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心に残った音楽♪

おすすめCDの紹介のほか、本や映画の感想などを (*^ー゜)v

 

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『ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第1番~第3番 ポリーニ(p)』

Beethoven_PianoSonata1-3_Pollini.jpg ポリーニベートーヴェンのピアノ曲の録音では、こんなのも持ってます。ピアノソナタの1~3番、2006年の録音です!
 このCD、最初は音にビックリしました。教会かどこかで、遠くからマイクで録音したみたいに、残響がすごくて音がワンワン、しかも低音がぜんぜんありません。そして、左のスピーカーから、定期的に「スーッ」という音がきこえます。なんだこの音、ペダルかアクションの音かな、ピアニストの息を吸う音かな…よく分かりませんが、これがやけに気になってしまった(^^;)。さらに、ピアノがちょっと右に寄ってる…このあんまりな録音が、僕にはつらかったです。だってこんなの、プロの録音とは到底思えないし、仮に録音に失敗したにしても、やろうと思えばポストプロで修正可能な範囲の事じゃないですか。。お役所仕事というか、作品制作に対する情熱や厳しさが足りないというか。

 でも、ポリーニの演奏はすごかった!いや~、こんなに歌いまくるベートーヴェンのピアノソナタがあるのか。ベートーヴェンの協奏曲が最近はけっこう速めに演奏するようになったように、ピアノソナタも新しい解釈で弾かれるようになってきたのかも。昔はもう少し重厚で構造美を見せる感じだったと思うんですが、これはリサイタリストの華麗な演奏という感じ。こういうのって、新進気鋭の若手がやりそうですが、これを老境のポリーニが演奏するというのが素晴らしかったです。ハラショー!

 ベートーヴェンのピアノソナタ、僕は長らくバックハウスのステレオ録音の全集を愛聴してました。といっても、楽しみのためじゃなくてピアノや作曲の勉強のためだったんですけどね(^^;)。でも、こういう軽く、そして楽しげに歌うような演奏が主流になっていくなら、音楽の楽しみとして聴く事が出来るようになるかも。
 ただ、この録音は…。。グラモフォンって、昔は会場の響きと楽器の直接音が絶妙なバランスの録音をたくさん生み出してたけど、最近はこういうプロの仕事とは思えないものが増えました。昔みたいに音楽を追及してる感じが薄れて、売る事ばかり気にしてるみたいでいやです。録音レーベルのみならず、ベルリン・フィルも変なプログラムで雑な演奏をするようになってきましたし、ドイツのクラシック音楽文化も、けっこうヤバくなってきたのかも。


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『ベートーヴェン:ディアベッリ変奏曲 ポリーニ(p) 』

Beethoven_DiabelliVariation_Pollini.jpg いつぞやリヒテル演奏のディアベッリ変奏曲の感想を書きましたが、最近ポリーニ演奏のものを聴きました。いや~、ポリーニのディアベッリ変奏曲のこんな録音があるとは知りませんでした。1998年のミュンヘン…ああ、98年じゃ仕事に追われてクラシックの勉強はほとんどしなくなってたから知らなくても仕方ないか。

 ベートーヴェンのディアベッリ変奏曲については、リヒテル演奏の感想のところで軽く触れたのでそこを読んでいただけると嬉しいです。クラシックで変奏曲の傑作というと、ベートーヴェンのこれとバッハのゴールドベルク変奏曲が1~2を争う感じでしょうか。制作年代は、ベートーヴェンがピアノソナタ全曲を書き上げた後に着手。ピアノソナタほどに入念に作られた感じはなく(ピアノソナタの中にも「これは即興で作ったな」みたいなのもありますが)、もっと自由に軽やかにサクっと作った感じがします。な~んて事をこのCDを聴いて初めて思いました。というのも、ポリーニの演奏がものっすごく跳ねてカンタービレなんです。リヒテルの厳格な演奏に感動していた僕からすると、「あれ、こんなに楽しげな曲だったっけ?」と思っちゃうほどに軽やか。有名な27変奏のヴィヴァーチェから28変奏のアレグロへの流れなんて、もうポリーニが即興で演奏してるんじゃないかと思うぐらいに軽やかです。

 録音は、ちょっと残響が多すぎるかな?でも、こういうのって完全に聴く側の趣味ですからね、どう感じるかはその人次第、リッチな音だと感じる人だっていると思いました。
 というわけで、僕のディアベッリ変奏曲のイメージが覆された、軽いカルチャーショックを覚えた1枚でした。ポリーニは勢いで一気に押すタイプじゃなくって、めっちゃ精度の高い演奏をしつつもアシュケナージのように機械的じゃなくってよく歌うという感じ。リヒテルとポリーニのどっちの演奏がベートーヴェンの意向に近いのかは僕なんぞにはまったく分かりませんが、メッチャ楽しそうに流れるように演奏するこの演奏も素晴らしかったです!


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『影の軍団 音楽編』

KagenoGundan OngakuHen 岡林信康さんで思い出に残っている曲がもうひとつあります。千葉真一主演のテレビ時代劇『影の軍団』第1作のエンディング曲です。この2枚組CDは『影の軍団』の1作目から4作目を合わせたサウンドトラック。それぞれのオープニング曲とエンディング曲もすべて入っています。アマゾンを見てびっくりしたんですが、このCD、今では数万円の値がついてるんですね。出た時に買っておいてよかった。。

 この曲、「Gの祈り」という、スリッパで叩かないでと言いたくなるタイトルをしていますが、子供の頃に聴いた時は胸に沁みました。なぜそれだけ胸を打たれたかというと、ドラマの内容とリンクしていたから。『影の軍団』は、1作ごとに主人公や設定が変わりますが、悪の限りを尽くす権力に弱者が立ち向かっていくという内容は同じ。影の軍団はひとり、またひとりと命を落としていくんです。そうまでしてなぜ戦うのかというと…それがこの曲「いつか届けこの想い」という詞にあらわれていたと感じたのです。ちなみにこの詞、番組では歌い出しになっていますが、フル収録のCDだと2コーラス目。

 エンディング曲の話になったのでついでに話すと、『影の軍団Ⅱ』のエンディング「光と影のバラード」もいい曲です。『影の軍団』がらみの歌では、僕はこの曲が一番好き。歌っているのは泉洋二という人で、ちょっとハスキーで、若い声の上田正樹みたいな歌い方をするんですが、これが良いんですよ。。この人ってアルバムを出した事あるのかな…もしかすると、この曲を聴けるCDって、これしかないかも知れません。

 『影の軍団Ⅲ』のエンディング「砂漠の都会に」も、子供の頃はいい曲だと思ってました。でもいま聴くと、別に…かな(^^;)。きっとドラマに感化されていたんでしょうね。

 そして『影の軍団』の音楽と言えば、とにもかくにも1と2のオープニングになったインストのメインテーマでしょう!劇中でもクライマックスになると流れまくっていたので、この音楽を聴くだけで僕は今でも身震いしてしまいます(^^)。この曲、なんとスペクトラムが演奏していたんですね。ぜんぜん知りませんでした。

 この音楽を聴くと、夢中になって観ていた小学校高学年の頃を思い出します。僕は4作目は観ませんでしたが(避けたわけではなく、やっていたのを知らなかった^^;)、最初の3作は時の権力側に庶民ではどうする事も出来ない巨悪がいて、庶民の中に混じって暮らす影の軍団たちが、犠牲者を出しながらも命がけでこの巨悪を倒しに行くというヒロイックなドラマでした。子供の頃の僕は、権力側にここまでの悪人がいるなんてドラマの中だけと思っていましたが、今の日本はドラマをなぞっているかのよう。でもあれだけ法もモラルもなしに、権力をかさに噓つきまくってやりたい放題やってれば恨みを買わない筈もなく、成敗されましたね。まあ、彼がやったことを考えればありうる結末だよな…あ、これは『影の軍団』の話ですよ(^^)。


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『岡林信康 / 大いなる遺産』

OkabayasiNobuyasu_OoinaruIsan.jpg 1975年発表、岡林信康さんのURC時代の貴重な音源を集めたコンピレーション・アルバムです。岡林さんって、71年に一度音楽をやめて農業に従事した生き方を選んだそうですが、数年後に音楽に復帰。今度はURCと違うレコード会社と契約して、その時に出されたアルバムです。ライブ音源なども入ってますが、僕のお目当ては、アルバム未収録となったURC時代のシングル4曲でした。それにしても、「大いなる遺産」というタイトルなのにジャケットはへのへのもへじ…センスありますねえ(^^)。

 政治家を批判(いま聴くと、問題となるほどには思えないんですが)などを含んだ「がいこつの歌」、学校や宗教者や政治家や果てはソ連やアメリカ政府までも「くそくらえったら〇んじまえ」という「くそくらえ節」。この2曲は忖度なしで暴言(しかしいいところ突いてる!)を吐き、しかしシリアスにならずに冗談に逃がしている所が良かったです(^^)。

 「チューリップのアップリケ」、これがいちばん有名じゃないかと。貧しい部落の子どもを扱った歌で、これで放送禁止になったそうですが、そんなにいい歌とは思えませんでした。ただ、こういうものから目を背けない姿勢が大事なんでしょうね。

 「流れ者」は、汎場で働く労働者の心情を歌った歌。僕、30代のころに短い間ちょっとさびれた地方都市に住んだ事があったんですが、そこのアパートを引き払って駅までのバスに乗ったら、そのバスが駅につかずに大きな病院について止まっちゃったんです。新幹線に乗らないといけないから慌ててタクシーに乗ろうとしたんですが、僕と同じ目にあっていた飯場を渡り歩いている土方さんがいて、その人と一緒にタクシーに乗ったんです。で、駅に着くまでいろんな話をしたんですが、こうやって全国を流れて生きていく人もいるんだなあ、とちょっと感慨深いものがありました。そういう鳶の人の心情があらわれている感じで、これはなかなか実体験がない人には、作る事も歌うことも出来ない歌じゃないかと。

 URC 時代の岡林信康さんこそ、岡林さん黄金期だと思いますが、その中で重要なのって、初期のシングル(つまりはこのアルバム)と、1枚目のアルバム『私を断罪せよ』じゃないかと。「くそくらえ節」と「がいこつの唄」は必聴、自分できちんと社会を考えられる事、そしてビビッて口を閉ざして政治的な忖度をしないようにすること。こういう事を学べるだけでも、聴く価値のあるレコードだと思います。何より楽しいですしね(^^)。


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『岡林信康 / 岡林信康アルバム第二集 見るまえに跳べ』

OkabayasiNobuyasu_MirumaeniTobe.jpg 1970年発表、ディレクターにジャックス早川義夫さん、バックバンドにはっぴいえんどを迎え入れた岡林信康さんのセカンド・アルバムです。アコースティックなフォーク・ソングだったシングル曲やファースト・アルバムとは対照的に、フォークロックにシフトチェンジしたバンド・サウンドでした。吉田拓郎さんも同じような方針転換をしてましたし、ボブ・ディランのロック転向の影響って大きかったんでしょうね。

 このアルバムだけで言えば、社会派でプロテスト・ソングな面影はなく、日常を軽妙洒脱に歌っている他愛もないフォークと感じました。後半はジャックスのカバーを4曲もやってますし、こうなると岡林さんじゃなくて、半分は岡林さんとはっぴいえんどがジョイントした歌謡フォーク、半分は早川義夫さんのアルバムのように感じてしまいました。詞も音楽もいちばん素晴らしいと感じた「無用ノ介」も、早川さんのアルバム『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』収録曲ですしね。

 カッコいいアルバム・ジャケット、鋭い事を言ってそうなアルバム・タイトルから、僕はもっとリアルなフォークロアを聴かせてくれるんじゃないかと思っていたもんで、ちょっと肩透かし(^^;)。演奏もはっぴいえんどなので、バンド・プレイとして見てもすこぶるヌルいですし。。


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アルバム『岡林信康 / わたしを断罪せよ』 追記しました

okabayasi_watasiwodanzai.jpg たまに聴きたくなるのが、岡林信康さんの「友よ」という曲。安保条約の継続審議の時、日本とアメリカの不平等条約の継続をなんとか断ち切ろうと大学生たちがデモを行い、学校の教室に籠りながらこの曲を聴いて励ましあっていたという逸話が、ずっと心に残ってるんですよね…。

 というわけで、久々に「友よ」収録アルバム『わたしを断罪せよ』を聴き直したんですが、いやいや他の曲にも感じるものが色々ありました。歳を重ねたり、歴史を学ばないと見えてこないものってあるものですね。このアルバムって、本当の意味での戦後日本のフォークロアなのではないかと思えてきています。

 過去記事に追記を加えましたので、もし興味がありましたら!

http://cdcollector.blog.fc2.com/blog-entry-16.html

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『Van Morrison / Astral Weeks』

Van Morrison Astral Weeks 1968年リリース、ゼムでヴォーカルを務めていたヴァン・モリソンのソロ第2弾アルバムです。全然売れなかったらしいのですが、やたら評価の高いアルバムだったんで、気になってたんですよね。でも、ビートバンドのヴォーカルのソロって、ミック・ジャガーの『She's the boss』で懲りた事があったもんで、怖くてずっと買えませんでした。とうとう手を出す気になったのは、中古盤屋でクレジットを見ていると…おお、ドラムにMJQ のコニー・ケイが入ってる!ストリングスとか、ハープシコードとか入ってる!これはビートバンドなんかじゃなくってちゃんとした音楽が聴けるかもとか、アイリッシュ系の音が聴けるかもとか、色んなイメージが湧いてついにゲットしたのでした(^^)。

 聴いたイメージでは、アイリッシュ・フォークを室内楽化して、ものによっては管弦も入ってる、みたいな感じでした。でも、最初にフォークギターの弾き語りを録音して、その後にどんどんオーバーダビングして作り上げたもののように聴こえてしまって、アンサンブルはあまり綺麗じゃなかったです。フルートやヴァイオリンが重なる曲が多いんですが、ぜんぶスケールでアドリブしてダビングしてるだけなんですもの…。そういうえばポール・マッカートニーのアルバムも、こんな感じでポストプロで分厚くしたアマチュアくさいアンサンブルだったな…。

 というわけで、これは音楽というより、詞を聴くフォーク・ミュージックの録音スタジオ・アレンジかも。期待しすぎちゃったのかもしれないけど、ちょっとだけ期待はずれでした…スマヌス。


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You Tube チャンネル 【エリック・ドルフィーを聴いてみたい人に贈る動画】をアップしました

Eric Dolphy_Thumbnail 激しく妖しく美しい…若い頃、ロックやポップスに飽き足らずジャズを聴きはじめて、最初に衝撃を受けたミュージシャンのひとりが、エリック・ドルフィーでした。べらぼうにうまいのですが、「うまい」というのがドルフィーの形容にふさわしいかというと違う気がする…この感じ、ドルフィーを知っている人には伝わりますよね?
 今ではすっかりポップスみたいになってしまったジャズですが、50年代末から60年代のジャズには芸術音楽の領域に踏み込んだものがたくさんあって、創造力あふれる刺激的な音楽でした。ドルフィーは、間違いなくその中の重要人物のひとりでした。

 というわけで今回は、知っている人も知らない人も楽しめるよう配慮して、エリック・ドルフィーについてまとめてみました。のんびり話していますので、お茶でも飲みながらお楽しみいただければ幸いです。そしてもし気に入っていただけたら、チャンネル登録や高評価をいただければ有り難いです♪

(YouTube チャンネル) https://www.youtube.com/@BachBach246
(ドルフィーの動画) https://youtu.be/kCJCAj_tXkU


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『Them / Again』

Them_Again.jpg 60年代のブリティッシュ・ビート系のバンドは、似たり寄ったりのキンタロー飴に感じる事が多いですが、それでもたくさん聴いてると、その中で好きなバンドやそうでもないバンドが出てくるのが面白いです(^^)。デビューアルバムがめっちゃくちゃカッコよくて悶絶したゼムはお気に入りのバンドで、これは翌1966年に出たセカンド・アルバム。

 ファーストに比べると、ゴーゴークラブのハコバン的というか、小曲を並べた感じ…って、こういうバンドはそういう所でやってたんだろうし、当たり前か。そんな中、「I Can Only Give You Everything」がかっこいい!キンクスの「You Really Gotta Me」とか、こっち系の曲はやっぱり病みつきになるカッコ良さがあります(^^)。

 ヴォーカルがいいのはもちろんですが、ビートルズローリング・ストーンズに比べると、ドラムがいんだなと思ったりして。聴いていて躍動感があるのは、スナッピーを効かせまくって、すごくタイトに、そして躍動して叩くこのドラムがツボなのかも。アニマルズやゼムは、いまだに本当に好きです。さすがに大傑作のファーストには届かないけど、このアルバムもけっこう好きです(^^)。


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『Them / The Angry Young Them』

Them The Angry Young Them 60年代のブリティッシュ・ビート・バンド…って思ってたんですが、北アイルランドのバンドなんですね。ヴァン・モリソンが在籍していたゼム、1965年のデビューアルバムです!いやあ、これはかっこよかったです!

 このアルバム、1曲目のほぼインスト曲「Mystic Eyes」で、持ってかれてしまいました!いや~メッチャかっこいい、特にビートの上でプオ~ンと鳴るハーモニカもいいですねえ。2曲目のフィフティーズみたいな曲もいい、そしてヒット曲「グローリア」がまた素晴らしい!この曲って、なんでこんな単純なのにいいと思っちゃうんでしょうか、謎です。

 音楽は、ブリティッシュ・ビートの中でもけっこう黒い方面に寄ってました。デビューした頃のローリング・ストーンズアニマルズを思い浮かべれば、だいたい合ってると思います。電子オルガンが入ってる分だけバンドはアニマルズっぽくて、ヴォーカルはミック・ジャガーそっくり。アニマルズのエリック・バードンもそうですが、60年代のイギリスの黒い系のバンドって、みんなミック・ジャガー的な歌い方をするのは、誰か元ネタがいるんでしょうか、それともミック・ジャガーが絶大な影響力を持ってたんでしょうか。でも、ヴァン・モリソンもエリック・バードンもミック・ジャガーよりうまいというのが面白い(^^)。あ、でも、最後にストーンズのファーストにも入ってた「ルート66」をやってますが、これだけ聴いたらストーンズだと思っちゃうかも。でもやっぱり、短い曲を14曲も連続で聴かされると、やっぱり途中で飽きちゃいますね(^^;)。

 アルバムタイトルについて。僕が持っているのは日本盤のLPで、タイトルは「THEM FIRST」となってるんですが、今では「The Angry Young Them!」と呼ばれてるみたいです。ローリング・ストーンズのファーストの時に、「昔はアルバムタイトルなしだったと思うんだけど…」みたいな事を書いた事がありますが、60年代って、国によってアルバムタイトルやジャケットが変わったり、収録曲もちょっと入れ替わったりするんですよね。。
 それにしても、これは60年代初頭のイギリス系のビート・ミュージックのアルバムの中でも出色ビートルズですらここまで優れたビート・ロックのアルバムは作れなかったですし、これ系の音楽が好きな方は必聴です(^^)。。


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『The Big Brawl original motion picture soundtrack』

The Big Brawl original motion picture soundtrack ジャッキー・チェンのハリウッド進出映画『バトルクリーク・ブロー』のサントラ盤です。バトルクリーク・ブローってむちゃくちゃカッコいいタイトルだと思うんですが、オリジナルは「The Big Brawl」というのかな…。そうそう、この映画のサントラを探してる人って絶対いると思うんですが、「バトルクリーク・ブロー」じゃなくて「The Big Brawl」で検索すると見つけやすいかも。でも今はけっこうプレミアついちゃってるんですね、安いうちに買っておいてよかった。。燃えよドラゴン』や『ダーティー・ハリー』でも音楽監督を務めたラロ・シフリン作曲のこの音楽、とんでもなくカッコいいんですよ!

 メインテーマは「Training Montage」という曲なんですが、このカッコよさったらないです。ピチカートで演奏するコントラバスとブラシのスネア、それに旋律楽器(口笛やフルートやミュートペットが入れ変わり)、これだけの編成なんですが、これがアル・カポネ時代のシカゴのチャイナタウンみたいな、暗く不穏でカッコいい雰囲気。フルートをわざとかすれたような音にして吹いてるのは、尺八とかのアジアの竹管を意識させようとしたんだと思いますが、これがまたいい。ガラケー時代、この曲を着信音にしていた事もありました。でもコントラバスって聴こえにくいから電話が鳴ったのに気付かずに着信音の役割を果たせず、「スーパーマン愛のテーマ」にすぐ変えたんですけどね(^^;)。
 それはさておき、劇中もコントラバスが音楽の中心、人生でコントラバスをカッコいいと思った最初の体験はこの映画だったんじゃないかなあ。

 もう1曲いい曲があります。ジャッキー・チェンの恋人役のテーマがそれで、スコット・ジョプリンのラグタイムみたいで気持ちいいのです!同じく30年代アメリカの時代設定の映画『スティング』がまさにこういう音楽でしたが、もしかするとジャズ・エイジにはラグタイムも流行してたのかな?

 この素晴らしすぎるハリウッドの映画音楽のスコアはまたしてもラロ・シフリン!ラロ・シフリンの映画音楽は名作揃いで、僕は大好き。映画音楽じゃなくて自分のアルバムの方がつまらないという変わった人で…きっと、何もないところから作るより、お題を与えられた方がいいものを作れる人なんでしょうね。ただ、このサントラには困った点がひとつあります。映画のクライマックスの格闘シーンの音楽が、あまりにも『燃えよドラゴン』なんですよね(^^)。


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映画『バトルクリーク・ブロー』 ジャッキー・チェン主演

battle creek brawl 1980年、ジャッキー・チェンのハリウッド進出作品です。監督ロバート・クローズ、音楽ラロ・シフリン…完全にブルース・リーの『燃えよドラゴン』です(^^)。映画の内容はシンプル。シカゴでマフィア同士が抗争、ストリートファイトの賭け試合で負け続けのマフィアが、中華料理屋で働いている拳法の達人のジャッキー・チェンを雇い、格闘技の試合に送りこもうとします。

 この映画、ジャッキー的には不本意だったらしく(監督とソリが合わずに自分のいい所が出せなかったらしい)、今ではあんまり語られる事のない作品です。でも子どもの頃の僕には面白かった!なにより、「○○拳」みたいな香港映画と違って、カメラ、音楽、セットなどなど、色んな所のレベルが高い!これはブルース・リーも同じですが、予算や映画製作の歴史が違うだけあって、当時のアメリカ映画と香港映画のクオリティの差は比べ物になりませんでした。今は違うのかも知れませんけどね。

 そしてアクションですが、たしかに「投げつけられたボールを宙返りしてよける」「ローラースケートを履いて格闘する」みたいな変な演出が目立って、本来の格闘技の凄さを伝える演出は少なめ。それでも子どもの頃の僕にはすごく見えて、冒頭の高い橋の上の柱を歩くシーンなんて、命綱つけないんですよ!落ちたら死ぬだろこれ、すげえ…と思たものでした。CG時代の今では、こういう見せ物は成立しないんでしょうね。やっても「CGだろ」なんて言われちゃいそうですし。

 映画のクライマックスのナイフ使いとの対決が『燃えよドラゴン』クライマックスの鉄の爪との戦いにそっくりだったり、そのフィニッシュがサマーソルトドロップだったり、ご愛嬌な所も多いですが、カンフー映画を作らなくなった『プロジェクトA』以降のジャッキー映画よりよほど好きな一本です。そして僕が本当に最高と思ったのは音楽でして…これについてはまた次回!


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映画『クレージーモンキー 笑拳』 ジャッキー・チェン主演

Crazy Monkey_Shouken 1979年制作、ジャッキー・チェンのカンフー映画です。「笑拳」は名前がふざけていますが、コミカルさとシリアスさがうまくブレンドされていて、ストーリーもなかなか良くて楽しかったです!

 行意門派という拳法の一門がいて、これがめっちゃ強い。でも、この一門が正体不明の達人エンに狩られます。行意門派は師匠の居場所を訊かれますが口を閉ざし、そのために殺されていきます。シンロン(ジャッキー・チェン)はおじいちゃんに拳法を習いますが、練習は不真面目。このおじいちゃんが、実は行意門派の開祖。シンロンは技を隠せと言われますが、おじいちゃんの意に背き、おじいちゃんのために拳法を使ってお金を稼ぎます。しかし、シンロンが技を見せたことでおじいちゃんの居場所がばれ、おじいちゃんはエンに殺されます。復讐に燃えるシンロンでしたが、未熟で敵わず。そこで、おじいちゃんの盟友だったという拳法使いのもとで修業を積み、エンとの戦いに挑みます。

 前半のすぐ練習をさぼるダメ生徒な所まではコミカル、おじいちゃんが殺されたことで復讐に燃え、修行に励む後半はシリアス。このコントラストが良かったです!また、最初はそこまで強くないのに、修行で強くなっていくという展開はベタですが、王道だけあって燃えるますね (^^)。とはいえ、最後に修得する奥儀が、喜怒哀楽を表に出すって…笑ったり泣いたりしながら戦ってるのはやっぱりギャグですね。ラストの大一番の決め技も金的攻撃だし。。でもジャッキー・チェンだと、キャラ的にシリアスだけだと持たないだろうから、これでいいのかも。実際、すごく面白かったです。

 小学校高学年の頃、僕は格闘技に夢中でした。実際にそういう時代でもあって、猪木の異種格闘技なんて、あれに熱狂しない男子なんていませんでした。ブルース・リーやジャッキー・チェンが大人気となるカンフーブームでもあって、ウルトラマンですらヌンチャクを使ってた時代でした(レオだったかな?)。これはそんな頃に観て燃えた映画の一本なので、映画だけでなく「あの時代」という背景まで見せられる思いがして、なんかジーンと来てしまいました。
 あの頃のテレビや映画で見る格闘技は見せる要素を作ってあったので、ロマンがあって面白かったです。これがグレイシー柔術とか本当の総合格闘技になると殺伐としてしまって、あそこまで行くと怖すぎてあんまり近寄りたくない…。なんちゃって格闘技ショーなアメリカンプロレスは好きじゃなかったですが、カンフー映画や猪木UWF のプロレスみたいな本物っぽいフェイクがいちばん面白かったです。ジャッキー・チェンの『○○拳』というタイトルの映画の中では、これも私的には上位。いいエンターテイメント映画でした!


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映画『カンニング・モンキー 天中拳』 ジャッキー・チェン主演

Kanning Monkey TenchuuKen これも『蛇拳』と同じ1978年に製作されたジャッキー・チェンのカンフー映画です。70年代の香港映画は、60年代の日本映画に似ています。低予算で似たようなものをバンバン作るので、ちょっとでも売れるとシリーズ化して年に3本4本も似たような映画を量産する作るんですよね。そういうシリーズものの主演俳優が映画スターになったわけで、加山雄三、高倉健、勝新太郎、なんていう人はそうだったんでしょうね。ジャッキー・チェンもいわばそういうスターでしたが、他と違うのはスタントマンを使わず自分で演武するアクション俳優だったので、とにかく大変だっただろうなあ。

 主人公のゴン(ジャッキー・チェン)は、拳法があまり得意ではありませんが、ある決闘の場に偶然居合わせ、漁夫の利で賞金を手に入れます。しかしそれがきっかけで敵を作って狙われ、不老不死の薬と万能薬を巡る争いに巻き込まれます。それを助けたのが乞食の爺さんで、この爺さんとその弟子の酔っぱらいにカンフーを習い、成長していきます。

 この映画、前半はテンポが悪くてちょっと退屈。。オープニングのクレジット部分が4分もあったり、相手に卵をぶつけるどうでもいいシーンがやけに長かったり。夢の中での不良との格闘シーンなんて、ストーリー的にも映画的にもまったく必要ないですが、そういう不必要なシーンがとにかく多くてね(^^;)。ようやく面白くなるのは1時間を過ぎてからだったので、そこまで我慢できるかどうかが、この映画を楽しめるかどうかの分かれ目かも。
 というわけで裏切者の存在が出てきて三つ巴のお宝争奪戦となり、ようやく本格的なカンフーを見ることができるようになるラストの35分ほどが、僕的なこの映画の面白さでした。いや~、香港の人たちの演武は本当に見事、雑技団おそるべし。そして、さすがにジャッキー・チェンの演武の切れはひときわ目立ってました、すごい。

 話の落ちは大したものでもなかったし、コミカル系のジャッキー・チェンのカンフー映画としては蛇拳の方が面白かったです。でも演武は見事…というわけで、カンフー映画の演武を見たい人にお勧めという感じなのかな?


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映画『スネーキーモンキー 蛇拳』 ジャッキー・チェン主演

SnakeyMonkey_Jaken.jpg 僕が小学校高学年だった80年代初頭、カンフー映画が大流行!音楽でも映画でも、ハードでシリアスなものが好きだった僕は、ブルース・リーがお気に入り。でもリアルタイムだったのはコミカルなジャッキー・チェンの映画で、こっちはこっちで好きでした。コミカルといっても、カンフーの動きは強烈、ものすごかったです!いま見ると、攻撃側と防御側のタイミングを合わせるために、どちらも同じタイミングで動き続ける所にプロレス的なムーブを感じますが、小学生の頃はこれをリアルに感じていたんですよね。。小学生では映画館に行くお金なんてろくにないので、テレビ放送のロードショー番組を観るのが関の山。テレビでは、ジャッキーの声はたいてい石丸博也さんのコミカルな吹き替えで、そのせいで僕にとってのジャッキーの声は今も石丸さんの声なんですよね(^^)。
話がそれましたが、『蛇拳』は1978年の作品、このへんからジャッキー・チェンのカンフー映画は、コミカルとシリアスがないまぜになっていった印象。

 ある道場でコキばかり使われている下っ端(ジャッキー・チェン)が、とあるきっかけで友人となった老人から拳法を教わるようになり、強くなるというもの。このおじいちゃんが実は蛇拳の達人で、最後に主人公は邪見殲滅をもくろむ別の拳法の師範と対決に挑みます。

 というわけでストーリーは単純ですが、見どころは演武なので、ストーリーなんて単純なぐらいで丁度いいです(^^)。好きだったのは、基本はコミカルで要所がシリアスな所でした。じゃれるように遊んでいたおじいさんが実は拳法の達人で、実は遊びを通して拳法の足さばきを教えてくれていた、みたいな。そしてコメディが一変、シリアスな修行シーンや格闘シーンになります。コミカルなシーンとの対比が効いているから、とっておきの演武シーンが素晴らしく見えるし、話が締まるんですよね。
 そして演武がすばらしい!ジャッキー・チェンはもちろんですが、他の人の演武もみんなすごかったです。時代が新日本プロレス全盛期と重なっていたもので、こどものころ、あの正拳や蹴りで「ビュッ」と音がするのに憧れて、夜になるとジャッキー・チェンやブルース・リータイガーマスクのパンチやキックの真似をしたもんでした。電気からぶら下がってる紐を蹴ったりしてね(^^;)。

 というわけで、僕的にはジャッキー・チェン映画の中で上位に来る作品です。ジャッキーが口をきけなくなるふりをする映画も『蛇拳』に匹敵するほど面白かったんですが、それが一体どの映画だったのか思い出せません。子供の頃にテレビで一度見ただけなんですよね…。。


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映画『蛇鶴八拳』 ジャッキー・チェン主演

JakakuHakken.jpg 1977年に作られた、ジャッキー・チェン主演のカンフー映画です。ヒット映画『蛇拳』が生まれる前年ですね。少林寺拳法に8つの流派があり、それをひとつにした最強の蛇鶴八拳が生み出されます。しかしそれぞれの流派の長が突如消え、蛇鶴八拳を記した書も行方不明に。時は流れ、食堂である青年がその書を落とした事で…

 ジャッキー・チェンやライバル役のカム・コン(ジャッキー・チェンの古いカンフー映画ではこの人が敵役の事がけっこうあります)だけでなく、途中に出てくる女性の棒術使いも、その他の拳法使いの役者さんも、身体や技の切れがすごい!ジャッキー・チェンはブルース・リーみたいなマジの格闘家ではなく、あくまで雑技団の人だそうですが、それでもこの映画でのコンディションはメチャクチャ良いように見えました。さながら、日プロを抜ける直前の猪木、あるいはワンバンのボールでも打ってヒットにしてた頃のイチローなみのコンディション(^^)。というわけで、コンディション最高の頃のジャッキーの動きが見れる映画として最高かも。

 ストーリーは、ジャッキー・チェンのカンフー映画にしてはけっこう硬派でした。僕は子どもの頃からマジなものが好きだったから、シリアスなジャッキー映画というだけで、けっこう好ましく感じてました。ただ、この映画はジャッキー・チェンが最初から強いもんで、映画的な盛り上がりに欠けました。最初は弱いけど、お師匠さんの下で修業を積んである拳法を極めていく、みたいな方が、ワンパターンとはいえ面白く感じるなあ。

 この映画を面白く感じないとしたら、コメディの少なさでも、アクションが悪いのでもなく、変化しないから退屈してしまうからではないかと。なるほど、王道には王道になるだけの理由があるんだなあ。


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You Tube チャンネル 【ジェフ・ベック黄金時代!インスト・フュージョン期のジェフ・ベックを聴いてみたい人に贈る動画】をアップしました

Jeff Beck_fusion_ThumbNail インスト/フュージョン期のジェフ・ベックをまとめてみました。この時代のジェフ・ベックの音楽は、いま聴いても本当に心躍ります!この音楽に初めて出会った頃、新しい音楽が未来に向かって開けていくような、そういう煌めきに魅せられていたんだなと思います。

 そして、この動画を作りながら、この時期のアルバム4枚をBGM で流していたんですが…めっちゃくちゃいいですねぇ、聴き入ってしまってBGM になりませんでした。というか、そもそも僕ってBGM で音楽を流すって出来ない体質なんですけどね。。この時代のジェフ・ベックの音楽は本当に素晴らしいので、ロックやフュージョンが好きな方で、まだ体験してない方はぜひ!

 堅苦しくならず、のんびり話していますので、お茶でも飲みながらゆっくりしていってくださいね。そしてもし気に入っていただけたら、チャンネル登録や高評価をいただければ有り難いです♪

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『Jackie McLean / 'Bout Soul』

JackieMcLean_BoutSoul.jpg 1969年リリース(録音は67年)、ジャッキー・マクリーンがブルーノートを去る前年に発表されたアルバムです。聴き終わってみれば、タイトルとなった「'Bout Soul」という言葉が、この音楽を的確に表現していると思いました。基本はスタンダードなジャズ・カルテット編成で、曲によってワンホーンが2管になったり3管になったり。ひとつだけ例外があって、それが冒頭に入っている朗読を中心とした曲でした。

 このアルバムの曲構成を簡単に書くと、冒頭に朗読を中心に作られた劇音楽的な曲があり、以降は伝統的なジャズを思わせるシンプルなヘッドと、フリー志向の強いブローイング・コーラスを持つ曲という構成でした。よりフリーに近い曲や、よりジャズ・バラードに近い曲もありましたが、それらもおおむねこの説明の範囲に入ると思います。というわけで、えらく構成的なアルバムですが、その構成によって何を語りたいのかというと、それが「’Bout Soul」なのではないかと。

 朗読を中心とした構成された1曲目「Soul」は、女性(バーバラ・シモンズ)が語る物語の展開に合わせて、黒人教会のゴスペル調の音楽になったり、フリー調になったり、詩とコール&レスポンスしたり、ジャズ・バラード調になったり、というもの。これは純音楽ではなく劇音楽であって、少なくともこの曲に関して、音楽は記号です。これをアルバム冒頭に置く事で、以降の曲もダブルミーニングである「ソウルフルな音楽について」と「魂について」の意味が定義されているように思えます。
 この前置きの後に演奏される音楽が、恐らくマクリーンさんにとっての「’Bout Soul」。熱のこもった演奏で(素晴らしい演奏です!特に、マクリーン、ペットのウディ・ショウ、ドラムのラシッド・アリが素晴らしかったっす)、このアドリブがこのアルバムの主張だと思うんですが、敢えてそのスタイルを書くと、伝統的なアメリカの音楽様式(ヘッド部分)と、そうしたフォルムからはまったく自由な即興演奏で構成されます。で、この演奏が「Soul」なのでしょう。ここには、「フォルムをなぞるだけだったら、音楽上の演奏表現ってなんなの?そもそも音楽ってなんなの?」という問いがあったんじゃないでしょうか。

 こういう風に僕が感じたのは、マクリーンさんのキャリアや、このアルバムが録音された67年ごろのジャズ周辺の音楽状況が影響していた気がします。ジャッキー・マクリーンって、ハード・バップ黄金時代に登場した白人アルト・サックス奏者としては抜群の存在だったじゃないですか。ところがバップの黄金時代はすぐに過ぎて、モードやフリージャズの時代に突入。マクリーンさんもこれに食らいついて、『Let Freedom Ring』や『One Step Beyond』というアルバム等で、新しいジャズに食らいつき、それは一定水準以上の成果を挙げましたが、そこでやった事ってスタイルの模倣とも言えますよね。アドリブといったって、フォルムに反しないスケールなり和声構成音で演奏されているんだったら、それだってフォルムをなぞっていることに変わりないわけで、だったらアドリブって何なの、プレーヤーって何なの…みたいな疑問は、当時の共通認識としてあったんじゃないかと。
 これにベトナム戦争下のアメリカの状況、それに影響された「音楽とはかくあるもので…」みたいなものが重なって、それがアリス・コルトレーンファラオ・サンダースのような音楽が言うところの「ソウル」を生み出したと思うんですよね。ハードバップからややフリー、やや新主流派みたいな音楽を辿ったマクリーンさんにとってのコンテキストとはこういうもので、そこから思うところの「'Bout Soul」とは、こういう音楽になるんじゃないかと。ややフリー寄りでありつつも、偶然音楽やアヴァンギャルドではなくポスト・バップとしての人間的表現、みたいなこの即興演奏部分の熱気が素晴らしくて、「ああ、これがバップ以降のジャズのトップランナーのひとりが至った、演奏表現とは何かという事の見解なんだな」な~んて思えて、ジンとしてしまいました。素晴らしい演奏だと思います。マクリーン最高。

 のちに「ソウル・ジャズ」なんていう言葉が生まれましたが、この言葉が出来ると同時に、そういうものが生まれた時代背景や意味や理念が消え、あの「ソウル・ジャズ的なスタイル」だけが拾われる機会が増えたんだと思います。まあ、なんでも最初は形から入るしかないわけですし、そうなって仕方ない部分もあるかも。でも、スタイルは違っていてもイデアが共通するという事は普通にあるし、そもそも最後にイデアに辿り着けないとしたらそれは形だけのものだし、やっぱりイデアって重要じゃないですか。あの時代に、自分なりの答えをこうして示したアルバムって、好き嫌いは別にして、素晴らしい行為だったんじゃないかと思うんですよね。こういうアルバムって、アリス・コルトレーンやローランド・カークやファラオ・サンダースあたりも作っていて、僕はどれも好きです。
 このアルバムが録音された67年はジョン・コルトレーンが死んだ年です。また、ブルーノート・レコードからアルフレッド・ライオンが離れた時期でもあって、ジャズ自体が激しく問われる事になった時だったと思うんですよね。このアルバムは賛否両論あるみたいですが、自分なりの答えを音できちんと示した作品とパフォーマンスとして、本当に素晴らしい作品だと思っています。


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『Jackie McLean / Action Action Action』

Jackie McLean Action Action Action 1964年録音(67年リリース)、前年録音の『One Step Beyond』に引き続き、ボビー・ハッチャーソンを含んだメンバーで制作されたアルバムです。音楽のカラーもやはり引き継がれていて、『One Step Beyond』を気に入った人なら、このアルバムも気に入るのではないでしょうか…私ですね(^^;)。間違いなくニュー・ジャズ期のジャッキー・マクリーンの代表作のひとつ、クソかっこいいです!メンバーは、マクリーン(a.sax)、ハッチャーソン(vib)、チャールズ・トリヴァー(tp)、セシル・マクビー(b)、ビリー・ヒギンス(dr)。

 この新しさを感じるサウンドにどういうモードが使われていて、どういう構造で…という聴き方をしている自分はちょっと違う気がしてきました。前回の日記を全否定するような言い方ですが、そういうのって作り手の聴き方ですよね…もっとこの素晴らしい音楽を聴いて楽しまないと。というわけで、この音楽を簡単にいうと、ニュージャズなサウンド、同時にビートが直線的、攻撃的なアグレッシブさ、これがメッチャかっこいいです!アドリブどうこうより、このサウンドとビートのイメージの尖った感触が、このアルバムの魅力のすべてかも。
 そして、チャールズ・トリヴァーやセシル・マクビーという共演者とその演奏を聴くにつれ、あ~もう60年代後半なのか、そりゃこういう音楽も出てくるよなあ、とも思ったり。音や演奏表現の深い所や複雑な所は潔くザックリ切り捨てて、おいしい所だけをストレートにバーッとやっちゃう、みたいな、ある意味ですごくロックな演奏。ある意味で機械的な演奏ですが、そういうのも嫌いじゃないぜ。

 ジャッキー・マクリーンの素晴らしい所は、元々はどう考えてもチャーリー・パーカーを熱心なフォロワーだったのに、、またそれを見事に吸収した素晴らしいバップを完成させたのに、そこからモードでもフリーでも素晴らしい音楽を創りあげた所です。僕、ジャッキー・マクリーンって、その良さが聴かれないまま「こんなものでしょ」と軽く見られている気がするんですよね。僕が昔読んだいくつかのジャズ名盤ガイドだと、バップ期の名盤は『4, 5 and 6』で、フリージャズ期の名盤は『Let Freedom Ring』、というものでした。でもそれを鵜呑みにしていたとしたら、僕は絶対にマクリーンを好きにならなかった思うんですよね。
 というわけで、僕的にはそういう俗説は修正したくて、バップ期は『Presenting Jackie McLean』と『Jacky's Bag』、モード/新主流派調は『One Step Beyond』とこのアルバム、そしてフリージャズ調は絶対に『Let Freedom Ring』ではなく…というわけで、僕的マクリーンのフリー・ジャズ大名盤は、また改めて紹介します(^^)/。


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『Jackie McLean / One Step Beyond』

JackieMcLean_OneStepBeyond.jpg 1963年録音(64年リリース)、ジャッキー・マクリーンのスタジオ・アルバムです。モード系ニュージャズ方面のメンバーが集まっていて、マクリーン(a.sax)、グレイシャン・モンカー三世(tb)、ボビー・ハッチャーソン(vib)、エディ・カーン(b)、トニー・ウィリアムス(dr) のクインテット。メンバーにあらわれたように、典型的なバッパーだったアルト・サックス奏者のジャッキー・マクリーンが、ポスト・バップというかニュージャズというか、そういう方面に進んだ時期の音楽でした。バップの先に踏み込んだ嚆矢となったアルバム『Let Freedom Ring』はイマイチに感じた僕でしたが、このアルバムは好きです!理由はモード調の曲と音楽性、それにヴィブラフォン奏者ボビー・ハッチャーソンの存在が大きかったです。

 例えば、アルバム冒頭曲「Saturday and Sunday」の旋律は「ド・ミ♭・ソ♭・シ♭・」の上行/下行を繰り返すもので、この構成音を単純に和声化すると、Cm7-5。あとは、マイルス・デイヴィス「So What」ジョン・コルトレーン「Impressions」みたいに、一部だけコードが変わるという構造です。僕がこの曲をアドリブするとしたら、間違いなくロクリアンをベースに演奏するだろうし、そう処理したらそこまで難しくないシンプルなモード曲ですが、それでもサウンド面での効果は抜群。曲を通してハーフ・ディミニッシュのサウンドを感じるこの質感は、同じような和音感覚のキンタロー飴だったモダン・ジャズと比べると、やっぱり新鮮なんですよね(^^)。

 すべての曲がこういうモード調なわけじゃないんですが、おおむねバップではなく、かといってフリーでもなく、和音が醸し出す雰囲気に相当に気を配った音楽ででした。そう聴こえる理由のひとつになっているように思えたのがヴィブラフォンの存在で、あの楽器って余韻が長いから、余計に音の重なり方が生み出すミードが音楽の肝になって聴こえました。それだってつまらない和音だったらなんとも思わなかったでしょうが、けっこう面白い冒険をしてるんですよね。

 こういう音楽を聴き始めると、付加和音もオルタードもしないタイプのジャズやロックやポップスを聴くのに時間を割くのが勿体なく感じるようになってしまったりして。同じ7音音階だって、モードを変えるだけで、これだけ色々と変化を作れるわけじゃないですか。7音音階をベースにした超音楽を創るなら、もう長調か短調の曲なんて捨てるほどあるんだから、別のモードを使うとか、フォース・ビルドを検討するとか、やっぱりそこからが近現代だと思うんですよね。クラシックではそれが19世紀末に起きたのに対して、ジャズではそこから90年ほど遅れて、ようやくそこに踏み込んだわけです。しかもジャズって、アメリカという文化的にやさぐれた地域で演奏されたヒップな音楽ですからね、それがいよいよ近現代の和声に踏み込んだわけですから、そりゃ面白かったです。

 僕、ジャッキー・マクリーンはハード・バップを演奏していた頃が一番好きですが、次に好きなのはモード寄りの音楽に挑戦していた頃で、このアルバムは大好きです。さすが名盤といわれるだけの事はありますね。でもこの路線、ここで終わりじゃないんですよね。次もまた素晴らしくて…続きはまた次回!


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『Jackie McLean / Let Freedom Ring』

Jackie McLean Let Freedom Ring 1963年リリース(録音は62年)、ワンホーン・カルテット編成で、ウォルター・デイヴィス・ジュニア(p)、ハービー・ルイス(b)、そしてオーネット・コールマン・グループにいたビリー・ヒギンス(dr)というメンツ。たくさんあるブルーノート時代のジャッキー・マクリーンのアルバムでも、かなり有名な1枚で、ハード・バップの優秀なアルト・サックス奏者だったジャッキー・マクリーンが、フリーやニュージャズといった次の次元に踏み込んだアルバム、なんて言われています。

 ところが若い頃の僕は、このアルバムを斬新と思えませんでした。1曲目「Melody for Melonae」は普通の短調に聴こえましたし、2曲目「I'll Keep Loving You」はバド・パウエルのナンバーで、むしろ古い音楽じゃないですか。
 でもって今回、もうこのアルバムは整理しようと思って、30年ぶりぐらいにこのアルバムをターンテーブルに乗せたところ、斬新だったのはB面でした。A面だけ聴いて「面白くないな」と思い、B面を聴かずにほっぽり出したんですね、きっと。マクリーンさん、スマヌス。。

 B面1曲目「Rene」は、まるでアルバート・アイラーやオーネット・コールマンのナンバーのようで、サックスのアドリブ・パートに入るとピアノが弾くのをやめたりして(完全にやめてはいないです)、たしかにより自由な状況でアドリブ出来ているかも。和音ではなく旋/線で創る音楽ですね。でも自由になった事で音楽が豊かになったかというと、和声進行が感じられないのでむしろモノトーンに感じるし、その自由もけっこう7音音階なトーナル・センターを感じるアドリブなので、感触は「古い音楽」、刺激的とは感じませんでした。アイラーの「Ghosts」やオーネット・コールマンの「Lonely Woman」の何が斬新なのかすら理解できない僕に、この音楽の良さが分からないのはある意味当然かも。でもバッパーがこの音楽を創るのは、たしかに「踏み込んだ」といえるかも。

 面白いと思ったのはB面2曲目「Omega」で、ふたつの調を往復する形で作られていました。AパートはF#リディアンの響き、移動するBパートではジャズ伝統のプログレッションのを持たせ、両者の対置と変化がこの音楽の面白さのすべてといっても良く、実にニュージャズでした。エリック・ドルフィーやニュージャズ時代のハービー・ハンコックの音楽って、「これ、どういうシステムで作ってるんだろう」と考えさせられるものが多くありませんか?60年代のニュージャズって、そういうアイデアの宝庫で、本当に面白いと思います。ただ、たしかに面白いアイデアの曲だと思いましたが、演奏にしても作曲にしてもまだ作編曲の途中の状態に聴こえてしまい、最後まで丁寧に仕上げたらもっといいものになったんだろうな、なんて思わなくもない事もない、みたいな。

 60年代のブルーノートは、50年代の方針だったバップ系モダン・ジャズからニュー・ジャズ方面に大きく舵を切りました。ハード・バップの名プレーヤーだったジャッキー・マクリーンですらこの変化に飲まれた形となったのが、ここからのアルバムなのだと思います。ウェイン・ショーターやエリック・ドルフィーやサム・リヴァースはニュー・ジャズ方面に舵を切って正解だったと思いますが、ジャッキー・マクリーンやリー・モーガンはどうだったんでしょうね。でもそういうのってやってみないと分からない事だし、やらないという選択が許されない時代の空気感だったのかも知れないし、やらない人よりやる人の方が僕は好き、時代的にもロック全盛となった60年代ではやらなければジャズに未来はない状況だったかも。正直言って、「Omega」の作曲部分でのアイデア以外はそんなに面白く感じないアルバムでしたが、当のミュージシャンにしてみれば、通らなくてはいけない道だったのかも知れません。


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『ヒンデミット:金管とピアノのためのソナタ グールド(p)』

Hindemith_Brass sonatas_Gould グールドヒンデミット作品集、僕は学生の頃にピアノ・ソナタ集の録音を買ってきて、それをもっと年齢を重ねてから聴いたら素晴らしく感じるようになってました。そんな時に…おお、なんだこれは!グールド先生、別のヒンデミット作品集も出してるじゃありませんか!しかもCD2枚組…こんなの買っちゃいますよねえ。これが買って良かった素晴らしい掘り出し物でした(^^)。感銘を受けたのは数曲なんですけど、その数曲の感銘がヤバすぎたのです。

 「ホルンとピアノのためのソナタ」(1939)。3楽章で出来ていましたが、第2楽章が秀逸!強い調性感はあるもののフワフワして着地点が見えない音楽…こういう音楽っていいですよねぇ、無調の厳しさもなければ、ありきたりの調音楽からも遠く…もう、この聴き慣れない調性感に溺れているだけでも悦楽です。。

 「チューバとピアノのためのソナタ」(1955)。この曲は、ヒンデミットが書いた最後のソナタなんだそうです。これも不思議な調整官のフワフワした音楽…でも厳しい音楽ではなく、どこかコミカルに感じるのは私だけでしょうか。なんだろ、子供のころに見たポンキッキの妙に抽象的なショートフィルムのうしろで流れてたらピッタリ合いそう…例えが悪くてスミマセン。。
でも第3楽章の中ごろで、変奏を繰り返した後にチューバのカデンツァになだれ込む直前のピアノの導入がメッチャかっこいい…これって半音階どころか音列技法じゃないのか、サウンドもそうですけど構造がメッチャかっこいいんですけど。

 「トランペットとピアノのためのソナタ」(1939)。第3楽章が秀逸。標題は「葬送曲」ですが、長音階増4度の響きがリディアンっぽく響くからか、なんだか60年代のニュージャズみたいなカッコよさ…。

  「アルト・ホルンとピアノのためのソナタ」(1943) の第1楽章は、トランペット・ソナタの最終楽章の後編のようでした。というか、この雄大なソナタを最終楽章じゃなくて第1楽章に持ってくるんだ…やっぱりヒンデミットってセンスが凄いです。それとも、良い曲かどうかより、作曲技法面での実験や追求が優先するという事なのかな…。この曲もやっぱりニュージャズの匂いを感じたんですが、でも作曲は43年…作曲の和声面や技法面で、クラシックは常に先を行ってるんですよね。劇的構成を取る第3楽章がすごく良かったです。これ、もう少し大きな編成に編曲したらものすごくいい曲になるんじゃないかと思いました。

 「トロンボーンとピアノのためのソナタ」(1941)。もうこれは、僕的にはジャズでした。けっこうホモフォニーですしね。

 全体として感じたのは、ジャズとの近似でしょうか。でもこれ、ジャズ側もヒンデミットを参考にしてないだろうし、もちろんニュー・ジャズより先にこの音楽を創っていたヒンデミットが参考に出来る筈もないので、機能和声の響きの拡張という所画家なさっているのかも知れません。
 でもって、どう考えても尋常でない音楽能力を持つヒンデミットの音楽なんですが、僕的には嵌まるものは本当にすごいと思うのに、そう思わないものとなると関心はするけど本当にチャンネルが合わないです。それって何なのか…なんか、音だけの問題に聴こえちゃう時があるんですよね。音楽って、音や音楽を通して音楽以上のものを見ているというか…自分が何を言ってるのかよく分かってませんが(^^;)、ある意味で専門馬鹿を感じてしまうって事かも知れません。しかし、ホルン・ソナタの第2楽章と、チューバ・ソナタの第3楽章は本当に素晴らしかったです。。


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『ヒンデミット:ヴィオラのための作品全集Ⅱ The Complete WorksFor Viola volume 2 コルテス(vla)』

Hindemith_Complete Viola works 2 ヒンデミットのヴィオラ作品全集、第2巻は4つの無伴奏ヴィオラ・ソナタが収録されていました。ところで、このCDにはオーパス・ナンバーだけが書いてあったんですが、ここではいちおう海外ウィキペディアに書かれている第何番かも書いておきます。

 「無伴奏ヴィオラ・ソナタ(第2番) op25-1」(1922)。全5楽章、少なくともこのCDでヴィオラを演奏したポール・コルテスは1~2楽章をシームレスで演奏していました。
 いやあ、すごすぎるだろ…始まったとたんにのけぞりました。なんとこの曲、ヒンデミット自身が自分で良く演奏していたらしいですが、こんなの弾ける作曲家って反則じゃないかい、プレーヤーだって尻込みするレベルに聴こえるんですけど…。
 自分への備忘録は、第4楽章(速い!熱い!)の素晴らしさは何度も聴き直してアナリーゼすべきレベルの曲。とんでもない超絶技巧の第1楽章と、ドイツの世紀末芸術の匂いがする第5楽章もいい…。この曲は完全に芸術音楽でした。いやあ、こんなの必聴レベルじゃないかい、はっきり言ってここまで感動した無伴奏ヴィオラは聴いた事がないかも…。

 「無伴奏ヴィオラ・ソナタ(第3番) op31-4」(1923)。3楽章で出来ていて、第1楽章は民族舞踊的。第2楽章はアラビアの歌謡音楽のような(勝手なこと言ってスマヌス)、第3楽章も、フリジアンっぽくて何となく東ヨーロッパ方面の(もっと東方も含め?)舞曲に聴こえました。というわけで、ザ・芸術音楽やザ・無伴奏ソロの超絶演奏を聴くというより、標題音楽を聴いている印象でした。とはいえダブル・ストップの雨あられだし、技巧的にメッチャむずかしそうですけど(^^;)。

 「無伴奏ヴィオラ・ソナタ(第1番) op11-5」(1919)。4楽章で、第3楽章がスケルツォ、第4楽章がパッサカリア。第4楽章は思いっきりバッハっぽいし、モルデントの使い方なんかにもバッハの影を見た気がしましたが、ドイツ人作曲家が無伴奏ソナタを書くとしたらバッハ抜きで考える方が無理だろうから、意識はしてなくても自然とそうなるのかも。

 「無伴奏ヴィオラ・ソナタ」(1937)。オーパス・ナンバーがついてませんでしたが、3楽章だし、IPH185 だと思います。ヒンデミット最後のヴィオラ・ソナタです。書き上げたのは渡米中の事で、ニューヨークからシカゴへ向かう列車の中だったとか…絶対音感持ってると、電車の中でも作曲できちゃうのがいいですよね(^^)。
 
 素晴らしい無伴奏ヴィオラ・ソナタの数々でしたが、僕が死ぬまで大事に聴き続けたいと思ったのはop.25-1(第2番)でした。いやあ、こんなのカッコよすぎるだろ、自分がヴィオラ奏者だったら、この曲は絶対にレパートリーにしようと頑張って練習したに違いないっす。無伴奏の弦楽器独奏はなんとなく寂しい気がして、ついつい聞くのを後回しにしがちな僕ですが、いやいやいざ聴くといつも圧倒されちゃうんですよね。。このCDでヴィオラを弾いたポール・コルテスという方、僕はぜんぜん知らなかったのですが、とんでもなく素晴らしい演奏でした!


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YouTube チャンネル 第7回【デルタ・ブルース・シンガーズ】アップしました

Son House And The Great Delta Singers_ThumbNail このブログではそこまでブルースを取りあげて来なかったというのに、なぜかYouTube では連続でデルタ・ブルース特集、しかも本丸のチャーリー・パットンにまだ行きつかないという(^^;)>。

 今回は、名コンピレーション・アルバム【Son House And The Great Delta Singers / Complete Recorded Works 1928 -1930】を題材に、チャーリー・パットンやロバート・ジョンソンといった大メジャー以外の数々のデルタ・ブルースマンの音楽に触れて、戦前のデルタ・ブルースの魅力に迫ってみました。そうそう、このコンピレーションには、サン・ハウスの伝説の1930年録音も入ってるんですよね(^^)。それだけでなく、パットンやサン・ハウスといった名の知れたブルースマン以外も、実に素晴らしいミュージシャン揃いでのけぞりました。中にはパットンやサン・ハウス以上と思えたギタリストやヴォーカリストも…。

 本当は、明らかに影響しあっていた同時期のカントリーやジャズと比較すると、もっと色々なものが見えてくるんでしょうが、そこまでやってると僕の人生が終わってしまいます。クラシックやジャズやロックやワールド・ミュージックも語りたい、それどころか音楽以外の事にも触れたい、でも人生の残り時間ははっきり見えてる…どこまで掘り下げるか、何を取りあげて何は捨てるか、取捨選択が難しいです。。

 デルタ・ブルースは好きだった音楽とはいえ、こうやって体系立てて聴いたのは人生初。自分の頭の中が少しは整理できた気がして、動画を作った甲斐はあったと思っています。どうぞ、気軽にお立ち寄りくださいねm(_ _)m。

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『ヒンデミット:ヴィオラ作品全集Ⅰ The Complete WorksFor Viola volume 1 コルテス(vla)、ブラビンス指揮フィルハーモニア管弦楽団』

Hindemith_Complete Viola works 1 ヒンデミットが書いたヴィオラ作品の全集録音の第1巻です!ヒンデミットはヴィオラ奏者としても超一流で、フルトフェングラー指揮で自作自演してたりするんですよね。第1集は、管弦とヴィオラが絡んだ曲を集めていました。

 「白鳥を焼く男Der Schwanendreher(ヴィオラと小管弦楽のための古い民謡による協奏曲)」(1935)、決して多くないヴィオラのための協奏曲の重要なレパートリーとして知られた曲です。奇妙なタイトルの由来は、中世ドイツでは白鳥を焼いて食べる風習があって、その料理人のことらしいですが、ヒンデミット自身は白鳥のようなグースネック上の楽器(例えばハーディーガーディーなど)を操る吟遊詩人の事を言っているんだそうです。なるほど、ドイツ民謡を題材にした協奏曲だからですね(^^)。
 3楽章の協奏曲で、曲想は穏やか。中では第3楽章が「Moderately fast」でいちばん速いですが、それでも楽しげにスキップしているぐらいの感覚でした。
 では何もかもが穏やかかというと…いきなりヴィオラのダブル・ストップなんですけど。。こういうのを聴くと、弦の人のレベルってすぐ分かっちゃいますよね。とんでもないピッチの良さで、このCDでヴィオラを弾いたポール・コルテスという方がどれだけ素晴らしいプレーヤーなのかを痛感しました。でも曲自体は、目立つスーパープレイを要求するのではなく、こういう僕みたいな素人には分かりづらいけど実が凄そうなシブい演奏が要求される曲…なのかな?
 他にもかなり斬新に感じた進行があるなど、要所要所でヒンデミットっぽさを感じましたが、でも全体としては牧歌的と感じる協奏曲でした。

 「演奏会用音楽(ヴィオラと大編成室内管弦楽のための)Konzertmusik for viola and large chamber orchestra」op.48(1930)。4曲書かれたKonzertmusik の中のひとつ。他3曲が複数楽器のためのバロック風コンチェルト・グロッソ風だったのに対して、この曲はヴィオラと管弦のための協奏曲風でした。5楽章で出来ていて、曲想は…ものっすごい主観的なこと言うと、おもちゃのマーチ、みたいな(^^;)。こんな事しか書けなくてスミマセン。。それにしても随所に現れる対位法的な書法が見事。それは時にヴィオラとピッコロだったり、ヴィオラとオーボエだったり、ヴィオラと管弦だったりするんですが、こうした構造の入れ子細工にずっと耳を奪われてしまいました。。
 
 「室内音楽 第5番」op.36-4(1927)。この曲は、以前にアバド指揮ベルリン・フィル演奏のもので感想を書いた…と思ったら、5番だけ書いてませんでした(^^;)。備忘録を書いてるはずなのに、何やってんだろう。。これもヴィオラと管弦の協奏曲のような構造でしたが、弦楽隊がチェロとコンバスしかいない気が…あ~なるほど、ヴィオラを立てるために、それより高音の弦を削ったということかな?こういう発想をできる柔軟性ってすごいなあ。全4楽章。
 オーボエが旋律を提示して始まる第2楽章「Langsam」(遅い)の不穏な感じ、それを引きずったまま展開したような第3楽章が好きです。このCDに入っていた曲は、細かい所はともかく、大まかにはどれも機能和声の範囲で語ることが出来る音楽だと思うんですが、それにしてもその和声機能の拡張というか、半音階的な所まで行っている時でも、あくまで和声機能を意識したうえで拡張する感じで、これがたまらないです。しかしこの第2楽章は素晴らしいなあ、なんでアバド&ベルリン・フィルの時は感想を書かなかったんだろ…。と思ったら、第4楽章はやっぱりおもちゃのマーチ的でした(^^;)。
 ちなみにこの曲、ヴィオラの演奏はメチャクチャ難しいそうです。僕はヴィオラの事は分かりませんが、パッと聴きは聴きやすいのに演奏がすこぶる難しい曲てあるんですよね。こういうのって本当にプレイヤー泣かせだと思います。

 ヒンデミットの音楽っていくつかの傾向があると僕は思っていますが、そのひとつは曲を通した大きな構造より、細かい入れ子細工の瞬間瞬間の細密構造に拘るところです。これがこじんまりと印象を覚えるのかも知れませんが、でもカノンを活用した細部の構造と、その構造のうしろにある和声機能の拡張は、とんでもないレベルの音楽家ではないかと思わされます。悪く言えば木を見て森を見ずですが、僕より断然すごいから、その凄さが僕では把握し切れないんですよね、きっと…。


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『ヒンデミット:《ヴァイオリン協奏曲》 《交響曲 変ホ調》 ヨゼフ・フックス(vln)、ボールト指揮、ロンドンフィル』

Hindemith_ViolinConcerto_Joseph Fuchs いろんな音楽に興味津々で何でもかんでも聴きあさっていた学生時代、僕はヒンデミットの音楽がよく分かりませんでした。現代音楽の本にもよく出てくる名前でしたが、いざ聴いてみると前衛という風でもないし、かといってロマン派というのでもないし、自分的にどう捉えていいのかよく分からなかったんですよね。有名な《画家マティス》がピンとこなかったのが特に痛かったです。。
 そうこうしているうちに、昔ダメだと感じた3曲のピアノ・ソナタを聴き返したら度肝を抜かれ、室内音楽(ヒンデミットにはそういう名前の音楽があります)の中の何曲かに感銘を受け、さらにバレエ音楽「The Four Temperaments」に痺れ…という具合で、気がついたら魅了されている状態。そんな時に、知り合いのチェロ奏者さんから「ヒンデミットは協奏曲がいいよ」と言われ、最初に手を出したのがこれでした。というわけで、僕の最初の狙いはヴァイオリン協奏曲です。あまり有名な曲ではないので、昔は録音が少なくて、探すのに苦労したのも今は昔。今だったらネットで色んな演奏が見つかるし、しかも簡単に買えちゃうのがすごいです。。

 先に演奏家に触れると、ヨゼフ・フックス(ジョセフ・フックス)はジュリアード音楽院で後進を指導したヴァイオリニスト。僕はこの人の事を知らなかったのですが、素晴らしい演奏でした!指揮者のサー・エイドリアン・ボールトはイギリスの重鎮指揮者。しかし重鎮なんてものではなく攻撃型のタクトに聴こえました。オケがガシガシ来るんですよ(^^)。

 《ヴァイオリン協奏曲 Violin Concerto》 (1939)。ヒンデミットは色々な作風を持っていますが、これは比較的調機能を強く感じる(とはいってもフワフワですが^^;)曲でした。でもロマン派かというとそうは感じず、新古典化というと…しいて言えば新古典になるのかな。サウンドはとにかくヒンデミット的な浮ついた長調みたいな感じ(ユニゾンの多いヒンデミットのこの和弦を僕は西部劇風現代曲と呼んでおります(oᵔ罒ᵔo)ニヒヒ)、そしてヴァイオリンとオケのシンコペーション御激しい絡みが見事でした!
 3楽章で出来ていて、形式だけで言えばソナタ、3部形式、ヴァイオリンのカデンツァつきソナタ。ところがヴァイオリンとオケだけでなく、オケの各パートもポリフォニックに絡み合うので、とてもそんな風には聴こえませんでした。いやあ、これは大傑作じゃないかい?すごいんですけど…。

 《交響曲 変ホ調 Symphony in E-flat》(1940)。ナチに迫害されたヒンデミットは1940年にアメリカに亡命していますが(その前の38年にはスイスに亡命している)、アメリカ亡命後初の作品がこれだそうです。その影響か、第1楽章の主題がファンファーレから始まるいかにもアメリカ的な勇壮さ…なんですが、以降の展開と重層的なアンサンブルがすさまじかったです。続く雄大な2楽章(この楽章、マジで素晴らしい)ではカノンが聴こえ…もう、唸るしか出来なかったです。この曲の最終楽章もそうですが、ヒンデミットってオーケストレーションやアンサンブルに組み込んでいくカノンがすごいんですね…。

 芸術音楽を書くときのヒンデミットって、新たに音程に応じて独特の音的価値を設けたうえで和声の拡張を狙っていた作曲家だと思うのですが、この拡張された和声とでもいうべき独特のサウンドがすごい、構造の見事さったらありゃしない、天才だわ…。いやいや、これらの音楽があまり聴かれてないというのが嘘みたい、どちらも間違いなく大傑作。ヒンデミット、聴くのをやめずによかったです。間違いなく20世紀の天才作曲家のひとりと思います。


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『ヒンデミット Hindemith:《The Four Temperaments》 《Nobilissima Visione》 Carol Rosenberger (p), James De Preist (cond.), Royal Philharmonic Orchestra』

Hindemith_Four Temperaments_Royalphil ヒンデミットが書いたバレエ音楽ふたつです。バレエ音楽とはいえ、モダン・バレエということもあってかストーリーを追う劇伴的な内容には聴こえず、音楽だけで構造が完全に確立しているように聴こえました。それほど、音楽が素晴らしかったです!和声機能を拡張を狙っていたヒンデミットならではのサウンドは、聴くたびに独特の魅力を感じます。

 なにより「The Four Temperaments」に打ちのめされました。。ヒンデミット作曲、バランシン振付のバレエです。先に音楽のことを言うと、打楽器も管楽器も入っていないものの弦はオケで、ピアノと弦の室内協奏曲的。スコアを見たわけではないですが、弦はディヴィジはなく四重奏+コンバスのスコアに聴こえるほどの、声部の絡みが美しい音楽でした。また、録音もあるのかも知れませんが、管も打も入っていない弦の美しい響きとピアノのサウンドの美しさがまた見事。
 第2楽章前半に出てくるピアノとソロ・ヴァイオリンの二重奏部分、そこから弦楽セクションへなだれ込んだ瞬間の展開の素晴らしさも、ゾクゾクするほどの素晴らしさ。まずは音楽に見せられた音楽でした。これってバレエ音楽と思わず純音楽として聴いても素晴らしい作品だと思います。
 でもって、音楽外の部分。このバレエ音楽って、主題と4つの変奏という5パートからなっていて、この4つの変奏部分が、心理学でいう「4つの気質理論」での4タイプ(憂鬱melancholic, 楽観sanguine, 怒りっぽいcholeric, 無気力phlegmatic)に照応している、みたいな。でもって振付はモダン・バレエといえばにニジンスキーかこの人と言われるほどの超重要人物バランシン。バランシンといえば抽象バレエが多いですが、このCDのジャケットを見ても、なんだか4つの気質が抽象的に見事な形を作っていくんだろうな、と思えて、バレエ自体を見たくなりました。なんでもこのバレエ、当初は不人気だったものの、今ではいろんなバレエ団が取り上げるほどの演目になっているのだとか。

 「Nobilissima visione」もやはりバレエ音楽で、音楽面では「The Four Temperaments」の元ネタになった作品なんだとか。バレエ音楽全体もあるようですが、このCDに収録されたのは演奏会用に3楽章に再編集された組曲版。フルオケでの演奏でした。
 第1楽章「Introduction and Rondo」の浮遊するような和音の響きが見事。長調系だけど重力がどこにあるのか分からないようなフワフワ感が20世紀初頭の無調直前の拡張された調音楽独特の豊饒さでたまらないです。ああ、これは素晴らしいわ…。
 元々のバレエの振り付けはレオニード・マシーヌLéonide Massine で、ヒンデミットとマシーヌはピーテル・ブリューゲルの絵画を基にしたバレエを作ろうと思っていたそうです…そうはならなかったみたいですけど(^^;)。あ、そうそう、マシーヌという人は、あのストラヴィンスキー「春の祭典」の振り付けをした人です。春祭の振り付けはもともとニジンスキーがしたそうですが、ストラヴィンスキーから「こいつ、音楽のことなんにも分かってねえ」と嫌われたそうで、ストラヴィンスキーがお墨付きを与えたのはのちにつけられたマシーヌの振り付けだったそうな。

 録音も室内楽ではないかと思うほど(それは言いすぎか^^;)実に明瞭かつホールのリッチな響きもしっかりつかまえた素晴らしい録音で、この素晴らしいスコアと演奏を見事にサウンドさせていました。僕は音楽しか聴けていませんが、音楽だけとっても間違いなく傑作。また「The Four Temperaments」に至っては、この構成にバランシンの振り付けというだけでもバレエ自体も実に興味を惹かれました…見てないんですけどね(^^)。


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『THE BOOM / 島唄』

Boom_Shimauta.jpg 沖縄戦、さとうきび畑…と来たら、私が思い出すのはこの歌です。ザ・ブームが歌った「島唄」です。初めてこの歌の意味を知った時、僕は涙が出てしまいました。

 でもその前に言っておくと、僕はこのバンドがあまり好みじゃありません…スマヌス。「似非」に感じてしまうんです。たとえば、とうていサッカーを知っているとも思えないタレントが、サッカー関連の仕事を取りたいがために、浅い浅い知識でサッカーを語りはじめたりした時。プロ野球選手だったわけでもないタレントが、プロ野球中継で偉そうに技術論を語っている時。ああいうのを見て、実際にサッカーや野球をやってきたり、足しげく球場に足を運んできたファンはどう感じるのか…これに近い感覚で、苦手なんです。
 また、ある種の感動ポルノに感じてしまう時もあります。障碍者を売りにしたコンテンツとか、戦争や差別を商売にしているコンテンツってあるじゃないですか。ああいうのって感動ポルノにならないよう、かなり慎重にならないといけないと思うんですよ、スティーヴィー・ワンダーは盲目を売りになんてしないし、そんなの関係なしに音楽で勝負してます。周りだってそうです。それが、いちいち「彼は盲目で…」みたいに言われて、同情やら何やらを求められたとしたら…ああいうのって逆差別だと思うんですよね。

 ブームって、下手なステップ踏んでスルド叩いたぐらいで、サンバだのブラジル音楽だの語りはじめたり、蛇皮線を弾いて沖縄を売りにしたりと、あの手この手を色々使いますが、どれもいかにも付け焼刃なレベルなもんで、感動ポルノやアイドルの「公式サポーターになりました」ビジネスに、どうしても被って見えてしまうんですよね。ブラジル音楽で言えば、ブラジル音楽を知らない人にだけ通じる似非ブラジル通、みたいな。別に好きな事自体はいいんだから、大したもんでもないのに押しつけがましい態度を取ったり、偉そうにシャシャりさえしなければそう映らずに済むだろうに…あ、これはあくまで僕の感じ方であって、一般論として人に押しつける気はないですヨ。

 でもって、「島唄」です。この歌、「でいごの花」とか「ウージ」とか、よく分からない言葉が出てくるもので、流行った当初はよく分かりませんでした。それが、仕事でちょっと関わる事になった時に、せめて有名曲だけでも知っておこうと、この歌を初めてマジメに聴いて、その意味を調べたんです。ウージとはさとうきび、だから詩の意味を直訳すると、「さとうきび畑であなたと出会って、さとうきび畑の下で永遠の別れ」…こういう意味だと分かった瞬間に、僕はTVドラマ『さとうきび畑の唄』を思い出して、涙が止まらなくなってしまいました。これは沖縄戦を歌った歌ではないのか。

 というわけで、僕個人の思いは、やっぱりブームさんは好きになれないけど、この歌詞は素晴らしいと思う、というものです。感動ポルノになるかどうかは消費のされ方、消費のさせ方などで決まっていくと思うので、今後この歌が悪い意味での感動ポルノにならないような消費のされ方をしてほしいな、と思っています。そうなってくれれば、この歌は重要な役割を果たせると思うんですよね。


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TVドラマ『さとうきび畑の唄』 明石家さんま・黒木瞳主演

SatoukibiBatake no Uta 2003年にTBSで放送されたスペシャルドラマです。時代は太平洋戦争の終戦間際、舞台は沖縄。つまり沖縄戦を扱ったドラマでした。このドラマ、人生で1度見ただけだというのに、ずっと心に残ってるんですよね…。

 平山幸一(明石家さんま)は美知子(黒木瞳)と大恋愛の末に沖縄に駆け落ち、写真館を営み、6人の子供を作って、幸せな家庭を築いていました。しかしサイパン陥落後にアメリカ軍が日本に進出すると、沖縄は戦地に。息子たちは戦争に取られ、娘たちは従軍看護師となり、鹿嶽は散り散り。幸一も召集されます。幸一は、狭い防空壕にあふれて居場所のなくなった人たちを見、娘たち従軍看護師たちは米軍に殺される前にひとりずつ崖から海に飛び込んで自害していき…

 貧しくも幸せに生きていた昔の日本の情緒的な生活風景と、人の命を無慈悲に奪っていく戦争の悲劇が対比して描かれていました。言葉で書くと安っぽいですが、このドラマに描かれたこの両者の生き生きとした、あるいは生々しさと言ったら…。
 家族や自然と繋がって生きて死んでいった生活って、日本でも田舎だとかなり最近まで生き残っていたんだと思うんですよね。私の場合、子供のころに親や祖母から聴いた話や、親の故郷に帰った時に見る風景や親せきの人たちの付き合いが、まさにこのドラマに描かれていたさんま一家の家族の絆や、そこから生まれる幸せと似たものだったんですよね。祖母がひとりになった時に、父は祖母を呼んだのですが、祖母が故郷を離れたくないと話していたのが、まるで昨日の事のようです。それぐらい、家族や知り合いとの絆が深く、それが幸福そのもの、人生そのものだったんでしょう。

 そして、戦争の痛ましさと言ったら…さんまさんが出ているぐらいだから、随所に笑える所もあるんですが、逆にそれが悲劇を際立たせていて…。なにせ世界で唯一核爆弾を落とされた日本に生まれたもので、こういう戦争の悲劇をえがいたものを、僕は子供のころから多く見せられてきました。原爆写真集に「はだしのゲン」に「火垂るの墓」に「この世界の片隅に」…もう、数えきれないです。このドラマだってそのひとつで、描かれた防空壕のシーン、集団自殺のシーン、明るく幸せな家庭を築こうとしてきた父親の形見が渡されるシーン…もう20年も前に観たドラマだというのに、僕は忘れることが出来ません。

 いつも思うのですが、こういうものがさんざん伝えられてきたはずなのに、なんで今も戦争を擁護する市民や政治家がいるのでしょうね。忘れてしまうのでしょうか、それとも仮想敵国をちらつかされると簡単に騙されてしまうほど馬鹿なんでしょうか…。憲法9条の改正や防衛費の拡大など、前の総理大臣の時から、明らかに日本は戦争できる状態へと国を戻し始めています。政治家の人にはこういう物語を思い出してほしいし、簡単に「仕方ない」なんていう人には、こういうドラマを見て欲しい。もっと自分で歴史を勉強して事実を知り、簡単に騙されないでほしいと切に願うばかりです。どの政党に投票するのも個人の自由とはいえ、どのような表現を使うにせよ戦争に「イエス」な政党には投票しちゃいけないと思うし、そういう政党を与党としないようにするためだけでもいいから選挙に入ってほしいと切に願うばかり。私的には、沖縄戦の悲劇を肌感覚として強く思い知ったドラマでした。必見。


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『BEGIN / シングル大全集』

Begin_Singl Daizenshuu これも沖縄出身、フォークと言っていいのかどうか分かりませんが、アコースティック・サウンドをベースとしたバンドであるBEGIN のシングル曲を集めた2枚組アルバムです。下手したら、バンド・ブームに乗ってイカ天からデビューした「恋しくて」だけの一発屋に終わってもおかしくなかったのに、これだけ長く活動出来てるんだから、良いものをたくさん持ってるんだと思います。

 やっぱり「恋しくて」と「涙そうそう」が抜群。というか、「涙そうそう」って、BEGINのメンバーが作曲した曲だったんですね。「恋しくて」は詞よりも曲のコード・プログレッションが好きです。キーはA、平歌ではトニックAからバスが1音下降してG、それからサブドミナントD、そしてサブドミナント・マイナーDm…平歌の時点で、難しい事はしてないのに、効果的な技法が満載。サブドミナント・マイナーってたまに使うと効果バツグンですよね…。それはサビも同じで、トニック代理のⅥm7から、半音下のセブンスコード・さらに半音下がってオリジナル・ドミナント。セオリーというものがどれだけ効果的なのか痛感させられる見事なコード・アレンジ。この曲って、間違いなくこのコード進行で売れたんだと僕は思っています(^^)。

 でも、そういうシンプルな和声法は勉強していたとしても、作曲法は勉強してなさそう。たとえば、転調をうまく使えないとかね…。だから、いい曲を書くのが難しいのだろうな、とは思いました。それでも聴いていられるのは、アコースティックに仕上げた時のサウンドの美しさ、そしてそれを「あざとい」ではなく「美しい」と思わせる人柄。思い過ごしかもしれませんが、僕の沖縄の友人も、夏川りみさんも、人柄がすごくいいと感じるんですよね。沖縄民謡の「てぃんさぐぬ花」の中には「誠実に生きろ」みたいな詞があったし、「デンサー節」にも「弱いものに優しく」みたいな詞があったはず。そういう沖縄の文化がここにも共有されてるように感じるんですよね。それは詞だけでなくBEGIN のメンバー自身もそうで、曲の詞だけでなく、このCDのライナーにの行間にも人柄がにじみ出していて、そういう良い意味での沖縄の良い文化、みたいなのに触れているだけでも、気持ちよくなれました。都会に住んでいる僕がすれちゃってるのかな(^^;)>。。

 80年代後半からしばらく、BEGIN やザ・ブーム、モンゴル800 、夏川りみなど、沖縄のミュージシャンに注目が集まった時がありました。あれが何だったのか僕は分かりませんが、ただ、ああいうグループをきっかけに沖縄の音楽、そして文化に触れたのも確か。那覇空港を降りるや否や米軍基地が広がり、昔から大国に従属を迫られ、戦地になり…それでありながら、「人を見たら泥棒と思え」ではなく「人に優しく」という文化を継いだ沖縄という土地には、憧れるものがあります。でも、台風とでかすぎるゴキブリがイヤなので、住みたくはないですが(^^;)。


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Bach Bach

Author:Bach Bach
狭いながらも居心地のいい宿で、奥さんとペット数匹と仲良く暮らしている音楽好きです。若いころに音楽を学びましたが、成績はトホホ状態でした(*゚ー゚)

ずっとつきあってきたレコード/CDやビデオの備忘録をつけようと思い、ブログをはじめてみました。趣味で書いている程度のものですが、いい音楽、いい映画、いい本などを探している方の参考にでもなれば嬉しく思います(ノ^-^)ノ

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ロシアとウクライナがほぼ戦争状態に入りましたが、僕はソ連解体後のウクライナについて本当に無知…。これは2016年にオリバー・ストーン監督が作ったウクライナのドキュメンタリー映画。日本語字幕版が出たらぜひ観たい このブログをYoutube にアップしようか迷い中。するなら作業効率としては早いほど良いんですよね。。その時にはVOICEROIDに話してもらおうかと思ってるけど、誰の声がいいのか考え中
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