70年代にデビューした「花の中3トリオ」の中で、子供のころは良さが分からなかったけれど、大人になってから飛びぬけて好きになったのが森昌子さんでした。若いころは、あのモンチッチみたいなヘアースタイルがね(^^;)。これはそんな森さんのベスト盤2枚組です!
森さんって、
13歳のときにオーディション番組『スター誕生!』で抜群の得票を得て、レコード会社や芸能プロダクションから引く手あまたの状態となったそうです。なぜあんなモンチッチに日本の歌謡界全体が飛びついたのか…その理由は、このCDを聴いてすぐ分かりました。
歌うめえええ!!「どんぐりっ子」なんて、詞も曲もなんとも思わないのに、声の美しさと歌唱力だけで耳を奪われてしまいました。森さんって
美空ひばりに気に入られて、直々に美空さんの家でレッスンを受けさせて貰えたと言いますが、美空ひばりよりうまいじゃん…。歌唱力だけで言えば、中3トリオどころか、当時の演歌歌手を含めてここまで歌えた人は少なかったんじゃないかと。
『スター誕生!』からデビューした女性シンガーでは、森昌子さんと岩崎宏美さんは別格と思います。
森さんの音楽は演歌前と演歌後に分かれると思うんですが、デビューしてしばらくのシングル曲にはひとつの共通項がありました。
短調である事、敬語である事、そして何度も初恋をする事(^^)。なるほど、これが中3でデビューした歌のうまい女の子のタレント・イメージだったんでしょうね。敬語である事は、なるほど森さんの曲を聴かせる対象が年長者だったんでしょう。「せんせい」は教師への恋で「白樺日記」はお兄さんへの恋ですし、
当時はまだまだ男性優位で年功序列の社会構造、しかも歌謡曲を聴くのが今みたいに若い人だけじゃなくて幅広かったから、女の子が歌うなら敬語の方が良かったのかも。同世代に聴かせるなら、また違ったんででょう。
そして、声が大人になったタイミングで、曲想がポップ演歌から演歌へと変わりました。演歌に移行したばかりの頃は、自分の声や言葉、歌い回しに迷っているかのように聴こえました。器用そうだから色んな歌い方がありえたんだろうけど、その中でどうするかを決めきれないというか、どういう歌い方をしても森昌子じゃなくて誰かの真似に聴こえるというか。演歌をやるには
藤圭子や
八代亜紀みたいな個性や感動やパンチがない、みたいな。
そんな中で、森さんの演歌へのアプローチがはっきりしたように思えたのが、81年「哀しみ本線日本海」。ここからが歌手としては全盛期で、82年「立待岬」、83年「越冬つばめ」、84年「ほお紅」、86年「ありがとう〜雛ものがたり〜」など、
多少詞や曲がつまらなくても歌唱力で持っていってしまうものが多数。よくテレビで見かけた70年代より、あまり見なくなった80年代の方が素晴らしかったです。
ただ、80年で残念なのは、歌と伴奏が無関係のチャート演歌のいいかげんな制作の悲しさ…フロントが強いんだから、ピアノ伴奏やスモールコンボのような演奏表現を表に出しやすい編成にして、しっかりと演奏を創り上げたほうが素晴らしい音楽になったんじゃないかなあ。うまいのにカラオケなんですよね…まあこれは森さん限らずで、演歌全般に感じる事です。
森進一さんと結婚した87年以降はシングルが出なくなり、復帰した2006年以降のシングルは、いい曲はあるものの、もうあの歌唱力は失われて…ミュージシャンって、途中でやめたらアウトなんですよね、3日さぼったらアウトな世界ですから。
歌唱力は抜群。でも歌い方が素直で人柄も良さそうなだけに個性が弱く、演歌を歌うにはインパクトが足りなかったのかも知れません。ほら、演歌って詞も曲も似ているから、歌手に「この人なら本当に痴情のもつれで人を殺すかもしれない」ぐらい思わせるものがないと、単なるのど自慢になりがちじゃないですか。70~80年代という世相にこの歌唱力を生かすなら、岩崎宏美さんみたいにポップス方面に振っていたらどうだったのかな、と思ったりもしました。間違いなく
世代を代表する歌唱力を持っていた人だと思います。