やはり何度も宿泊したやまきぼし旅館は建物が残っていたので、近づいて見てみると、玄関に貼り紙がありました。
「この度八ッ場ダム建設に伴う移転準備に取り掛かる事となり、現旅館での営業を終了させて頂く事となりました」
ちょうど、やまきぼし旅館のご主人で、川原湯温泉協会の会長でもある樋田省三さん(49歳)がお帰りになられて、「営業はもうしてないんですけど、お風呂には入れます。せっかくだから入っていきませんか?」とお誘いくださったので、お言葉に甘えることにしました。
大好きだった貸し切り露天風呂「崖湯」に入ることができて、うれしいです。
息子とふたりで、よく入りました。
「崖湯」の命名と、看板の文字は、作家の嵐山光三郎さんによるものです。
泉質も景色も、最高の露天風呂です。
惜しい……
群馬県吾妻郡長野原町の八ッ場(やんば)ダム水没地域にも通いつづけました。
今年の10月頃から、ダムの本体工事が始まる、というニュースは耳にしていました。
昨日の朝日新聞で、水没する川原湯温泉の象徴である公衆浴場「王湯会館」が30日の18時をもって閉館する、という記事を読んで、居ても立っても居られなくなり、4時起きで始発に飛び乗りました。
午前8時44分、9月いっぱいで廃駅となる川原湯温泉駅に降り立ち、まず国指定名勝・吾妻峡を目指して歩きました。
それから休みなく水没予定地を歩きまわり、代替地の住宅や旅館や墓地を見て、高台に新しくオープンした「道の駅 八ッ場ふるさと館」でダムカレーを食べ、再び歩きつづけました。
「王湯」の露天風呂に入ったのは、午後15時半でした。
川原湯温泉は1193年に源頼朝が発見したと伝えられている温泉地で、「王湯会館」は、わたしが生まれる1年前の1967年に建てられました。こじんまりした男女の内風呂と露天風呂があり、1月半ばの夜明け前、地元男性たちがふんどし一丁で熱い源泉をぶっかけ合う「湯かけ祭り」の会場として有名です。
実は、やまきぼし旅館の女将さんの特別な計らいで、2年前に我が家の息子も「湯かけ祭」に参加させていただいたのです、ふんどし一丁で--。
いい思い出となりました。
ありがとうございました。
コーヒー飲んで、もうすこし頭をはっきりさせたい。
(わたしはカフェインが効きすぎる体質のようで、午後に飲むと、一睡もできなくなります。アルコールも同様です)
さて、在来線で50分。
(わたしの妹と言ってもいい岡映里の 『境界の町で』の売れ行きが気になり、1時間おきにAmazonランキングをチェックしています。新聞書評やインタビュー記事は、Amazonより書店での売れ行きに反映されるから、大丈夫、きっと重版になるよ)
(わたしは岡映里との10年以上の付き合いで、彼女の全てを知っているわけではないけれど、彼女の痛苦には接している。彼女とわたしは痛苦で繋がっている。柳美里と岡映里は痛苦で血を分けた姉妹なのです)
あんなに鮮やかだった赤色が鈍くなり、体が半分ぐらいの長さに縮んで固まる――、あぁ、なんて劇的なんだろう……
わたしは、チョウチョの時代より、幼虫、蛹の時代の方が断然好きですね。
葉をひたすら食べることに特化した無駄のないフォルム、生命が張り詰めている感じ、独創的な色彩、動き――、鱗翅目の幼虫の全てを愛しています。
でも、不思議なんですよね。
多くのひとは、チョウチョを見かけると「きれい」と足を止め、その幼体を見つけると「気持ち悪い」と眉をしかめるでしょう?
なかには、殺虫スプレーを噴射して殺すひともいる。
その成体であるチョウチョを殺すことはないのに――。
同じ一つの生き物ですよ。
わからん。
6月28日は、田園都市線の梶が谷駅前(川崎市)の喫茶店「タリーズ」で「南相馬ひばりエフエム」「柳美里のふたりとひとり」の収録を行いました。
鎌倉の自宅からは約2時間かかり(乗り換え2回)思ったよりも遠かったですね。
南相馬市原町区在住の江本節子さん(67歳)と、南相馬から川崎に嫁いだ娘さんの鈴木優香子さん(41歳)のお二人でした。
たまたまお母さまの節子さんが、優香子さんのお宅に泊まりがけで遊びにいらしているときで、お二人にご出演いただけたのです。
江本節子さんは「南相馬市 今井正人 応援団長」の名刺をお持ちです。
今井正人さんは、南相馬市小高区出身の日本を代表する長距離ランナーです。
箱根駅伝では、順天堂大学代表として5区を走り、3年連続区間賞を獲得した「山の神」です。
彼が5区で抜いたランナーは3年間で20人に上ります。
鈴木優香子さんは、「相馬弁保存会」の会長で、おひとりでホームページを運営されています。http://emosuzu.fc2web.com/
隣のテーブルやカウンター内の音や声がけっこう入っていると思いますが、駅周辺にカラオケボックスはないし、お宅での収録も無理だということで、やむを得なかったのです。
ひばりエフエムの今野聡ディレクター、お許しください。
そして、もうひとつ、記念写真を撮り忘れました。
今野D、ごめんなさい。
優香子さんが、3月11日から何日も眠らずに南相馬の節子さんに電話をしつづけたという話をしている最中に泣き出し、隣の節子さんもハンカチで涙を拭い――、わたしも収録中泣くのを堪えるのがやっとで、そのまま「タリーズ」を後にしてしまいました。
節子さんのご実家は南相馬市小高区、震災前にお亡くなりになった節子さんのご主人は浪江出身で、どちらも原発事故以降、居住することができません。
どうやって生きていけばいいかわからない、と節子さんはおっしゃっていました。
28日は、ずっと雨でした。
帰りは鎌倉駅の近くに停めておいた自転車に乗って、びしょ濡れになりながら帰りました。
「1年目はなんとかなると思った。2年目はなんともならないんだと思った。3年目からほんとうの苦悩がはじまった」という江本節子さんの言葉が雨の中でリフレインしました。