この世の矛盾
つくづく、この世や人間は矛盾したものだなとよく思う。
鋭い感性や洞察力があるなら、愛と憎しみは同じものであることが分かるはずだ。
萩尾望都さんの、わずか15ページの傑作漫画「半神」で、16歳の美少女ユージーは徹底して悟る。
愛よりももっと深く愛していたよ おまえを
憎しみもかなわぬほどに憎んでいたよ おまえを
不退転の決意は素晴らしいものだが、引き時を知ることも大切なのだ。これは時として深刻な矛盾だ。
死ぬほど好きな女の子がいて、不退転の決意でアタックすることは悪いことではないと思うが、所詮、相手にその気がないなら引き下がるしかない。どこまでも引かないと、問題や、場合によっては悲劇が起こる。
「俺は絶対画家になるぞ」と不退転の決意をしないことには画家なんてものにはなれないだろうが、やはり、才能が無いことが分かったら諦めるしかない。
ジョセフ・マーフィーは、潜在意識の力に不可能はないと説くが、女優を目指すある少女が、そのまま願望を貫くことに同意せず、彼女は事務職に付いたが、結局は彼女は幸福になった。
こういったことの矛盾を解消することは一種の悟りとも言えるかもしれない。
ノーベル賞作家アルベール・カミュは、「シーシュポスの神話」で、ガリレイが地動説を取り下げたことについて、「地動説は、命と引き換えにするほどの価値はなかったのだ」と皮肉っぽく書いたが、しかし、それは真理と思う。
どっちがどっちの回りを回っていようが、大したことではない。
もっと大切なのは、地球が丸いと信じている人と、地球が四角いと信じている人が仲良くすることだし、生きることだろう。
スティーヴン・ホーキングすら、この世は亀の背中に乗っていると信じている無学なおばあさんと、自分を含めた現代人に優劣は無いと言う。
地球が丸かろうが、世界が亀の背中の上で、その亀の下がずーっと亀であろうと、どうでも良いことなのだ。
「私と結婚してくれる?」
「いいよ」
「私を愛してる?」
「どうでもいいことだけど、多分、愛していない」
(カミュ「異邦人」より)
つまるところ、難しいことではなく、不退転の決意で挑むべきことと、引くべきこと、言い換えれば、真理とどうでも良いことの違いが解ることが大切なのだ。
そして、不退転の決意を貫くべき真理なんて、そうそうあるものではない。
有名な空手家の大山倍達さんの本で読んだことがあるが、彼の最初の師匠は、彼の家で雇われていた小作人だったが、周りからアゴで使われ、馬鹿にされてもいつも大人しくしていて、子供だった大山さんは初めはちょっと軽蔑していたようだ。
しかし、実は彼は超人的な拳法の達人だということが分かる。
師匠は、大山少年に請われて拳法を教えるようになったが、こんなことを言ったようだ。
「男ってのは、鞘の中の刀さえ磨いていればいいんです。その刀を抜くのは、一生に一度あるかないか。ないに越したことはないんです」
「荘子」では、信念を貫いて死んだ、世に義人(正義を貫いた人)と言われる人達を、全く賞賛しない。それらの人たちの正義よりも命の方がずっと大切だからだ。
命を捨てるに値するようなことも確かにあるかもしれない。しかし、それほどの価値の無いことのために命を落とすのは愚かである。
「ルパン三世」で、本物そっくりの偽ルパンが現れ、2人のルパンのうち一人が次元に言う。
「俺が信じられないなら、俺を撃て」
そう言った方を、次元は迷わず撃つ。
次元は、「本物のルパンなら、泣いて命乞いをするはずだ」と言う。
「美少女戦士セーラームーン」で、みちる(セーラーネプチューン)は、愛するはるか(セーラーウラヌス)を殺そうとする悪者にこう言われる。
「私を攻撃すれば、この壷を壊す。そうすれば世界は破滅する。おとなしく見ていろ」
しかし、みちるは迷わず攻撃し、壷は壊れる。しかし、世界は破滅しない。
「貴様!なぜ嘘だと分かった!?」
「あら、嘘だったの?」
驚く敵にみちるは言う。
「あなた、何か勘違いしてない?はるかのいない世界なんて守っても仕方ないじゃない」
さて、あなたはこの世の矛盾を解消できるだろうか?
成功を祈る。
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