右は、南相馬市博物館学芸員(専門は野馬追)の二上文彦(ふたかみ・ふみひこ)さん、左は、華道家の片桐功敦(あつのぶ)さん。
片桐さんは、生まれも育ちも大阪で、バリバリの大阪弁です。
1988年、大阪府堺市のみささぎ流(片桐さんのお祖父様が創設したいけばな流派)の家元となりました。
片桐さんは2013年9月、文化庁の支援を受けて福島県立博物館が展開する「はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト」の招きで、津波の被害の大きかった福島県沿岸部で野の花を生ける活動をはじめます。
昨年12月からプロジェクトの支援を受けて、南相馬市原町区のアパートで月の3分の2ほどを過ごすようになります。
その理由は、数日間だけ訪れて、作品を創って写真を撮り歩くことに強い抵抗をおぼえたから、ということです。
片桐さんの作品の写真ファイルをひと晩お借りして、ゆっくり見ました。
旧警戒区域の海辺の写真でした。
津波で多くのひとが亡くなったその場所(砂浜、建物、車)に生けられた、片桐さんの作品は、まさに供華であり弔花でした。
花の周りに暗がりがひろがり、亡くなった方々の魂を吸い寄せているようにも見えました。
片桐さんは、小学6年生のときに、日航ジャンボ機墜落事故で、みささぎ流の家元だったお父さま(片桐右弼・ゆうすけ氏)を41歳の若さで亡くしています。
この半年間、請戸や小高の海の際で花を生けて歩いた片桐さんの心の内には、御巣鷹山の墜落現場があるのだな、と思いました。
二上さんとは、41歳で独身、という共通点もあって意気投合し、いまやお互いの女性遍歴を全て知っている仲だそうです。
片桐さんは、住んでいたアパートを引き払い、明日、大阪に帰られます。
あと――、
片桐さんは、福島沿岸部で撮りためた写真を、写真集として出版したいそうです。
まだ版元は決まっていません。
どなたか、いませんか?