サルサの代表格と言えばいいのかニューヨーク・マンボの王様と言えばいいのか分かりませんが、そのぐらい凄い超大物ティンバレス奏者にしてバンド・リーダーがティト・プエンテです。これは1962年発表のリーダー・アルバムです。
フリージャズや現代音楽が好きだった若い頃の僕は、サルサや
マンボといったダンス系の陽気なラテン音楽は、肌に合いませんでした。だから超大物のティト・プエンテですら名前と音楽が一致しない状態(^^;)。アメリカで売れたラテン系ミュージシャンって、とにかく大量にアルバムを出している人が多いので、どれから聴いていいか分からなかったという事もありました。そんな僕がティト・プエンテに手を出すきっかけになったのが、ロック・バンドの
サンタナ。彼らがアルバム『
天の守護神』で、ティト・プエンテの「Oye Como Va」をカバーして、メッチャカッコよく演奏していたんですよね。あの曲のオリジナルを聴きたいと思ってたどり着いたのが、このアルバムがでした。
ティト・プエンテの両親はプエルトリコ出身だそうですが、プエンテ本人はニューヨーク育ち。
サルサって、キューバ音楽をプエルトリカンがニューヨークでジャズとミックスさせて作ったもの、というイメージを僕は持っていますが、ティト・プエンテの出自を見るとまさにそんな感じがします。
編成はラテン・ビッグバンドで、アフロ・キューバン調のものもあればマンボ調のものもあり、ラテンジャズ的でもありルンバ的なものももあるんだな…といった具合で、エンターテイメントに味付けされた汎ラテン音楽と感じました。とかいって、ティト・プエンテ楽団はヒスパニック系のバンドとはいえ、れっきとしたアメリカのバンドなんですけどね。
というわけで、イメージしていた通りの
陽気で元気なダンス・ラテン音楽ではあったんですが、それだけで終わる代物ではありませんでした。テンションや演奏レベルの高さといったらもう!いやあ、明るいだけなんてものじゃない、超プロフェッショナルですやん。 管楽器セクションがキレッキレ、トゥッティのシンクロ具合は、スイング時代の名門ジャズ・ビッグバンドを凌駕するレベル。さらに凄かったのは打楽器セクションで、ポリリズム、ものすごい手数、フォルテの圧力や激しさ…とんでもない凄さでした。そういえば、
チャーリー・パーカーや
ディジー・ガレスピーといったモダン・ジャズの創始者たちも、ティト・プエンテが参加したマチート楽団から影響されまくったと言われてますよね…なんかその意味が分かった気がしました。あ、そういえばガレスピーのアルバム『Afro』にはマチートが参加してませんでしたっけ?
というわけで、僕のティト・プエンテ初体験はこのアルバム。いい出会いから始まったわけですが、実はティト・プエンテってもっと先鋭的な音楽も、逆に土着的な音楽もやってたり、ダンス音楽系では50年代がさらに強烈だったりと、これですらほんの入り口に過ぎなかったのでした。では50年代のティト・プエンテ楽団がどれぐらい凄かったのかというと…その話はまた次回!
- 関連記事
-