(昨日は一日、電波の通じない場所に居たのです)
わたしの体調不良で、当初の予定を大きく変更し、南岳(標高3030m)から南岳新道を下り、槍平小屋を経由して新穂高温泉に出るコースで下山することに決めました。
8月15日、朝5時半に朝ごはんを食べ、下山の装備を整えて、7時20分に南岳小屋を出ました。
フロントのバンダナをしたおじさんに「なるべく早く下山をしてください。どんどん天候が崩れますから」と言われたことで、息子もわたしも焦りました。
濃い霧でした。
外の気温は3°C。
真冬用の防寒登山ウェアの上にゴアテックスのレインウェア上下、グローブーー、それでも寒かった。
南岳新道は、槍平まで標高差が1000mもあります。
左右に切り立った痩せ尾根や、崖と崖に渡した丸木橋や、崖にかかった鉄ハシゴで恐怖を存分に味わった後に、岩場の急坂が延々と続くのです。
ポツポツと降り出した雨が土砂降りになり、眼鏡が雨粒で見えづらくなくなりました。
(雨が強くなってからは、つら過ぎて、写真を1枚も撮っていません)
視界は、右も左も上も下も、霧で真っ白ーー。
標高2600mの西尾根のコルあたりのガレ場で、わたしは最初の転倒をしました。
左の足首をグキッと捻りました。
左足を庇いながら濡れて滑りやすくなっている木や岩を踏んで前に進んでいたのですが、ダケカンバの林あたりで、ズズズズッと右足を開いたままの形で滑り落ち、股関節と膝後ろの筋を傷めてしまったのです。
立てません。
ストックにすがっても、生まれたての鹿のような感じで、立てない。
両脚が痛くて、全く踏ん張れない。
ガイドブックによると、槍平小屋まで3時間とありましたが、雨と霧のため、この時点で既に11時を回っていました。つまり、南岳小屋出発から3時間半を過ぎていたのです。まだ、半分しか下りてないのにーー。
わたしは、絶望しました。
「救助要請する?」息子が言いました。
「だれに?」
「岐阜県警に」
「この霧じゃあ、ヘリコプターは飛ばないよ」
「そういう場合は、おぶってくれると思うよ」
「そんなことはできない。それに土砂降りの雨に打たれて何時間も待つのは、無理。なんとか歩く」
わたしは、岩や泥におしりをついて前に進みましたが、長く急な木の梯子が出現し、泣き出しました。
人生で何番目かの辛い体験だったのです。
「たけ、槍平小屋のひとに電話して、あとどれくらいで小屋に到着するか、訊いてみてくれる?」
小屋の話によると、まだ1時間はかかる、ということでした。
わたしは、文字通り歯を食い縛って前に進みました。
午後1時、はるか下の方に南沢が見えてきました。
「ママ! 沢の岩場を30分くらい歩けば、槍平小屋に着くよ」
あの沢まで下りていくのに1時間くらいかかりそうなのに、岩場の下りを30分ーー。
わたしは次の一歩で、痛い! 足!と絶叫しました。
すると、下の方から二人の男性が現れました。
「電話を受けた槍平小屋の者です」60代半ばぐらいの男性が言いました。
「まずは、落ち着いて、温かいお茶を飲んでください」40代前半ぐらいの男性が水筒の蓋に温かい麦茶を注いでくれました。
「ありがとうございます」わたしはお茶をいただきました。
唇が痛みでわなわなし、膝がガクガク震えました。
「ザックを背負えば歩けますか?」
「歩きます。すみません」わたしは、申し訳なさでいっぱいでした。
若い男性が、わたしのザックを背負ってくれました。
それから、通常10分で小屋に着くという沢の岩場を1時間かけて、一歩一歩おしりをついて下りました。
槍平小屋に到着したのは、午後2時過ぎです。
宿のご主人と話し合いました。
「その足だと、登山道のガレ場下りに4時間、林道に出てから新穂高温泉まで4時間。10時過ぎだと、バスもないし、タクシーもない。
ここに泊まるとしても、明日も雨だから、増水して川を渡れなくなる可能性がある。だから、今日は、宿泊客をどんどん帰してる。川が増水したら、2、3日停滞することになるかもしれないよ」
わたしは、お願いをしました。
「泊まらせてください」
というわけで、昨日は、槍平小屋に泊まりました。
さきほど、入念にストレッチを行い、患部に湿布を貼りました。
明日、足の痛みがやわらいでいますように。
明日、晴れますように。
今夜はうまく眠れますように。