三重の漁師町の珍味 マンボウ
淡泊な身、腸や肝も堪能
「海ののんき者」といわれるマンボウ。この風変わりな銀灰色の魚について、『どくとるマンボウ』こと小説家の北杜夫さんは、「どくとるマンボウ航海記」の中でこんな風に書いている。「こいつはよく海面に浮かんで昼寝をしていて、少々突っついたくらいでは平気でいるそうだ。(中略)その真っ白な肉はイカとカニとエビをつきまぜたような味がする」。そう、水族館の人気者マンボウは、実は食用魚でもあるのだ。
「よそから来た人は皆、『マンボウなんて食べるんかな』とびっくりする」。三重県南部、熊野灘をのぞむ尾鷲市九鬼町。町内会長の田崎祐一さん(71)によると、マンボウはもともと漁師仲間だけの食べ物で、タダで知り合いに分けていたという。「子どもの頃は『今日もおかずはマンボウかえ』というほど食べた。いつの間にか、市場に出回るようになって、最近では尾鷲市内のスーパーでも切り身で売っている」
九鬼町は人口約500人の漁師町。天然の良港に恵まれ、戦国時代に活躍した九鬼水軍の発祥の地として知られる。
マンボウは明治時代から九木崎沖で始まった定置網でとれる。12~4月ごろ、ブリやアジなどと一緒に偶然、網にかかるので水揚げは一定しないが、多い時は1日に100匹ほどとれることもあるという。
3月5日早朝、定置網漁の船に乗せてもらった。午前6時、夜明けとともに出港し、約15分で漁場に到着。魚群レーダーによると、この日はイワシの大群がいるらしい。お目当てのブリはどうか。「潮が合うのか、ブリが多い時はマンボウも多い」と網頭の加藤久繕さん(60)。今季、マンボウの水揚げは例年の3分の2。この1週間でマンボウがとれたのは1日だけだ。
漁が始まった。網を囲んだ2隻の船が少しずつ間隔を狭めてゆき、乗組員らが声を合わせて網を引き上げる。最初の網にはイワシ、2度目はブリやアジ。3度目、4度目もマンボウはいない。空振りか、そう思った時、「あっ、マンボウがいるぞ」。体長1メートルを超えるマンボウが1匹。カギでひっかけ、クレーンを使って引き上げた。
マンボウは甲板で素早くさばかれる。3センチほどの厚い皮。薄桃色の身をこそぎ、黄色い肝と長い腸を取り出す。あっという間の作業だ。厚い唇がまだパクパクと動いている。
「食べてみる?」。ぶつ切りにした身をそのまま焼き網にのせ、塩コショウを振りかける。炭火で焼いたマンボウはまるで鶏のササミだ。気づけば東の空に朝日が昇り、カモメがマンボウの肉をついばんでいる。
港に戻ると、さっそく田崎さんがマンボウを料理してくれた。煮付けはぶつ切りにした身を鍋に入れ、水を入れずに火にかける。すぐに身から水分が出てくるからだ。そこに砂糖と濃い口しょうゆ、さらにネギを加えて味をしみこませる。淡泊な味わいだが、身がふっくらとしている。
さらにもう一品。身と「アギツキ」といわれるエラの軟骨を白菜と一緒に水炊きにし、ポン酢で食べた。コラーゲンたっぷりのアギツキは加熱すると半透明になり、コリコリと硬い。
一番のお薦めは「百尋(ひろ)」。マンボウのコワタ(腸)のことだ。「ちょっと干して、ホルモン焼きでゆうたらミノみたいな感じやね」。ショウガじょうゆで食べると絶品だ。
過疎と高齢化が進む九鬼町の人口は50年前の約4分の1に減少した。地元の要望を受け、「地域おこし協力隊」の豊田宙也さん(29)が4月、13年前に閉店した喫茶店を「食の拠点」として復活させた。観光客にマンボウの郷土料理などをふるまう拠点にする計画だ。「マンボウの唇や皮はコラーゲンがたっぷり。肝は調理法によってはあん肝のようになる。加工して地元発の商品として売り出す道を探りたい」と語る。
この周辺でマンボウがとれるのは4月まで。が、隣接する紀北町の「うまし宿漁亭 美乃島」では冷凍保存もしているので、酢みそあえ、酒蒸し、スシなど年間を通じてマンボウ料理が堪能できる。道の駅「紀伊長島マンボウ」では毎週末、マンボウの串焼き、から揚げの屋台が出る。平日でもマンボウフライなどが食べられる。珍味マンボウを味わいに東紀州まで足を運んでみてはいかがだろう。
マンボウはフグの仲間の海魚で、体長3メートルを超えるものもある。温帯域の海に生息し、日本近海では九州から東北まで分布する。身は白身で柔らかく、腸や肝(キモ)も食べられる。江副水城著「魚名源」によると、マンボウのマンは、ぐずでぼんやりしている意の「●(●は滿のつくりの右側に頁)」、のろいの「慢」双方の意味がある。しかしマンボウを飼育している志摩マリンランド(三重県志摩市)の里中知之館長(48)は「びっくりすると、けっこう速い速度で泳ぐこともある」という。見かけだけでは判断できない。
(津支局長 岡本憲明)
[日本経済新聞夕刊2015年4月14日付]