宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

【動画】引退の金田誠一衆院議員をねぎらう鳩山由紀夫代表ら民主党北海道議員

2009年07月22日 19時17分55秒 | その他

引退の金田誠一衆院議員をねぎらう鳩山由紀夫代表ら民主党北海道議員



 前々から、衆議院議員の引退は報われないなあ、と思っていました。引退日が解散日になるので、新聞社・テレビ局はてんやわんやになり、当選十数回、勤続数十年のベテラン議員の引退の光景がほとんど報道されることがないからです。

 2009年7月21日の「政権交代解散」は、前週に麻生首相が解散予告をするという異例の展開でした。午前中に開かれた民主党両院議員総会では、落ち着いた雰囲気の中で、鳩山由紀夫代表から、藤井裕久・最高顧問(元大蔵大臣)、金田誠一(かねた・せいいち)衆院議員、岩國哲人(いわくに・てつんど)国際局長の引退が発表され、労をねぎらいました。

 この後、北海道選出の衆議院議員・参議院議員が集まり、金田誠一さんを囲んで、記念品を贈り、北海道8区の後継者である逢坂誠二さんが握手。政権交代の実現を約束しました。

道内選出2議員今期限り引退 丸谷氏 法案廃案に無念も 金田氏 医療、福祉に尽力-北海道新聞[政治]

 21日の衆院解散に伴い、道内選出議員では公明党の丸谷佳織(44)=比例代表道ブロック=、民主党の金田誠一(61)=道8区=の両氏が引退する。

 丸谷氏は1996年に旧新進党から初当選。1期目に拓銀破綻(はたん)、有珠山噴火など北海道を揺るがす大きな出来事が続いた。「こうした危機に政治は迅速に対応しないといけないと痛感した」と振り返る。

 「国民を向いて仕事をする」ことを信条とし、法案づくりなどで女性や子どもの声を代弁してきた。それだけに、今国会で党の作業チーム座長として取り組んだ児童買春・児童ポルノ禁止法改正案が、解散で廃案になることに「政局に左右され、国民に不利益が出ることに憤りを感じる」と無念さをにじませた。

 引退後の活動は未定だが、「これまでの経験を生かし、社会に貢献したい」と意欲を燃やしている。

 金田氏は2006年1月に脳梗塞(こうそく)を患い、現在は車いすで登院しながらリハビリを続けている。中選挙区制最後の衆院選となった93年に旧社会党から初当選し、医療、福祉、環境分野などで精力的に活動。97年の臓器移植法案をめぐる国会論議では、脳死を人の死としない「金田案」を提出。衆院では否決されたものの、その後の参院での法案修正に大きな影響を与えた。

 護憲派の論客としても気骨をみせ、01年のテロ対策特措法に基づく自衛隊派遣の国会承認では、民主党の方針に従わず反対票を投じ、処分された。

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【国会傍聴記】衆議院解散

2009年07月22日 16時58分05秒 | 第171通常会(2009年1月~)自民党追い込まれ

[写真]解散後に本会議場をあとにする民主党前衆院議員たち=衆議院インターネット審議中継からキャプチャー。

【国会傍聴記 2009-7-21 衆院本会議】

 さて、衆院本会議の解散の傍聴記です。これで第167臨時国会から2年間続けた国会傍聴記のしめくくりとなります。数日前から言いしれぬ緊張を感じながらこの日を迎えました。

 衆院本会議場では、開会の1分前ぐらいから、かつて経験したことがないおびただしい数の報道用スティール・カメラのフラッシュがたかれ、すこし気持ち悪くなってしまいました。緊張もあったんだと思います。報道の現場に長くいるのにあまりカメラのことはよく分からないのですが、火薬を使ったストロボを使った報道写真というのは、本会議場ぐらいしか見かけません。国会議事堂は明治時代の建物で、記者席から演壇が遠く薄暗いので、火薬を使っているのだと思います。

 この日は午前10時から衆院経済産業委員会が開かれ、「小規模企業共済法改正法案(171国会閣68)」が自民党・公明党の賛成多数で可決しました。これが本会議に上程されていたようで、開会の直前のひな壇には経済産業大臣が座っていましたが、解散詔書の方が優先して議題になりますので、儀礼的な感じで、議員席に戻りました。

 官房長官が議長席側の扉から入ってきました。午後1時3分、衆議院議長と事務総長が入場。

 官房長官はふくさを包んだ詔書を載せたお盆をゆっくりと事務総長に渡そうとして、事務次長に制されました。与党側議席から少しヤジが飛びました。議長が開会を宣言する前だったからです。官房長官もかなり緊張していたのでしょう。

 議長が「これより会議を始めます」と言った瞬間に官房長官が鬼塚誠・事務総長に渡すと、ホッとした様子で目立たないように足早に議員席に去っていきました。

 鬼塚事務総長はあれだけの視線が集中する中、ゆっくりとふくさを開き、ていねいに折り目をつけて内容を確認しました。

 議長が詔書を朗読すると言うと、民主党衆院議員も全員起立しました。これだけ整然と解散の瞬間を迎えるのはかなり久しぶりに感じました。

 「日本国憲法第7条により衆議院を解散する」。

 民主党議員全員がバンザイで応じたように思いましたが、鳩山由紀夫代表と岡田克也幹事長らバンザイをしなかった議員も多かったと後の報道で知りました。

 衆院事務局によると、この日の一般傍聴席は336人、参院議員傍聴席が23人、記者傍聴席が215人、公務員傍聴席が100人、外交官傍聴席が20人の合計694人でした。

 本会議の後、民主党の若手議員数人がふしぎそうに傍聴席を見ていました。当選2回生の村井宗明さん(富山1区)は「傍聴席も満席で、新しい時代の幕開けへの期待を感じました」とブログに記しています。

 本会議終了後もしばらく余韻にひたりました。いつものように「じゃあ、立ってください!」と衛視さんから促されることはありませんでした。後ろを見ると、大量の立ち見がいて、なおも本会議場を眺めていて、驚きました。336人の一般傍聴人が順々に階段を降りていくので、前から3列目に座っていた私が急かされることがなかったわけです。複数の民主党秘書から歴史的瞬間を見ようと昼食も食べずに午後1時に本会議場にかけつけたという話を聞きました。

 336人のうち1割にあたる30人は、民主党遊説局長の高山智司(高山さとし)さん(埼玉15区)の「国会に行こう!」というビラで国会見学をした人だったそうです。埼玉15区はさいたま市の一部・戸田市・蕨市ですから、国会まで30分~1時間ほどの距離にあります。このように解散の瞬間にかけつけたのは民主党の人が多かったようですが、横浜市選出の菅ヨシヒデ選対副委員長の紹介も多かったようで、あなどれないですね。

 あらためて本会議場を見ました。

 この2年間、本会議一般傍聴券の手配の労をお願いした石川知裕さん(北海道11区)もふしぎそうに傍聴席を見回していたので、ノートを丸めて振ってみましたが、気付かなかったようです。民主党議員の最後に本会議場を後にしました。

 議員席には木札が賛成票(白)と反対票(青)の合計12枚備えられています。木札は議事録に賛否を明記するため議員の名前が彫り込まれています。石川君が同じ党青年局次長の議員からさっと耳打ちされると、あっとした顔をして、木札を背広のポケットにしまいました。私が確認したところ、当選1・2回生の合計3人が木札を持ち帰りました。

 衆院議員を務めたあかしの木札はこの日しか持ち帰るチャンスはありません。第172特別国会の議員席に名前がなければこの木札は必要ありません。中川昭一前財務大臣とたたかう石川君には、自信を持って第172特別国会の議員席に木札を持ち帰ってきてほしいと思います。選挙に絶対はありませんが、十勝地方のみなさんに「私はこの木札を国会に再び持っていってもよろしいでしょうか?」と聞いてみれば、答えは必ず見つかります。

このエントリー記事の本文は以上です。

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岡田幹事長が3点の事務連絡 両院議員総会

2009年07月22日 07時49分14秒 | 第45回衆院選(2009年8月)政権交代
[写真]7月21日の両院議員総会で事務連絡をする岡田幹事長=民主党ホームページからキャプチャー

 7月21日午前11時からの両院議員総会で、岡田克也幹事長が次の3点を事務連絡しましたので、お知らせします。

 ①投票日の8月30日まで役員会と常任幹事会は開かないので、代表と幹事長に一任してほしい。選挙については代表に一任してほしい。→了承。

 ②比例代表は例外なく小選挙区立候補者を全員ブロック1位で登載するが、ブロックの状況(良いところ)によっては、全小選挙区立候補者の下位に比例単独立候補者を公認するので一任してほしい。→了承。

 なお、岡田さんは「自信のある人は例外として比例名簿から外しますので、申し出てください」と、岡田式「ジョークのような本気の話」をしました。これは比例復活の退路を自ら断つことで小選挙区必勝を期すという選挙戦術をとりたい人は認めます、という意味です。会場は静まり返りましたが選挙に勝つ上での冷徹さを感じました。

 ③マニフェストの中身は固まっているが、自民党がどんなものを出すのか見極めたいので、「今月のしかるべき時期」に鳩山由紀夫代表本人が発表する。それまでは、全候補予定者に7月16日付で「民主党主要政策のポイント解説」を配布しているので、「自信を持って」活用してほしい。

 以上の3点です。
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【けさの朝刊から】40日夏選挙 最強応援団長の涼しくなるコメント

2009年07月22日 06時27分43秒 | 第45回衆院選(2009年8月)政権交代
 おはようございます。

 きのうは、解散からしばらくかなり興奮していましたが、意外とすんなり寝付き、ぐっすり眠れました。党本部でお会いしたり、お見かけした総支部長(候補予定者)の何人もがきのうの午後10時辺りに早くも「解散→党本部で公認証受け取りました」というブログ更新をしていて、たいしたもんだなあ、と思いました。

 きのう意見交換した中堅現職(前職)、新人とは、「真夏の40日間の選挙戦をどういうペース配分で作るか」ということが最大のテーマとなりました。

 22日付朝日新聞3面には、「ある若手」の発言として

 「(有権者と)夢を語り、夢を共有し、政権交代の夢を一緒に実現する」とあります。民主党公認候補予定者が有権者と政権交代の“夢”を“共有”し、“一緒に実現”すれば、8月30日の総選挙は自ずと勝てるでしょう。「ある若手」ということは、1回以上当選した経験を持つ人の言葉です。

 22日付東京新聞31面には、渡部恒三・最高顧問(福島4区)
 「二大政党政治の実現のために、私は政治生命をかけて今日まで闘ってきた」と長老の重みを感じさせた上で、「命懸けで頑張ります」と心の若さを強調しました。 

 そのうえで、「油断大敵という言葉は選挙のためにあるような言葉。風が吹いていると思って気を緩めたらダメ」と連続当選13回の秘伝を公開しました。

 40日夏選挙を候補者、スタッフ、後援会員が一人で頑張ろうとすると大変です。応援団が必要です。

 民主党最強応援団長のひとりといえば、河村たかし名古屋市長です。

 22日付東京新聞30面で河村市長は

 「庶民のための政治を民主党がやれば、結果として政権交代させてもらえるだろう」。政権交代を判断するのは主権者(有権者)自身ですから、「させてもらえるだろう」と受け身で話しています。河村さんは日本新党で初当選の「政権交代チルドレン」で、その後小選挙区圧勝の5連勝。市長選も入れれば6戦圧勝の“選挙のプロ”の肩の力が抜けて、涼しさを感じるコメントです。
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