銘酒「伯楽星」の再出発に乾杯
震災取材ブログ
宮城県大崎市三本木の旧街道沿い。赤茶色の屋根瓦を乗せた蔵がひっそりとたたずむ。日本酒「伯楽星」で知られる新沢醸造店の酒蔵だ。
新沢巌夫専務(36)は2000年、25歳の時に宮城県内で最年少の杜氏(とうじ)となった。当時は販売低迷で経営難に直面していたが、食事を邪魔しない飽きのこない味の「伯楽星」を生み出す。日本航空の国際線ファーストクラスに採用されるなど高く評価され起死回生となった。最近は海外輸出にも積極的に取り組んでおり、東日本大震災前に取材して3月12日付の紙面での掲載に向けて記事を執筆していたが、震災でお蔵入りになってしまっていた。
「最後の蔵で最高の酒を」
新沢醸造店の蔵は1873(明治6)年の創業時に建造されたもので、2008年の岩手・宮城内陸地震で大きく損傷した。新沢さんからは「今度地震が来たら蔵が潰れるので取材しにきてください」と冗談交じりに言われていた。その言葉がずっと気になっていたが、震災から3カ月たってようやく再訪することができた。
「最後の蔵で最高の酒を造りたい」。新沢さんは崩れかけた蔵を見つめて語った。蔵はかろうじて倒壊を免れたが、柱が傾くなどして全壊判定を受けたため、近く取り壊しになる。新沢さんは現地での建て替えか移転を検討しているが、取り壊し前に現在の蔵で最後の酒を造ることを決めた。
最後の酒造りに選んだのが精米歩合7%の日本酒だ。日本酒は原料となるコメを50%以上削って仕込んだのが大吟醸と呼ばれる。新沢さんは以前からコメを9%まで削って仕込む高級酒を造ってきた。「思い出に残るものを造りたい」との気持ちから、日本一精米歩合の低い酒造りに取り組む。
焼酎の蔵元らも協力
新沢さんの取り組みに酒造関係の仲間たちが協力を申し入れた。仕込みの初日となった6月18日には渡辺酒造場(宮崎市)の渡辺幸一朗専務(36)と四ッ谷酒造(大分県宇佐市)の四ッ谷岳昭専務(41)が九州から駆けつけて麹(こうじ)造りなどを手伝った。いずれも焼酎の蔵元で日本酒とは畑違いだ。渡辺さんは新沢さんと東京農業大学の同期、四ッ谷さんは酒の海外輸出で新沢さんと一緒にセールス活動するなど以前から親交があった。
日本酒と焼酎の蔵元は従来は交流が少なかったが、「互いに認めていかないと質の向上にはつながらない」(渡辺さん)との考えから、若手経営者のつながりが強まっている。震災後はインターネットのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で連絡を取り合い、新沢さんに食料や掃除道具を送るなど支援した。「若手経営者同士、一緒に成長してきた連帯感がある」(四ッ谷さん)という。
新沢さんが6月末まで続ける酒造りには全国から約20の蔵元が協力する。仕込んだ酒は今年8月に飲めるようになる。一升瓶換算で300本と少量のため一般向けに販売するかは未定だ。若手酒造家たちが再出発の思いをこめて造った酒はどんな味がするのだろうか。(村松洋兵)