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心に残った音楽♪

おすすめCDの紹介のほか、本や映画の感想などを (*^ー゜)v

 

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『サーカス / Cool Love』

Circus_Cool Love アルファに次いでワーナーもすぐにやめてしまったサーカス。売れなかったのかな、いい音楽だと思うんだけどな…。これは83年にVapからリリースされたアルバムです。それでも、レコード会社を移りつつ解散せずにずっと活動が続くんだから、コアなファンを獲得したグループだったんでしょうね。そして、根強いファンがいるのも当然という見事なコーラスと思いました!

 1曲目「Back to Back」がストリングス入りのクロスオーヴァーなバラード。曲も良ければアレンジも見事、コーラスもめちゃくちゃ奇麗で、「おお!!これがサーカスが行き着くべき最終形なんじゃないか?!」と感激!しびれました。同じことが「Morning Lady」にも言えて、洒落た都会的なアダルトな音楽という感じ。
 ところが、2曲目は演歌歌謡チック、3曲目はカラオケスナックで上司と部下の不倫カップルが酔っぱらって歌う男女デュエット曲みたい…ああ~悪い意味で下世話な昭和っぽい(^^;)。
 分かった事がひとつ。4声コーラス曲ではなくて、誰かがリードヴォーカルを取って他がバックコーラスの曲がそれなりにあって、こうなった場合はメイン・ヴォーカルをとっていいレベルに来ている人がひとりしかいないという事。バンドの人間関係をうまくやるために公平にそうしてるのかも知れませんが、音楽って実力の世界だから、力がない人にメインを取らせるのは音楽にとってはマイナスと感じました。こと音楽に関しては強すぎるぐらいのリーダーがいた方がうまく行ったりするんですよね。

 というわけで、僕にとっては曲による当たり外れが多いアルバムでした。当たり曲は「アメリカン・フィーリング」をヒットさせていた頃より数段レベルが上のことをやっていてすごい!!でも外すと痛い、みたいな(^^;)。今でも日本最高峰のコーラス・グループだと思っています。


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『サーカス / フォーシーズンズ・トゥ・ラブ』

Circus_Four Seasons to Love 「Mr.サマータイム」に「アメリカン・フィーリング」「ホームタウン急行」と、次々にヒットを出したのに、どういうわけかサーカスは1978~80年の3年でアルファを離れてしまいました。大資本ではないアルファ・レコードの宣伝力の弱さと、巨大資本の外資系レコード会社ワーナー・パイオニアの差なのかな…。これはサーカスがワーナーに移籍した1981年にリリースした4枚目のアルバムです。

 アルバムが始まった時は、『悪魔の手毬唄』での深町純…じゃなかった、上質のクロスオーヴァーかと思ったんですが、すぐにシティ・ポップ調になりました。時代的なものか、ディスコ調の味付けの曲も。シティポップ自体が悪いわけではなく、それが証拠として僕は70~80年代の山下達郎さんなんて大好きなクチですが、「Mr.サマータイム」やボス・スキャッグスのカバーで聴くことが出来たあのイケてる感じはなくなっていました。

 でもダメなアルバムかというとそんな事はなく、丁寧に作られた気持ちのいいJポップとは思いました。ヒットアルバム『ニュー・ホライズン』よりよく出来てるかも。けっきょく、あくまでコーラスグループであって作詞作曲をしているわけではないので、本人たちが何を考えようとも、作編曲は委嘱しないといけないし、演奏は誰かに任せなきゃいけない、ミックスも日本のエンジニア頼り…というわけで、カバーでなければ当時のJポップのクリエイターのレベルや傾向に収束してしまうという事なのかも知れません。でもこれでサーカスの音楽が止まったかというと…続きはまた次回!


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『サーカス / ワンダフル・ミュージック』

CIRCUS WONDERFUL Music 日本の代表的なコーラス・グループのサーカスが1980年に発表した3枚目のオリジナル・アルバムです。このアルバムはニューヨーク録音ですが、やっぱり前作で「クロスオーバーをやるなら今の日本のアレンジャーとプレイヤーじゃ駄目だ」と思ったのかも。まああんあ雑なアレンジじゃ、そう思ったとしても仕方ないかも知れませんね(^^;)。

 アルバムタイトルになっている曲「ワンダフル・ミュージック」を聴くと…おお~アレンジも演奏もミックスもメッチャクチャ洗練されています。今でも通用するレベルじゃないでしょうか。演奏もただの繰り返しにならないよう起承転結がついてドラマチックになってます。アレンジャーはマイク・マイニエリ…フュージョンが肌に合わなかったもんで僕は聴いてこなかったミュージシャンですが、アレンジ能力が日本制作のセカンド・アルバムとは雲泥の差だわ、やっぱりこういうのをやるにはまだアメリカとは差があった時代なのかも。

 クロスオーバーばかりでなく、思いっきりディスコな「.ミッドナイトフリーウェイ」、70年代昭和歌謡風の「去りゆく夏」などなど、なかなか多彩なアルバムで、『ニュー・ホライズン』とは比較にならないほど完成度の高いアルバムでした。完成度で言えば、このアルバムか『Cool Love』のどちらかがサーカスの最高傑作じゃないかと。
 でも売れるかどうかは別物、サーカスはこのアルバムでアルファ・レコードを離れちゃうんですよね。何曲もヒットを出したし、移籍することなかったと思うんだけど、ワーナーの「海外で存分にレコーディングできる」の口説き文句にやられたとか、そんな感じだったのかも知れません。この時代、外資系のレコード会社としてワーナー・パイオニアが登場して、洋楽志向の日本のミュージシャンがこぞってワーナーに移籍したんですよね。。


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『サーカス / ニュー・ホライズン』

Circus New Horison 日本の男女4声コーラス・ユニットのサーカスのセカンドアルバム、1979年発表です。デビュー当時は全曲カバーだったサーカスが、このアルバムからオリジナル曲を持つようになりました。サーカス最大のヒット曲「アメリカン・フィーリング」が入っているのもこのアルバム。ちなみに、「アメリカン・フィーリング」の作曲は小田裕一郎さん、編曲は坂本龍一さん小田裕一郎さんというと、石川優子「クリスタル・モーニング」、松田聖子「青い珊瑚礁」「裸足の季節」、杏里「キャッツ・アイ」、そして映画主題歌では「地球へ…」「汚れた英雄」あたりが有名。そんなわけで、アイドル歌謡のライターというイメージでした。そして教授…じゃなかった坂本龍一さんは、この曲で編曲賞を取って、一躍売れっ子に。サーカスだけでなく、作曲家や編曲家にとっても大きな一曲だったんですね。

 ところが本作、ファースト・アルバムのような感動はありませんでした。理由は何か考えてみたところ、単純にいい曲が少ないのかも。聴きどころをきちんと考えて作られた曲は滝沢洋一曲/佐藤博編「フライ・アウェイ」だけでした。「アメリカン・フィーリング」はいい所もあるけど、アレンジも歌詞もちょいとダサいんですよね。。でもファースト・アルバムは名曲を選んでるんだから、曲でファーストに勝てないのは仕方ないのかも。
 ふたつめの理由は、アレンジや演奏がショボかった…。アレンジに関して言うと、アレンジと言えるところまで届いておらず、スタジオ・セッションで済ませた曲が多く、男女4声という武器も生かし切れていない感じ。ファースト・アルバムでアレンジを担当した前田憲男さんがどれだけ優れていたか痛感。セッションも、ただ演奏しているだけ、みたいな。リズムもいいし演奏にこれといった傷もないんですが、どこで曲を盛り上げるか、どこでヴァリエーションにするか、そういうのを考えずに演奏してる感じ。音楽が演奏のせいで平たくなってしまっているんですね。

 でもアレンジャーは坂本龍一、佐藤博、鈴木茂、前田憲男。プレイヤーは坂本龍一、佐藤博、細野晴臣、大仏さん、ポンタさん、高橋幸宏、斎藤ノブ、ジェイク・コンセプション。今からすれば錚々たるメンツでした。70年代末、サウンドは見事に洋楽に追い付いたけど、アレンジをはじめとした音楽能力は、日本の一流スタジオミュージシャンでもまだまだ実力不足だったという事かも。サーカスという素晴らしい素材を制作陣が活かし切れなかったアルバム、みたいに感じてしまいました(^^;)。


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『サーカス / サーカス1』

Circus_Circus1.jpg 1978年発表、日本の男女混声コーラスの草分け的なグループであるサーカスのデビュー・アルバムです!70年代後半で女2男2のコーラスなので、当時はABBAを連想していましたが、音楽性はディスコなアバと違ってクロスオーヴァー調。つまり、ABBAじゃなくてマンハッタン・トランスファーだったんですね。21世紀に入ってから何十年も経過した今ですら、サーカスをこえるJポップのコーラスグループってあまりないんじゃないかと思うほどの素晴らしさなのでした!

 このアルバムはなんといっても「Mr.サマータイム」。当時も素晴らしい曲だと思っていましたが、いま聴いてもビックリ!昔も大好きだったけど、ここまでいい曲とアレンジだったっけ。。しかもメインヴォーカルがうますぎ、最初の「Mrサマ~タ~イム、さが~さないで~」のためた歌を聴いただけでゾクゾク。
 ところで、クレジットを見て気づいたんですが、「Mr.サーマータイム」ってカバーだったんですね。オリジナルは、フランスのシンガーソングライターのミシェル・フーガンの「UNE BELLE HISTOIRE」という曲だそうです。そしてアレンジは前田憲男…管弦楽法もジャズのビッグバンド・アレンジも修めた人が本気でクロスオーヴァーに手を出したら、そりゃいいものになるわけですね、これは凄い。。

 他も見事な曲が多かったです。このアルバムは全曲カバーですが、選曲が大人。バリー・マニロウにボズ・スキャッグス(「We’re all alone ふたりだけ」を何と日本語化!)、こういう所は当時の最先端のサウンド。でも英米一色にならずにフランスのミシェル・フーガンが2曲。これでセンスが数段あがった感じですが、でもこれだけだと洋楽かぶれなハコバン上がりなのかなと思いきや、大橋節夫に吉田美奈子に大瀧詠一さん、アレンジはすべて前田憲男さん。これで名盤が生まれないはずがないです。

 日本の流行歌が洋楽の丸コピー一辺倒になったのって70年代中ごろを過ぎたあたりからでしたが、このあたりでついに本家と戦えるレベルに来たグループが出始めた感じ。時代が古き良き日本文化を消していく過程は寂しさも感じますが、でもこういう素晴らしい音楽を聴いてしまうと、失うだけでなく素晴らしいものも得たんだなと思いました。荒井由実さん、山下達郎さん、サーカス、矢沢永吉さん…70年代後半から80年代前半って、洋楽志向系のJポップが最も高いレベルに届いていた時代だったんじゃないでしょうか。これは大推薦です!


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『ノルウェー西南部のセーテスダルに伝わるハルダンゲル・フィドル・コレクション Genuine folk music from Norway』

Genuine Folk Music From Norway TopicのCD『Folk Music of Norway』ではハーダンガー・フィドルと書かれていましたが、このCDではハルダンゲル・フィドルなんて訳になってます。というわけで、これもノルウェーのフォークミュージックのCDです。昔、ミュージック東京という会社が、輸入盤に日本語解説と帯をつけて日本で民族音楽のCDを販売していた事がありましたが、僕が買ったのはそれ。

 CDのやたら細かい日本タイトルからするとハルダンゲル・フィドルの演奏だけが入ってるかのようですが、実際には口琴のソロ、無伴奏の民謡、な~んてものも入ってました。ヴァイオリンとの差は共鳴弦を持つ事で、ノルウェーの西南部では今も使われているけど、北東部では普通のヴァイオリンが演奏されてるんだそうです。ハルダンゲル・フィドルは通常4つのフォーク・ダンスの伴奏として演奏されるそうで、その4つとは「ガンガル」「スプリンガル」「ハッリン」「ルッル」というんだそうです。このCDに入ってたのはガンガルみたい。それにしてもダブルストップ上等のこの演奏、間違いなくすごいテクニックだよな。。ちなみに、このCDでフィドルを演奏していた人は3人で、アンドレス・K・リスタード、トルレイヴ・H・ビョルグム、ハルヴァルド・T・ビョルグ。どれもうまくて誰が誰だか分かりませんでしたが、3人ともハルダンゲル・フィドルの名手として現地では恐ろしく有名な人なんだそうです。

 このCD、録音がまるでホール録音みたいに残響がいっぱいで、なんだか隠し録りのブートレグみたい(^^;)。演奏自体がバカテクの連続なのですが、こういう音だと音色表現が分かりづらいと思ってしまう…。クラシックのCDにこういうのって普通にあったりしますが、それって観客の位置から聴こえる音をリアルに再現とか、そういう意味なのかな?


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『Folk Music of Norway』

Folk Music Of Norway 幼いころ、北欧に憧れた事があります。バイキングのアニメや絵本を観たからなんですが、白夜があって、雪と氷の世界で、神話があって、クラーケンが出て…時代もゴチャゴチャ、現実と神話も入り乱れたデタラメなイメージでしたが、そういう世界だと思ってました。中学の時の社会の先生がノルウェーを「ノールウェイ」と発音していまして、その時に、「あ、なるほど、スカンジナビア半島の北側の道のように細い国だから、北の道という意味の国名なのかな」なんて思いました。本当にそうかどうかは分からないですけど。というわけで、これはノルウェーの民俗音楽のCDで、TOPIC原盤。フォークミュージックというタイトルだから、無伴奏の民謡か何かの楽器の弾き語りと思ってたんですが、意外にもインストが多かったです。

 おおお~、これは本当にノルウェー独自のフォークミュージックという感じ、ドイツやオーストリアの音楽とは違った世界観でした!フィンランドやバルト3国のフォークミュージックや、ロシアのある時代のクラシックを聴いても、僕には西ヨーロッパの音楽との差が分からないものが多くて、それぐらいゲルマン文化の影響が強かったという事なんでしょうが、ゲルマン文化は西谷東には広がったけど北には届かなかったのかな?
 東欧や北欧の素朴な民謡という空気感がビシバシあって、舞曲っぽいものがそれなりにあって、でも東欧の民謡に比べるとかなり透明感がありました。この透明感は口ではなんとも説明しにくいですが、クラシックでも北欧ジャズでも、あるいは家具でも、北欧のものって無駄がなくてスッキリしている感じがあるじゃないですか。あんな感じです(どんな感じだ?)。

 いちばん目立ったのはフィドルの演奏でした。この地方のフィドルはハーダンガー・フィドル(現地ではハルディングスフィーレ。その他、他の呼び方もあるみたいなんで、次回のCDの感想文も参考にしてね^^)というものだそうで、アルバムのジャケットに写ってる楽器がそれ。共鳴弦もついてるそうです。16世紀にはすでにあった楽器だそうです。いちばんポピュラーなチューニングはADAE(共鳴弦はDEF#A) だそうですが、これって日本の琵琶もこんな感じじゃなかったでしたっけ?なるほど弦楽器って初期のものになればなるほど基調を大事にする音楽を反映したような構造をしてるんですね。基本的に独奏なんですが、ダブルストップが大前提みたいで、素朴てスッキリしてるのに、実はものすごいテクニックを要するんじゃないかという気がします。
 そして、このCDに入ってる3曲目「Rotnheimsknut」4曲目「Gangar Etter Myllarguten」22曲目「ミラールグルッテンの結婚行進曲」は、グリーグが「スロッテル」作品72で取りあげた曲だそうです。なるほど~!

 一方の歌。歌は基本的に無伴奏の独唱。なるほど、東方正教会やバルト3国の合唱音楽が無伴奏ですが、そういう伝統がヨーロッパの寒い地域にはあるのかな?スウェーデンも無伴奏独唱だったしな。男声も女声もありましたが、ファルセットで歌う女性の歌の透明感がスバらしかった!

 個人的に、音楽としていちばん素晴らしく感じたのは、18~19目の2曲だけ入っていたランゲライクというツィター属の楽器の独奏。フィンランドのカンテレにムチャクチャ感動したばかりですが、これはまさにあの匂い。音が重なって、こんなに美しく鳴り響いてしまうところに音楽の魔術を感じます。これはいい…。

 他には、いかにも村のお祭りのためみたいな、たくさんのフィドルとアコーディオンとギターとコントラバスでの舞曲なんかも入っていて、ノルウェーを雰囲気を満喫できるCDでした。北欧の伝統音楽、素晴らしいっす。これもオススメ!


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『Lockrop & Vallåtar | Ancient Swedish Pastoral Music』

Lockrop and Vallatar _Ancient Swedish Pastoral Music スウェーデンの伝統的な民謡のCDです。もともと1949年から64年までに録音された音源がLPでリリースされていたそうで、CD化の際に95年の民謡際のパフォーマンスが追加収録されたんだそうです。そうそう、アルバムタイトルにも入っている「パストラル」とは、羊飼いが羊の食料を求めて移動しながら生活するそのライフスタイルのことで、クラシック音楽だと、この羊飼いのライフスタイルを描いた曲を「パストラル」と呼ぶことがあります。

 うわあああああ、めっちゃくちゃ幻想的だ、魂が雪の世界に移動しちゃいそう。。無伴奏での独唱、1本だけで幻想的なフレーズを歌う角笛、白樺の樹皮の笛、放牧の呼びかけなど、どれもソロでの演奏で、素朴で透明感があって、これは雪と氷の世界の音楽だと感じました。この音楽を聴いて、「暑い地域の音楽か、寒い地域の音楽か」と訊かれたら、100人が100人とも寒い地域の音楽と答えるでしょう。
 そして、同じ単旋律の歌にしても、白人系のものとイヌイット(それともサーミ人?)のものに分かれているように感じました…完全に僕の想像ですが(^^;)。。透明感あふれる声で奇麗に発生する歌と、喉を鳴らして遊ぶような歌があるんですよね。で、後者は後ろで何となく動物につけているベルみたいなものが鳴っている音がしました。
 そして、まるで10ccの「I’m not in Love」並みの凄い長さのエコーが響いている歌がいくつかあるんですが、これって氷穴かどこかで歌ってるんでしょうか。マジで、最初に跳ね返ってくる音まで1秒ぐらいあるように聴こえるんですが…音速って約340mだから、最短の反射だとして壁まで170mぐらいの空間という事か、凄い。マジで幻想的で背筋ゾクゾクくるんですけど。。

 笛にしても歌にしても基本的に無伴奏の独唱(独奏)でメロディを作る感じなので、現代の分厚い音楽に慣れた人には最初は違和感があるかも知れませんが、10分も聴いているとオーロラや氷壁まで見えてきそうなこの音の虜になるかも…僕はなりました(^^)。。マジで感動した、これはおすすめ!


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『Ritva Koistinen / FROM THE EASTERN LANDS』

Ritva Koistinen FROM THE EASTERN LANDS カンテレ奏者リトヴァ・コイスティネン(ジャケット裏に写ってる写真を見ると、ものすごく品のありそうな女性です^^)による、カンテレの曲を伝承曲から現代の新作まで幅広く取り上げたCDです。レーベルは、フィンランドの音楽ばかりを紹介している「FINLANDIA」。このレーベルってフィンランド政府の援助があるのか、日本盤がけっこう出てます。日本盤のタイトルは「白夜の響き~神秘の楽器カンテレ」。そして…これは鳥肌もの、なんと美しい音楽か!!

 カンテレは、ツィター属(琴みたいなやつ)のフィンランドの民族楽器です。CDで聴く限りではスティール弦が張られていて、ギターみたいにフレットを押さえて演奏するのではなく、ハープみたいにすべてのノートに対応した弦が張ってあります。これを指で演奏するそうなのですが、音がものすごい美しい!両の指を使えるので、ピアノ並みにたくさんの音を同時に使える!こんなすごい楽器がメジャーじゃないって、フィンランドが政治的に風下に立った国だとか、多弦楽器の宿命でプロレベルの演奏をできる人が極端に少ないとか、なんか事情があるのかも。音と音楽だけでいえば驚異の楽器でした。

kantele.png 肝心の音楽は、このCDに入ってる曲は、いかにも民族音楽的な特殊な音階が使われる事も少なく、ちょっともの悲しげなものが多かったです。フィンランドに限らず、北欧の民族音楽って、東欧のものよりも洗練されてる感じがするんですよね。西欧より遠いはずなのに不思議。これが…なんというんでしょうか、シベリウスの音楽なんかもそうですが、何が違うかと言われるとよく分からないんだけど、独特の透明感を醸し出していて、湖だらけのフィンランドの音楽に妙にマッチして聴こえました。厳しい冬の世界ではなくて、ピリッと寒い湖や森の中に妖精が飛び交ってるような。不協和音どころか不完全協和音すら避けるのは、この民族音楽や民族楽器の背景にあるものが、美しさを念頭に置いてるからなのかも。

 修道院や教会関係の音楽でも、近くのバルト3国やウクライナに残っている正教会系の重奏な感じはなくてどこか暖かさを感じます。また、舞曲ですら跳ね飛ぶ楽しさより独特の美しさが際立つ感じ。そして、フィンランド民謡の研究は、フィンランドの多くの作曲家や民謡研究家が発掘してコレクションして来たそうで、残されたそういう曲もいくつか演奏していたのですが、これもまた素晴らしい。
 今って、プロのミュージシャンが一般の人のために書くプロ曲が多いじゃないですか。でも、民謡ってそういうものじゃなくって、普通に過ごしてる人が、生活の余暇の中で、自分たちの楽しみやお祭りやダンスのために作ったものが多くて、「こうすれば他の人が歓ぶんじゃないか」より「こうした方が自分は好きだ」と、あくまで自分の美感を優先させている感じで、音に嘘がないというか、音に変な妥協を感じません。そこが本当に素晴らしいと感じるんですよね。しかもフィンランドのカンテレの場合、これがプロ顔負けの超高度な楽器なので、そのへんの英米ポップスでは足元にも及ばないほど曲も演奏も高度でした。これはゾッとするほど美しく、演奏も見事な音楽でした。う~ん素晴らしい。。


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『北欧の歌~フィンランド民謡の花束 タウノ・サトマー指揮、カンドミノ合唱団』

HokuounoUta FinlandMinyou no Hanataba 混声合唱でのフィンランド民謡のCDです。民謡と言っても作曲家が書いたものもあったり、カレワラの詩を使ったもの、夏至祭などの祭りで歌われるものなど、フィンランドの伝統的な音楽や有名な音楽なら何でも取りあげてるみたいでした。

 1曲目はカンテレが伴奏、これは独特でスバラシイ!でもカンテレ入りは1曲目だけで、あとは無伴奏の混声合唱。カンドミノ合唱団の事を僕はよく知りませんが、素朴で良い感じの混声合唱団でした。音楽はあまり北欧とかフィンランドという感じはしなくて、ドイツ/オーストリア音楽的に感じました。そういう事もあってか、トラップ・ファミリーの合唱を聴いてるような気分(^^)。クラシックを含め、フィンランドの音楽って、西ヨーロッパの音楽との差はほとんど感じません。毒っ気がない、シンプルで清廉としてる感じがする…みたいな事はあるにせよ、でこ「これ、オーストリアの音楽だよ」とか「スイスの音楽だよ」とか言われたら、まったく納得してしまう感じ。フィンランドの音楽を理解するには、もうちょっと色々聴かないとまだ理解できないかな…。

 レーベルはフィンランディア。ゲンナリするほどダサいジャケットとアルバムタイトルですが、内容は素晴らしかったです。それだけに、ジャケットやタイトルにもう少し気を使ってほしかったです(^^;)。作り手側の「やる気」って、こういう所にも出ると思うんですよね。。


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『John Coltrane / Olé』

John Coltrane Ole 1961年録音、ジョン・コルトレーンのアトランティック最終作は、エリック・ドルフィーを含むセクステットです!3管編成で、トランペットにフレディ・ハバード、曲によってはベースがふたり(!)のセプテットになっていて、これは完全にImpulse移籍第1作『Africa Brass』とかぶったメンツ(^^)。そうそう、ドルフィーは、ここでは名前を変えてクレジットされてますが、きっとマッセイホールのチャーリー・パーカーみたいに、他のレーベルとの契約の問題があったんでしょうね(^^;)。というわけで、コルトレーンとドルフィーの共演盤という事で飛びついた1枚でしたが、実はどんなレコードだったか全然覚えてない(^^;)。というわけで、久々に聴いてみよう!

 テーマでホーンアレンジをしているわけではないので、あんまり3管という感じはしませんでした。そして、タイトル曲「オレ」は、思いっきりフラメンコ調、フリジアンです。でも、ワンスケールで全然コード・プログレッションしないからつまらない(^^;)。まったくコード進行しない曲を18分続けて演奏されてもな…。順番にソロを回すだけでなく、大楽節でもなんでも作って曲として面白くすれば良かったのに。ミの旋法はそれ自体が強烈なキャラクターを持っているので、ただ使っちゃうと「ああ、フラメンコみたいなのやりたかったのね」で終わっちゃうところがあって、それを乗り越えて個性や独自性を表現するのが難しいのかも知れません。マイルスもギル・エヴァンスもミンガスも同じ失敗をしてますし(^^;)。また、演奏がただスケール・プレイしているだけみたいに平坦で、盛り上がりませんでした。
 次の「ダホメイ・ダンス」も、月並みなコード進行の上で順番いアドリブを披露するというもので、個人技を堪能する分には楽しいけど、音楽としては並以下かな…。
 唯一面白かったのは、テーマで3拍子とフォービートが交錯するバラード「アイシャ」。マッコイ・タイナー作のモード曲なんですが、フレディ・ハバードのソロもいいし、良かったです。でも、この1曲だけにお金を出すのも何となくもったいない気が(^^;)。

 せっかくドルフィーとの初共演盤だというのに、やっつけ仕事っぽくて残念でした。マイルスのマラソン・セッションの4枚みたいに、プレスティッジとの契約を消化するためだけに終わらせただけみたい。だって、このレコードの前は『ジャイアント・ステップス』でコルトレーン・チェンジを披露、『マイ・フェイバリット・シングス』ではモード、『プレイズ・ザ・ブルース』では独特のブルース解釈。次の『アフリカ・ブラス』では管楽器アンサンブルを聴かせるのに、このレコードは…。


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『John Coltrane / Plays the Blues』

John Coltrane Plays the Blues 名盤扱いされることの多い『My Favorite Things』と同じセッションから、ブルース曲だけを集めたのがこのアルバムです。というわけで、これも60年の録音。

 ブルースって言葉はなかなか使い方が難しくて、音楽ジャンルでいうブルースは合衆国の黒人音楽のアレだし、日本の戦後歌謡でいうブルースはアンニュイな曲をブルースと呼んだりしますが、ジャズでいうブルースは、ブルース進行するかブルース・スケールを使ったら、ブルースと呼ぶ事がほとんどです。黒人音楽ブルースやその派生系のロックを聴いたりやったりしていると、こんなに簡単に演奏出来る音楽もない…な~んて思ってしまうんですが、これがドミナントの動きを中心にしたモダンジャズの世界で演奏しようとどうなるか。深く書くときりがないですが、一例をあげると、たとえばCメジャーのスリーコード曲を想定すると、ふつうはトニック構成音がC,E,G,H じゃないですか。でもこれを一番ポピュラーなブルース・スケールで演奏すると、EじゃなくってEs、HじゃなくてB、ついでにF#なんて音も出てきちゃう、とっても斬新な音楽になります。これをロックやブルースみたいな少ない音で処理するなら、「細けえことはいいんだよ」精神で押し切れたりするんですが、ドミナント・モーション基調に発展したジャズの世界でアドリブしようとすると…それがこのアルバムの価値なわけです(^^)。メジャーブルースとマイナーブルースでも違うし、それぞれにモードも使えてしまいますしね。面白いのは、どちらもペンタ・スケールが使える事です。これは管楽器には嬉しいでしょうが、ピアニストには迷宮の入り口。

 後年のコルトレーンは「フリージャズの闘士」みたいなイメージもありますが、実際にはアドリブのためにひたすら研究を繰り返した学者肌の一面を感じます。例えば、4曲目に入ってる「Mr. Day」なんて、僕にはG♭sus とB♭sus の交換に聴こえます。5曲目「Mr. Syms」は、マイナーブルースとメジャーブルースの交換。どっちも、通常のブルースチェンジだけでない可能性を追求してるんですよね。

 ロックやモダンジャズのリスナーには「ブルースかよ」と思われてしまうかも知れませんが、ジャズ屋にとってブルースは鬼門のひとつ。特にピアニストは、うまく処理しないと和音とスケールがきたなく衝突して聴こえたりするので、バップ系統ジャズとは別に「ブルース」というジャンルをマスターしないといけないほど。アール・ハインズやマル・ウォルドロンあたりの演奏するブルースでいる間は良かったんでしょうが、モダン以降のジャズ・ブルースをやりたい人は、このアルバムを聴かずに済ませることは不可能というほどの超重要作。ただ音楽を聴いて楽しみたい人にも、ちょっとでもボっとしてたらこれが全部ブルース曲なんて信じられないほどバラエティに富んだ面白い音楽に聴こえると思います(^^)。「『My Favorite Things』のアウトテイク集でしょ?」な~んて軽く見たらいけない、なぜか評価が低いけどムチャクチャ素晴らしい1枚だと思います!


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『John Coltrane / My Favorite Things』

John Coltrane My FavoriteThings フュージョン登場以前、ハードバップ以降のジャズジャズ・アルバムって、1~2曲だけ挑戦的な演奏や曲を入れて、あとはバラードやスタンダードで埋めるものが多いです。もちろん、目玉になる曲もないアルバムだってたくさんあるんですが、ジョン・コルトレーンは看板曲を必ず入れるパターンでした。『Coltrane』では「Bakai」のアレンジ、『Soultrane』では「Russian Lullaby」の超高速プレイ、『Giant Steps』では同曲のコルトレーン・チェンジ、みたいな。そして、1960年録音(発表は61年)のこのアルバムでは、「My Favorite Things」のモード演奏がそれ。メンバーは、ピアノにマッコイ・タイナー、ドラムにエルヴィン・ジョーンズと、黄金のコルトレーン・カルテットのメンバーがほぼ揃っています。ベースだけはスティーヴ・デイビスで、ジミー・ギャリソン加入はもう少し後です。

 コルトレーンは、普通のフレーズを演奏するのが苦手。音は汚いリズムは悪い、アーティキュレーションなんてあったもんじゃない、クラシックだったら即クビですね(^^;)。このアルバムでの「My Favorite Things」や「Everytime We Say Good-bye」のテーマのぶっきらぼうな演奏なんて、ちょっと聴いてられない。。コルトレーンのテーマ演奏が終わって、マッコイのピアノ・アドリブに入った時の安心感ったらないぐらいです。でも、アドリブに入った途端にすごい!この異様なまでの集中力、これだけのアドリブを取れるようになるまでにどれだけ練習を積んだんだろう…。「My Favorite…」だけでなく、「Summertime」のアドリブも絶品です。別の角度から言うとこの頃に流行ったコード・プログレッションの薄いモード曲って、管楽器奏者には熱く瞬発力のある演奏をしやすかったんでしょうね。逆にピアニストは、あまりにコードが進行してくれない曲だと伴奏が手詰まりになって困っちゃうんですけどね。。逆jに、ハービー・ハンコックがやっていたようなモードだとピアニストは色んな和音を作り出せるのでワクワクですが、管楽器奏者は大変なんだろうなあ。そうそう、「Summertime」は、実はマッコイのピアノがすごい…というのは、ピアノ贔屓かな(^^)?

 コルトレーンは、この録音をする少し前に、マイルス・デイビスのグループを脱退して自分のバンドを作る事に集中したそうです。そしていきなりマッコイにエルヴィンという、モダンジャズ屈指のプレイヤーを二人もつかまえちゃうんですから、コルトレーンの音楽に魅力もあったんだろうし、またコルトレーン自身もいい目をしてたんでしょう。これはまだ古いジャズの匂いが残っているアルバムですが、当時のジャズを牽引したアーティストの好盤のひとつだと思います。ロックを卒業して、ジャズにのめり込んだ大学時代から社会に出てしばらくは濃い時間だったなあ。辛かったけど、今思えば充実してもいました。その頃によく聴いたコルトレーンは、僕の青春の重要な一部分です。


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『John Coltrane, Don Cherry / The Avant-Garde』

John Coltrane Don Cherry_AvantGarde 1960年の録音セッションで、ピアノレス・カルテットです。メンバーは、ジョン・コルトレーン(sax)、ドン・チェリー(tp)、チャーリー・ヘイデン(b)、エド・ブラックウェル(dr) 。というわけで、オーネット・コールマンのグループのサックスをコルトレーンに差し替えたバンドですね。1曲目のブローイング・コーラスもドン・チェリーが取るし、5曲中4曲がドン・チェリーかオーネット・コールマンの曲だし、コルトレーンはゲスト的な扱いだったんじゃないかと。それにしても、8分音符をボンボンと叩きつけてグイグイ進んでいくチャーリー・ヘイデンのピチカート、かっこいい。。

 いやあ、1曲目でのコルトレーンのアドリブが強烈!!若い頃の僕は、フリージャズ時代のコルトレーンが大好きだったんですが、いま聴くと黄金のカルテットを組む以前からアドリブ・ソロが凄いんですよね。初リーダー・アルバムの時点ですごかったもんなあ。

 ドン・チェリーのソロもキレッキレでした。ピアノレスのウォーキンベースだから一直線なスケールアドリブになってもおかしくなさそうなのに、けっこうツーファイブフレーズとか出てくるんですよね。ドン・チェリーはフリージャズやちょっとエスニックな音楽方面で有名ですが、メインストリームなジャズをきっちりやってきた人だったんだろうな、と思いました。

 初期フリージャズのプレイヤーとコルトレーンの絡みは、セシル・テイラーとこのアルバムが有名ですが、どちらもフォームを持った曲をより自由に演奏しているのであって、どフリーではなくあくまでもジャズと感じました。ビバップ以降のジャズは、プレイヤー音楽という傾向が強くなって、楽理に従うのではなく、どれだけアドリブで個人や自分の感情を表現する事が出来るか…みたいな視点で生まれた音楽なのかな、な~んて思いました…ああ、また小学生みたいな感想になってしまった。。


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『John Coltrane / Giant Steps』

『John Coltrane_Giant Steps』 1959年、アトランティックにレーベルを移してのジョン・コルトレーン第1作は、いきなりモダン・ジャズ衝撃の1作となったジャイアント・ステップスです!はじめてこの曲をやらされた時、僕はコルトレーン・チェンジという和声進行を知らずに撃沈。和声構成音をなんとか押さえるばかりで、流暢なアドリブなんてとうてい無理。。でもそんなお茶を濁すような演奏がバンマスにばれない筈もなく、「コルトレーン・チェンジも知らないのか」な~んて、とっても怒られたのでした。あれはマジで落ち込んだなあ…昔の事だ、もう忘れよう。。

 大ざっぱに言えば、多くのジャズの曲は、スリーコードとドミナント進行、あとはその代理コードと転調で出来ています。ところがこのアルバムに入っている「ジャイアント・ステップス」や「カウント・ダウン」は、長3度で進行していくのです。これをコルトレーン・チェンジというんですが、「ジャイアント・ステップス」でいうと、その3つのコードはB、G、E♭。これにそれぞれV7なりⅡm7-V7 がつくので、B | D7 G | B♭7 E♭| Am7 D7 G |…みたいな。コルトレーン・チェンジ初体験だった僕は、こんな高速の連続転調でのアドリブで、真面目にチェンジしてたんですよ。当然あんなアップテンポで間に合うはずもなく撃沈。次に、トニックだけ演奏したらカッコ悪すぎて撃沈。次に、要所のドミナントだけ表現して…などなど、とにかく苦労した思い出の曲なのです。

 な~んていうコルトレーン・チェンジが、このアルバムの音楽面での一番目立った価値じゃないかと思うんですが、そういうのを知らなくても、高速にチェンジしながら、フレーズもメチャクチャに速いコルトレーンの「ジャイアント・ステップス」や「カウント・ダウン」での演奏を聴くだけでも、このアルバムは悶絶ものじゃないかと。あ、音楽的に面白いと感じるかどうかは分かりませんよ(^^;)。自分でアドリブした気になって聴かないと、この手のアドリブ至上主義なモダン・ジャズは面白くないので、雰囲気だけで聴いたり、BGMにしたらダメです。意識を集中して、コード譜を頭に思い浮かべて…うわ~やっぱりすげえ!実は、かの有名な「ジャイアント・ステップス」より、「カウント・ダウン」が強烈 (^^)。。そうそう、そっち系の曲と演奏に注目がいってしまう曲ですが、コルトレーン屈指の名バラード「NAIMA」が入ってるのも、このアルバムです。

 晩年は精神性の強い音楽になっていったコルトレーンですが、精神的な音楽をやるにしたって技術や理論がないと、ただのムード一発になっちゃいますもんね。この頃のコルトレーンはアドリブの研究家にして修行僧、「音楽的」なんて事はまったく考えず、ひたすら修練に励むのでした。このCD、僕は聴きすぎてボロボロです…よっぽど悔しかったんだなあ。青春の1枚です。そして、モダン・ジャズを聴く人なら、聴いてないと絶対にダメだし、ステージに立つ人は、はやめに攻略しておきましょう(^^)。。


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詩集『悪の華』 ボオドレール著、鈴木信太郎訳

Aku no Hana_Baudelaire_SuzukiSintaro こちらは岩波文庫版『悪の華』、鈴木信太郎さん訳です。新潮文庫の堀口大學訳がちょっと古めかしい訳文で分かりづらかったもんで、別の訳を買ってみた大学生の頃の僕でした。結果として、こっちも旧仮名づかいだったんですけどね(^^;)。同じ詩集を訳違いで買ったわけですが、詩の翻訳は厳密には不可能と思うので、訳違いを読むのも選択肢のひとつと思うのです。

 明確に「こっちの訳が勝ち!」と言えません、詩による。。例えば、最初の詩「祝祷」の一節を例にとると、堀口大學に一票。

(堀口大學訳)
われ知れり、苦悩こそ唯一の高貴
人界も地獄も、このものは傷け得ずと、
またわれに値する神秘なる冠を編まんには
あらゆる時代、あらゆる国を動員すべきを。


(鈴木信太郎訳)
知ってゐる、苦悩こそは唯一の高貴なもの、
地上も地獄も永久に損ふことはないであらうと、
また、詩人の神秘の王冠を編まうとすれば
あらゆる時間とあらゆる世界に貢ぎ課さねばならないと。


 ところが、最後の方の「芸術家の死」では鈴木さん訳の方が良い気がしてしまいました。

(堀口大學訳)
不出来なカリカチュールよ、何度僕は、狂ほしい感興の
鈴を振り立てながら、そなたの下卑た額に接吻したらよいのか?


(鈴木信太郎訳)
そもそも幾度、俺の鈴を鳴らさなければならないのか、
陰鬱な戯画よ、幾度卑しいお前の額に接吻せねばならぬのか。


 要するに、意味が分かりやすい事と、詩の持つ音楽的なリズム感を感じる事、このあたりで僕は訳詩の良し悪しを判断している気がしました。だいたい、原文を読んでないからどれぐらい原詩に近い内容を持っているかは判断できませんしね(^^)。。仮に読んでいたとしても、詩だから逐語訳が正しいとも思えませんし。

 ランボーの詩であれば小林秀雄役という超名訳を持っているのですが、ボードレールは『悪の華』にしても『巴里の憂鬱』にしても「おお、これはいい!これだけあればあとはいいや」という訳に出会う前に通り過ぎてしまいました。まあ、移動時間に読もうと思って本屋で目に留まった文庫本を買っただけでしたからね。。『悪の華』なんて近代詩の代表格だから、探せばきっといい現代語訳も出てるんでしょうね。惜しいのは人生の短さ、他の訳も読んでみたいけど、僕には他の訳を読んでいる暇がなさそう。訳詩集を読むときは、安直にパッと目についた一冊を取るのではなく、いくつかの訳を見比べて厳選してから読むべきだったなあ…おっと、『悪の華』にまったく触れずに終わってしまいました。まあそれは堀口訳の方に書いたからいいか。。もし未来の自分に伝えるとしたら、「読み直すなら堀口大學訳の方が7:3ぐらいの差で良いかも」と言う…かな?


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詩集『悪の華』 ボードレール著、堀口大學訳

Aku no Hana_Baudelaire_HoriguchiDaigaku 「巴里の憂鬱」は散文ぎみの詩集でしたが、「悪の華」はまさに詩集。というわけで、ボードレール唯一の詩集「悪の華」です!僕はランボーでフランス詩に大ハマりして、さかのぼる形でこの詩集に辿り着きました。「悪の華」というタイトルも若い頃にロック魂をくすぐられて好きでしたしね( ̄ー ̄)。

 「巴里の憂鬱」の感想にもちょっと書きましたが、僕にはボードレールやランボーやマラルメが「サンボリスト(象徴派)」と言われる意味がよく分かってません。でも、象徴派と言われている詩人が書く詩には好きなものが多いです。少なくともロマン派詩や叙事詩よりずっと好き。その特徴が何かと言われると、あまり描写的ではなくて、私自身に関わる抽象化された問題(たとえば死とか)を言葉で表現している事かも。たとえば「悪の華」収録の詩でいえば、「憂鬱と理想」の章の超有名な詩77番「憂鬱」の一節などがそうです。

 われは、雨国の王者と、似たり

 で、時としてその言葉が象徴を用いるから「サンボリスム」なのかな、なんて思ったりして。象徴という事は何かの具象を使ってそれそのものでない何かを語るわけですが、その例として、「秋の歌」などでは…

 誰が為の棺ぞ?きのふ夏なりき、さるを今し秋!
 この神秘めく物音は、何やらん、出発のごとくひびく。


 みたいな。でも僕にとって重要なのは、そうした象徴の使い方という詩的技巧ではなく、それで言い当てているものに共感を覚えるのですよね。ランボーほどではないけど、ボードレールの視点もやっぱり凄く好きです。だって、「俺はまるで雨ばかり降る国の王のようだ」って、問題が宇宙でも神話でもなく、「私」なり「人間がどういうわけか抱えている苦悩」だったり「科学なり人文なりが進むにしたがっていつの間にか分からなくなってしまった人間にとっての正しい道」だったりするわけで、それってもろに現代的な問題じゃないですか。だから好きです。それを「誰のための棺だ」とか「雨ばかり降る国の王」と表現するそのセンスがカッコイイ!

 というわけで、ランボーの「地獄の季節」や「イルミナシオン」ほどではないにせよ、「悪の華」は僕が好きな詩集のひとつです。ちょっとタイトルがガキくさいけど(^^;)、でもこういう刺激的なタイトルじゃなかったら若い頃に手に取ってなかった気もするし、悩める青年時代に読むことが出来て良かった詩だと思います。これも実存主義の苦悩の中にある文学群のひとつなんでしょうね。


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詩集『巴里の憂鬱』 ボードレール著、三好達治訳

Pari no Yuuutsu_Baudelaire 高校生の頃にランボーの詩集『地獄の季節』を読んだことで、僕にとっての文学が始まりました。それまでも読書好きではあって、有名な文学作品の幾つかぐらいは読んでましたし、国語は勉強をしなくても常に90点以上だったのに、『地獄の季節』はその程度の国語力では到底かなわないハイレベル。「うわあ、すげえ…」と痺れはしたものの、それはせいぜい修辞法の見事さに対しての感動ぐらいなもので、何を言ってるのかはよく分からず。その後、何度も何度も読み直すうちにだんだん意味が分かってきて、気がつくと常にランボーの詩集を持ち歩くほどになりました。もし音楽よりもランボーとの出会いが先だったら、僕は音楽をやってなかったかも。

 ボードレールはサンボリスム(象徴派)の開祖だなんて言われていて、サンボリスムなんて僕にはどうでも良かったんですがが、ランボーがサンボリスムの詩人なんて言われていたもので、興味を持ってボードレールの詩集に手を出しました。それがこの詩集で、僕が読んだのは三好達治訳です。でも今から読むなら、たぶんもう少し現代の人の訳の方がグッとくるような気がします。ランボーの詩がそうだったんですが、訳詩は翻訳でぜんぜん変わっちゃうんですよね。

 『巴里の憂鬱』は散文詩です。46歳で死んだボードレールはこの詩集を完成させることが出来ないまま死んだ…はずですが、なにせ昔に読みかじった事なので記憶が怪しい (^^;)>。ランボーの代表的な詩集『地獄の季節』と『イルミナシオン』はどちらも散文詩ですが、散文詩の歴史はベルトラン『夜のガスパール』に始まり、ボードレール、ランボーと進化していきます。その次にマラルメやヴァレリーが続くんですが、ランボーが一番かな。『地獄の季節』を読む前まで、僕は詩というのは短くて韻律があって…みたいなものだと思っていたのですが、ランボーを読んでから散文詩の方がいいと思ったんですよね。何故なら、言いたいことを言うためになにも韻律という制約を設ける必要を感じなかったから。しかも、人間の重要な問題を言葉で表現するのに、何も小説のような物語を使うようなまどろっこしい事も必要ないと思うから、「散文」であり「詩」である事は、最高の言語表現ではないかと思ったのでした。そして、『巴里の憂鬱』には、たしかにそういう見事な表現があったのでした。

一切の人々に不平を抱き、私自らにも不満を感じ、いま、夜半の孤独と寂寞の中に、私は私自らを回復し、暫く矜持の中に溺れたいと願う。私が愛した人々の魂よ、私が讃美した人々の魂よ、私を強くせよ (夜半の一時に)

お前は、空の深さをお前の清澄な美しい魂に映しながら、それらを音もなく、悠久無限なる海の方へと連れて行く。―そうして、波浪に疲れ、東洋の産物を満載して、それらが再び故郷の港に帰ってくる時にも、それは即ち、無限の方から、お前に向かって再び帰ってくる、私の豊富にされた思想に外ならない。 (旅への誘い)

 気の合う友人とすら共有できない、自分自身が感じている何かがそのまま言葉にされている…そう思えてならない言葉がこの詩集に書かれていた事は、ランボーの『地獄の季節』や『イルミナシオン』と同じでした。これは人間にとって何が問題となっているかが見えるところまで来た人にしか書けない詩だ、言語化の難しいこの問題を言葉にした俺と同類の人間がいる…というこの感慨。感動しました。サンボリスムとか散文詩というスタイルは何かを言い当てるために必要だったスタイルでしかなくて、そのスタイルを使って何を言い当てるかが重要ですよね。だから、「ボードレールとはサンボリスムのルーツで…」みたいな文芸評論は形式のことを言うばかりで、ボードレールの言語表象なり象徴的な表現が「何」を言い当てようとしたのかにまったく触れていない、と思ったものでした。
 言い当てられている「それ」というのは、実存の問題の事で、私の意味とか、その生き方の正義がどこにあるかとか、そこに達しえない苦しみとか、例えばそういうものの事。ボードレールやランボーの詩に勇気づけられるのは、その問題に触れているのはあなただけではないと思わせてくれることで、しかもそれを日本文学みたいに「あはれ」を表現するところに止まらずに「私」の側の勝利の可能性を模索し暗示してくれている事。「夜半の一時」を例にとれば、「一切の人々に不平を抱」くのは、一般にそうした実存の問題はまだ共有されるほどにまで表面化していないからで、「私自らにも不満を感じ」るのは、私はそこに気づいていながらも出口が分かっていないから、みたいな。こういう人間がまだ解決できていない実存の問題を扱っているからこその詩であって、その詩がサンボリックの修辞法を使っているかどうかなんて本質じゃないと思うんですよね。象徴するところのものが何であっても素晴らしいものであるはずはないんですから。

 でも『巴里の憂鬱』が、「夜半の一時に」や「旅への誘い」みたいな詩ばかりかというと、そうではありませんでした。道化がどうしたとか、自殺した少年がどうとか、ちょっとした短編小説を詩的表現であらわしたようなものが多いのですよね。だから、これはまだランボーの『地獄の季節』や『イルミナシオン』という完成品を生む前に生まれた佳作だ、と感じました。それでも、大量に読んできたたくさんの詩集の中で、最も僕が読みたいところのものを扱っている数少ない一冊だと今でも思っています。


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『The Electric Prunes』

Electric Prunes エレクトリック・プルーンズでいちばん有名な曲は「I Had Too Much To Dream」(今夜は眠れない)じゃないかと思うんですが、これはそれが入ってる1967年発表のデビューアルバムです!

 おお~色んなアメリカが聞こえてくる、これはいい!アメリカのカントリーミュージックやフィフティーズを通過して、67年当時のガレージロックやサイケにいったんだな、みたいな。無理やりレクイエムをやった『Mass in F minor』とかなり違いますが、きっとこれが等身大のエレクトリック・プルーンズに近いんでしょうね。「かなりガレージじゃん!」と気に入ったのを覚えてます。フィフティーズのバラードをさらに幻想的にしたような「Onie」とか、ガレージパンクの攻撃性を感じる「Are You Lovin' Me More, But Enjoin' It Less」とか、メッチャいいです!なるほどこういうのをやるなら、イギリスのビートバンドより、アメリカの方が元祖ですもんね(^^)。

 60年代前半のイギリスのビートルズストーンズとか、60年代中後半のアメリカのサイケ・バンドって、アマチュアの学生バンドっぽいものが多いじゃないですか。エレクトリック・プルーンズもその域を出るものじゃないんですが、でもどこかに不良性があってそこが好き(^^)。この時代のアメリカのバンドにしてはヴォーカルが良いのも特徴で、ヴォーカルはジェファーソン・エアプレインやアイアン・バタフライやステッペンウルフより上を行ってると思います(^^)。大名盤じゃないかも知れないけど、60年代のアメリカン・サイケ・バンドのアルバムの中でもかなり気に入ってる1枚です。


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『The Electric Prunes / Mass in F minor』

Electric Prunes_Mass in F minor 1968年にロサンジェルスのサイケデリック・ロック・バンドのエレクトリック・プルーンズが発表したアルバムです。エレクトリック・プルーンズと言えば映画『イージー・ライダー』の中で1曲流れていた…気がするんですが、実はよく覚えてない(^^;)。というわけで、名前は覚えていたけど印象がイマイチ、さらにレコードなんて見たこともなかったもんで、1968年発表のこのレコードを中古盤屋で見つけた時には逆に「おおっ!」と宝物を見つけたようなプレミア感があったのでした。日本でこのLPを持っている人は多くないんじゃないかなあ(^^)。

 全6曲で、キリエ・エレッソン、グロリア、クレド、サンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュス・デイ…おいおい、レクイエムじゃないか!というわけで、レクイエムの通常文をサイケ・ロックでやるというコンセプトのアルバムなのでした。このアルバムの音楽が良いかどうかはさておき、サイケって同じもののワンパターンじゃない発想が素晴らしい(^^)。いつからロックは全員右へ倣えみたいな音楽になっちゃったんでしょうね、60年代後半のロックは本当に素晴らしいよ。。

 とはいえ、この音楽が面白いかというと…微妙でした(^^;)。レクイエムをロックでやるという発想だけがあって、それをきちんと煮詰めるでも作り込むでもなく、ただやっただけなんですもの。こういう稚拙さがまたアメリカでありロックなんですよねえ。。


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『The Beacon Street Union / The Eyes of the Beacon Street Union』

Beacon Street Union_Eyes of the Beacon Street Union ファイヤー・エスケープ同様、これもサイケ・ブームに乗ってレコード会社側が作ったバンドらしいです、ビーコン・ストリート・ユニオン!僕が持ってる輸入盤LPには録音年が書かれてないんですが、たぶん1968年前後に録音されたみたいです。

 お~なかなかいい!サイケと言っても色々ありますが、これはダークで幻想的なサイケ寄り。僕が好きなタイプです(^^)。オルガンの使い方やリズムの作り方に、初期ピンク・フロイドドアーズを感じる所がありましたが、そこまでディープに感じないのは、演奏があっさりしてるからか、それともバラエティに富んでるからなのかな?このアルバムを売らずに残しておいた昔の僕の気持ちが何となく分かる気がしました、サイケのベスト10には入らないかも知れないけど、ベスト30には入る、みたいな。

 学生の頃にサイケに魅かれたのは、他のロックやポップスに比べて独創性を感じたからでした。ロックやポップスを聞き始めてしばらくすると、みんなアメリカン・ソングフォームでABCとかAABAとかの3コーラスで、ドラムはシャッフルか8ビートか16ビートかしかなかったから、何を聴いても同じと感じてしまって、すぐに飽きたんです。そういうのに比べるとサイケやプログレは当たるにせよ外すにせよ音楽的に面白い所がどこかにあったんですよね。なかでも、サウンドが妖しいとか幻想的とか、そっち方面の物は特に好きでした。
 ビーコン・ストリート・ユニオンはそういうサイケっぽさを感じさせつつ、サイケバンドにしてはなかなかうまい!印象に残る曲が少なかったり、ヴォーカルが素人っぽかったり、弱点がないわけじゃないけど、なかなか楽しいアルバムでした(^^)。サイケ好きな方は、聞き逃すのはもったいない1枚じゃないかと。僕が持ってるのはLPですが、LPのアートワークもけっこう好きです。


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『The Fire Escape / Psychotic reaction』

The Fire Escape Psychotic reaction SONICSBLUE CHEERFARM などなど、サイケでハードでパンクなガレージ・ロックが大好きな僕なので、そっち方面で有名なこのアルバムも当然好きです。これはファイヤー・エスケープという謎のバンドが1967年に発表した唯一のアルバム。電子ピアノ入りのビートバンドで、音はビートルズやストーンズなどのブリティッシュ・ビート系。まだエレキギターやベースやアンプが完成していない時代なので音はショボイですが、演奏がうまい!ライナーによると、スタジオ・ミュージシャンたちが作った企画もののアルバムで、曲はこっち方面の有名曲のカバーなんだそうで。

 なんといっても、途中でリズムが変わり、どんどんアッチェルしていく1曲目「Psychotic reaction」が最高!この曲を聴くためにあるアルバムと言ってもいいぐらい(^^)。あと、ゴーゴークラブ系な音楽では「Trip maker」「Pictures and designs」「Fortune teller」は普通にカッコいいです。サイケ具合でいえば、ドラムが心臓音のようなビートを刻みながら無調でジャムする「Blood beat」はいかにもという感じ。

 ただ、スタジオミュージシャンだからか、無難にそれっぽくまとめた感じがあって、突き抜ける感じがないのが残念な所でしょうか。あと、アルバムが30分ぐらいで終わっちゃうんですが、この時代のアルバムはやっぱり短いなあ、と(^^)。


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『コートジボアール バウレ族コデの音楽 Côte D'Ivoire - Musique Des Baoulé-Kodé』

Cote DIvoire_Musique DesBaouleKode これもコートジボワールの音楽を収録したCDです。フランスのラジオ局OCORAが収録した録音で、現地録音なので、こっちの方がより現物に近いのかな?日本だと、キング・レコードが出した「世界民族音楽大集成」の52巻として出ていた事があります。

 このCDに収録されているのは、コートジボアールの内陸部の中央あたりに住んでいるバウレ族の中の一集団コデ族のパフォーマンスの録音。コートジボアールと言えば、僕的には何にも増して仮面祭とそこで演奏される強烈なパーカッション合奏を思いうかべますが、あれがまさにバウレ族なんですね。ちなみに、バウレ族はコートジボアール最大の民族集団で、バウレ語という言語を持っているとの事。

 バウレ族の仮面祭といえば、ひとつ前の日記で取りあげたCDのように、強烈なパーカッション演奏という印象が強かったんですが、このCDだと集団での掛け合いのような合唱の方が強く感じました。カバサやタムのような打楽器もけっこう鳴ってるんですけど、録音によるものなのか、あまり大人数には感じませんでした。また、ギニアのジェリの猟師のとんでもない精度のアンサンブルに比べると、なんとなくダラ~ッとはじまって、これまたなんとなくダラ~ッと終わる感じで、8割がたアドリブに聴こえました。多人数で演奏される西アフリカの音楽に共通していますが、ステージに立って誰かに聴かせるというものではなく、全員音楽に参加して、自分たちで体感する音楽みたい。というわけで、人に聴かせて楽しませるための音楽ではないだろうから、自分が知らない世界で行われている儀式を覗き見している気分でした。

 僕は民族音楽はスタジオ録音より現地録音の方が好きなんですが、バウレ族の仮面際の音楽に関してはビクター録音版の方が好きかな(^^)。。というわけで、音楽を楽しむという感じではありませんでしたが、自分の知らないアフリカ後の文化をのぞき見したようなドキドキ感を覚えたCDでした(^^)。


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『タムタム・ファンタジー コートジボワール仮面祭の一夜』

TomTomFantasy_CoteDivoire.jpg シエラレオネだけでなく、コートジボワールにも狂乱の仮面舞踊があります。そして、コートジボワールの仮面際の音楽は打楽器アンサンブルが凄すぎ。僕がコートジボアールの音楽をはじめて体験したのは、ヨーロッパのとある演劇祭に同行させてもらった時でした。その音楽祭にコートジボアールのパーカッション隊が出演していまして、それをステージ横から見ていて、あまりの迫力にくぎ付け、ぶっ飛んだ!そして日本に帰ってくるなり買ったのがこのCDでした。そしてこのCD もすごかった!こんなの体験しちゃったら、ロックの8ビートが退屈で聴いてられなくなっちゃうかも知れないので、聴く時には気をつけて下さい(^^)。

 コートジボアールの仮面祭のパーカッション合奏は世界的に有名らしいですが、このCDの演奏もすごかった!このCD、OCORA原盤のコートジボワールのCDと比べると、合唱よりパーカッション合奏を中心に録音しています。音が良くって、この音の良さが迫力でぶっ飛び度が20倍ぐらい(^^)。ただ、マイクを特定の楽器の前に立てたのか、合唱はよく聴こえないし、明らかに聴こえづらいパーカッションの音もありますが、劇場でのライブ録音みたいなので、こういうのは仕方ないんでしょうね。
Cote_dIvoire_Map.gif 演奏のまとまりも段違いでした。この演奏をしているのは「コートジボアール国立バレエ・アンサンブル」というグループで、名前から想像するに国が編成したバレエ団なんでしょう。CDでは仮面劇の舞踊は観る事が出来ませんが、演奏はスコアもアドリブも完璧、パーカッションのアドリブソロの見せ場まで用意してあって、強烈なグルーブの演奏でした。「アイヤッ」「ヒャハアアッ」などなど、煽るように入ってくる叫び声もめっちゃ熱い!3曲目の驚異のパーカッションソロに、いきなり変わるリズム、突如として綺麗に重なるコーラスなど、これは奇跡の演奏。いや~、打楽器合奏を聴くならやっぱり西アフリカですね、すごすぎる!

 コード部分やリズム形、コーラスパートの歌詞など、大きな決め事はあるものの、細かいところはかなりアドリブだったり、複雑なポリリズムになっている所なんかは、そのままジャズに受け継がれていると感じます。それどころか、大人数で作られるポリリズムなので、ジャズよりさらに強烈。これぞ打楽器王国アフリカのリズムの極致、何度聴いてもすばらしい音楽体験でした!これは聴いてるだけでトリップしてしまうわ。。


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『シェラレオネの伝統音楽 Siera Leone: Musiques traditionnelles』

SierraLeone.jpg ギニアの南にある、やはり大西洋に面している西アフリカの国・シェラレオネの音楽です!これもフランスのOCORAの原盤です。OCORAは現地録音という所がいいですね (^^)。

 まず、シェラレオネについて。イギリス植民地だったシェラレオネは、ダイアモンドと仮面(お、すぐ近くのコートジボアールにも通じるのかな?)ぐらいしか知られてない状況ですが、実は文化人類学者ですらよく知らない地域なんだそうです。なるほど、学者が知らないんじゃ、僕がぜんぜん知らないのも無理はないな(^^)。地理は北がサヴァンナ、南が熱帯ジャングルで、南部で農耕が発達しているそうです。この南部農耕地に住んでいるメンデ族とテムネ族で人口の半分を占めるそうです。一方でサヴァンナには最大数のリムバ族のほか、フラ族、マンディンゴ族、カランコ族などなど、イスラム教の遊牧民が住んでいるそうな。このCDは、いくつかの種族の音楽を集めてりました。

 冒頭3曲は、サヴァンナのフラ族の音楽。フラ族はギニアからナイジェリアにかけて住んでいるフラニ族やペウル族と近い関係にあって、音楽家のほとんどがグリオだそうです。このCDに入っていたフラ族の音楽は、何かの楽器を伴奏にした合唱音楽が中心でした。1~2曲目がめっちゃカッコい!!!1曲目、最初、あまりに調子っぱずれなケロナルというリュート属の楽器の音に驚いた!まったく調が分からない、デタラメに聴こえる…でも、その上に歌とコーラスが重なっていくと…おお~これは気持ちいい!シェラレオネは西アフリカですが、南アフリカのレディスミス・ブラック・マンバーソのコーラスに共通するものを感じました(^^)。いや~このあったかさ、メッチャ気持ちいい!!

SierraLeone-map.jpg 4曲目は、最大規模の部族のひとつ・テムネ族の生活を操っている秘密結社(!)のひとつインスルの仮面舞踊の音楽。いや~秘密結社が国のマジョリティの民族集団を先導してるってどういう事だ、しかもグーグルで「インスル」と調べてもヒットしないし。仮面つけての舞踊とか怪しいし。仮面をつけた踊り手はみんなデビルと呼ばれるらしいし。そして、音楽は…おお~これはウッドストックで聴いたサンタナの「ソウル・サクリファイス」みたい、太鼓がドコドコ鳴って、その上で人々が熱狂的に合唱して、扇動的でものすごい熱気!なんとこの舞踊、村人は1週間ぶっ続けで踊るそうです。いや~世界には凄い地域があるな。。

 テムネ族の仮面舞踊の音楽に似ていたのが、8曲目に入っていた北部最大のリムバ族の音楽。これはシエラレオネの音楽の集大成みたいな感じで、打楽器は集団で複雑なポリリズムを作り出していて、声はコール&レスポンスを行っていました。これも舞踊音楽みたいで、やっぱり3日かかる長い儀式の中のひとつみたい。日本の音楽は単純な手拍子が多いのに、アフリカはとにかく集団が複雑に融合します。アフリカの方が、社会の人々の結びつきが強いんでしょうね。日本だと違う家に住んでるけど、アフリカは一緒に住んでいたり、違う家でも、家自体がものすごい近いみたいですし。

 9曲目は、テムネ族を超えてシエラレオネ最大の部族・メンデ族の舞踊音楽。これも秘密結社による音楽らしく、やっぱり「デビル」と呼ばれる仮面をつけた仮面をつけたリーダーが中心みたいです。音楽はカバサを振ってリズムを取って、合唱は同じフレーズをくりかえし、その前でフェイクしまくるメイン・ヴォーカルがコール&レスポンスのような関係を作る感じ。それにしても、カバサがめちゃうまいんですけど。。そして、秘密結社って(^^;)。。

 5~6曲目は、マンディンゴ族の音楽。マンディンゴ族はイスラム教徒の農耕民族で、シエラレオネの他にギニア、ガンビア、コートジボアール、セネガルなどに住んでいるそうです。でも音楽はループする打楽器の上で読誦する物(M5)はアラビア音楽とはまったく違ってアフリカ音楽的、一方でなんとイスラム教徒なのにキリスト教の讃美歌みたいな音楽を英語で歌ってる(M6)!とはいっても、ユニゾンなのであまり讃美歌という感じじゃなかったですが(^^;)。いや~これはしいて言えば仏教徒の日本人が結婚式で賛美歌を歌うようなものかなあ。

 7曲目は遊牧民カランコ族の木琴伴奏による歌唱。歌はメインヴォーカルに何人かがユニゾンで絡み、打楽器演奏は木琴の他に他の打楽器が絡んでいってポリリズムを生み出していました。アフリカはバラフォンとかの木琴系の音楽もよく耳にします。そして、アフリカ音楽で聴くことのできる打楽器集団の生み出すポリリズムはどれを聴いても気持ちいい。。

 シエラレオネについて何も知らない僕ですが、音楽を聴いているだけでも文化がちょっとだけ分かった気になれました。フラ族の怪しいリュート伴奏の前の見事すぎるハーモニーと、テムネ族の秘密結社が先導する狂乱の仮面舞踊音楽が素晴らしかった!!う~ん、西アフリカの音楽がアメリカ大陸の音楽のルーツのひとつになっている事は間違いないな。。

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『ギニアの音楽 Guinée: Les Peuls du Wassolon (La Danse des chasseur)』

Guinee_Les Peuls du Wassolon OCORA原盤の、ギニア音楽のCDです。ちなみにこのCD、日本のキングレコードが「世界民族音楽集成」というシリーズの48巻として出しています。表から見たジャケットが違うのでぜんぜん分からないんですが、まったく同じものなので気をつけましょう!

 ギニアは西アフリカにある西端が大西洋に接する旧フランス植民地で、中央アフリカの赤道ギニアじゃないです。このCDは、ギニアの中でもギニア東部とマリにまたがるあたりにあるワッソロン地方という所の音楽でした。これが、カルチャーショックを覚えるほどの凄さ!鳥肌が止まりませんでした。これはすごいよ…

 1曲目から死ぬほどカッコいい!!カバサみたいな振りもののパーカッションの音、カリンバみたいな音、ブラジルのビリンバウみたいな音、恐らく歌ってる人がついでに叩いているだろうこうした弱音打楽器が折り重なってポリリズムを作り上げ、その上にものすごい高速でラップのように言葉が叩き込まれます。これがコール&レスポンス状に続いて徐々に大きなうねりとなり、ある所まで高揚したところでいきなり合唱!いや~これはすごい、鳥肌が立ってしまったよ。ちなみにこの1曲目はソッソ王国の伝説の英雄スマングル・カンテに捧げられた詠唱だそうで。ソッソ王国をネットで調べてみたんですが…うおお、13世紀じゃないか?!すげえ、生きた歴史の教科書じゃないか…。
 以降も集団で演奏される怒涛の叙事的音楽が続きます。2曲目のヴォーカリゼーションも強烈、その後ろの合唱がまた強烈にカッコいい。3曲目の、全体でストリンジェンドしていく様もすごい。こんなの、そのへんの付け焼刃で作ったようなロックやポップスでは足元にも及ばないではないか。西アフリカって呪術師をはじめとしたプロ音楽家がいたり、打楽器群の音楽が世界最強レベルだったり、ヴォーカリゼーションがこれまたとんでもないレベルだったりしますが、このCDを聴いてその思いをまた強くしてしまいました。
Ginia_Map.gif ちなみに、このCDの驚異の前半部分は、ギニア東部とマリにまたがるあたりに住んでいるワッソロン地方という所の音楽で、ここの人は叙事詩を演奏し歌い踊る事から、「ジェリ」とか「ジェリの猟師」なんて呼ばれてるそうで。彼らは職業分業制社会を形成していて、職業技術や呪術に長けていないとその社会の構成員になれないんだそうで。なるほど、全員とんでもない音楽能力を持ってる理由はそれか。。

 こういう構造をした音楽って、僕の知っている音楽の中だとフリージャズの一部にありますが、フリージャズって、60年代にフランス経由でアフリカ公演を大々的に行った時期があるんですよね。ACTUELというレーベルは、その時の録音をいっぱい出してますが、なるほどあれはアフリカに渡って逆に影響されまくって帰ってきたんだな。。いや~とんでもないカルチャーショックを受けてしまいました。同じジャンルのCDばかり聴いてるのはやっぱりダメですね。それって、似たようなものをちょっとだけ変えて大量に消費させ続ける資本主義の押し売りに嵌められた生活だと僕は思ってて、若い頃の僕もまさにそういう状態だったんですが、やっぱり自分の知らない所にも飛び込んでいった方が良いですね。このCDを聴いている60分間、ずっと背筋がゾクゾクして止まらない状態でした。これは今年の私的名盤ナンバーワン候補か?!しかし…アマゾンだと手に入らねえ!アマゾンって、大量消費財になってるレコード以外は本当に手に入れにくいんですよね(> <)。


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『Mercedes Sosa / Traigo Un Pueblo En Mi Voz』

Mercedes Sosa Traigo Un Pueblo En Mi Voz 若いころは、「あ、このミュージシャンのアルバムは全部聴きたい」と思う事が何百回もありましたがお金がなくて無理。ところが大人になってそれも不可能ではなくなってくると、今度は逆に全部聴きたいアーティストの方が少なくなったりして。そんな中、大人になってから「これは素晴らしい」と、次から次に特定のアーティストのCDを買った経験が何度かあります。ナイジェリアのジュジュのサニー・アデやキューバのクラシック・ギターのレオ・ブローウェルあたりには、どれぐらい散財したでしょう。アルゼンチン・フォルクローレのメルセデス・ソーサもそのひとりでした。ものすごく感動して他のアルバムを買うとそれも素晴らしくて、次のアルバムを買うとそれもまた素晴らしくて…という具合で、気がつけばタワーレコードのその棚1列を自分ひとりで買っちゃってる、みたいな(^^;)。。これは1973年のアルバム。

 いやあ、これも素晴らしかった。なんと形容していいか分からないですけど、ジーンと胸にしみる感じ…。前後のアルバムでいうと、ギター弾き語り的なシンプルな楽器編成の曲が多くて、フォーク的。チャランゴみたいな楽器も使ってるという意味では、70年代以降のソーサさんのアルバムでは、いちばんアンデス系のフォルクローレ的な音をしているかも。それだけシンプルな楽器編成なのに独特の詩情があって妙に物悲しくて、深くて、曲も実によく出来ていて、気がつくといつも聴き入ってしまうのです。音楽に関しては、僕はいい意味でも悪い意味でも決断が速い方で、「あ、これは○○だな」みたいな感想をすぐに持つ方なんですが、メルセデス・ソーサさんの音楽は心をものすごく揺すぶられるのに、それが何かをうまく言い当てる事が出来ません。自分で言葉にしても、なんか自分の感動とちょっと違う気がするんですよね。もしかすると、音楽そのものじゃない所に感動している部分もあるのかなあ。

 こういう歌を聴いていると、英米のポップスやロック、そしてそれに影響されている日本のポップスやロックが、とても子供じみて感じてしまいます。音楽的にはこれよりうまかったり高度な事をやってるものもあると思うのに「子供っぽいな」と感じてしまうのは、詞や音楽の内容や質感がそう思わせるのかも。「うた」とは何かという部分が、ちょっと一段上のレベルの事をやってるのかなあ。。30代、40代と大人になっていくにしたがって音楽を聴かなくなる人って多いと思いますが、大人になって歌を聴きたいと思った方は、メルセデス・ソーサは超おススメ。ただ、スペイン語なので、できれば日本語訳のついている国内盤がオススメ…って、これが少ないのがきついんですけどね(^^;)。


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『Mercedes Sosa / Homenaje a Violeta Parra』

Mercedes Sosa Homenaje a Violeta Parra メルセデス・ソーサ、1971年のアルバムです。アルゼンチンのフォルクローレを代表する69年の大名盤『Mujeres Argentinas』に感動したもので、近い時代のアルバムを探していた時に中古盤屋で出会った1枚でした。そしてこれも素晴らしかった!

 アレンジの比重が強かった『Mujeres Argentinas』に比べると、こっちの方がほぼギター伴奏のみの歌が目立ったりして、シンプルな編成でした。それだけに「あ、フォルクローレだな」という印象はこっちの方が強かったかも。でもアーティストっぽさはやっぱり強くて、1曲目なんて電子オルガンの前でポエトリー・リーディングです。ミュージシャンとかフォルクローレという以上に、メッセージを伝えるプロテストソングを作って歌う詩人でありアーティストという側面が強いのかも。2次大戦後の中南米というと西洋支配からの脱却を目指しての革命に次ぐ革命、そこに軍事政権からの独立が相次いだ時代ですが、そんな中でアルゼンチンでは「新しい歌(ヌエバ・カンシオン)運動」というのが起きて、歌で社会を変革しようという大きな動きが起きたそうです。メルセデス・ソーサもその運動に加わったひとりと見られていて、これが尾を引いて後に亡命せざるを得なくなった、みたいな。そういう意味でいうと、フランスのゲンスブールとかロシアのヴィソツキあたりに近い部分もあるかも。実際、音楽もどこか似た匂いを感じます。詞が分からないというのに「ああ、これは…」と心に訴えるものを感じたのは、中学生ぐらいの時に、詞が分からないのに何となくウディ・ガスリーに感動していたのと似た感覚だったのかも…いい加減ですね(^^;)。。これもスリーコードなんていう単純な音楽ではなく、フォークながら実によく出来た曲で、しかも感情が見事に音に出た感じがする見事な曲でした。

 メルセデス・ソーサさんは、ルックスだけ見るとインディオっぽく感じるので、インディオやアンデス色の強いプリミティブなフォルクローレをやるかと思いきや、かなりスペインやラテン音楽色の強い音楽をやります。哀愁あるラテン音楽にアンデス系のフォルクローレの香りはほんのちょっとだけ入ってる、ぐらいの感じ。「フォルクローレ」という言葉でイメージしない方がいいんじゃないかというぐらいにモダンかつ民族主義的な音楽でした。すばらしい…


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『Mercedes Sosa / Mujeres Argentinas』

MercedesSosa_MujeresArgentinas.jpg クリスティーナとウーゴを聴いて、あか抜けなく単純でネイティブなフォーク音楽と思っていたアルゼンチン・フォルクローレが意外にも高度で洗練されている事を知った僕は、中南米音楽のガイド本を本屋で立ち読みして、有名なアルゼンチン系のフォルクローレ歌手の名前と代表アルバムを片っ端から記憶して帰りました。なにせまだ高校生、小遣いには限度があったのでね(^^;)。そこで知ったのが、1960年代にデビューしたメルセデス・ソーサでした。これは1969年発表(日本のWikipediaには73年と書いてありますがこれは間違い)の、アルゼンチン・フォルクローレの大名盤中の大名盤。フォルクローレといえば「コンドルは飛んでいく」みたいな音楽だと思っていた僕のイメージが大きく覆され、こんなに素晴らしい音楽だったのかと思わされたレコードでした!

 フォルクローレって聴くと、「コンドルは飛んでいく」とか、ユパンキのギターみたいなのを想像するじゃないですか。若い時の僕がそうだったんですが、メルセデス・ソーサあたりになると「コンドルは…」みたいなプリミティブさは微塵もなくて、かなりモダンです。1次大戦前後から2次大戦後まで続いてるイタリアやフランスのフォークな歌曲の系譜ってあるじゃないですか。雰囲気としては、ああいう感じ。思いのほか思いっきり機能和声音楽で、哀愁があって、アレンジはバッチリで、けっこう高度な和声も使ってたりして。だいたい、こんなにピアノやモダン楽器を使った音楽だとすら思てませんでしたし。ものによってはタンゴに近いぐらいの哀愁を感じる曲もあって、リズム以外はなるほど同じ土地の音楽なんだな、みたいな事も感じました。

 これも勝手な思い込みで、メルセデス・ソーサという人は、日本の民謡みたいに音楽はシンプルで歌や声がすごい人なのかと思っていたんですが、自際には真逆。音楽が素晴らしくて、歌はうまいとかすごいという感じじゃなくてハートで勝負する感じ。60年代にしてこのモダンさ、アルゼンチンのフォルクローレをまだ知らない方はまずはここから。必聴です!

追記(2022年2月):
 ちょっとした用があって、久々に聴きなおしたら、またしても感動してしまいました。。この超モダンな雰囲気の影の主役は、作曲を担当したアリエル・ラミレス。ラミレスはアルゼンチンのフォルクローレを現代化した立役者のひとりですが、それもそのはず、ローマやウィーンに渡ってクラシックも勉強してきた人なんですよね。このアルバムに収録されている「Alfonsina y el mar」(アルフォンシーナと海)は、サンバ(ブラジルのSambaじゃなくてアルゼンチンのZamba)を代表する名曲になりましたし、「Dorotea, La Cautiva」(囚われの女ドロテア)や「Juana Azurduy」(ファナ・アスルドゥイ)はラミレスの代表曲にも数えられるようになりました。このアルバム自体が、メルセデス・ソーサのアルバムというより、音楽アリエル・ラミレス&詩人フェリックス・ルナによる戯曲とも言えそうな内容です。8曲すべてがこのコンビの作品ですしね。アルバムタイトル「Mujeres Argentinas」は、翻訳すると「アルゼンチンの女」という意味で、そもそもこのアルバムは8人のアルゼンチン女性を歌った内容なのでした。


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『Eduardo Falú ‎/ Solos de guitarra』

Eduardo Falu_‎ Solos de guitarra 1962年のアルバム『Falú 1962』は、ギター独奏と弾き語りが半々のアルバムでしたが、こっちは完全なギター・インストです。1曲目に「コンドルは飛んでいく」が入ってますが、日本に最初にこの曲を紹介したのって、ファルーの演奏なんだそうです。

 いや~歌が入っていたらまだフォルクローレというのも分かりますが、ここまで来ると、ギターの素人の僕には完全にクラシック・ギターに聴こえます。しかもめちゃうまい。。指の力が強いというか、1音1音ががものすごく明瞭で、タッチもしっかりしていて、ヌルッと弾く多くの日本人クラシック・クラシック・ギタリストと根本的に違う感じ。きっと、もともとの体格とか指の太さとかが違うんでしょうね。

 アルゼンチンに限らず、ブラジルでもボリビアでも、南米ってギターの達人みたいのが各地に普通にいるじゃないですか。しかも、音楽学校に通って職業演奏家を目指すとかじゃなくて、フォークロアの中に普通にそういう人がいるのがすごいです。そして、インスト音楽や器楽曲が普通の文化の中に入り込んでいるという音楽文化の成熟度がすごいと思います。日本なんてまずほとんどが歌音楽だし、インストはプロが会場で人に聴かせるものであって、みんながインストを演奏したりそのへんで聴かれたりなんて全然ないです。ギター音楽って、ドイツ系とスペイン~ラテンアメリカ系がふたつの高い山だと感じますが、フォークロアにしてこういうミュージシャンがいてしまうのが、ラテン音楽やアルゼンチン・フォルクローレの奥深さ。すげえ。でも、このアルバム自体はあんまり僕の趣味ではありませんでした。演奏技術は凄いけど、音楽が面白く感じな…おっと、失言でした(^^;)。僕が本当に好きなアルゼンチンのモダン・フォルクローレとは…それはまた明日!


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Bach Bach

Author:Bach Bach
狭いながらも居心地のいい宿で、奥さんとペット数匹と仲良く暮らしている音楽好きです。若いころに音楽を学びましたが、成績はトホホ状態でした(*゚ー゚)

ずっとつきあってきたレコード/CDやビデオの備忘録をつけようと思い、ブログをはじめてみました。趣味で書いている程度のものですが、いい音楽、いい映画、いい本などを探している方の参考にでもなれば嬉しく思います(ノ^-^)ノ

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ロシアとウクライナがほぼ戦争状態に入りましたが、僕はソ連解体後のウクライナについて本当に無知…。これは2016年にオリバー・ストーン監督が作ったウクライナのドキュメンタリー映画。日本語字幕版が出たらぜひ観たい このブログをYoutube にアップしようか迷い中。するなら作業効率としては早いほど良いんですよね。。その時にはVOICEROIDに話してもらおうかと思ってるけど、誰の声がいいのか考え中
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