柳美里の今日のできごと

福島県南相馬市小高区で、
「フルハウス」「Rain Theatre」を営む
小説家・柳美里の動揺する確信の日々

カミュの顔に……

2019年10月30日 01時34分47秒 | 日記
今日は「ある晴れた日に」の初日です。

で、「ある晴れた日に」の戯曲が掲載されている『悲劇喜劇』11月号を販売するんですね、小高、盛岡、仙台の各会場で。
サインしようと思ったらですね、
書ける場所がないんですよ、どこにもーー。

やむを得ず、カミュの顔にサインを入れました。

芝居を観て、戯曲を読みたい、と思った方、
柳美里サイン入り『悲劇喜劇』を買ってください。

カミュは10代の時に繰り返し読んで、特に「ヨナ」という短編が好きでした。

公演が終わったら、読み返してみようかな?

本屋フルハウスは、カフェ増築工事中なんですが、施工会社に無理を言って、小高公演の期間中(10月30日〜11月2日)のみ工事を中断してもらいました。

完成はしていませんが、カフェスペースを「ある晴れた日に」の待合室として使用します。

公演終了後に工事を再開するので、
本屋フルハウスは4日間のみの臨時営業です。

フルハウスに来て、
La MaMa ODAKAで、
「ある晴れた日に」を観てください。

チケットは少なくなっていますが、今なら、まだ間に合います。
席がある日も残っています。
早い者勝ちだよ!

ああ、もう、30日だ!

「ある晴れた日に」の幕が開く。




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明日、初日。

2019年10月29日 18時25分39秒 | 日記

明日初日なんです。
青春五月党 新作公演
「ある晴れた日に」。

いよいよ。
いよいよ始まります。

残席が少ない回も出て来ています。

https://t.pia.jp/pia/ticketInformation.do?eventCd=1941534&rlsCd=002

https://t.livepocket.jp/t/aruharetahini

チケットぴあ、ライブポケットで完売している日のチケットの有無に関しては、
ボクシーズ 022-353-9755
までお問い合わせください。

ぴあに無くてもライブポケットにある日もあり、
ぴあ・ライブポケット共に無くても、
ボクシーズにある日もあります。
全部無くなっても、当日券を出す場合もあります。

とにかく行ってみよう、と電車や車で何時間もかけて小高までいらした方に、観劇をお断りするのは大変申し訳ないので、事前にチケットをご購入くださるか、状況を
電話でご確認くださるようお願いいたします。

もう一点。

小高のLa MaMa ODAKAは、
わたしの自宅裏にある倉庫です。
お客様に観劇していただくための設備環境を整えたいのですが、
その資金がありません。
エアコンは設置出来ていません。
開演ぎりぎりまでストーブをつけていますが、
音がうるさいので、上演中は消します。
上演時間は1時間10分前後です。
寒くなります。
ダウンジャケット、マフラー、手袋、毛糸帽、マスク、厚手の靴下、使い捨てカイロなどをご用意ください。





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前田司郎演出語録

2019年10月28日 07時15分26秒 | 日記
昨日抜き稽古と通し稽古を見たんだけど、
自分が演出しない場合、ダメ出しをメモしないでいいから気が楽だ。

代りに、(面白いので)前田司郎のダメ出しの言葉をメモしていた。

「ちょっと、しっとりした感じになっちゃってた。しっとりすると性的になっちゃう。じわじわじわ、ぎゅうってやると、性的になっちゃうから、最初のじわじわがなくて、ぎゅうだけでやってみたら? 性的じゃなく、ただ、好きだ!って見えるんじゃないかな?」

「『さっき』の『さ』が、沈黙を破る音としては強過ぎる。もっと探った方がいい。パンという破り方じゃない方がいい。破りますよぉ、破りますよぉと探り探りで……」

ね、面白いでしょ?
すごい緻密で。





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歯痛

2019年10月28日 01時03分38秒 | 日記
台風19号と、25日の豪雨と、チケットの売れ行きで歯を食い縛り過ぎて、右の奥歯の歯肉と顎が腫れて、痛くて食べ物を噛むことが出来なくなってしまいました。

噛む必要のない、お豆腐、おかゆ、スープ、ヨーグルトみたいなものしか食べられない。

明日朝イチで、歯科医院に行ってきます。

2回寝たら、「ある晴れた日に」の初日だ。





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ある雨の日に、ある晴れた日に、を……

2019年10月27日 13時54分26秒 | 日記
25日は、朝から大雨でした。

わたしたちは、La MaMa ODAKAと名付けた自宅裏の古い倉庫で、
青春五月党 新作公演「ある晴れた日に」の稽古をしていました。

La MaMa ODAKAは、雨が強いと雨漏りがします。
ここも漏れてる、ここもだ、とタッパーを置いたり、雑巾で拭いたりしながらの稽古ーー。

屋根を叩く激しい雨の音で、台詞がところどころ聴こえなくなりました。

主演の長谷川洋子さんが、

「わたしの声は雨の音に似てるんです」

と言った声と言葉が、今でも鼓膜のあたりに水溜りみたいに残っています。

洋子さんはいわき市出身、いわき総合高校の卒業生です。
長谷川家は台風19号で氾濫した夏井川のすぐ近くなので、家族や親戚や友人や町が心配だったと思います。

南相馬市は、河川の氾濫と土砂災害の危険性が高まったとして、午後8時25分、市内全域の2万6272世帯5万3727人に避難指示を出しました。
避難指示は、直ちに全員避難せよ、という呼び掛けです。

わたしたちは、「ある晴れた日に」の稽古を続けていました。

なんとか大雨を潜り抜けて、「ある晴れた日に」は、あと3日で初日を迎えます。

観に来てください。

http://gogatsutou.info/index.html


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親友・前田司郎について

2019年10月26日 10時59分51秒 | 日記

昨日、NHKラジオ第1「ラジオ深夜便」で、「ある晴れた日に」の演出・出演の前田司郎のインタビューが放送されました。

インタビュアーは「はまなかあいづToday」のメインキャスターだった吾妻謙さんです。

吾妻さんから、番組の中で使用するので、前田さんについての文章を書いてください、とオーダーされ、書き始めたら止まらなくなりました。

番組で使用したのはごく一部なので、全文を公開します。

 

番組は、NHK「ラジオ深夜便」の公式サイト内「聞き逃しサービス」でお聴きになれます。

「10月25日(金) 23時台」の「インタビュー」です(11月2日頃まで)。

https://www.nhk.or.jp/shinyabin/kikinogashi.html

 

 

はじめて前田司郎と会ったのは、2007年の7月19日でした。

『文學界』の演劇特集の一つとして、五反田団の前田司郎、チェルフィッチュの岡田利規、ポツドールの三浦大輔の座談会の途中で、わたしが乱入するというかなり無茶な企画でした。しかも、三人にはわたしの存在を知らせていない、という話だったので、内心三人がわたしのことを嫌いだったらどうしよう、とヒヤヒヤドキドキビクビクしていました。

「あ、どうも、はじめまして」と部屋に入ると、三人は驚きながらも歓迎してくれて、とても楽しい座談会でした。

特に、前田司郎の「ぼくらのなかでは柳さんは今でも演劇の人ですよ。ちょっと文学に貸しているだけ、という感覚です」という言葉は、うれしかった。

わたしは、前田司郎のことを歳上ぶって呼び捨てにしているわけじゃありません。わたしはうんと親しくなると、ニックネームではなく、名字やフルネームを呼び捨てにする傾向があります。たとえば、ナカセ、イイダ、ワタナベマリ、というように。でも、マエダ本人を目の前にすると、いつもちょっと躊躇するんです。躊躇するくらいなら、さん付けか、くん付けにすればいいじゃん、と言われそうですが、今さらなぁ、と困っています。

 

わたしの新作戯曲「ある晴れた日を」の演出を、前田司郎に頼んだのは、彼の演出家としての才能を買っているからです。

(もちろん、彼の戯曲、小説、シナリオも素晴らしいです。前田司郎は「今」に触れてはいるけれど「現実」には浸食されない劇的強度がある台詞を書ける数少ない作家です。特に、会話文は、現存する日本語の書き手の中で五指に入るほどの腕前です)

 

2007年10月8日に、前田司郎の新作「生きてるものはいないのか」の稽古を見学したくて、京都芸術センターに行きました。

ひと言でいうと、追っかけです。

わたしは、前田司郎の追っかけだったんです。

 

京都芸術センターは、廃校になった小学校でした。各教室を喫茶店、ギャラリーにリノベーションし、体育館を稽古場兼劇場に変身させていました。

 

稽古場に演出台が見当たらなかったので、「どこに座って、演出するんですか?」と訊ねたら、「ぼくは、あの辺の床に座って」と前田司郎は答えました。

校庭に通じる扉の外からしゃべり声や笑い声が聴こえてきました。

「外の音、よく響きますね」とわたしは言いました。

「あぁ、あの扉の前、喫煙所なんですよ。出番のない役者たちがしゃべってるんです。昨日は運動会で、うるさくってぜんぜん稽古にならなくて……」と、前田司郎はにやにやしました。

 

このにやにや笑いが、わたしは大好きです。

「窓の外の結婚式」で、彼は、演出家としてだけではなく、俳優として出演もするので、どこで、あの魅惑的なにやにや笑いを繰り出すか、非常に楽しみにしています。

 

前田司郎は「ぼちぼちやるからぁ」と床に座って稽古をはじめました。

 

「生きてるものはいないのか」の登場人物は、一人残らず死にます。

しかし、死の瞬間を盛り上げる音楽もなければ、死を演じた俳優を退場させる暗転もありません。観客の目の前に、俳優の肉体によって次々と死が差し出され、そのまま舞台上に置き去りにされます。

ギリシア悲劇やシェイクスピア劇を持ち出すまでもなく、死は演劇の最大の山場であり、生と死の対立軸はドラマツルギーを支えるものだと思うのですが、

「生きてるものはいないのか」では、余りにも日常的な会話が生と死のドラマを押し流していきます。

 

わたしは、この作品で、前田司郎は岸田國士戯曲賞をとる、と確信しました。とらなきゃ嘘だろう、と思いました。そして、前田司郎は、「生きてるものはいないのか」で、第52回岸田國士戯曲賞を受賞しました。

 

稽古の話に戻ります。

当時の手帳にメモした、演出家・前田司郎の言葉をいくつかご紹介します。

マエダ語録、です。

 

「満面の笑みで『マサヒコ?』といった自分を、もう少し大事にしてあげて。『ああ』に恨みの感情が入っちゃってる。もっと寛容な感じで……」

 

「表面上だけ共感してあげたら? 所詮、他人事ではあるんだろうけど」

 

「コップをさわる前から、コップのことを気にしてる。偶発性をどうするかだね」

 

「殺したあと、ちょっと酔っちゃってるように見えるけど、もっとスポーティーなのね。殺した後の心の疲れを演じると、どうしても酔ってるように見える。でも、ここは、体の疲れなんだよ。ひと仕事終えて、あースッキリした!っていう……『なんで?』の後、汗ふいたりすると、スポーティーに見えるかな? もっかいやりましょう」

 

「臓器は動いてるから、そのウネリに体の動きを対応させて」

 

稽古場は、終始リラックスムードでした。

前田司郎は、床に上演台本とコーヒーを置いて、正座したり、両手を前についたり後ろについたり、脚を崩したり、灰色のパーカーを脱いで黒いTシャツ1枚になったりしていたし――、俳優の方も仰向けになったり、うつぶせで頬杖をついて台本を読んだり、くるっくるっと寝返りを打つようにストレッチをしたりしていました。

 

前田司郎は、「駄目出し」といえるほど強い物言いは一度もしなかったけれど、演技の細部に目を凝らし、どんな些細な違和感も見逃しませんでした。ミシン目のような細かいステッチを手縫いでチクチクチクチクやってる感じ――、手抜きをしないで仕上げよう、という強い意志は感じられましたが、それは演出家の緊張や抑圧によって高められたものではなく、稽古を重ねることによって浸透した覚悟のようなものとして伝わってきました。

 

わたしは内心動揺し、感動していました。

 

稽古後、五反田団行きつけの居酒屋に飲みに行こうとして、団員の誰かが店に電話をしたら、 14人は入れないと言われて、東京組の俳優たちが合宿をしている家で呑もう、ということになりました。

コンビニに寄ってお酒やツマミやお菓子などをたくさん買い込んで、6畳と4畳半と台所だけの空間に14人――、わたしは劇団員のアパートを泊まり歩いた10代の頃を思い出し、わくわくしました。

酒盛りが始まると、台所から楽しそうな笑い声が聴こえてきました。

女優陣がご飯を作り始めたのです。

「毎日、こんな風なんですか?」と訊いたら、

「毎日だよね」と前田司郎はあっさり答えました。

アスパラとおくらとプチトマトとささみのサラダとか、豆腐や野菜がたっぷり入った味噌鍋とか、栄養バランスのいい料理が畳の上に並べられました。

 

窓の外が明るくなる頃、会話も途切れがちになって、何人かの俳優がゴロンと横になって、寝息を立てはじめました。

半分寝かかった女優が、半分寝かかった男優の足を見て、呟きました。

「すごい巻爪だねぇ」

わたしも男優の足を見ました。

確かに、すごい巻爪だ。でも、わたしが足の爪の形を知っているのは、息子と同居している男性の二人だけです。 いいんだろうか、わたしなんかがこんなに見ちゃって——、と目のやり場に困った瞬間、はたと、前田司郎が率いる五反田団の団員たちは、一本の芝居を創る時間の中で、親きょうだいよりも濃密な関係を結ぶんだな、と思いました。

 

「そろそろおひらきにするか……」前田司郎が言いました。

ケータイを見ると、5時半をまわっていました。

 

その後、マエダとは文通を続けたり、ツイッターのDMでやりとりしたりして親交を深めたんですが、前田司郎に演出をお願いしたい、と強く思ったのは、12年前の京都の夜です。

 

生きてるうちに、作・柳美里、演出・前田司郎の芝居を実現出来て、良かった!

青春五月党、復活して良かった!

 


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二本松 岳温泉

2019年10月23日 15時28分55秒 | 日記
足腰が弱るので、
昼食後に毎日1時間散歩しているんですが、
帰り道、お土産物屋さんに立ち寄り、カウンターの女性と世間話をしたんです。

「安達太良山は、今が紅葉の真っ盛りなんですよ。いつもだったら、週末には車の渋滞が出来るのに、ほら、誰も歩いてないでしょう? 今年は台風19号の自粛ムードでほんとうにお客さんが少なくて……どうなるんでしょうか」

震災後に客が激減し、潰れてしまった旅館も何軒かある、と聞きました。
客足が完全に戻ったとはいえないなかでの、台風による激甚災害ーー。

南相馬市小高区から岳温泉までは、車で1時間40分の距離です。
La MaMa ODAKAで「ある晴れた日に」を観たあと、岳温泉で一泊し、翌朝、安達太良山に登るというコースは、どうでしょうか?
紅葉の真っ盛りです。
他県のみなさん、福島の山と温泉と食と酒を楽しみに来てください。(二本松は日本酒が有名です、奥の松、大七)

あ、そうそう、お土産物屋さんでひと通りお話した後に、
「どこからいらっしゃったんですか?」と訊かれたんです。
「南相馬から」と、わたしが答えると、
「あぁ! やっぱり! 南相馬の柳美里さん!」と言われました。

昔は、「もしかして、作家の?」みたいな訊かれ方だったんですが、最近は「南相馬の?」なんですよね、福島県内では。

わたしは、南相馬市小高区で本屋フルハウスをやっている柳美里です。

二本松市立安達太良小学校のみんなが、岳温泉の店舗や旅館の前に用意されたハロウィンのカボチャに顔を描いてまわっていましたよ。











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悪夢つづき

2019年10月23日 01時19分23秒 | 日記
ツイッターの方に、朝方書いたんだけど、
すごく怖い夢を見た(聞いた)。

耳元で、
「逢いたい。電話、待ってます」
と声が聞こえて、電話が切られる。
聞いたことのない男の声……
声の静けさが不穏で、脈が速くなり、目を開けた。

目を開けてしばらくして、夢か、と気付いたんだけど、
怖くて、全身が強張っている。

いったい、誰なんだろう?

でも、向こう側からの声のような気がする。

死神?

そして、わたしは二度寝する。

東京キッドブラザースの稽古場兼小劇場があった原宿の竹下通りから明治神宮の前を通り過ぎて、代々木公園を渋谷の方に向かって歩いている。
トートバッグの中には、うちの猫4ひきが入っている。
みんな12〜14歳の高齢猫なのに、手の平よりも小さい子猫に戻っている。
部屋に帰って、トートバッグを覗くと、真っ白い子猫、由紀夫しかいない。
バッグの中の物を全部出してみても、他の3びきが、いない、いない、いない。
車に轢かれたかも、カラスにつつかれたかも、誰かに踏んづけられたかもーー、わたしはパニックになって泣き叫ぶ。

トラー! チグー! エミー!

泣きながら目覚めた。

眠るのが、怖い。

嫌な夢しか見ないから…….



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また、雨……

2019年10月22日 02時32分14秒 | 日記

小説を書けていない……

缶詰中に台風に遭い……

(二本松市に滞在しているのですが、二本松市にも台風19号で避難勧告が出て、土砂崩れで2人が亡くなり、断水が続いているエリアもあります。二本松市に隣接している本宮市では阿武隈川と支流の安達太良川が氾濫して中心部一帯が浸水して、7人が亡くなりました)

精神的に厳しいなか、エッセイは4本書いて送った。

連載エッセイ1本、
来年単行本化されるエッセイ集『南相馬メドレー』のまえがきとあとがき、
フランス版、韓国版、イギリス版に続いて、近くアメリカ版が出版される『JR上野駅公園口』=『Tokyo Ueno Station』のあとがき、
です、書いたのは。

あとは、友人や知人に、「ある晴れた日に」のチラシを郵送する際に一言書き添えたり、公演案内のメールやメッセンジャーやTwitterのDMを送ったりーー。

でも、このままだと、缶詰になった意味がないので、22日、23日の2日間で小説を書き出します。

ホテルの部屋番号の512が東由多加の誕生日で、
到着した日の廊下に東がいちばん好きだったThe Cascades の「Rhythm Of The Rain / 悲しき雨音 」が流れていたから、東に「がんばれ」と言われている気がする。

https://m.youtube.com/watch?v=7wwECD9m9hI

外は雨……



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今の姿

2019年10月22日 01時41分51秒 | 日記
現在のLa MaMa ODAKA





現在のフルハウス


どちらも、途中です。

La MaMa ODAKAも、フルハウスも、「ある晴れた日に」が終わってから、「次」に向けて整備します。

そして、「次」のためにも、「ある晴れた日に」は満席にしないと。

台風19号の被害で、公演の宣伝を自粛していたのですが、今日から宣伝します。

席が空くのは、芝居にマイナスに作用するから。

悲しいから。

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