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心に残った音楽♪

おすすめCDの紹介のほか、本や映画の感想などを (*^ー゜)v

 

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『Diana Krall / Stepping Out』

Diana Krall Stepping Out 1993年発表、カナダ出身の女性ヴォーカル/ピアノのダイアナ・クラールさんのデビュー・アルバムです。ピアノ・トリオ編成でヴォーカルもとるスタイルでしたが、ヴォーカルなしのインストもあり、逆に完全なピアノ弾き語りもあり。二刀流ですね(^^)。

 ヴォーカルもピアノも上手だけど抜け出せてはいない、音楽は保守、曲は9割がたカバー。自分で何かを作ったと感じる事が出来なかったもので、学校でジャズを学び、それを上手に演奏した音楽と感じてしまいました。でも、ピアノのアドリブになると、はじめて何かの模倣ではない、この人自身の顔が少し見える気がしました。右手が回らないのでコード・プレスが主体になりますが、組み立てが良いんですよね。聴くならインスト曲かな…でもやっぱり持ち上げるほどには何かを感じる演奏ではないんですよね (^^;)。

 まあでも、学校に行ってジャズを勉強して、先人を上手に真似する音楽なんて、きつい言い方すれば、もはや終わった音楽。しかもそこでやるのがポピュラー音楽なんだから、仮にうまくても面白くない事確定な気がします。ロックは子供だましの極致になり、ジャズは保守もいいところになったのが90年代。あの時代の主役ってアンダーグラウンドだった気がします。まだ習っている段階の人はだめ、みたいな。


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『Diana Krall / The Look Of Love』

Diana Krall The Look Of Love 2001年発表、ジャズ・ヴォーカリスト/ピアニストのダイアナ・クラールが発表したウィズ・ストリングス・アルバムです。ピアノも弾いていましたが、音楽的には弾いてないも同然程度だったので、ピアノ・トリオ・ウィズ・ストリングスみたいなアンサンブルにはなってませんでした。ギターの方が目立つぐらい。かといって完全にヴォーカルと弦だけかというとそうでもなく…。

 このアルバムに関して言えば声は暗く、表現をテクニックを使って創るタイプではなく、語るように歌う事が表現にしているタイプに聴こえました。アンニュイな情念系、みたいな。声も暗いので、余計そう感じたのかも。僕はダイアナ・クラールさんの他のアルバムも聴いた事があるんですが、そこでの彼女のヴォーカルはこのアルバムとかなり違うものだったので、ちょっと驚きました。
 こういう歌となると、バンドやオケもそっちに合わせていかないと演歌になっちゃいそうじゃないですか。演歌って、フロントがどう歌おうと、バックは自分の仕事だけ淡々とやってヴォーカルにまったく絡まない事、多いですよね。このアルバム、バンドもストリングスも、ぜんぜんヴォーカルに絡まないんですよ。あ~あ、演歌になっちゃった。。
 スコアや録音もどうかと思いました。ストリングスは、そもそも歌メロに絡むスコアになってないし、録音は弦がヴォーカルと同じ舞台に立っているように聴こえないです。絡まないと言えばバンドもそうで、先にバンドだけ録音して、後で歌を取り直したんじゃないかと思うぐらいに、ぜんぜん絡まないです。ソフトバンクの携帯ショップにいたペッパーくんの方がまだ人間に絡んでると思えるほどです。

 こうなると、ダイアナ・クラールさん以前に、まわりがアウトなんじゃないかと思ってしまいました。このストリングス・アレンジをした犯人は誰か。クラウス・オガーマン…マジか、ビリー・ホリデイ『Lady In Satin』で素晴らしいストリングス・アレンジをした人じゃないか。歳をとったのか手を抜いたのか…人は名前じゃないですね。。


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『Jaybird Coleman & The Birmingham Jug Band / 1927-1930 Complete Recorded Works In Chronological Order』

Jaybird Coleman Complete Recorded Works In Chronological Order 1920~30年代にアメリカのアラバマ州で人気のあったブルースマン、ジェイバード・コールマンの録音集です。ジェイバード・コールマンはギターも演奏したそうですが、有名なのはブルース・ハーモニカのパイオニアとして。この録音は1927年から30年までに録音された7つのセッションを集めたもので、コールマンはヴォーカルとハーモニカを演奏していました。

 20年代の録音は、僕が聴いてきたブルースの録音の中でも最も古い部類のひとつ。それが理由かどうかは分かりませんが、他の人のバンドに客演したらしいものを除くと、12小節で1コーラスとなるスリーコード・ブルースでなく、和声進行というもの自体を感じなかったり、3度もマイナーになっているように聴こえないものが多かったです。ではどういう音楽かというと、独奏ものに関しては、ハーモニカの演奏を挟みながら進む語り物に感じました。ブルースどころか音楽ですらなくて、ハーモニカで数小節アドリブで演奏して、2小節から長くても4小節ぐらいの歌を歌って、またハーモニカを吹いて、みたいな。
 これがブルースとあまりにかけ離れても致し、あまりにプリミティブすぎて感じたもので、若い頃は「ああ、これは俺には分らないわ」と思って、ずっと放り出していたんですよね。ところがいま聴くと、実に魅力的でした。なんというんでしょうかね、ブルージーさがあるとかないとか、そういう事じゃなかったです。もし語りだけだったら飽きるかもしれないけど、ちょっと節をつけて話して、ハーモニカの演奏が入って、また話して…みたいな語り口に乗っているうちに、いつの間にか耳を奪われて聞き入っていた、みたいな。いやあ、これは病みつきになります。。

 もうひとつ特徴があったのが、8曲入っていたビッグ・ジョー・ウイリアムスも参加している「バーミンガム・ジャグ・バンド」というバンドでの演奏。マンドリンや(クレジットには書かれていないけど)バンジョーなんかも入ったバンドの演奏で、バンド名の通りこれもブルースじゃなくてジャグバンド。ジョー・ウイリアムズがショー・ミュージシャン的な人なので余計にそうなのかも知れませんが、ダンスミュージック調で陽気。ある意味でいうと、ブルーグラスの黒人版、みたいな。このバンドの演奏は30年録音でしたが、このへんに来るとハーモニカの演奏にかなりブルースハーモニカ的なベンドなんかも入ってきて、なるほどブルース・ハーモニカのルーツというのはこのへんなのかな、みたいな。

 僕はジェイバード・コールマンを「ブルース・ハーモニカの偉大なるルーツ」みたいに何かの本で読んで、このCDを買ったんですが、これはブルースというより、まだ未分化(またはひとつの形となる前)の状態だった黒人のルーツ・ミュージックのひとつではないかと思いました。コールマンって、楽器の才能があったものだから、親から練習をするように勧められて、ダンスホールとかでも演奏して稼いでいたそうです。また、道を歩いている時もハーモニカを吹いていて、気がつくと後ろに子供の行列が出来ていたとか、第1次世界大戦で軍役についた時にはすぐどこかにいなくなってしまったとか(ジェイバードとは「かけす」という意味で、かけすみたいにすぐどこかに行ってしまうから上官が彼を「ジェイバード」と呼んだんだそうです^^)、かなりほっこりした話が残っています。そういう逸話から推察するに、もしかしたらこういう音楽や語り物のスタイルがあったわけでなく、ジェイバード・コールマン独自のスタイルだったのかも。聴いている間、ずっと100年ちかく前のアメリカの田舎にある黒人たちのバーにタイムスリップしたような気分で、耳を奪われ続けていました。若い頃はつまらないと思ったのが嘘のよう、すごくよかったです!


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『Elizabeth Cotten ‎/ Vol. 2: Shake Sugaree』

Elizabeth Cotten ‎ Vol2 Shake Sugaree 左利きなのに右用ギターの弦をそのまま張って演奏してしまうフォーク/ブルース系のギター弾き語りおばあちゃん、エリザベス・コットンの2枚目のアルバム、1967年発表です!ファーストアルバム『Freight Train and Other North Carolina Folk Songs and Tunes』はこのブログの年間ベストCDに選んだことがありますが、あのレコードが58年発表なので、2作目を出すまでに10年ぐらい空いていたんですね。

 コットンおばあちゃんはバスとメロディを同時に弾いてしまう見事なギター奏者で、その技術たるやミシシッピ・ジョン・ハートあたりと聴き比べても引けを取らないほど見事と感じました。しかも、右利き用に弦を張ったギターをそのまま左で弾くという事は、メロディを親指で弾いてバスが他の指という事ですよね。そんな弾き方でこれだけうまく演奏しちゃうんだからすごすぎです(^^)。
 しかしコットンおばあちゃんの弱点は歌。このアルバムはインストが多く、また歌は他の歌手に歌っているものもあって、コットンおばあちゃんの拙い歌はあまり聴かなくて済むんですが、僕は歌も味があって決して嫌いじゃないんですよね。歌というより、おばあちゃんの語りを聴いているような気分になれるし。ところが僕の妻はこの歌を聴くと「超不快になるからやめて!」と怒るのです。この良さが分からないなんて…とも思うのですが、そう思う人がいたとしてもまあ仕方ないレベルの音痴なので、音痴を許せない人は聴かないほうがいいかも(^^;)。

 前作から10年近く開いたこともあるのかも知れませんが、こっちのアルバムは馬鹿テクながらも音楽そのものは落ち着いた曲がほとんどで、ブルースというよりほのぼのフォークと言った方が近いかも。やっぱり僕はコットンおばあちゃんのギターも歌も音楽も大好きです!


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『Prison Worksongs –at the Louisiana State Penitentiary at Angola, L.A.-』

Prison Worksongs 『Angola Prison Spirituals』と同じく、ルイジアナ州にあるアンゴラ刑務所での録音で、これはワークソング集です。刑務所の録音って、日本じゃ考えられないんじゃないでしょうか。不謹慎かもしれないけど、これが素晴らしいレコードでした!

 みんなで歌を歌いながら、リズムに合わせて「ボコッ!ボコッ!」とか「キン!キン!」と、杭か何かを打ってる音がきこえます。これは生々しい、本当に刑務所の中で働きながら歌ってるんでしょうね。。それにしても、囚人の多くはジャケット写真みたいにアフリカン・アメリカンが多いんでしょうか、みんな歌がうまいし、斉唱ではなくて、綺麗なコーラス。1曲目なんて3度でハモッてるよ、やっぱりアフリカン・アメリカンって歌が抜群にうまいなあ、これって歌手じゃなくて囚人の歌ですよね。。でも、歌ってる人の名前が書いてるので、囚人の中でも音楽をやっていた人たちなのかも。「Early In The Mornin'」という曲はコール&レスポンス気味な曲でしたが、これのコール側の歌唱をしているJohnny Butler という人なんて、ソウルとラップが混じっているようなもの凄い歌唱。これはプロだろ、それとも毎日歌っていたらうまくなったのか…。

 もちろん合衆国に住むアフリカン・アメリカンの全員が歌がうまいわけではないんでしょうが、アフリカン・アメリカンにコーラスで歌うという文化があるのは間違いないんじゃないかと。本場の西アフリカのコーラスもヤバいぐらいに素晴らしいですが、合衆国の黒人コーラスは、ソウルでもスピリチャルでもブルースでも、アメリカ独特の節回しがあってカッコいいです。囚人でこのレベルって、どういうこっちゃ。これ、聴いていると病みつきになります。なんというのかな…みんなでこういう歌を歌いながら仕事をするって、子どものころの学校みたいで、かなり楽しい生活なんじゃないかとすら思えてしまいました。でも、歌ってる人たちは殺人とかやってここに来てるんだろうな。。これは超おススメ!


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『Angola Prison Spirituals』

Angola Prison Spirituals 僕はこのCDをタイトルでアンゴラ共和国の刑務所で歌われている音楽だと思って購入。本心がしみこんでいるような音楽で心に沁みわたるんですが、でもこれ、アコースティック・ブルースやゴスペルに近い音楽に聴こえたんです。本当にアンゴラの音楽なのか?たしかにアンゴラの音楽は奴隷貿易でサンバやブルースのルーツになったというけど、ここまでそっくりなのか、な~んて思ったんですが…

 あ~なるほど、これはアンゴラ共和国のCDではなく、合衆国のルイジアナ州に「アンゴラ刑務所」というのがあって、その中で歌われていた音楽だそうです。そうですよね、レーベルがブルース専門レーベルのアーフリーですし、ロバート・ピート・ウイリアムズの弾き語りが入ってるし。そうそう、ロバート・ピート・ウイリアムズは殺人で終身刑を喰らったものの、その音楽の素晴らしさに民族音楽学者が尽力して釈放されたというブルースマンです。こんなの、ちょっとでも悪い事をすると袋叩きにしてオーバーキルする日本では考えられないですよね。他にも、マジもんのゴスペルの少人数コーラス「Brother Norah」とか(すっげえうまい!50年代当時のチャート系コーラスよりぜんぜん凄いじゃないか…)、教会での告白とそれにレスポンスるようなスピリチャル系の音楽(こういうの、『世界民族音楽大集成』のアメリカ黒人音楽編で聴いたことあります)とか、50年代のアメリカ南部のアフリカン・アメリカンの商売抜きの音楽を聴く事が出来ます。

 このレコード、実際に50年代の刑務所内で録音されたものだそうで、刑務所の中に、これだけ素晴らしい音楽がいくつもあるという事に驚き。日本はもとより、刑務所内にこれだけ素晴らしい音楽が演奏されている所って、どれぐらいあるんでしょうか。アメリカの刑務所内の雰囲気が本当に映画『ショーシャンクの空に』みたいだったら、たしかに刑務所内でこういうミュージシャンが育っても不思議ではないかも。アメリカってこういう所が自由だなあ。


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VHS『猪木vs天龍 完全版』

Inoki Tenryuu Kanzenban キラー猪木に入っていないけど、すごく面白かった試合があるので、ちょっと紹介。猪木vs天龍戦を、試合前からドキュメンタリーしたビデオです。これ、試合と同じぐらいに、試合までの過程がすごくいいので、このまま復刻してほしいです。

 シュートを戦えるかどうかはさておき、天龍って凄味があって好きなプロレスラーでした。当時の全日本のレスラーの中では唯一といっていいぐらいに好き。単純にレスリングや柔道の強さでなく、ストリートファイトになったら本当に人を殺してしまえるぐらいに腹の据わった人…みたいなものを感じられるかどうかが、僕にとってのプロレスラーの評価ポイントのひとつ。「凄み」というやつですね。やっぱり本当に強いとか凄いとか技術があると思えるから胸がときめくわけであって、それが感じられなければ面白くないですよね。全日で言えば鶴田の方が技術もあるしフィジカルも強いだろうけど、いざという時に相手を殺せる覚悟を出来るメンタルを持っているのは天龍の方だろうな、みたいな。新日でいえば、レスリングは長州や谷津の方がうまいかも知れないけど、いざとなったら躊躇なく殺すところまで踏み込めてしまうのは猪木や前田日明や佐山サトルなんだろうな、みたいな。

Inoki Tenryu_1 head-min この頃の猪木は、リングに長時間立ってる事すら難しい頃だし、僕ももうプロレスを卒業していた頃だったので、当時はあまり興味なかったんです。それでも開始早々に猪木が天龍を締め落とすところは、「やっぱり猪木のプロレスはムッチャクチャ面白いな」と思いました。もちろんこの部分はブックでしょうが、そこで表現してるものが、さっき書いた「凄み」というやつで、これがいいんですよね。。
Inoki Tenryu_2 Nuckle-min 一方の天龍も素晴らしくて、殺気もすごいしセルも実にうまくて(^^)、僕にとっては、猪木が天龍を締め落としたところまでがこの試合のほとんどでした。
 以降も、猪木がやってはいけない攻撃を仕掛けて天龍の指を壊し、天龍がとんでもない悲鳴を上げるシーン、猪木が格闘義スタイルの戦いを仕掛けるところ、天龍が切れて危険な蹴っとばしや膝攻撃に行く所など、プロレスと本気の間ぐらいのところに滲みだしている殺気が素晴らしかったです。

 この一戦、試合の前がまた素晴らしいです。試合自体は他のビデオにも入ってるんですが、このVHSの価値は、試合前のあれこれをドキュメンタリーで追っているところ。
 まず、記者会見の場で、天龍が猪木に「勝負してくれるんですか、くれないんですか」と詰め寄るシーン。ここで猪木は「興業として成功するかどうか、それも大事だろうけれど、私は男と男の戦いとしてこの一戦を受け止めてます。そういうつもりだと上には伝えてありますから」みたいに答えるシーン。これはしびれました。ロマンを追っている人でないと言えないセリフだと思うんですよね。後年、天龍は「団体のトップが良く受けてくれた」「理由をつけて避けることもできたと思うんだよね。それをしなかった猪木さんの気持ちに、逆にこちらが圧倒された」「腕ひしぎの時に、俺、指を脱臼させられてるからね。『俺の方がすべて上なんだよ』という威圧を感じた」などなど、新日本の選手と戦った多くの試合の中で、猪木戦がダントツで素晴らしかったみたいに語っていました。
Inoki Tenryu_3 finger-min そして調印式。お互いに顔も合わさず、言葉も交わさず、サインだけしてとっとと帰ってしまいます。そして、試合が始まると、天龍の攻めをぜんぶ受けず、拳を叩きこんで、スリーパーで締め落とし、指を粉砕するという流れに繋がるわけです。もう体もボロボロ、足も細くなってしまった老師の凄味、これにしびれました。

 この試合の面白さは、プロレスとガチの間で揺れている部分に溢れてきている凄味の部分だと思います。今、天龍さんはバラエティに出て笑われていますが、あの体躯であの凄味、一緒にいたら軽口なんてとうてい叩けないぐらいの威圧感と思うんですよね。全日本に天龍さんより強い人はいただろうし、実際鶴田なんかは天龍よりぜんぜん強いんだろうけど、あの威圧感は鶴田には出せない。その天龍と、受けなくてもいい挑戦をあえて受けて立ち、殺気立った凄味ある試合を見せ、そして負けた猪木。負けてなお凄味を感じさせるという猪木負け試合ベスト1がこれだと僕は思っています。


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DVD『キラー猪木 DVD 4』

KillerInoki_MasaSaito.jpg 「キラー猪木」のDVDシリーズ第4巻は、マサ斉藤との87年巌流島対決、88年長州力戦、馳浩戦が収録されてました。この4集は僕的には面白くないです。「キラー」猪木にこだわるからこういうセレクトになったんでしょうが、たとえば長州戦で面白い試合を選ぶなら、新日vs維新軍の5対5の大将戦、第2回IWGPの逆さ抑え込み決着試合、長州が新日を出ていく直前のシングルマッチのどれかだと思うし、馳との試合なんて取りあげるまでもないと思ってしまいました。というわけで、唯一観れるのは、マサ斉藤戦かな?それだってリアルタイムで観ていた頃は、「つまんないな」と思ったんですよね。

■マサ斉藤戦
 マサ斉藤は、高いレスリング技術があった上で日本プロレス入りした人らしく、入門した時には既にけっこう強かったそうです。柔道出身や力士出身も多かった日プロの中で実力ナンバーワンと言われるまでになった猪木、アマレス出身でガチのレスリング技術があった斉藤、スパーリングでは猪木の次に強かったという上田馬之助、この辺が日本プロレス若手ガチ勢だったそうで、その同門対決です。
 船に乗って巌流島に入り、リングの脇にはたいまつが置かれ…恐らくテレビ局側がしつらえたギミックでしょうが、これはダサい(^^;)。客がいないから歓声もなく盛り上がりに欠けるし、試合も最初のうちは何だか分からないです。ルールもあるようなないようなで、鉄柱攻撃で流血しても、それって強さとは別問題だろうと感じてしまったり。でも、後半は独特の雰囲気がありました。考えてみたら、ストリートファイトっていうのはこういうものなのかも。喧嘩だってルールはないけど、普通は殺さないですよね、だからルールはないと言ってもおのずと双方が合意している共通のラインがあります。作ってはないけど自然発生するルール、みたいな。でもそれも、負けそうになったら「石を使って相手の頭をかち割ってでも…」みたいに変化していくだろうし、そういうリアルさを感じました。
Inoki MasaSaito_Ganryujima ちなみにこの試合、猪木さんは「日プロ時代の盟友の斎藤とやって、そこで死んでもいい」という覚悟で臨んでいたそうです。事業に失敗して信じられないほどの負債を抱え込み、自分が社長の会社で社員たちにつきあげ食って社長の座を追われ、自分が体を張って育てたレスラーたちは背を向けて出ていき、奥さんと別れ、納得できるレスリングの出来ない年齢になり…これは辛い。。死を覚悟したとしても、分かる気がします。その相手に斎藤を選んだのは、若手時代に「見せ物ではない本当の強さ」を競って切磋琢磨した盟友だったからかも。そういう伏線を知った上で観ると、どの辺までがブックでどの辺からが掛け値なしのパフォーマンスなのか、なんとなく分かる気がしました。

 1970年代、元気のいい日本の体育系男子にとってのスーパースターは、長嶋茂雄、ウルトラセブン、アントニオ猪木、松田優作矢沢永吉あたり。僕はこれらのスターに夢中になった世代よりちょっと若いんですが、彼らがスターだったことを考えると、時代に何が求められていたのか分かる気がします。今は若くして早くも諦めたような顔をした子供が多く、「癒されたい」とかそんなのばっかり。でも70年代に猪木や矢沢永吉がヒーロー視されたのは「癒されたい」なんてものではなく、つらい時代であっても大きな夢を持ちたい、サクセスしたい…という情熱、自分で幸せをつかむ強さ、男はかくありたい・そうなりたいというあこがれだったんじゃないでしょうか。クソみたいな2世政治家に駄目にされたこの10年の日本に必要なのは、癒しじゃなくて、70年代のヒーローが示したあのバイタリティなのではないかと思えたりして。


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DVD『キラー猪木 DVD 3』

KillerInoki_Blody.jpg 「キラー猪木」のDVDシリーズの第3巻は、新日本プロレスとUWF の頂上決戦となった藤原喜明戦、どういうわけか制裁試合めいてしまったラッシャー木村戦、新日マット初登場となったブルーザー・ブロディ戦の3試合が収録されていました。個人的に面白かったのは、なんといっても藤原戦です!

■藤原善明戦
 キラー猪木に入っている藤原戦は、UWF として猪木のもとを出て行った選手たちが新日に出戻り(真相はちょっと違うらしいですが、当時はそういうアングルで語られてました)、UWF の総当たり戦で勝ち抜いた者が猪木に挑戦するという試合です。新日とUWF の頂上決戦だったわけですね。「キラー猪木」では、この試合の前で語るターザン山本さんのコメントが、この試合のアングルを見事に説明してくれていてよかったです!
 力道山亡きあとに経営陣が腐敗しまくった日本プロレスに反旗を翻した猪木が、逆に日本プロレスから首を切られた事で出来た団体が新日本プロレス。以降、日本プロレスの主力をひきぬいて作った馬場の全日本プロレスと競合となり、外人招聘から何まで馬場に邪魔される状態で新日は倒産の危機の連続。そんな中、角界どころか高専柔道出身者までいる恐怖の日本プロレスで実力ナンバーワンだった猪木は、「強さ」を前面に打ち出して馬場に対抗していった、みたいな。
 そういう新日本プロレスだったからでしょう、猪木自身は経営者と格闘者としての両面を持ちつつ、若手には「強くなれ」という事しか言わなかったそうです。あまりのトレーニングの過酷さに、「実際に戦ったら新日本プロレスが格闘技最強」なんて言われていた時代もあったそうで、そんな新日道場で具体的な格闘の技術を体系的に伝えたのがカール・ゴッチで、ゴッチから伝えられた技術を新日道場でのスパーリングで磨いていったのがUWF組。そしてその関節技の技術ナンバーワンが藤原善明、みたいな。ゴッチのもとで技を学んだ藤原は、日プロ時代の生え抜きの選手ですらグラウンドでは藤原に勝てないレベルになっていたそうです。新日に道場破りに来る人の腕を折って放りかえすポリスマンの役割を務めていたのも藤原だそうです。というわけで、これは「新日道場のシュート技術ナンバーワン決定戦」という意味もある試合だと思って、観ていました。

 とはいえプロレスなので(^^;)、最初から猪木の勝ちという台本があったわけで、ファンとして見ていて面白いのは結果ではなく、ガチでやったらどうなるか、という部分。でも先にプロレスとしての面白さを書くと…たぶん明らかな台本があったのは3ヶ所で、藤原が猪木の腕を決めるところ、猪木が藤原のアキレス腱固めを切り返すところ、そして最後のスリーパーホールドで締め落とすところです。その頃「関節技の鬼」で売っていた藤原の決め技の代表格は脇固めとアキレス腱固めで、これが入ると新日の選手もUWFの選手も全員ギブアップ。でも、ゴッチ道場の兄弟子だった猪木にはそれが通じず、逆に切りかえされる…こんな台本だったと思うんですが、分かっていても最高に面白いですね(^^)。
 次に、スリーパーで落とすというフィニッシュ。この面白さはふたつあって、ひとつは猪木への挑戦権をかけて戦った前田-藤原戦からの流れ。前田が藤原をスリーパーで落としたんですが、同時に藤原が前田の足首を固めていて、藤原は意識を失いながら前田からギブアップを奪ったのです。つまり、前田のスリーパーは藤原に通じなかったわけですね。しかし猪木は藤原をスリーパーで仕留めます。要するに、「猪木の技は前田以上」という表現があるんですよね。もうひとつの面白さは、スリーパーで仕留めるという「マジ」っぽさです。当時の全日でも新日でも、ロープに振れば相手は跳ね返ってくれるし、ブレーンバスターみたいな相手の協力が必要な技でもどんどん入るし、技といってもジャンピング・ニーみたいなアマチュアでもできそうな技ばかりだったんですよね。ところがUWFは、ロープから返ってこない、ブレーンバスターなんて受けない、V字やU字のアームロックとかひざ固めとか、何やってるのか分からないような技で相手を仕留めて「本物」っぽかったんです。その本物を、猪木が本物っぽい技で仕留める…えらくマジっぽく感じたのでした。
Inoki Fujiwara_1 そんでもってアドリブ部分、ここが本当にすばらしい試合でした。まず、藤原の技のすばらしさです。猪木にリバース・フルネルソンを決められた藤原が、それを外す方法が芸術的。なんと小内刈りで返すんです。すげええ!子どものころ、よく友達とプロレスごっこをしたものですが、決められたら外すのが難しい技に、ヘッドロックとフルネルソンがありました。それをなんという芸術的な外し方をするのか…これはショーじゃなくてガチの技術だと思う…んですよね、素人としては(^^)。
 同じように、足をとられた後に、相手の胴にもう片足を入れてカニバサミのような体制からひっくり返しに行くところがありました。これってUWF が流行して以降は、蹴り足を取られたときの返し方のひとつになりましたが、当時は斬新。「うわあ、こんな風に返すのか」と驚きました。
 そして、腕ひしぎ逆十字への入り方。アマチュアの僕にとって、この入り方はマジに見えました。プロレスなので本気に締めに行てないんでしょうが、本気で締めたら決まっちゃうんでしょうね。

 一方、猪木の技。まず、関節技に行く以前の問題として、グラウンドでの攻防は猪木が上に見えました。当時の新日の試合には型があって、ショーではない実際にスパーリングをする第1楽章があるんですが、そこで猪木は簡単に相手の上に乗ってしまうし、簡単に顔面も決めてしまうので、グランド限定のスパーリングならここで終了なんだと思います。藤原が関節を取りに行く所まで行けないんでしょうね。グラップラー恐るべし。そういえばアマレスのオリンピック代表選手の長州力が、アマから新日道場にはいってスパーリングに参加した時の感想として「グラウンドの攻防になってしまえば簡単に関節を取られてしまうけど、その前に自分は倒されないし、相手を倒してマウント出来てしまう」と語っていたのを覚えています。のちのグレイシー柔術の試合みたいなもので、関節技に行こうにもマウントとられたらどうしようもないという事かも知れません。
Inoki Fujiwara_2 そして、打撃技の猪木の間がすごいです。異種格闘技を含め、猪木の試合を観ていて驚くことのひとつは、打撃のカウンターを入れるのが恐ろしくうまい事です。この試合で、猪木が藤原の頭突きに対して肘を合わせるところがあって、藤原が吹っ飛ぶんですが、そのシーンをスローで観ると、藤原の顔があり得ない角度で曲がってるんですよ(^^;)。こういう堅い攻撃って、ルー・テーズがチャンピオンを降りて以降のアメプロや、ある時期までの全日にはあり得ないもので、新日の専売特許みたいなものでした。猪木の視線が藤原の頭突きを観ているのが分かるんですが、完全にカウンターを入れるタイミングを測っていてすごいです。
 この後も、相手が出てくる瞬間に合わせる技が出ます。問題になった内股蹴りですが、相手の出てくるところで、相手の柔らかい部分に自分の堅い部分を合わせるのがうまいんですね。試合終了後に前田が「金的蹴りだ」と猛抗議した技ですが、スローにして見ると内股を蹴っていて、金的には入ってませんでした。僕みたいな素人が、「シュートでも本当に強いんじゃないか」と思わされたのって、こういう所でした。
 でもって、プロレス的な戦い方。グラウンドの技術合戦は通好みでメッチャ面白いんですが、でも地味でもあるんですよね。そういう試合の要所で、いきなり反則をして相手に仕掛けるとか、そういう試合の大きな分岐点を作っているのはすべて猪木。これってつまり、猪木は藤原と試合しつつも、お客さんとも試合してるという事なんでしょう。なるほど、猪木がプロレスの天才と言われるのはこういうところか、みたいな。
 キラー猪木のシリーズに選ばれた全13試合の中で、格闘技術としていちばん面白かったのはこの試合。全日プロになくて新日~UWFにあったもの、シュートマッチで実際に使える技とその技術系統が見える最高の試合でした(^^)。

■ラッシャー木村戦
 猪木が一方的にラッシャー木村に制裁を加える流れとなった試合です。ガチなのかフェイクなのか僕には分かりませんが、制裁が唐突に始まっちゃうので、これってマジなんじゃ…と、リアルタイムで見ていた時は思わされましたね(^^)。

Inoki Blody■ブルーザー・ブロディ戦
 猪木の全盛期はウイリー・ウイリアムス戦まで。以降の猪木は下降の一途を辿ったと思っています。足も細くなり、小中学生だった僕にすらハードヒットに耐えられなくなっているのが分かるほど。そんな猪木の衰えを最初に知ったのは第1回IWGPでしたが、ブロディ戦はさらに何年も後の試合なので、それはもう…。ただ、猪木は日プロ時代から道場ナンバーワンといわれるほどに技術を持っている人なので、長州や藤原といった技術がある人が相手だと、全盛期を過ぎた後でもすばらしい試合をしていました。でもブロディは厄介な相手です。格闘技もレスリングも出来ない、そのくせ体はデカいしハードヒットもする、ハートも強いし、それ以上にわがままなトラブルメーカーときたもんで(^^;)。これは猪木が惨憺たる目にあうんじゃないか…と思ったら、意外というか、さすがは猪木というか、ドラマチックないい試合にしてました(^^)。
 まず、猪木の衰えが半端じゃないです。ジャーマン・スープレックスはもう使えない、使ってもブリッジ出来ない。ブレーンバスターは崩れる…猪木信者としては見てられないです。この試合を見て、僕は「ウイリーやルスカやボックと渡り合っていた頃の猪木はもういないんだな」と改めて思わされました。ブロディもブロディで、レスリングなんてろくに出来ない典型的な力任せのアメリカン・プロレス、担いで投げるとか蹴るとか、そういう事しか出来ません。こんなふたりの試合なので、実に噛み合いません(^^;)。
 そこで猪木がどういう試合にしたかというと…なかなか組まず、果し合いのような雰囲気をまず作ります。組み始めるとブロディが一方的に攻め、猪木ボロボロ。でも途中から猪木がブロディの足を狙いはじめてブロディの足が流血し、一方的に見えた試合が大きく動く、みたいな。いっさい猪木の技が通じない状況だったのが、ついにブレーンバスターでブロディの体があがる!崩れてるんですが、それですら「手負いの上に、一方的にやられていた猪木が、ボロボロになりながらも担いだ!」と感動させられてしまうという(^^)。さすがホウキとも名勝負をすると言われる猪木、プロレス的な意味でドラマチックで面白かったです。たしか、年間最高試合を受賞してましたが、実際にも試合があった翌日、学校で「昨日の猪木とブロディの試合、凄かったな」な~んてみんなで話してたのが懐かしいです(^^)。

 VHSと違って、DVDの「キラー猪木」シリーズは年代順に並べてあります。この3集まで来ると、猪木の実際のレスリング技術を見られる試合が増える一方、身体的な衰えも見えて、そこは辛かったです。ブロディやホーガンとのい戦が象徴するように、猪木ファンの僕にとっては目をそらしたい時期でした。僕は馬場より猪木が好きですが、馬場さんが猪木さんより素晴らしかったと思う所があります。メインを張れるだけの力が自分になくなった時に、メイン・イベントから退いた事です。これって実は日本テレビから引きずり降ろされた面が強かったそうですが、結果的にあれは良かったです。
 でも、猪木はメインを降りませんでした。実際には降りようとしたけど降りられなかったのかも。何となくですが、第1回IWGPって、猪木の最後の花道にするためのものだった気がするんですが、新日内部でクーデターが起きてしまって、譲相手を信用できなくなってしまった気がするんですよね。「本当は前田に譲るつもりだった」という発言を聞いた事がありますが、あれって本心だった気がします。だって、長州も藤波も参加できなかったIWGPにまだ日本で無名の前田を出したぐらいですからね。そこからもいろいろ崩れ格闘路線のためにUWFを作り、プロレス路線に新日を残るという絵も描いてみたのかも知れませんが、その道も塞がれましたし。その後の前田は、引き継ぐどころか前田自身が中心になった新しい流れを作りあげましたしね。もし猪木から前田への引継ぎがうまくいっていれば、猪木も前田も幸せだったんじゃないかと思います。ホーガン戦もブロディ戦もなく、以降のさらなる醜態もなければ、猪木は伝説になれたかも。それが出来なかった事で生まれた試合がこのへんだったんじゃないかと。


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DVD『キラー猪木 DVD 2』

KillerInoki_Bock.jpg キラー猪木のDVD第2集は、「熊殺し」の異名を取った極真空手のウイリー・ウイリアムスとの異種格闘技戦、猪木がブチ切れて凄惨な結末となったグレート・アントニオ戦、そしてヤバい体格とマジもんのシュート技術を持っているように見えたドイツ人レスラーのローランド・ボック戦の3試合が収録されてました!

■ウイリー・ウイリアムス戦
 アクラム・ペールワン戦と同様にアングルがエグすぎて、果し合いの危険な香り。僕は子どもの頃にリアルタイムでこの戦いを見てましたが、緊迫感が凄まじくて、おしっこちびりそうでした(^^;)。いまだにプロレスなのかガチなのか分かってませんが、そこがすごい。
 そういえば、梶原一騎さんが、この試合をクライマックスに持ってきた「四角いジャングル」という漫画を描いてたなあ。つまり、この試合を世紀の一戦とすべく、10巻ぐらいかかる漫画が描かれてたんです、すごくないですか?たとえば、矢吹ジョーvs力石の抗争を描いた漫画があって、その決着戦が本物のリングで行われる、みたいな感じだったわけです。ちなみに梶原一騎は、その後にやくざと一緒に猪木を監禁した事件を実際に起こしました。昭和は堅気とやくざの間みたいな人が普通にいたんですよねえ(^^;)。
 何かで読んだんですが(多分『U.W.F.最後の証言』という本)、ある時期の猪木は、佐山聡さんや前田日明さんに、ショーのプロレスに見切りをつけた格闘技路線に乗り出す計画を話していたそうです。実際に猪木自身が、プロレスとは一線をひいた異種格闘技戦を戦っていたわけですが(といっても、アリ戦とペールワン戦以外は台本ありだったらしいです)、それを見ていた極真空手が猪木に挑戦状をたたきつけたというもの。もしこれがガチだとしたら、極真も、ウイリーという化け物を猪木にぶつける事で知名度をあげて門下生を増やそうという狙いがあったんでしょうね。極真サイドは「ウイリーが負けたら腹を切る」という人がいたほど殺気立っていて、試合前から「セコンドの人数が多い、降りろ降りろ!」とレフェリーから激しく注意されたりと、門下生自体がヒートしてしまって、果し合いの殺気がものすごいです。
Inoki_WWilliams.jpg 試合は…試合になりません(^^;)。極真側は相手の舞台だし、負けたところで極真の一選手の負けというだけだから大したダメージはなさそう。でも猪木は負けたら格闘路線のすべてがオシマイだし、かといって勝ってしまうと新日vs極真の遺恨がエスカレートしてしまいそう。では引き分けは?東京プロレス時代にしょっぱい事やって暴動を起こされた経験のある猪木は、あんまりしょっぱい事をやると客が暴徒化する事を知っていたんでしょう。結局猪木は自分からは積極的に仕掛けに行かず、適当なラウンドまで引っ張って試合を成立させ、そして引き分けに持ち込みます(゚∀゚*)エヘヘ。アリが猪木にやった事の逆をやったわけですね。
 しかし、ハプニングが起きます。せっかく引き分けで終わらせたのに、この戦いのために漫画まで描いてきた立会人の梶原一騎が「この試合はこんな事で終わらせるような小さな試合ではない。立合人の権限で、試合続行とします」とか言ったもんだからさあ大変。猪木は場外でウイリーの腕を固めて、試合続行できなくさせて終了。勝ちも負けも中途半端な引き分けも許されないという戦いを強いられた猪木が戦っていたのはウイリーじゃなかったのかもですね。ヤクザの抗争みたいなもので、単に相手のタマを取ればいいわけではなく、どう手打ちに持ち込むかという戦いは、ひりつくような緊張感でした。
 僕的に、プロレスがらみでこれほどの緊張感があった試合って、この次は桜庭vsグレイシーあたりまで無かったなあ。それぐらい凄い試合でした。

■グレート・アントニオ戦
 猪木が相手を一方的に制裁する試合です。でも、そういう「一歩間違えるとリアルファイトに発展する」というのもプロレスであって、むしろそういう所がないとプロレスはつまらないっす。要するに猪木のプロレスって、総合格闘技をベースにした「リアルファイトになっても強いんじゃないか」というものを感じさせるところが魅力だったんじゃないかと。
 似たような制裁試合に猪木vsラッシャー木村戦がありますが、木村戦がどこまで台本だったのか分からないのに対して、グレート・アントニオ戦は、猪木が切れて暴走していく過程がよく分かります。最初は猪木もプロレスしようとしてたように見えます。でも、Gアントニオが相手の技を受けず、さらに危険な所へのパンチを繰りだした瞬間に猪木がブチ切れ。ここからが凄惨で、Gアントニオの顔面にヤバいパンチをもろに入れ、倒れた相手の顔面をつま先蹴り。ブチ切れてから相手を潰すのに要した時間はほんの5秒か10
秒ほどですが、逆に言うと仕留めに行ったら秒殺というのがシュートの怖さなんでしょう。喧嘩の凄さでした。
 ただ、子供のころの僕は、普通にショーやってる時のプロレスでも、ストンピングや流血は普通にあったもんで、いつものプロレスとの差が分からず、別にいつもの事と思って見てました(^^;)。まだプロレスの中のプロレス部分とガチ部分を見分けるなんてとても出来ない状態だったんですね。ショーをガチと思っていた事ももちろんあったけど、この試合の場合はガチをショーと思っていた、みたいな。そういうショーなのかガチなのかが曖昧だったのが、新日の面白さだったとも言えるんでしょうけど。

Inoki_RolandBock.gif■ローランド・ボック戦
 アクラム・ペールワンと同じで、アリと戦って世界的に有名になった猪木を倒して名をあげようとしたのが、ドイツ人レスラーのローランド・ボックでした。猪木がボックに招聘された時の試合なので、猪木側の台本が使えないんでしょうね。勝敗は決まっていたんでしょうが、レシート(かたい攻撃を入れられたらきっちり入れ返して舐められないようにする、みたいな)というか、要所要所に互いのレスリングにガチっぽい所があるので、シュート好きの僕には面白い試合でした。でも、プロレス的な盛り上がりを期待する人には実につまらない試合かも。
 どう見てもボックのレスリングの技術がヤバいです。ボックって、たしかアマレスのドイツ代表。体はでかいしレスリングのテクニックも凄いし、どう見てもむちゃくちゃに強そうな人間凶器。特にヤバいのがスープレックス・マシンとしてのボックで、相手を捉まえたら、どういう角度からでもスープレックスやサルトに持っていって放り投げてしまいます。スープレックスやサルトって、プロレスだから相手を安全に落としてあげてる気がするんですよね。でも、シュート試合なら相手を頭や肩口から落とすとか、受け身が取りにくいように放り投げてしまうとかしそうじゃないですか。昔、YouTubeで、シロウトが相手をボディスラムで頭からアスファルトに落としてる動画を見た事がありますが、相手はピクリとも動かなくなってました。投げ技って軽視されがちですが、危険な角度で落としたら相手を殺せるほどの本当に危険な技なんだと思いました。
 というわけで、ガチだったら猪木は殺されてただろうな、というシーンが何度もある試合。ボックすげえ。ついでに、相手の技を外す技術、足技で相手を転がす技術も、「あ、こいつはマジだわ」と感じました…格闘技経験がないシロウトの意見ですけどね(^^;)。
 でも猪木の凄さが観れるところもけっこうあって、その筆頭はやっぱりアクラム・ペールワン戦でも使ったダブル・リストロック。相手の腕を背中側にねじ上げるという、見るからに実践的な技です。猪木のダブル・リストロックは技への入り方が芸術的で、バックを取られた(取らせた?)体勢からこの技を決めてしまうんですよね。まず、相手の手首を巻き込んでねじ込み(もしかして指を捻って相手のクラッチを外している?だとしたらこれは防げないだろ…)、次に足を絡めて相手が回転するのを防いで下から決めるんですが、ボック相手にこれが思いっきり入ってます、しかも2回。すげえ。
 プロレスだけど、かたい攻撃が入るのでレシートもバシバシ入るという半分シュートな試合。「俺相手に仕掛けてきたらやっちゃうよ」みたいに刃物をちらつかせていく所が面白かったです。でもそういうことが出来るには刃物を持ってないといけないわけで、刃物を持っていないためにレシードできずにビビってしまうと、小川-橋本戦みたいになっちゃうんでしょうね。

 ウイリー戦やボック戦あたりまでは、猪木の足もまだ太くスタミナも技もあって、猪木の実力を判断するならこの頃までの猪木を見るのがいい気がします。体だけなら日プロ時代の方がさらに凄いしコンディションもよさそう。逆に技だけならもうちょっと後の方が細かい技が色々見れて面白いですが、でも全体的なバランスは、この時期がいい気がします…素人なのでよく分かりませんが(^^;)。試合としては、猪木が押されてるものが多い第2集ですが、逆にいうとそれだけリアルな部分の入ったファイトで、シュート好みの人には面白く感じられるんじゃないかと!


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DVD『キラー猪木 DVD 1』

Killer Inoki_TigerJetSin プロレスにも色々ありますが、日本のプロレスと言ったらやっぱりこの人、アントニオ猪木です!アメリカン・プロレスの亜流に過ぎなかった日本のプロレスが格闘技色を強め、独自の「日本的」なプロレスになったのは、間違いなく猪木ゆえ。このシリーズのタイトルになっている「キラー」というのは、そういう予定調和なプロレスの外に踏み込んでいった時の「ヤバい」猪木を表現したものと思いますが、実際にその部分こそが猪木さんの魅力だったと僕は思っています。佐山さんも前田さんもUWFも、全部猪木に繋がって見えたんですよね。
 さて第1集は、大木金太郎銭、タイガー・ジェット・シン戦、アクラム・ペールワン戦、パク、ソンナン戦の4試合が収められていました。

■アクラム・ペールワン戦
 プロレスだったはずが凄惨なシュートマッチへと発展したと言われるのがペールワン戦です。昔、この試合は伝説中の伝説で、子どもの僕はプロレスの本なんかで見て話だけは知っていたんですが、実際の映像をなかなか見れず。この試合のアングルの壮絶さは『1976年のアントニオ猪木』という本に詳しく書いてあるので、ぜひとも読んでいただきたいですが(この本、マジで面白い!)、要するにアリ戦で名をあげた猪木に、ペールワンが挑戦して猪木をパキスタンに招聘。猪木を倒して世界に名を売ろうとしたペールワンがシュートマッチを仕掛け、猪木が顔面蒼白でリングに上がらざるを得なくなった、みたいな流れ実際のところだったみたいです。
 というわけで、台本ありのショーをやるのか、真剣勝負をやるのか、その境界があいまいなまま試合が始まった雰囲気。ペールワンが相手の技を受けずに関節を取りに来た所で、猪木が「キラー」に変わるんですが、そこからがすごいです。猪木についての「キラー」という言葉には恐らくふたつの意味があって、一方はシュートの技術を持っているという事、もう一方は目に指を突っ込もうが相手をコロそうが勝つという領域に踏み込む事じゃないかと思っていますが、その試合は両方が飛び出してきます。
Inoki_AcrumPaleOne.gif 猪木って、ゴッチにシュート技術を叩きこまれて強くなったなんて言われますが、実際にはゴッチに教わる前から日プロ道場最強だったらしいですよね。日プロにはスポーツ柔道ではなく高専柔道を経験してきた人も、アマレス強豪もいて、猪木はそういう人達とずっとスパーリングしてたらしいです。皆がそういうスパをしていたわけではなく、たとえば馬場は…(^^;)。。そんな猪木がヤバそうな試合になると使う技にダブル・リストロックというものがあるんですが、これがペールワン戦の切り札になります。
 実はこの試合、よく見ると1ラウンド開始早々、猪木はいきなりダブル・リストロックを決めちゃってます。完全に逆に入っちゃってるので、本気で絞めればここで試合終了だったんじゃないでしょうか。でもなんでそうしなかったのか…格闘技の素人の僕にはよく分かりませんが、シュート試合かどうかまだ判断しかねたからだった気がします。というのは猪木が自分からリストロックを解いているので。
 ところが、相手が嚙みついたとアピールした後のダブル・リストロックはそうではありませんでした。逃げようとする相手の体が回転できないよう足で捉え、そのまま身をそらせてあり得ない角度に相手の腕を捻じ曲げ、そのままV字アームロックに移行…折れ曲がる腕の角度がヤバいので、心臓の弱い人は見ないほうがいいかも。
 ダブル・リストロックやV字アームロックって、僕はUWF登場以降にようやく認識するようになりましたが、それ以前はつなぎ技程度にしか思っていませんでした。それが実際には相手を潰してしまう実践的な技だと知ったショックは大きかったです。1Rもフィニッシュ時も、猪木は相手の手首(指?)を捻じ曲げて一気に持っていっているように見えるので、知らなければ防げないんでしょうね。シュートマッチを仕掛けるほど格闘術に自信があったペールワンが、同じ技を2度とも防げなかったわけですし。
 もうひとつすごいと感じたのが、キラー化した時の猪木の非情さ。山本小鉄さんが「笑って相手の眼の中に指を突っ込めるのは猪木さんと佐山だけ」なんて言っていた事がありますが、それを目の当たりにしたのもこの試合でした。相手の目に指を突っ込んだらしいんですよね、しかもカメラに写らない場所を計算したうえで。試合後の猪木のインタビューで「相手が噛みついてきたからやった」みたいに言ってましたが、僕は猪木が先に目つぶしに行ったんじゃないかと思っています(^^;)。あと、ケツに指も突っ込んでるし、くるぶしで顔面も破壊に行ってますよね、この試合。70年代の日本で、高専柔道、ビリー・ライレー・ジムで教えていたシュート対応のレスリング、さらに元力士とスパーリングを行っていた格闘家って、そうはいなかったと思います。

Inoki_Ohki.jpg■大木金太郎銭
 試合は大木が得意の頭突きを繰り出し続け、猪木が流血。そして最後に猪木が大木をバックドロップ一発で沈める逆転劇。というわけで、若い頃は単純すぎておもしろく思わなかった試合ですが、この試合の面白さってアングルなんでしょうね。プロレスに嵌って歴史を知るたびにだんだん面白く感じるようになりました。
 日本人同士は戦わない(大木さんは韓国人ですが)という垣根を越えて、力道山の作った日本プロレス最後のエースだった大木と、その日本プロレスを追い出された猪木が果し合いをする大一番。さらに、腐敗しまくった日プロで、坂口は活路を見出そうと新日と合流しようとするも、大木はそれに反対。猪木からすると大木はコロしたくなるほどむかつく事を色々やってくれた人なんですよね(^^;)。さらに、馬場が大木や小林との対戦を避けていたという事を利用し、「馬場は逃げたが猪木は戦った」というストーリーを仕掛ける興行としてのガチさも面白いと感じます。

■パク・ソンナン戦
 韓国人レスラーのパクと猪木もシュートマッチを戦ったと言われています。でもこのDVDでの試合は残念ながらシュートマッチの翌日に行われたテレビ放送用の試合。だから、ただのプロレス(^^;)。でもアングルを知るとちょっと面白くて…このアングルは『1976年のアントニオ猪木』に書いてあるので、興味あったら読んでみて下さい。
 前日に猪木がシュートマッチを仕掛けてブックを破ってムチャクチャにしたらしく、「その借りを返せ」と迫る韓国側の要求を猪木が受け入れなかったもんで揉めに揉め、その話し合いで試合が遅れたらしいです。ようやく出てきたと思ったらパクの顔にあざがある…前日にやられたのはこれか。。実際、試合中のパクさんはたしかにビビりまくっているように見え、文字通り腰が引けてる(^^;)。というわけで、シューターとそうじゃない人がガチでやると、こういう事になっちゃうんだなあという事が分かる試合でした。昔、ブロディとレックス・るがーという人の試合を観た時、途中でブロディの顔色が変わって相手の攻撃を受けず、ムッチャクチャかたそうな攻撃を入れたらるがーがマジで逃げた試合を見た事がありますが、そういう匂いのする戦いでした。

Inoki_Sin_Udeori.jpg■タイガー・ジェット・シン戦
 新日が出来て間もなく、外人のメンツから日本人選手の顔ぶれまで、何もかも馬場の全日本に負けていた時代。猪木とシンの数ある抗争の中でも特に有名な「腕折り」が行われた試合です。外人レスラー招聘を馬場に妨害されまくった猪木は、無名のインド人レスラーを凶悪ヒールにして、外人レスラーの看板にまで持っていくのでした(^^)。
 東京・新宿でシンが猪木を襲って暴行事件として警察が出動する事態に発展するなど、虚実入り乱れた仕掛けが半端ないです。八百長と分かったうえで大らかに楽しむ相撲や全日や今のプロレスと違って、「あれ?新日ってマジなのか?」というグレーゾーンで勝負してたんでしょうね。実際、子供の頃の僕は「全日は八百長だけど新日はガチ」と思ってましたし。ちなみに、新宿襲撃事件で、新日は警察から説教を喰らったそうで…そりゃそうですよね(^^;)。
 この試合は客をヒートさせる事に特化していて、長時間にわたってシンの反則攻撃が続き、猪木の顔面は血で真っ赤に染まっていきます。トマトジュースかもしれないけどその流血量が半端ではないし、客も蹴散らされてます。これ、客として観にいったら、本当に怖かっただろうな(^^)。そして最後の最後に、怒り狂った猪木がシンの腕を折りに行き、シンが戦意喪失した後も執拗に腕を折りを繰り返し…もう、これ猪木の方がヒールじゃん。
 実際には折れてなどいない気がしますが、客を熱狂させるためには何でもアリというこの過激なハングリーさが黎明期新日本プロ時代の猪木の魅力。だいたい普通の人間だったら、億単位の借金を抱えて新しい事業になんて乗りだせないですから、それをやってしまう猪木や円谷英二という人たちは、「失敗したら死んでもいい」という覚悟で事にあたっていたんでしょう。昭和の実業家のそういう所はとても自分にはまねできない所で、そういうところにも学ばされるものがあります。仕事って、命を懸けるに値するものに自分ですべきなんですよね。
 僕が幼少期に抱いていたプロレスのイメージって、シンと猪木の戦いなんですよね。流血して腕折ってという一種の残酷ショー。試合の間に入るショベルカーのCMが唯一の安らぎ…みたいな(^^)。

 この「キラー猪木」シリーズ、元々はVHSで13本に分けてばら売りされていました。それがDVDでは4枚にまとめられ、さらにその4枚をまとめたボックスも出ています。このシリーズが他のDVDと違うのは、編集者のターザン山本の解説や猪木へのインタビューが後に入ってる事です。これが素晴らしくて、試合のアングルがよく分かるんです!プロレスって、なぜその戦いになったのかというアングルや、相手の何が素晴らしいのかという部分がすごく大事。プロレスじゃなくっても、試合ってそういうのが大事だと思うんですよね。例えば、野球の巨人vs阪神でも、シーズン終盤での消化試合と、勝った方が日本シリーズ進出が決まる優勝決定戦だったら、興奮度が100倍は違うじゃないですか。「キラー猪木」シリーズのすばらしさは、同じ試合が収録されたビデオより、このアングルをきっちり描き出してくれているので、猪木さんの試合を見るなら、僕は「キラー猪木」のシリーズがいちばん好きです。そしてこの第1集は、シュートマッチ、前代未聞のプロレス流血マッチ、そして猪木のワンサイドゲームという、まったく違う3つが観れるので、ひとつだけ選ぶならこの1集がいいんじゃないかと!


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『伊東ゆかり / MISTY HOUR』

ItoYukari_ MISTY HOUR 杉山清貴&オメガトライブの音楽を作っていた林哲司さんの作曲といえば、竹内まりや「SEPTEMBER」、中森明菜「北ウイング」、菊池桃子「卒業」(名曲!)。編曲としてはしばたはつみ「マイ・ラグジュアリー・ナイト」(超名曲!)あたりが有名ですが、プロデューサーとしてはこういう名アルバムも残しています。なんと和製ポップの代名詞・伊東ゆかりさんが80年代になって発表したアルバム…と言いたいところですが、伊東ゆかりさんって80年代にいいアルバムを連発してるんですよね、ぜんぜん知られてない事だと思いますが(^^;)。これは82年発表のアルバムです。

 杉山清貴&オメガトライブのデビューが83年なので、このアルバムはまさに直前。作曲やプレーヤーとして今剛、松原正樹、井上鑑、高水健司といった日本のトップ・スタジオ・ミュージシャンがズラリと参加していて、このメンバー通りの、日本最高峰のクロスオーヴァー/フュージョン系AORを聴くことが出来ました。演奏がいいのは想像がつくところでしたが、曲がとにかく良かったです!あまり売れたアルバムではなかったみたいですけど、日本のAORの名盤と言って間違いないんじゃないかと。

 その半面で少しだけ残念に思う所も。あまりに洋楽そのまま過ぎるんですよね。音楽の完成度自体は非の打ちどころなしと思うんですが、音楽のような文化までアメリカ丸パクリというのが、日本人としてなんだか悔しかったです(^^;)。伊東ゆかりさんって、この少し前にも似たようなアルバムを出しているんですが、そちらの作家は松山千春さんや来生たかおさんなどで、どこかに日本らしさを感じました。わずかな差かも知れないけど、そのわずかが僕にとっては大問題、みたいな。

 というわけで、林哲司さんという素晴らしいミュージシャンがプロデューサーとして創り上げたメチャクチャ完成度の高いアルバムと同時に、80年代に入って音楽ですら完全にアメリカに乗っ取られたさまを目の当たりにしたアルバムとも感じました。あ、伊東ゆかりさんについてぜんぜん書きませんでしたが、この頃ってなんだか竹内まりやに似ている…って、たぶん竹内まりやの方が手本にしたんでしょうね、このアルバムにもコーラスで参加してましたし。日本のポップスを語るに欠く事のできないシンガーの伊東さんについては、また日を改めて書こうと思います。


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『カルロス・トシキ&オメガトライブ / The Greatest Hit あの頃の私へ....』

CarlosToshikiOmegaTribe_AnokoronoWatashihe.jpg 杉山清貴&オメガトライブが解散するや否や、プロデューサーの藤田浩一さんはすぐに手を打ちました。まだ音楽活動を続けたいメンバーを押さえてバンド名を維持し、さらにバンドの核となるミュージシャンとしてギタリストの黒川照家も招聘。そしてフロントに中性的な声を持った日系ブラジル人のカルロス・トシキを据えてオメガトライブを再始動!カルロス・トシキをフロントに据えたこのバンド、最初は「1986オメガトライブ」名義、途中からカルロス・トシキ&オメガトライブに名称を変えて活動しましたが、このベスト盤はこのふたつのバンドを合わせたものでした。

 その前に、ちょっとプロレスの話を。80年代に一世を風靡した初代タイガーマスクのデビュー戦、僕はテレビで観ていましたが、最初は失笑どころか怒りを覚えました。ストロング・スタイルの新日がアニメとタイアップなんて何やってんだよ、みたいな。ところが試合が始まると、今まで見た事もないような技の数々が飛び出し、またスピードとキレが凄くて、終わってみれば魅了されていました。最初が肝心、良い物であれば雑音なんて簡単にひっくりかえせるんですよね。
 これと同じ経験を、僕はオメガトライブ再出発となった曲「君は1000%」で経験する事に。「へ?カルロス・トシキって何だよ、ヴォーカル差し替えでうまくいくのか?」が最初の印象で、歌い始めても棒読みに思え…ところが、AOR 調のデジタルで抑制されたサウンドにその声は絶妙にマッチしていたのです。バンドも歌と伴奏をつなぐギタリストが入る事で、スタジオ・ミュージシャンのセッション的な音楽から脱却、音楽がアンサンブルして鳴り始めたのでした。終わってみれば、「いいじゃん、もしかして杉山清貴よりいいまであるんじゃないの?」みたいな。

 この素晴らしさは、「君は1000%」だけでは終わりませんでした。作曲家は林哲司さんから和泉常寛さんに移行、サウンドにジャズ系のテンションがバシバシ入るようになり、さらにAORサウンドが本格化。シングルB面「Your Graduation」、セカンド・シングル「Super Chance」のいずれも見事。そしてややブラコンに寄ったサード・シングル「Cosmic Love」とそのB面「I'll Never Forget You」で確信に変わりました。これは良い意味でのフュージョン、日本でこれを超えるサウンドを創ったチャート音楽があっただろうか、みたいな。杉山さん時代もいいけど、オメガトライブの完成形は、黒川さんがいた1986オメガトライブ時代と僕は思っています。

 しかしタイガーマスクがあっという間に新日本プロレスを去ったように、黒川さんもあっという間にバンドを去ります。そんな黒川さん去りし後に改名したのが、カルロス・トシキ&オメガトライブ。ある例外を除いて、黒川さん在籍時代と同じ路線で、これも良かったですが、黒川時代にはちょっと届かないかな。。

 80年代代なかばは日本のアイドル歌謡全盛でしたが、その一方で、ついにポップスの中から大人の鑑賞に堪えるものを生み出した時代でもありました。大貫妙子、小比類巻かほる、大沢誉志幸、もうちょっと後だとオリジナル・ラブ。オメガトライブもその流れの中にあったユニットで、素晴らしい音楽をいくつも残したグループだったと思っています。実質的にはギタリストからプロデューサーに転身した藤田浩一さんの思い描いた音楽だったのでしょうが、彼が音楽を理解できている人だった事が大きかったのでしょう。そんな藤田さんも鬼籍に入りはや10年以上。日本でポップスが大人の鑑賞に堪える音楽として成立させられたかもしれないチャンスは、もう来ないのかも知れません。


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『杉山清貴 / プレミアム・ベスト』

SugiyamaKiyotaka_PremiumBest.jpg 自分たちの曲をやらせてくれないどころか、演奏すらさせてもらえずに怒りの解散を行ったオメガトライブ。そんな中、唯一レコーディングに参加できたヴォーカルの杉山清貴さんは災い転じて福となすというか棚からぼた餅というか、ものの見事にソロデビュー!揉め得ですな。というわけで、杉山清貴さんのベスト盤です。

 驚いたのは、曲のほとんどを杉山さん自身が書いていた事。杉山さんがソロになってからヒットさせた「さよならのオーシャン」も「風のLONELY WAY」も、杉山さん作曲でした。ほら、楽器を演奏しないバンドのヴォーカリストって、作詞は担当しても作曲はしないのが相場じゃないですか。しかもオメガトライブは実際にプロ作曲家の曲を歌っていたんだし。というわけで、これは解散という謀反成功ですね(^^)。
 でも、面白かったのはその2曲だけでした。この結果を見るに、杉山清貴&オメガトライブのシングル曲をすべて書いた林哲司さんはさすがにプロ作曲家という事なのかも。好きか嫌いかはおくとしても、聴きどころがない曲はひとつもなかったですからね。

 前回、バンドに作曲どころか演奏の機会も与えなかったプロデューサーを悪者扱いしてしまいましたが、でもそのプロデューサーはバンドをきっちりと売り、好きな事をやった杉山さんは売れなかったわけですから、セールスという意味ではプロデューサーの判断は正しかったのかも。自分がやりたい事をやるのは重要だけど、職業として音楽をやる以上は売らなくてはいけない責任もありますし、産業音楽の難しさってこのへんかも知れません。


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『杉山清貴&オメガトライブ / THE OMEGA TRIBE』

SugiyamaKiyotaka and OmegaTribe_THE OMEGA TRIBE 1983年にレコードデビュー、夏向きのさわやかな日本版AORを聴かせて注目を集めるも、あっという間に解散してしまったバンド・杉山清貴&オメガトライブのベスト盤です!実は、けっこう最近までオメガ「ド」ライブだと思っていたニワカな僕ではありますが(^^;)、「ふたりの夏物語」や「Summer Suspicion」といったシングル曲は、今までの日本のチャート音楽にない新しさ感じ、すごく好きでした。

 83年から85年という活動期間は、自分に置き換えれば、ほぼ中学時代。中学生からみれば、車に乗って夜のマリーナを走って…みたいな詞や、フュージョン気味の洗練されたサウンドは、すごく大人に感じました。ヴォーカルは透明感ある声だし、バンドは他のバンドより一歩抜きんでたうまさなんじゃないかと感じてもいました。83~85年ごろの日本で、LAのスタジオ・ミュージシャンを使っていた矢沢永吉のオケと五寸で勝負できるとしたらオメガトライブかも、と思ったほどです。それぐらい素晴らしく感じたんですよね。

 ただ、少しずつ歳を重ねて聴きなおすたびに、疑問を感じるようになっていったんですよね。まずは作家陣。僕みたいなニワカでも知っている有名なシングル曲は、すべて作詞作曲が康珍化&林哲司。プロ作家から当てがわれたものを演奏していたのです。それはいい面もあって、たとえば作曲で言えば、どの曲も絶対にフックとなるコード・プログレッションを挟んであるので、聴きどころのない曲はひとつもない状態。このへんはさすがプロ作曲家の作品、いま聴いても本当に素晴らしいと感じました。
 しかし、という事はオメガトライブというのは自分たちで作詞作曲をするバンドではない事になりますよね?チェッカーズみたいなアイドル・バンドならそれも分かるけど、これだけ素晴らしいプレイをするバンドが自作の曲を演奏しないのか…ここが最初の疑問点でした。

 次の疑問が、これって影武者の演奏ではないのか、というもの。どの曲もバンド隊は、主メロに絡まず伴奏しかしないんです。普通バンドって、歌に絡む演奏をするもんじゃないですか。対メロ入れたりフィル入れたり、なんかしますよね?でも誰もそれをしないで、キーボードはコードを押さえてギターはミュートピッキング、ドラムもベースも何もしません。対メロが入るとしてもプログラミングか弦…つまり、書き譜でしかアンサンブルせず、こういう演奏が長年活動を共にしてきたバンドのサウンドとはとうてい思えなかったのです。では、どういう人がする演奏か…アレンジャーやバンマス不在のスタジオ・ミュージシャンが、初見でリードシートだけ見て演奏した音楽…ですよねえ。。
 これと似た演奏を、僕はショーグンで経験した事があったんです。あれも全員スタジオ・ミュージシャンのバンドなので、演奏自体はうまいけど、だれもアンサンブルを作りに行かず、自分の仕事だけを淡々とこなすんです。というわけで、曲や雰囲気はいいけど内容の薄い、ガワから作った音楽と感じるようになっていったのでした。

 そして今回、CDを聴きながらオメガトライブについてネットで何気なく情報を集めていると…ええええ~レコーディングで本人たちは全く演奏させてもらえなかったって、マジか。。スタジオ・ミュージシャンの集団じゃなくて、影武者のスタジオ・ミュージシャンが演奏していたというのが実態。たとえ良い物を作るためにせよ、これはやっちゃダメなんじゃないか。。自分たちで書いた曲も取り上げてもらえず、演奏もさせてもらえないんだったら、早期解散も起きますわな。

 舞台裏がどうでも、また音楽がパーフェクトまでは行かなくても、やっぱり好きな所が色々ある音楽です。日本の夏のBGMといえば、サザンにオメガにチューブですしね(^^)。また、杉山清貴さんを以前より少し好きになれたりもして。僕、若い頃は杉山清貴&オメガトライブって、杉山清貴がピンで活動したくて脱退したと思ってたもんで、杉山さんを裏切者みたいに感じていたんです。でも実際はそうではなく、このひどい仕打ちについてメンバーみんなで話し合い、満場一致で解散を決意したそうな。ああ、杉山さんは悪い人じゃなかったんだ。ここからバンドは、杉山清貴のソロと、カルロス・トシキを擁して立て直した新生オメガトライブへと。その話はまた次回(^^)。


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『マーラー:交響曲第9番 ショルティ指揮、シカゴ交響楽団』

Mahler Symphony9_Solti_ChicagoSym 交響曲ごとに違う指揮者&オケでマーラーを聴いてきて、自分なりにたどり着いた答えが、「マーラーのシンフォニーで感動させられたものは、ショルティ&シカゴ響の演奏に多かった」という事。ショルティはマーラーのシンフォニーをモノ時代とステレオ時代でそれぞれ録音していて、モノ時代の演奏がまた凄いらしいのですが、僕は8番「千人の交響曲」や2番「復活」のステレオ録音の音場感に圧倒された経験があるもんで、ステレオ盤を優先して聴いてしまっています。最初からモノとどっちがいいかとか考えず、一の太刀にすべてを賭けるのです、それでが良ければ他なんてどうでもいい、みたいな(^^)。聴く曲は、僕の近くにいるマーレリアンが一番好きな曲という交響曲第9番です!この曲、初演される前に本人が死んでしまったもので、マーラーは聴く事が出来なかったんですよね。。人生のそれぐらいの時期に書いた曲でもあるからか、死を意識して書かれた交響曲とも言われています。

 ステレオ音場がやっぱり凄すぎ、それでいて各楽器の明瞭度が美しい…オーケストラの録音って実はグラモフォンよりロンドンの方がうまいんじゃないでしょうか。もちろんグラモフォンの録音に感動させられたことは何回もあるんですが、それぞれの楽器が若干不鮮明に感じる時があるんですよね。
 というわけで、第1楽章冒頭の美しいスコアと見事な演奏がより鮮明に伝わってきて、もうそれだけで感動。そして30分のある第1楽章、もうこれだけで単楽章のシンフォニーと言ってもいいんじゃないかというほど目まぐるしく展開。
 2楽章はかわいらしい雰囲気の舞曲調な主題がドラマチックにあっち行ったりこっち行ったりするもの。舞曲と言っても貴族の優雅な舞踏会ではなく、子どもがけらけら笑ってふざけながら踊ってるみたいな感じでした。しかしこういう楽章に18分もかけるのか…後期ロマン派は、典型的な日本人の僕にとっては長すぎ、もっと57577ぐらいまで要約して伝えて欲しいなあ(^^;)。
 3楽章はアレグロ・アッサイな勇壮的な音楽。それが感動的な所に行ったのは驚き。これがまた旨を打つほど美しいから余計に当惑、なんでこんなころころ変わる必要なあるんだろう、何か後ろに音だけ聴いていたら分からない物語があるんじゃないだろうか、みたいな。
 4楽章はアダージョ。ロンドというか変奏曲というか、美しいアダージョが螺旋状に変化しながら…これって天に昇っていくイメージなんじゃないでしょうか。その中に何度か聴こえてくるメロディは「亡き児をしのぶ歌」。マーラーの交響曲3番の最終楽章とか、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」みたいな、後期ロマン派のいい曲の典型みたいなものってあるじゃないですか。あれを極限まで進めたものといった感じがしました。

 良し悪しや好き嫌いはともかく、マーラーのシンフォニーは基本的に雄弁。話があっちこっちに飛んで、じいさんのように話が長く、実は多動なんじゃないかと思う時もあるほど。ただ、アンダンテから始まり、舞曲、アレグロ、そしてアダージョで終わるこの4楽章の構成としては、間引く事のできる楽章はないとも感じました。冒頭に書いた「死を意識して」というのは、たとえば死の恐怖や闇を描写したわけではなく、死が恐怖ではなく救いの「昇天」であって欲しいと願う最終楽章があり(だからあんなに美しいんじゃないかと…)、すべてはここから逆算して描かれたのではないかという気がしました。今回、このシンフォニーを立て続けに2回聞いたんですが、最後の昇天(それが昇天だとして)の後に冒頭のアンダンテの美しさを聴くと、それが人生の追想のように感じるんですよね。で、そこから一気に人生の色んなことを振り返るのが第1楽章。子供時代のあの人生の最後の時なんて思っても見なかった天真爛漫と世界に好奇心を持っていた子供時代をふり返ったのが2楽章…みたいな。これは人の生きて死ぬまでを情緒的に描き出したシンフォニーなのかも。
 もしこういうコンテキストを何も想定できずに聴いたら、つまらない音楽なのだと思います。なにせ若い頃の僕がそう感じたんですよね、18分も日向ぼっこで遊んでいる子供の仕草をトレースしやような音楽を「素晴らしい」と聴く方が不自然だろ、みたいな。でも、これが死を前にした人が人の一生がどのような感情体験を巡ったものであるのかとか、何らかの物語が背景にあるのだと想定できたら話はまた違ってくると思います。マーラーに限った話ではないですが、後期ロマン派って音楽だけじゃないんですよね、きっと。詩も絵画も物語もみな人本的という所で一本に繋がっていて、そういうものだと思った時に、いきなり分かった気になる、みたいな。


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『マーラー:交響曲第6番《悲劇的》 ブーレーズ指揮、ウィーンフィル』

Mahler_Symphony6_Boulez.jpg マーラーの交響曲は、2番から8番「千人の交響曲」までがひとつの塊に感じています。1番は意気揚々とした序章、10番は未完成だし、9番は今までのものを総括した内容、みたいな感じがして。そんなマーラーの交響曲のうち2、3、4、8番は独唱または合唱つきで、真ん中の5~7番が純粋オケものです。5番と7番「夜の歌」はちょっと前に聴いたので、今回は真ん中の6番「悲劇的」を聴いてみよう、そうしよう。あ、そうそう、マーラーの「悲劇的」は、スケルツォが2楽章で演奏されたり3楽章で演奏されたりしますが、このCDでは2楽章がスケルツォで、あの美しくもどこか不穏さただよう緩徐楽章は第3楽章でした。僕もこの並びの方がいいと思うな~(^^)。

 僕が若いころにこのCDを買った動機のひとつは不純なもので、マーラーの6番がCD1枚に収まっていたから( ̄ω ̄)。もうひとつの動機は、前衛音楽の代表的作曲家のブーレーズが指揮者だったことです。あの前衛三羽烏のブーレーズがマーラーを振るのか、と当時の僕は思ったんですよね。それまでのマーラーと言ったら、やっぱ後期りロマン派音楽という感じで、色々と盛り盛りで不要と思えるものまでどんどんくっつけて、純音楽としては構造なんてとてもじゃないけど終えるようなものじゃなくなっていると感じてたんです。でもそんな音楽でも、トータルセリーの作曲家が振ったら、けっこう構造の把握しやすいマーラーに仕上げてくれるんじゃないか、みたいな。

 この期待は、ある程度は当たってたんじゃないかと思います。4楽章通してのバランスがいい気がするし、実際に演奏時間も短いですしね(といっても79分25秒と、CDの収録時間ギリギリ^^;)。大長編小説を情感たっぷりで語るようなマーラーが好きな人には合わない演奏な気がしますが、僕みたいな人にはうってつけの演奏だったかも。でも、そういう問題じゃなかった。ここまで簡潔にまとめてくれても、マーラーのシンフォニーは長すぎる…6番を聴いたのは久しぶりであったにせよ、それにしても何も覚えてませんでした(^^;)。第1楽章からして23分、1楽章の中間部に来たころには僕はもう主題すら忘れているのでした(T_T)。

 というわけで、どうせ覚えてられないなら、カラヤンの演奏みたいに突っ走ったり情感越えて演奏したり情感たっぷりにやってもらって、構造なんて追わずに音だけに身を任せて聴いた方がいい音楽なのかもな、な~んて思ったりしている時点で、僕は中期のマーラーのシンフォニーにまだ出会えてないんじゃないかと。ただ、僕はマーラーのシンフォニーに大感激した事があって、それは2番と8番。どちらも、「マーラーのシンフォニーって、青春時代を生きて、そして死んで昇天するまでを常に描いてるんじゃないのか」と思って、そう感じた瞬間に涙が止まらなくなったんです。いまはまだ6番について自分の中で勝手に結論を出さず、その時が来るのを待とうかと思っています。


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『マーラー:交響曲第1番《巨人》 ショルティ指揮、シカゴ交響楽団』

Mahler_Symphony1_Solti_ChicagoSym.jpg 「さすらう若人の歌」とちょっと関係があるのが、マーラーの交響曲第1番「巨人」です。1楽章の第1主題が「さすらう若人の歌」の中の「朝の野原を歩けば」のメロなんですよね(^^)。これはショルティによる「巨人」2度目の録音で、1983年録音盤です。

 マーラーの交響曲第1番は健康的で前向きで明るくて、しかもマーラーのシンフォニーにしては比較的コンパクトなので(といっても1時間弱あります)、聴きやすいです。第2楽章のワルツは有名ですし、第3楽章のメロディはフランス童謡「Are you sleeping?」、最後は派手に大団円します。なんでもシンフォニー1番は、マーラーの青年時代を表現したものとして構想されたんだそうです。なるほど、だから前向きではつらつしてるんですね。
 で、この「前むきではつらつ」の感じ方が、僕の場合は聴く年齢で変わってきました。若い頃はあまり好きじゃなかったんです。もっと激しく、もっとヤバく、もっと強烈に…みたいなものに惹かれていたので、ぬるく感じたんですよね。でも「今は死ぬまでに残された時間で何が出来るかばかり考えてるけど、若い頃って夢を見て将来の事ばかり考えてたなあ」なんて考えるようになった40代後半になってこれを聴くと、これって「歳を取ってから振り返ってみた」青年期の前向きさなんじゃないかと思えてきて、ほろっと来てしまいました。

 音楽的に好きなのは演奏に20分近くかかる最終楽章の4楽章。激しい短調から始まって雄大な長調に抜けるドラマ(すごく単純化して書いてますが、途中で美しくなったり、また妖しくなったり、最後に1楽章の主題際限があったり、いろんなドラマがあります^^)、これだけで単独楽章のシンフォニーと言っても過言じゃないです!僕にとっての「巨人」は最終楽章です。

 逆にいうと、1~3楽章はちょっとわからないのです。いや、音楽的には童謡を用いてるぐらいだからすごく分かりやすいんですが、なんでこういうものを使うのかというところが、絶対音楽が好きな僕には理解しにくかったんですよね。単純化して言うと、1楽章はファンファーレっぽく、2楽章は宮廷舞踊調、3楽章は童謡ですから、音楽そのものじゃなくて、言葉で語れるような物語が実はうしろにあるだろ、みたいな。で、今回初めて知ったんですが、それぞれの楽章にはもともと標題がついていたらしいです。1は「終わりのない春」、2「順風に帆をあげて」、3「座礁。カロの葬送行進曲」、4「地獄から天国へ」みたいな。そうそう、もともとは5楽章で、第2曲に「花の章」という楽章があったそうで。だから、純音楽としてではなく、音で作った物語として聴いた方が、よりこの世界に浸れる音楽だとは思いした。それはこの曲に限らず、マーラーのすべてのシンフォニーに言える事だと思います。


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『マーラー:歌曲集《さすらう若人の歌》ほか 鮫島有美子(soprano)、ドイチュ(pf)』

Mahler_kakyokushuu_SamejimaYumiko.jpg マーラーの歌曲を収録したCDです。歌っているのは日本の音楽を取りあげて有名になったソプラノ歌手の鮫島有美子さん。クラシックの声楽科の人って、ドイツ語でもフランス語でも歌っちゃう人がいるけど、本当にすごいと思います。あれってネイティヴな人が聴いても違和感ない発音なのかな、カルロス・トシキやアグネス・チャンぐらいの違和感は感じるんでしょうか(^^;)。でも僕がこのCDを聴いたのは鮫島さん目当てではなく、オーケストラではなくピアノ伴奏でのマーラーの歌曲が聴きたかったからでした。歌伴聴くならヘルムート・ドイチュって超一流じゃないですか!

 収録は、「さすらう若人の歌」全曲、あとは「若き日の歌」、「子供の不思議な角笛」、「リュッケルトの詩による歌曲」より何曲かを抜粋。というわけで、「さすらう若人の歌」がメインで、あとはマーラー歌曲のオムニバスという感じでした。入門用にいいですね。
 マーラーの歌曲ですが、ピアノ伴奏だとけっこうポピュラー音楽っぽく感じました。それを言ったらロマン派歌曲はみんなそうですが、少なくとも芸術音楽という感じではなかったです。詞でいえば「僕の恋人の青い瞳が~」みたいなものが多め(「子供の不思議な角笛」はもう少し物語っぽかったです)、音楽も機能和声のリート形式の範囲での創作。20世紀に生まれたロックでジャズな僕にとっては、もっと過剰なものを期待してしまったりして(^^;)。でも100年以上前に作られた曲なんだし、こういうパラダイム・シフトは発生して当然なのかも。

 演奏は、鮫島さんとドイチュのコンビネーションが素晴らしかったです!鮫島さんのCDは日本の古い歌を唄ったCDを聴いた事があって、それが本当に素晴らしかったんですが、よもやヨーロッパのリートまでこんなにうまいとは思いませんでした。ドイツ語の発音とかは僕には分かりませんが、歌の表現はたっぷり。また、ドイチュさんのピアノは相当にエスプレッシーヴォ、これもやっつけ仕事の伴奏仕事なんてものではなく、心の入った素晴らしい演奏でした。

 このCD、CDジャーナルでは「マーラーの音楽の深さには遠く及ばない」みたいな上から目線のレビューがされていましたが、その意見って僕と正反対、僕は「演奏は素晴らしいけど音楽がイマイチ」と言ってるわけですから(^^;)。まあ、名前だけ見てよいとか悪いとかいう人もいますしねえ。その批評家が自分でちゃんと聴いてそう書いたならまだいいですが、そうじゃないとしたら音楽家にとっても音楽界にとっても邪魔なだけなので、そういう人は業界から消えて欲しいと願うばかりっす。というわけで、いい音楽でした!


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『Lou Reed & John Cale / Songs for Drella』

Lou Reed John Cale_Songs for Drella 1990年発表、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド以降は袂を分かっていたルー・リードとジョン・ケイルが共演したアルバムです。タイトルになっている「ドレラ」とはアンディ・ウォーホルのあだ名。ふたりともヴェルヴェッツ時代には世話になった人ですからね(^^)。ふたりがウォーホルへの想いを語るかと思いきや、ウォーホルの視点から語られる物語が多くて、そのへんのセンスの良さはさすがだと思いました。

 曲はルー・リードが10曲、ジョン・ケイルが5曲を提供。ふたりの他にプレーヤーは参加していない完全無欠のデュオでした。エレキギターとピアノがメインですが、曲によってはシンセをストリングス代わりに使ったりベースの代用をさせたりしているので、純粋なデュオ・アンサンブル以外のものもある、みたいな。
 ギターはけっこうなディストーション・サウンドでしたが、ディストーション・ギターとアコースティック・ピアノの二重奏って面白くないですか?アレンジは簡単ではないと思うんですが、アイデアが見事で、「Works」や「Images」はなるほどディストーション・ギターとピアノ2重奏である必然性を感じました。いやあ、これはカッコいいわ、よくこういうのを思いつくなあ。
 純粋なデュオ・アンサンブルでない曲も面白くて、「A dream」は美術館で聞ける良質の環境音楽に聴こえ、当時音大生だった僕は思いっきり反応しました。「将来こういう美術関係のサウンド・インスタレーション的な仕事もしてみたいな、その為にもこういうのも見て勉強しておかないと」なんて思いましたしね。美術や音楽に興味がある学生の知的好奇心を刺激する知性的なものを感じたんです。

 ただ、そのアレンジや演奏は、もう一歩の踏み込みのないアイデア止まり。シンセの音はプリセットっぽいし、アレンジや演奏だってここからもっともっと仕上げていけると思うんですが、その踏み込みは無し。そのへんを聴くに、企画先行だったんだろうと思います。

 このアルバム、発表当時はレコードの他に演奏風景も入っているレーザーディスクが出ていまして、僕はレーザーディスクの方を買いました。多少のダビングはあったかも知れませんが、僕にはこれが当てぶりには見えなかったんですよね。あれってスタジオで撮影したのかもしれないけど、演奏はライブだったんじゃないかなあ。でも今はハードが壊れてしまって見る事が出来ません…そういうレーザーディスクを僕は10点ほど持っていますが、どうしたらいいんでしょうね。
 映像で面白いと思ったのは、ふたりの背後にモナリザの絵が飾ってあって、それが途中で照明を使ってぐわっと色が変わる所。これは「おお、ポップアートだ!」とかなり感動したのを覚えています。
 あと、こういう小さい編成なので、ルー・リードはリフやソロなど真面目にギターを弾かないといけないのですが、そういうルー・リードは観た事がなかったのでそれを見れたのもの良かったです。かなりたどたどしかったなあ(^^;)>。
 自分が本格的にミュージシャンになりたいと思って一生懸命勉強している頃に出会った思い出の作品。音楽だけやっている人には到底創り上げられない懐の深さを感じた、大好きな作品です。


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『Lou Reed / New York』

Lou Reed_New York 1989年発表、ルー・リード15枚目のスタジオ・アルバムです。ゲスト・ミュージシャンが入る曲もありましたが、ほとんどの曲はギター2本にベースとドラムというシンプルなロック・バンド編成での演奏でした。
 先にザックリした感想を書くと、最初は(2曲を除けば)シンプルなロックンロールでつまらなく感じるも、聞き返すたびに短編小説のような詩の世界の虜になっていきました。色や主張はまるで違うけど、そういう意味で言うとブルース・スプリングスティーンに近いかも。ああそういえば、どちらもボブ・ディランの子孫といった面がありますよね。そうそう、とにかく詩が分からなければ面白さの分からないアルバムと思うので、英語が苦手な方は日本盤がおすすめです。ルー・リードの日本盤アルバムって訳詩が載っていないものも多いけど、このCDはきちんと訳詩が出ていました(発売当初のCDの話です)。

 内容のみならず、韻やら何やらも含めて深みある詩が多いのですが、サンプルにひとつ紹介しておくと、「Beginning of a great daventure」はこんな感じ。

 「自分の子供を10人ぐらい作って、学校に行かせず自分で教育したい。世間の毒気から守るのさ、火の興し方もギターの弾き方も教えて、最後に俺を看取る自由軍を作るのは生まれた甲斐がある…そしたら妻が言うのさ、『ねえルー、それは凄い冒険よ』。」


 ね、いいと思いません?80年代末、若い人が作った音楽が耳に入ってくるとたいがい「君を守りたい」だし、演歌を聴けば「あなたひとすじ」、流行のロックは「ティーンズ・スピリット」。自分で考える事も出来ない頭からっぽの奴ばかりかとゲンナリ、戦後の西洋グローバリゼーションの中にある流行歌なんて心じゃなくて商材であって、馬鹿が聴くものとすら思い始めた20歳の頃の僕でしたが、好きだったのにもう卒業かと思っていたロックの中に、こういう詩があるだけでうれしくなりました。子供を持つ親の視点で、しかもそれが社会に迎合しない内容でかつ正論を吐いた歌なんて、今の日本の流行歌にはひとつもないんじゃないですかね。

 そして、最初は何のひねりもないロックンロール・バンドの演奏でクソつまらないと感じた曲や演奏も、だんだんこうである理由が分かった気がしました。要するに、マシンガントークで語りと歌の中間を行くルー・リードのフォーク・ソングを突き詰めると必然行き着くスタイルなんですね、きっと。
 まずは、マシンガン・トークの理由。積極的な意味としては、さっきあげたような詞は、かなりの部分を語りにしないと成立しません。こういう歌って邦楽やアフリカ音楽や中米など世界中にいくらでもあるので、物語を歌で語ろうと思ったら自然に行き着くスタイルなんだと思います。でも裏の意味もあって、ルー・リードって、歳を重ねるごとにどんどん音痴になって、ピッチが取れなくなりました。だから歌より語りの余地を増やしたい…そういう理由もあったんじゃないかと。

 そのマシンガン・トークを支える演奏が何の変哲もないロックンロールである理由。これは、ルー・リードが若い頃から好きだったもの、好きだけど才能に恵まれなかったもの、そして歌が語りに近いものである事、これらを合わせて洗練していくと、ここにたどり着くのだろうと思いました。
 ルー・リードが好むものをいくつかあげると、シンプルなバンド編成でのロックンロール、他の芸術もひっくるめたニューヨーク・アヴァンギャルド、ボブ・ディランの延長にあるフォーク・リバイバル運動以降のアメリカのフォーク・ミュージック、そこに純粋に音楽や歌を追求するのではない「売れたい」というちょっとした色気や欲が少々、こんなところじゃないかと思います。
 僕がルー・リードに興味を持ったきっかけがヴェルヴェット・アンダーグラウンドだったもので、最初はどうしてもアヴァンギャルドな所に目が行っていました。でも、ヴェルヴェッツのアヴァンギャルドを一流なものにしていたのって、ルー・リードじゃなくてジョン・ケイルの力が大きかったんですよね、きっと。それでも、ルー・リードがやるちょっと実験的な事もたまに成功するものだから、余計になかなか本質を見抜けなかったんですが、ルー・リードがやるアヴァンギャルドって実はうまくないです (^^;)。
 たとえば、ヴェルヴェッツの大名曲「ヘロイン」でのアヴァンギャルドな部分を拾うと、ヴィオラが作り出すペダルとドローンにアッチェルしては元に戻るコロトミー構造と、実は音楽的な裏付けがしっかりしています。で、これは完全に音大に行って現代音楽まで修めていたケイルの力で、それはヴェルヴェッツの大傑作セカンド・アルバム『ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート』も同じ。でも、ルー・リードがやるアヴァンギャルドって、トレモロやリング・モジュレーターを掛けたギターや電子音を1時間以上流すとか、ニューウェーブみたいな音の遊びとか、語りと音楽を別に流すとか、音楽というより美術的な発想です。美術的と言えば聞こえはいいけど、それって音自体が作り上げる構造やらなにやらは何ひとつアヴァンギャルドではなく、むしろ原始的というか稚拙なものが多いと感じます。だから、アヴァンギャルドな事をやればやるほど、それが僕にはハッタリに見えてしまったんですよね。その精神はいいけど技術がない、みたいな。実はこの事に、ルー・リードも気付いたんじゃないかと。「俺はアヴァンギャルドは好きだけど、それをやれるだけの音楽的な教養がない」みたいな。

 だから、アヴァンギャルド精神をなるべく抑え、語りになるためにある程度の即興性に対応できる伴奏の形式を確保し、モダン・アートやロックやフォーク・リバイバル直系のフォーク、みたいな所にこだわると、シンプルな循環をずっと演奏していられるロックンロールはうってつけだったんじゃないかと。

 感心したのは、馬鹿みたいに単純な事をしかやらないと思っていたバンドが、先述「Beginning of a great daventure」ではジャズ的なウォーキング・ベースにターンバックを持ったすごくカッコいい演奏もしちゃったりするんですよ!そして最後の「Dime store mistery」は、チェロを加えたちょっと挑戦的な音楽をやっていますが、これがハッタリになってしまわないように、きちんとアンサンブルされたものになっていました。自分の弱点をルー自身が掴んでいたんですね、きっと。こうなるとアヴァンギャルドもかっこいいです。つまりバンドはロックンロールしか出来ない下手じゃなくて、うまいけど詞のスタイルやコンセプトに従った結果こうしたんだな、みたいな。このアルバムで僕が好きな音楽は「Beginning of a great daventure」と「Dime store mistery」…ロックンロールじゃない曲だけじゃないか(^^;)>。でも好きな詩はいっぱいあって、その詩にロックンロールが合ってるんです。

 モダン・アート、ロック、カントリーではなくフォーク・リバイバル直系フォーク…これらの背景にあるものをひとことで言うと、なるほど共通項はニューヨークです。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを離れて以降のルー・リードがやりたかった事を洗練させていくと、最終的にはこのアルバムか、次の『ソングス・フォー・ドレラ』みたいなものになるんじゃないかと思えます。最初はつまらなく思ったけど、今では愛聴盤となっているアルバムです。


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『Lou Reed / Live in Italy』

Lou Reed_Live in Italy 1984年発表、ルー・リードがイタリアで行ったライブの録音です。ジャケット裏の写真を見ると、屋外競技場みたいな所でのライブだったのかも。それにしては録音がけっこうしっかりしている印象でした…というのは、このレコード、僕はもう手放しちゃって持ってないんですよね(^^;)。

 僕、アルバム『ベルリン』以降しばらくの、グラムでパンクな時代のルー・リードに興味がなかったんです。僕が好きだったのはヴェルヴェット・アンダーグラウンドのアヴァンギャルドな最初の2枚のアルバムや、アルバム『ベルリン』やシングル「ワイルドサイドを歩け」での耽美的なルー・リード。化粧してグラムロック的になって単純なロックンロールやってそうな人には用はないかな、みたいな(^^;)。

 そんな僕がこのアルバムに興味を持ったのは、ロバート・クインというギタリストが参加していたからでした。ロバート・クインって、ニューヨーク・アヴァンギャルド方面で有名な人で、僕がはじめて聴いたのはジョン・ゾーンの映画音楽での演奏。これが暴力そのものみたいなすごい演奏だったんです。で、「あの人がギター弾いてるのか?!」みたいな。話ではジャズでもロックでも何でも弾いちゃう凄腕だけど、アヴァンギャルド方面での活躍が目立つ…みたいな。こんなの聴きたくなると思いません?

 で、ついに中古屋で見つけたこのレコードを買って帰ると(このレコード、なかなか見つからなかったです)、なんとも無個性なバンド・ロックをやってるだけのアルバムでした(^^;)。ヴェルヴェッツの名作「Sister ray」もやってましたが、えっと…贔屓目に言っても台無し。ロバート・クインの演奏も、「これってただのペンタトニックじゃないの?」というほど月並みに感じてしまいました。
 熱気ある演奏ではあった気もしますが、とにかく怒りに任せてとっとと手放してしまったので、いま聴いてどう思うのかは分かりません。きっと面白く感じる所も色々あるんだろうな…でも、昔の自分の判断を信じ、これを聞き返す暇があるなら他にやらなきゃいけない事がいくらでもあると思うことにして、このアルバムの事は忘れる事にします(^^;)>。


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『Lou Reed / Metal Machine Music』 (The Amine β Ring 盤)

Lou Reed_Metal Machine Music_The Amine Ring 1975年発表、元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのルー・リードが発表したアルバムです。なんとこれ、電子音楽です。僕が持っているのはThe Amine β Ring 盤。こだわって買ったわけじゃなくて、僕が若い頃はCDではこれしか入手できなかったんです。ひとつだけ分かるのは収録時間が違うんですが、他はオリジナルとどこが違うのか分かりません。でもこれがけっこうなプレミアなんですよね。何が違うんだ…知っている方はぜひ教えてくださいm(_ _)m。

 発音源のいくつかはエレキギターですが、あとは本当に分からない…。でも楽器ってアタック音をカットしたら何の楽器なのか区別するのは困難になるといいますし(by『音楽の基礎』芥川也寸志)、そんな事はどうでもいいのかも。
 発音源は分からずとも、発音された音がどう加工・変調されていくかはエフェクター遊びに凝った事のあるシンセ奏者やギタリストなら想像がつくんじゃないかと。メインとなるトレモロがかかった電子音がふたつほど聴こえ、リング・モジュレーターで変調され、それがフィードバックされて延々と続き、ここにいくつかの干渉してくる電子が混ざり…みたいな。そういう音で作られたこの音楽がどういう特徴を持っているかというと、ひとつはノイズという割に音がまったくやかましく感じられず、むしろ心地よい事。もうひとつはアンチ・クライマックスである事です。

 まずは音の心地よさ。ホワイトハウスでもSPKでもメルツバウでもいいんですが、有名どころのロック系ノイズ・ミュージックのえげつない音の暴力と違って、音色がソフトで心地よいんですよね。これはリヴァーブやアナログディレイなんかのあの温かみのある音とか、コーラス系のエフェクターを使うからそうなるんじゃないかと。
 そうやって出されるそれぞれの音はホワイトノイズやピンクノイズのように帯域を埋め尽くすものではなく、ある意味でいえばメロディすら聴きとれてしまうので(メロディといったってトレモロとか、そんな感じですが)、けっこうフラグメンツを組み立てる従来の西洋音楽と似たような構成の音楽ではあるんじゃないかと。そういう意味ではノイズ・ミュージックなんてもんじゃなくて結構音楽的に聴こえました。同じようなものの金太郎あめな音楽を聴くより、聴いている側が積極的に音をしっかり構造化していく事になるので、音楽的な悦楽が高かったです。これを聴いて「ノイズだ」という言葉が最初に来てしまう人には、そういう風に感じる事は難しいかも知れませんが(^^;)。

 次に、アンチ・クライマックスな音楽である事。ノイズ・ミュージックに入るかどうかはともかく、音響やサウンド・プレッシャー自体が大きな音楽要素になっている音楽ってありますよね。でもそれが表現幅を持つものとしての音色の扱いとか、構造を生み出す様式に組み込まれて使われる事は普通にあります。高柳昌行EXIAS-J はその最高到達点と思うんですが、こういうのはノイズと言われはしても実に音楽的。でもメタル・マシーン・ミュージックは、飽きない程度に色々と音が変調したり抜き差しされたりはするんですが、そういう音楽性からは離れて感じました。その瞬間ごとには飽きずに面白いけど、音はどこに向かうでもなくずっと連続しているんですよね。ホラー映画に例えれば、問題が解決するでも元凶と対決するでもなく、ただゾンビがずっと出てきては退治しているだけ、みたいな。ずっとゾンビが来ているからその瞬間ごとの刺激は継続するけど、全体がないな、みたいな。でもそれがあまりに露骨なので(音がいきなりぶった切られて次の面に移るとか)、むしろそれを狙っているのだな、と思ったりもしました。

 70年代に入ってふたたび産業音楽化していくロックの流れに逆行する行為、そして全体のなさ、これがこのアルバムなんだと思いました。この音楽を聴いて僕が真っ先に思い浮かべたのは、昔VHSで出ていた『Performance - New York City』というライブ・ビデオ。これ、フィリップ・グラスやスティーヴ・ライヒといったややポップな現代音楽寄りな人から、けっこうパフォーミング・アーツに近い人、そしてローリー・アンダーソンも出ているんですが、もしこの中にメタル・マシーン・ミュージックが入っていたら、すごくなじむと感じたんですよね。これをひと言であらわすなら、ニューヨークのポップでアヴァンギャルドなアート・パフォーマンス。メタル・マシーン・ミュージックはこの文脈で説明しようとするとものすごく分かりやすく感じます。分かりにくく感じるとしたら、75年周辺のロックや、ルー・リードのアルバムの流れで理解しようとするからじゃないかと。そういえばルー・リードって、ローリー・アンダーソンと付き合ってたし、そもそもルー・リードが在籍していたヴェルヴェット・アンダーグラウンドも、バンドというだけではなくニュ-ヨークのアート・シーンの関連から売れていったバンドでしたしね。


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『Jim Hall / Live in Tokyo -complete version-』

Jim Hall Live in Tokyo モダン・ジャズのギタリストと言えば、僕にとってはジョー・パスとこの人が至高、ジム・ホールです! 1976年10月28日、東京の中野サンプラザでのライブ録音。メンバーはJim Hall (g), Don Thompson (b), Terry Clark (dr)。

 音がいいです!これは楽器の出音も録音もどっちも良いのだと思いますが、このマイルドなサウンドはジャズギターならではですね(^^)。音楽や演奏の前に、このフワーッとしたギターの音色にノックアウトされました

 そして、さすがジャズ・ギターのアドリブの達人、アドリブ全開のプレイが良かったです。冒頭の「Billie’s Bounce」はブルース曲ですが、こういうシンプルな曲をここまで聴かせてしまうのが凄いなあ。ほとんど単旋律でのアドリブ(テーマですら単旋律!)なのに、ぜんぜん薄く感じないのがすごいです、なんでなんだろう…。ジム・ホールさんって、ロン・カーターとのデュオでの「Bag's Groove」もそうですが、ブルース・ナンバーのアドリブがとんでもなく心地よく感じます。これは一度研究する必要があるな。
 和音の挟みどころもうまいと思いました。単旋律のアドリブでは4小節目とか8小節目という切れ目の最後に挟む事で、シングルトーンのアドリブの自由度を失わないまま響きをリッチにしておくんですね、なるほど。復帰後のパット・マルティーノが、先に和音を提示してその後にラインを繋げるのとは対照的。どちらがどうというものでもありませんが、より音楽的に響かせられるのはジム・ホールの方かも。でもジム・ホールみたいな方が頭の使い方が難しいですね、和声を最初でなく最後まで記憶して弾くんですから、これは楽譜見て弾くんじゃなくて頭の中で和音が鳴ってないと難しいかも。あとは、クリシェラインを使うところで和音を連続させるようにして、メロディラインと和音と割合の全体のバランスを取ってる感じ。
 「Twister」は一転してコード・カッティング中心、「アランフェス協奏曲」は、クラシック・ギターのプレイヤーの演奏を知った後に聴くと笑ってしまいますが(ごめんなさい^^;)、得意のジャズ曲の間にこういうナンバーを挟んで、飽きないような構成にしてるんだと思いました。

 ジャズ・ギターの良さを味わうなら、和音をピアノに頼らず、メロディを管楽器に頼らず、どちらもギターで弾いてしまうギター・トリオは至高。僕は、ジャズ・ギターのアルバムを買う時は、管もピアノも入っていないギター・トリオかどうかが大きな判断材料になってます。それで外す事って少ないんですよね、そもそも弾けないならその編成に挑戦しませんし。同じことがロックでも言えるかも知れません。ジミ・ヘンドリックスのエクスペリエンス、ビリー・ギボンスのZZトップ、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、エリック・クラプトンのクリーム…もう、うまくないと弾く事すら出来ない編成なんでしょう。ジム・ホールのギター・トリオのアルバムでは、『Live!』に次ぐ名作と思います!


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『Jim Hall / Concierto』

Jim Hall Concierto 1975年発表、邦題「アランフェス協奏曲」、なんとCTIからリリースされたジム・ホールのアルバムです。メンバーはジム・ホール(g)、チェット・ベイカー(tp)、ポール・デスモンド(as)、ローランド・ハナ(p)、ロン・カーター(b)、スティーヴ・ガッド(dr)。「アランフェス協奏曲」では、ドン・セベスキーがアレンジャーとして参加していました。

 CTI とジム・ホール…大人になった今なら、どういう内容の音楽になるか想像がついたでしょうが、まだまだ経験の浅い高校生にそれをするのは無理。ジャズのガイド本に、事あるごとに名盤扱いされていたのを真に受けた高校生の頃の僕は、中古でLPが安く出ているのを見つけ買ってしまったのでした(^^;)。
 アルバムが始まった途端に、ベースの音がやたら上ずり、ドラムもチャカチャカしてるもんで、再生速度を間違えたのかと思いました。あ、これでいいんだ…。というわけで、まずは音の安っぽさにゲンナリ。アップライト・ベースの音がアコースティックではなくてアンプを通した音で、この安っぽさが演歌のエレベみたいで辛いです。どうやって弾いたって同じ音色になってしまう表情のないサウンドを、なんでわざわざ選ぶんだろう。ライブでは音量的な問題でアンプを使わざるを得ないとは思いますが、レコーディングの時ぐらい生音で勝負して欲しいです。
 ドラムは全然他のプレーヤーを聴けてなくて、ひとりで慌ただしく叩いてます。チェット・ベイカーやポール・デスモンドのこういう演奏を聴いて、なんでそういうドラムを叩けるのか理解できません。馬鹿なんでしょうか。さらにピアノの音はまるでステージピアノの…ああ、もう書き始めたらきりがないです。つまり、出音が最悪。

 音楽。サイドAの小曲の演奏はジャム・セッションでした。特に重要なアンサンブルもないので、6人は多すぎ。これって、サイドBのアランフェスのためにセクステットになってしまったのかも知れません。
 サイドBすべてを占めるアランフェス協奏曲は、冒頭からギターがダビング…そんな難しいものでもないんだから、一回で弾き切れよ。ついでにいうと、クラシック・ギタリストが弾いたアランフェスを聴いた事がある人には、これはちょっと聴けないかも。。ドラムなんてクソダサいし、ベースもピッチ悪すぎ。そもそもテーマ終わったらアドリブに突入とか、最高にカッコ悪い。。また、そういうソロ回しをする曲を協奏曲とは言わないだろ、アルバムタイトルからして嘘だわ…。

 これって恐らくレコード会社主導の企画アルバムですよね?一線級のミュージシャンを集めておいて、こんなものしか作れない所に、レーベルやディレクターの駄目さを感じました。企画ばかりが先行して内容の伴わないこんな音楽を良いと感じる人なんて、そうそういるとは思えないんですけど…。ジム・ホールのアルバム中、数少ない買ってはいけないアルバムと思います。


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『Jim Hall / It's Nice to Be With You -Jim Hall in Berlin-』

Jim Hall Its Nice to Be With You  1969年録音、ジム・ホール・トリオがドイツで録音したアルバムです。ドイツという事でリリースはMPS。メンバーは、ジム・ホール(g)、ジミー・ウッド(b)、ダニエル・ユメール(dr)。顔ぶれから判断するに、バックは現地調達だったのかも知れませんね。

 音楽の前に…このレコード、ジム・ホールのギターの音がマイルドで、すごく好きです。音と音がよく混じって和音が音を重ねたんじゃなくてひとつの音色に聴こえる感じ。同じ白人ジャズ・ギタリストの巨匠でも、ジョー・パスよりジム・ホールが優っている事のひとつは、サウンド・メイクにあると思います。音楽もこのあったかい音に合わせて、すごくマイルドで上品な音楽でした。ドラムもバカバカ叩くんじゃなくて、金物メインで鈴が鳴っているような感じ。

 そして音楽。1曲目がいきなりフィフス・ディメンションの「Up, Up and Away」だ!このギター・アレンジがなかなか面白くて、何でもかんでもジャズ風にしてしまうクサいアレンジじゃなくて、原曲の良さもギター音楽の面白さも引き出していて良かったです。単にポップスをやったわけじゃなくて、同じもののキンタロー飴と化しつつあったモダン・ジャズから離れるという挑戦だったのかも知れません。
 これと似たことが、ジム・ホールが作曲した曲にも言えました。3曲目「Young One, For Debra」、4曲目「Blue Joe」あたりのオリジナルは、普通のアメリカン・ソングフォームじゃなかったり、何でもかんでもジャズ的なセカンダリー・ドミナントの連続にしてしまわなかったりで、独自のギターによるポピュラー音楽を創りあげてようとしたのかも。後年のジム・ホールって意外とこういう事やってましたが、その走りだったのかも知れません。

 ただこのアルバム、僕的にどうしても受け入れられない点がひとつだけありまして…僕はこのレコードを、ピアノレスだから買ったんです。なぜピアノレスが良かったかというと、ひとりで和音もメロディも演奏するギターの妙技を聴きたかったから。ギターの素晴らしさって、楽器の不自由な制約を乗り越えて、バスも和声もメロディもひとりで奏でる技巧に素晴らしさのひとつがあると思ってます。あの技術自体がアートであって、それを聴きたかったのです。ところがこのレコード、8曲中3曲でギターがダビングされてたんです。僕的にはこれはナシ、膝から崩れ落ちてしまいました_| ̄|○。。

 というわけで、良いところも悪い所も感じたアルバムでした。ジム・ホールって50年代から活躍した大物ジャズ・ミュージシャンにしては発表したリーダー・アルバムが少ないので、アルバムはすべて大事にしたい気もしますが、でもロン・カーターとのデュオとか、75年の火の出るようなライブを持ってたら、これはもういいかな。モダン・ジャズ的でない新しいギター・スタイルに感じたとは言っても、所詮はポップスだし…。でも、独特な新しさのあるいい音楽だとは思いました(^^)。


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『Jim Hall Trio / Jazz Guitar』

Jim Hall Trio_Jazz Guitar 1957年発表、ジム・ホールの初リーダー・アルバムです。ジャズでは珍しいクラシックの室内楽的な音楽を展開したジミー・ジュフリー・トリオに参加したのが1956年なので、あれで名をあげたのかも知れませんね。

 面白いのは、トリオとは言ってもギター&ベース&ドラムではなく、ギター&ピアノ&ドラムという所。ちなみに、ピアノはカール・パーキンス、ベースは盟友レッド・ミッチェルです。でもこの編成だからと言って、絡みが凄い室内楽的なアンサンブルやサード・ストリームになるかというとそうではなく、和声はピアノに任せ、ギターはほぼ単旋律で、音楽はレイドバックした古き良きジャズという風でした。あ~これはジム・ホール参加時のジミー・ジュフリー・トリオと同じ匂い。最高に気持ちいいです(^^)。

 というわけで、ジム・ホールというジャズ・ギターの巨人の神業や超絶技巧を聴こうとしてこのレコードをを買うと、肩透かしを食うかも。若い頃の僕がそうでした。でも、レイドバックした古き良きジャズを聴くなら最高の1枚。僕はジム・ホールのリーダー・アルバムをいっぱい持ってますが、こういうウエスト・コースト的なレイド・バック感を前面に出したアルバムって意外とないです。こういうレイドバックした気持ち良さって、やろうと思ってもなかなかできないですしね(^^)。


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『ドンキーコング』 ファミリーコンピュータ

DonkeyKong_Famicon.jpg 少年時代、アーケード版のドンキーコングでトラウマ級の痛い体験をした僕は、もう二度とこのゲームで遊ぶ事はないだろうと思っていました。それがゲーム&ウォッチへの移植でちょっとだけ遊ぶことになり、さらにこのファミコンへの移植でまたちょっとだけ遊ぶことになりました。ただ、自分で買ったわけでもないし、ある機会にちょっとだけ遊んだだけでしたけど。

 遊ばなかったなりに、ファミコンへ移植されたドンキーコングはインパクトがありました。まず、家庭用のゲーム機では不可能だと思っていたあの美麗と思っていたグラフィックが、そっくりそのままと思えるほどきれいに移植されていたこと!インテレビジョンでもカセットビジョンでも、ファミコン以前の家庭用テレビゲーム機って、グラフィックが荒かったんです。キャラクターが単色なんて当たり前、ドットなんて荒いなんてもんじゃありませんでした。それがファミコンはゲーセンと見まがうほどのグラフィック。これは驚きました。ファミコン普及の最大の要因はグラフィックだったと思います。それを最初に見せつけられたのが、ドンキーコングでした。

 もうひとつ印象に残っている事があります。僕のゲーセンデビューは小学校低学年で、最初の引退は小学校中学年。まわりの友人に比べるとかなりマセていたんです。で、友人がゲーセンにデビューするのは僕が引退した後で、下手すると中学になってからでした。だから、友人間でアーケード版のドンキーコングを知っている人間が少なかったんです。でも僕はこのゲームをアーケードで知っていたもんで、蘊蓄をいろいろ喋ったんですよ。ここから飛ぶとワープできるとか、ハンマーは相手が抜けてくることがあるから頼らないほうが良いとか。
 すると、なんかヒーローっぽくなるじゃないですか。で、得意になって2面の説明をすると…あ、あら?ファミコン版にはアーケードの2面がないのでした。すぐに疑惑は荒れたものの、一時的に僕は嘘つきものにされてしまったのでした。マジだって、ベルトコンベアがあるステージがあるんだって。。
 それにしても、4ステージのうち2面が欠けたドンキーコングなんて、猪木のいない新日みたいなもの…は言い過ぎかもしれないけど、藤波のいない新日、鶴田のいない全日、掛布のいない阪神みたいなもの。これはドンキーコングと似て非なるものだと思いました。

 な~んて書きましたが、僕がファミコン版のドンキーコングを遊んだのはその日一日だけ、えらそうに語れる立場じゃないっす(^^;)。それにしたってこの移植が「ファミコンのグラフィック恐るべし」を印象付けたのは確かで、以降に僕がファミコンを手に入れた時のエピソードへと繋がっていくのでした。誰も望んでいないでしょうが、その話もいつか書きたいと思います(^^)。


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『ドンキーコング』 アーケードゲーム

DonkeyKong_Arcade.jpg ゲーム&ウォッチ『ドンキーコング』の元ネタになったのがこれ、アーケードゲーム版『ドンキーコング』です!このゲームの登場は1981年、すご~くよく覚えています。なぜ覚えているかというと、あまりにこのゲームにのめり込みすぎて、僕は友人と夜までゲームセンターに入り浸ってしまい、親に見つかって大説教を喰らったから(^^;)。小学校低学年にしてゲーセンデビューしていた僕でしたが、これでしばらくゲーセンに寄り付かなくなったのでした。いま思い出しても、胃が痛くなる苦い思い出です。あんなに怒ったおふくろをみたのは最初で最後だったかも。おふくろ、心配かけて本当にごめん。

 このゲームが出る直前のゲームセンターの人気ゲームと言えば、パックマンギャラクシアン、ギャラガ、ラリーX…ナムコ一色だったんですよね。タイトーのスペース・インベーダーはもう古くさいゲーム扱いになっていたし、コナミのフロッガーは面白かったけど3番手ぐらいの扱いで、プロレスで言えば木村健吾、巨人で言えば河埜ぐらいの番付でした。そこに登場したのが第三勢力・任天堂の出したドンキーコング。派手な色づかい、キングコングやマリオといったキャラクターのデザイン、ゲームが始まってすぐのアニメーションなど、強烈なインパクトでした。いま考えれば、ゲームの面白さより、そういうCG方面の魅力が大きかった気がします。

 ただこのゲーム、何度も死んで攻略法を見つけないと先に進めないゲームに見えたんですよね。最初の樽が転がってくるステージはまだしも、次のステージなんてルール自体が分かりませんでした。真ん中のところは通っていいのかとか、色々落ちてるものは拾うんだろうけど、拾ってどういう効果があるのかとか。だから、これは何度も死んで攻略法を見つけないと無理、と思ったんです。腕さえあれば先に進めそうな気がするゲームとは、そこが違いました。で、お小遣いの少ない小学生としては、きれいなグラフィックには憧れるものの、「死んで覚える」ゲームはリスクが高すぎ。ワンコインで少しでも長く遊ぶことができるゲームを選ぶことになってしまっていました。

 で、最初の話に繋がるわけです。僕と、のちにや〇ざになった友人を含めた3人は、誰かが遊ぶのを待っていて、遊ぶ人がいるとずっと見て、どうやれば攻略できるかを研究したのです。で、研究熱心だった僕たちは家に帰るのも忘れ、夜までゲーセンにいて親に捕まった次第…馬鹿ですねぇ。でも、時間を忘れていたわけじゃないんですよ。もう帰らなきゃと何度も思ったんです。でもゲームの魅力に取りつかれて、誘惑に負けてしまったという。この時に、どんな誘惑でも断ち切らなきゃいけない時があると学びました。悪い事をして見つかった時の、あの心臓がひっくり返るような感じ、すごく嫌じゃないですか。ああ、こんな思いをするぐらいだったら悪い事しなきゃよかった、みたいな。万引きして捕まった人とか、カンニングが見つかった学生とか、みんな捕まった瞬間に大後悔すると思うんですよね。そういう経験は若いうちにしておいたほうが良いんでしょう。大人になってからだと取り返しのつかない事になるでしょうし。
 でも、それを一発で学習できなかったんです。そういう経験をしていたくせに、初めてHした時もドンキーコングと同じミスを…いけないと思いつつ誘惑に負けてしまったのでした(^^;)。人が誘惑に打ち勝つハートを手に入れるのは簡単じゃないんですね。

 というわけで、僕はこのゲームをよく知っているんですが、実際にはほとんど遊びませんでした。4面なんて、遊んだ記憶すらないです。僕とドンキーコングの関係はこれでおしまい…かと思いきや、それで終わらなかったんですよね。その話はまた次回!


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『ドンキーコング』 任天堂ゲーム&ウォッチ

DonkeyKong_GameWatch.jpg 任天堂が作ったゲーム&ウォッチの後期作品です。任天堂の企業努力もあって、ゲーム&ウォッチはソフトだけでなくハードも進化してきました。まずはスクリーンが大きくなり、次にスクリーンが2画面になりました。この2画面制ゲームウォッチの代表格が、アーケードゲームの移植作『ドンキーコング』でした。他には『オイルパニック』なんてのもあったかな?そっちはテレビCMでは見たけど、実物を見た事はありません。

 このゲームが出た頃、僕らはもう任天堂の作るゲーム&ウォッチにかなり飽きていました。小さい液晶画面でゲームをするという制約上、どういうゲームを作っても、どうしても似たり寄ったりになっちゃうんですよね。まして、任天堂が作るゲームはいかにも子供向けが多く、小学校高学年になっていた僕らにはちょっと合わなくなってもいたのです。むしろ、初期作品だった『ジャッジ』や『フラッグマン』の方が対象年齢が高かったと感じたぐらい。

 そして、任天堂以外の玩具メーカーが作る液晶ゲームに、もっと対象年齢の高いものが出始めてもいました。昔紹介した事のあるものでいえば、バンダイの作った対戦可能なゴルフゲーム『プロゴルフ』、トミーが作った競馬予想ゲーム『馬之助』、カシオが作ったゲーム電卓『ベースボール』に『ボクシング』の方がゲーム性が高く、またそれを理解できる年齢にもなっていたんですよね。任天堂のゲーム&ウォッチがすぐに極めてしまって飽きやすかったのに対して、これらのゲームはけっこう長く遊べたというのも大きかったです。

 というわけで、『ドンキーコング』は、僕が最後に遊んだゲームウォッチでした。考えてみれば、ゲームウォッチの流行って、1980年から82年あたりまでの3年ぐらい。年齢的にはまさにドストライクなので長く感じていましたが、実際には短かったんですね。花札メーカーだった任天堂が大ブームを起こすも、任天堂の春もここまで…と思いきや、そこから今度はファミリーコンピューターという大ヒット作を生み出すんだから、大した玩具メーカーでした。セガやコナミやナムコもそうですが、ゲームを足場に大きく成りあがった日本の電子機器メーカーって、あの時代の中小企業の星だったのかも知れません。


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Bach Bach

Author:Bach Bach
狭いながらも居心地のいい宿で、奥さんとペット数匹と仲良く暮らしている音楽好きです。若いころに音楽を学びましたが、成績はトホホ状態でした(*゚ー゚)

ずっとつきあってきたレコード/CDやビデオの備忘録をつけようと思い、ブログをはじめてみました。趣味で書いている程度のものですが、いい音楽、いい映画、いい本などを探している方の参考にでもなれば嬉しく思います(ノ^-^)ノ

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ロシアとウクライナがほぼ戦争状態に入りましたが、僕はソ連解体後のウクライナについて本当に無知…。これは2016年にオリバー・ストーン監督が作ったウクライナのドキュメンタリー映画。日本語字幕版が出たらぜひ観たい このブログをYoutube にアップしようか迷い中。するなら作業効率としては早いほど良いんですよね。。その時にはVOICEROIDに話してもらおうかと思ってるけど、誰の声がいいのか考え中
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