になれば誰もが幸せだ。でも、家族を背負えばそうはいかない。塾を退職し、小さな企画・広報会社を経営して10年以上。教育ジャーナリストの仕事だけでは、家族を養うのは不可能だ。常に時代を読んでサービスを向上させつつ、「飯の種」になる仕事をし続けるしかない。
でも、もしかしたら。
年を取って、自分で塾を開けるような道があるかもしれない。子ども向けの教材作成や若手教師の研修に関われる日が来るかもしれない。
その日のために「ライフワーク」=「教育の仕事」を手放さずにいた。
今、育児を理由に応募をやめたらどうなるだろう。
橋下徹 大阪市長の方針で決まった公募校長、選挙の結果次第で無くなるかもしれない。
そして、今回の民間人校長が失敗に終わったら、来年は?
「このプリントはいつ出すか?」「今でしょ!」と授業中に言いまくる小学生に苦笑しながら、「ホンマに『今でしょ!』やったなぁ」と、ふりかえる。
今日は、応募から8カ月後の2013年5月9日。
大阪市立敷津小学校の校長に着任して、2カ月目に入った。今日は朝から、浪速区の校長会。学校に戻って給食を食べ、校内を巡視していたら掃除時間に騒いでいたクラスがあったので、そのまま5時間目の授業まで入る。夕方には修学旅行の打合会、書類や学校日誌にハンコを押し、学校のサイトを更新して帰宅したところだ。学校マネジメントには、情報収集が欠かせない。数カ月先・1年先・3年先の見通しを立てながらも、「目の前の課題」にも日々追われる。児童がいる間は仕事にならないので、持ち帰り仕事も多い。
「母性神話」「大黒柱プレッシャー」より「ニコイチ」の発想で
20時過ぎに帰宅すると、夫が5歳と0歳に食事をさせた戦いの跡が広がっている。食べこぼしがひどい。
保育園に18時半に迎えに行ってご飯作ってお風呂入れて21時には寝かしつけて……逆算すると私も19時半には帰りたいが、突発的な仕事が多い小学校の現場では難しい。加えて「民間人校長」のため環境が激変、覚えることが多くて勉強してもしてもし足りない。夫ひとりに任せきりの夜が多くなった。
夫も介護パートと自営業を掛け持ちしているため、家事はたまりがちだ。
洗い物より寝かしつけ優先、洗濯物はたたむ暇なく、山から掘り出して着用する。床に物が散らばり、せっかく買ったお掃除ロボットのルンバが動かせずにホコリが積もっている。
でも、今は夫に多くのことを望めない。校長に着任して2週間も経たないうちに、義母が脳梗塞で倒れた。我が家は、育児に加えて介護問題にも直面している。私は「家事・育児と仕事に介護をやってのけるスーパーウーマン」では決して無い。「家事・育児はできる範囲で精いっぱい」ぐらいだ。
夫も家事育児が完璧の「主夫」ではない。同じく「家事・育児・介護はできる範囲で精いっぱい」が寄り合って暮らしている。
働きたい女性を苦しめる「母性神話」と、若い男性を悩ませる「大黒柱プレッシャー」から解放されれば、家族は何とかやっていける。「ニコイチ(2人で1人)」で家計と家庭をやりくりして、乗り切るしかない。
着任前に、夫に1つだけ約束してもらった。
「私はこれから、たくさんの子どもの命を預かる仕事になる。家のことは、目が行き届かなくなるかもしれない。子ども2人の健康と安全には、あなたが責任を持ってほしい」
そう言った手前、細かい家事は二の次だ。洗濯物の山に埋もれて笑っている息子を掘り出し、抱きしめる。
ようやく毛が生えそろったふわふわの頭の、においを嗅ぐ。
君が小学生になる頃、日本の公教育はどう変わっているだろう?
公募校長の任期は3年、延長ありで5年。
リアル子育て世代だから、親の悩みや子どもを取り巻く家庭環境がわかる。iPadをすっすと操作する娘の指先に、IT教育の未来が見える。現場に入れば、教職員の多忙さが見える。保護者の想いとのバランスを、どう取っていくか。PTA役員のしんどさも、保育園の保護者会で感じている。もっとうまいやり方はないか。自分のこととして考えられる。
「乳幼児を抱えて校長なんて大変ね」、ではなく「よかったね」と言われたい。
今の私は、家族に支えられて「両手でライフワーク」を満喫している。
同志社大学卒業後、大手進学塾に就職。3年間の校長経験を経て起業、広報代行やセミナー講師、教育関係を中心に執筆を続ける。大阪市の任期付校長公募に合格、2013年4月より大阪市立敷津小学校の校長に着任。著書に『企画のネタ帳』(阪急コミュニケーションズ)『売れる!コピー力養成講座』(筑摩書房)など。ブログ「民間人校長@教育最前線レポート」(http://edurepo.blog.fc2.com/)も執筆中
(構成 日経BP共働きプロジェクト・日経DUAL編集部)
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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