若い頃読んだ音楽雑誌に、このアルバムがマハビシュヌ・オーケストラの最高傑作と書かれてました。ただ、若い頃の僕は聴く順番を間違えてしまい(中古盤があったものから買いあさった弊害^^;)、あの衝撃のライブ盤を先に体験しちゃったんです。そんなもんで、以降に聴いたマハビシュヌ・オーケストラのスタジオ盤が全部「勢いがない」「揃えにいっている」みたいに感じてしまったという(゚m^;)ヤッチャッタ。発表順に聴いていたら、印象は違っていたんでしょうね~。
今回、久々にマハビシュヌ・オーケストラのアルバムをいくつも聴いて思ったのは、シンセやエレキギターを使ったフュージョン系バンドは、得てして表現力に欠けるという事。これって、シンセやエレキギターの弊害という側面もあるのかも知れない…な~んて思ってしまいました。優れたクラシックのオケやピアノを聴くと分かりやすいですが、鍵盤で言えば指を落とす速さとか、それぞれの指のタッチに差をつける事なんかに腐心して、音色やダイナミクスを使い分けるんです。ちょっと前に
ギーゼキングというピアニストのCDを紹介しましたが、あれなんて「どうやれば1台のピアノからこんなに色んな音色を出せるんだろうか」というほどの多彩さ。緊張感ある所では張った音で来るし、靄がかったシーンではくすんだ音を出します。ジャズだって、
ビル・エヴァンスも
オスカー・ピーターソンもみんなそれをやってるんだけど、フュージョンに入った瞬間にそういうのがゴソッと消えてしまった(;_;)。不思議な事に、エレクトリック以降のフュージョンは、アコースティックですら「一定の音量・音色に揃えて音を出す」事を重視するようになったように思えます。クラシックを学んだ身として言えば、[楽譜をちゃんと弾く(小中)→ムズカシイ楽譜をちゃんと弾く(高校)→ムズカシイ楽譜を表現豊かに弾く(音大)→楽譜なんてないかのように音と一体化する(プロ)]という道筋を学んだものだから、表現軽視の音楽はどうしても子供っぽいものとして捉えちゃうんだな…な~んて、変な発見があったりしました(^^;)。これが、ある面でエレクトリック化の弊害だったのかも知れないと思う理由は、シンセ・キーボードなんて、指を落とす速さを変えてもニュアンスなんかまったくつかないから…とまあ、こんなわけです。
でも、エレクトリック・バンドは、その反面で刺激を強調できたというメリットがあって、これがフュージョンの革新だったのかも。ディストーションのかかったギターの「ギュイ~~ン」という音で実現できるパワー音楽なんて、以前のジャズギターでは絶対に不可能でしたでしょうしね。こういう「勢い」「指を速く動かす」「全員ビシッとそろえる」という、深さではなくスピードスター的な面を押し出した音楽として、マハビシュヌは時代の最先端を行っていたといえるのかも。同傾向の音楽でも、ロックの人が逆立ちしたって出来ないようなこともやってましたし、ロック寄りフュージョンが好きな人にはたまらない伝説のバンドだと思います(^^)。
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