農業復活へ確かな息吹(震災取材ブログ)
@宮城・山元
仙台から電車と代行バスを乗り継ぎ、1時間ほど。宮城県南部の山元町は東日本大震災の前、イチゴの露地栽培で知られた町だった。しかし、この地を襲った津波は沿岸地域の農地に大きな打撃を与え、塩害もあって今なお生産を再開できない農家も少なくない。こうした中、苗を土に植える従来の露地栽培ではなく、IT(情報技術)を活用し、養液を使った大規模なハウス栽培で産地の復活をめざす試みが動き始めている。7月後半に現地を訪ねてみて、産地復活に向けた確かな息吹を感じた。
旗振り役となっているのは農業生産法人GRA(宮城県山元町)の代表取締役最高経営責任者(CEO)を務める岩佐大輝さん(36)だ。岩佐さんは山元町の出身で、震災まで農業とは全く関係のない世界で暮らしていた。東京でITベンチャーを起業し、企業向けにITシステムの設計や導入、運用保守などを手がける事業を展開していた。
だが、震災が岩佐さんにとっての転機となる。直後から伝えられる郷里の惨状を目の当たりにし、「何とかしなければ」と思った岩佐さんは自ら持つノウハウを生かし、当初、インターネット上で安否確認のシステムを構築。その後、月に数回のペースで被災地にボランティアにおもむくようになった。頻繁に地元に通ううちに、岩佐さんは農業被害の大きさに心を痛める。山元町には130軒近くのイチゴ農家があり、出荷額も約13億円あったが、その農地の95%が津波に遭い、生産再開のメドが立たない状況に置かれていたのだ。
「イチゴ生産が再開しなければ、郷里の復興はない」「だが、従来の栽培方式や流通方式をとっていては限界がある」。そう現状を分析した岩佐さん。「農業外にいる自分が農業に経営感覚を持ち込み、大規模なシステム園芸を展開するしかない」と思い至る。「故郷を再生したい」という思いが第2の起業に踏み切らせたのだ。2012年1月、GRAを設立。生産のノウハウを全く持ち合わせないため、長年、地元でイチゴ生産を手がけてきた橋元忠嗣氏を口説いて副社長に招くなどして態勢を整えた。
それから1年半余り。大規模なハウスでイチゴなどを栽培する同社は地元で知らない人がいない存在になった。イチゴのハウスは1.1ヘクタール。栽培・収穫時の負担を減らすために棚を設ける「高設栽培」方式を導入したほか、空調や温度、日射量、養液供給などの栽培管理をすべてコンピューター制御する。12月から5月は「とちおとめ」など、7月から11月は「なつあかり」「UCアルビオン」といった品種を扱い、ほぼ通年で稼働・供給できる態勢を整えている。
トマトの生産も手がけ、広さ2000平方メートルの圃場では種まきから苗の定植(植え付け)、育成、収穫の時期をコントロールし、年間6回収穫・出荷する。12年1年間だけで5億円以上を投資したが、人員や機器、施設の稼働率を高め、収益率を高める仕組みを採用している。農林水産省や研究機関と連携し、農産物の高品質化と、収益を最大にするための最適な生産法を探ることにも力を入れている。
イチゴについては早くもマーケットから注目を集めている。昨年は合計20トンを出荷したが、とりわけ「ミガキイチゴ」と名付けた大ぶりで糖度の高い最高級品は伊勢丹(東京)や藤崎(仙台市)といった百貨店で大きな話題を呼んだ。値段は1粒1000円だが、糖度は15度ほどあり、今後も百貨店やインターネット通販を中心に販売する。「山元イチゴ」を象徴するブランドとして育てる考えだ。
もちろん、自社の経営だけがうまくいけばいいというわけではない。岩佐さんにとって、それはあくまで産地の復興という大目標に向けた一歩にすぎない。実は農業法人のGRAとは別に、NPO法人のGRAを設立し、山元町や地元関係者とともに生産再開や地域ブランドの再興支援にも取り組んでいる。「露地栽培では生産再開は難しい」とみて、これまでに山元町や近隣の亘理町などの農家に呼びかけ、約250人の研修を受け入れて養液方式の栽培法を学んでもらった。
山元町や亘理町の沿岸地域は今なお、農業生産が再開されていない地域が目立つ。津波被害を受けた住宅なども多く残り、住民の暮らしも戻っていないのが実情だ。岩佐さんは「津波で大きな被害を受けたが、大きなポテンシャルのある地域。大規模な施設園芸の産地として津波の跡地を再生したい」と青写真を描いている。
◇ ◇ ◇
被災地ではほかにも、旧来の枠組みとは違うアプローチで農業再生をめざす動きがある。その1つが仙台市を拠点にコメや野菜を生産している農業生産法人・舞台ファームだ。同社は震災で多くの農地が津波被害に遭ったほか、宮城県岩沼市内にあった倉庫が被災し、在庫のコメ約1000トンを失った。社長の針生信夫さん(51)は「約4億5000万円の債務超過に転落し、一時は経営破綻も覚悟したほどだった」と振り返る。だが、取引先や金融機関などの支えもあり、再起に向けて動く。
その1つが津波の被災地に大規模なハウスを建設し、システム園芸で高度なクリーン野菜を生産する試みだ。針生さんは地元有志らと共同で、みちさき(仙台市)を設立。13億円を投じて、仙台市内に広さ2.8ヘクタールの施設を建設した。GRAと同様、土を使わない養液栽培を導入。細菌管理なども徹底して、クリーンな農産物を生産する。需要の大きいアジアなど海外市場への輸出も視野に入れる。
舞台ファームは今年4月、ホームセンター向けに生活用品の製造卸をしているアイリスオーヤマと組み、新会社を設立。50億円を投じて精米・貯蔵機能を持つ工場を建設し、ホームセンター向けの新たなルートでのコメ流通に乗り出すことを決めた。旧態依然とした流通構造にメスを入れる狙いもある。針生さんは「津波被害に遭った被災地の農業を新しい形で再生させたい」と意気込む。
震災が沿岸被災地の農業に大きな打撃を与えたのはぬぐい去ることのできない現実だ。その被害の大きさゆえ、いまだに再生に向けた取り組みを本格化できていない地域もある。だが、半面、文字通りそのピンチをチャンスに変えようとする胎動が被災地のあちこちで始まっている。その道のりは平たんではないだろうが、産業・雇用の再生なくして被災者の生活再建はあり得ないだけに、こうした試みが着実に前進してほしいと思った。(産業地域研究所主任研究員 川上寿敏)
=日経グローカル225号に関連記事を掲載