マジか、学生時代に胸を熱くしたロック・バンドがまたひとつ消えた…。2021年7月28日、
ZZトップのヴォーカル/ベースのダスティ・ヒルさんが亡くなったそうです。
テンガロン・ハットに長いひげ、酒にロックにライブ漬けの日々…若い頃の僕がイメージしたアメリカの典型のひとり、こういう人生を歩めたらどれだけ幸せだろうと思った人でした。
ZZトップは、自分がロックを聴き始めた頃のアイドル・バンドのひとつでした。友達と一緒に通っていた楽器屋のギターがうまいお兄さんが、「ロック・バンド始めるの?じゃ、メタルやジミヘンみたいに難しいのを最初からやらない方が良いよ、挫折しちゃうから。フォガットやZZトップのライブを聴くといいよ。そんなに難しくないけど、とんでもなくカッコいいから」とアドバイスしてくれました。あの、どちらもキーボードがいないんですけど(^^;)。。
何はともあれあんなにエレキギターの上手いお兄さんが推奨してくれたバンドなので、みんなで聴いてみました。当時リアルタイムでリリースされていたZZトップのアルバムは『Eliminator』で、シーケンサーを使ったようなデジタルなサウンドになっていた頃。これはこれで悪くなかったんですが、HR/HMに夢中だった友人間では「これ、面白いか?馬鹿みたいに単純じゃね?」と不評。後日、楽器屋のお兄さんにその旨伝えると「だからライブって言っただろ。ついでに、ZZトップは70年代に限るんだよ」と怒られてしまいました。。
そこで、
70年代のZZトップのライブを聴けるアルバム『Fandango!』を聴くと…うおお熱い、汗クサい、悪そう、カッコいい、これがロックか!今まで俺たちが聴いてた80年代のロックなんて、メタルですらただのチャート音楽にすぎなかったのかも…みたいな。さらに
『Rio Grande Mud』に『Tres Hombres』と聴き進めると、初期ZZトップのアルバムはどれもこれも大当たりで悶絶(ファーストは除く^^;)。さらに、実はギターもドラムもプログレ級のうまさである事が判明。ドラムなんて、なんでこんなにうまいのに打ち込みにしちゃったんだろ…みたいな。ジミヘンが絶賛したというのもうなづけるすごさでした。
そして、ダスティ・ヒル。ZZトップのベースって、ルートを「ボンボンボンボン…」と弾くものが多いので、僕はあんまり面白いと思った事がありません。すごかったのはヴォーカル。ZZトップはギターのビリーとベースのダスティのツイン・ヴォーカルですが、
力みかえっただみ声でハイトーンをヒットするダスティ・ヒルがカッコイイのです!ZZトップって泥くさくて熱いロックと演奏するバンドに感じますが、実は演奏はえらくテクニカルだったりして、あの熱さ泥くささの多くはヴォーカルだったんだな、と思った事があります。特にダスティのヴォーカルといったらさながら
ジョニー・ウインターや泥臭かった初期オールマン・ブラザーズ・バンドのよう。ZZトップのファースト・アルバムって、ビリー・ギボンズのヴォーカルがつまらなくてちょっと残念なんですが、バンドやレコード会社もそう思ったのか、セカンド・アルバム以降のダスティ・ヒルのヴォーカルが大フューチャーされてからは、とんでもない熱さ凄さでした!
72年『Rio Grande Mud』から75年『Fandango!』までのZZトップのアルバムに外れなし、どれもこれもロックファンなら聴かずに済ませるわけにはいかない大名盤。76年
『Tejas』は聴き手を選びそうだけど通好みのシブい名作、僕にとってのZZトップ最盛期はここまで。学園祭を目指してロックバンドを始めた中学生時代、僕は鍵盤は弾かず、友だちのお兄さんが貸してくれたベースを演奏してました。その時に、ダスティ・ヒルの演奏は、「Just Got Paid」「Jesus Just Left Chicago」「Thunderbird」…もう、何曲コピーしたか分かりません。学園祭で「監獄ロック」のヴォーカルを取った時に教師から「なんてあんなだみ声で悪そうにプレスリーを歌うんだ?プレスリーって実は美声だぞ」と言われましたが、それはプレスリーじゃなくてダスティ・ヒルを真似したから。
人生でZZトップの音楽と共に過ごした時間はどれだけあったでしょう、日本ではイマイチ人気のないバンドながら、本国アメリカではトラック野郎ご用達、ブルーカラー人気ナンバーワンのこれぞロックバンド。熱くて悪そうで、酒にも女にもバイクにも相性が良さそうで、それでいてスカッとするアメリカならではの楽観主義的な明るさがどこかにあって…もう書き始めたらきりがないです。ご冥福をお祈りします。