[写真]自民党本部の日の丸、5年前2015年、宮崎信行撮影。
●市中感染からおよそ33日後の遅きに失した首相会見
●市中感染からおよそ33日後の遅きに失した首相会見
安倍晋三首相(自民党総裁)は、さきほど、新型コロナウイルスで奈良県のバス運転手さんの市中感染が確認されてから、およそ33日後となる、令和2年2020年2月29日(土)、初めて記者会見しました。
11年前の東日本大震災で、民主党代表の菅直人首相・枝野幸男官房長官らが発災直後から記者会見を続けた「#edanonero #kanokiro」とは対照的な政治姿勢。
私・政治ジャーナリスト宮崎信行は当時、岡田克也・民主党幹事長の「こういうときこそ人は見られている」との箴言を守り、官邸内のことは分からないので、与野党幹事長会談などの動きを報じ、おおむね正しい報道ができました。
●休業補償で「助成金制度の創設」とだけ語る
首相はあさってからの学校「休業」要請について、「学年をともに過ごした友達との思い出を作るこの時期に、学校を休みとする措置を講じるのは断腸の思いです 」とし「それでも、子供たちの健康、安全を第一に、感染リスクに備えなければならない」と語りました。
休業補償については、「今回の臨時休校により、休みをとらざるを得なくなった保護者の皆さんへの助成金制度の創設」を具体化すると語りました。労働保険料の特別会計からの支出について、前向きな姿勢を示しましたが、税金など来年度一般財源からの歳出についてはまったく触れませんでした。
2012年の与党・民主党2000万票減の56議席大惨敗以降、安倍一強政治、衆参とも自公が過半数の情勢で、安倍総裁は党首会談をやりませんでした。
●玉木国民民主党代表と安倍総裁がきのう電話会談
きのう、2月28日(金)玉木雄一郎・国民民主党代表は菅義偉官房長官に電話し、その後、安倍首相から玉木さんに電話があり、15時17分からおよそ3分間、電話会談を開きました。玉木さんによると、休業補償を提案し、「急ぎでやってもらいたい。協力するところは協力する」と語り、首相は「それはやらせてもらう。何かあれば何でも言ってくれ」 と答えたようです。
[写真]玉木雄一郎代表、おととし2018年、国会内、宮崎信行。
[写真]安倍首相、おととし2018年、国会内で、宮崎信行撮影。
2年前の2018年、国会内で宮崎信行撮影。
●菅首相は、野党の谷垣、山口党首と24時間13分後に党首会談。
菅首相は、発災からわずか24時間13分後に、野党の谷垣禎一自民党総裁、山口那津男公明党代表を官邸に招き入れ、党首会談を開きました。(当ブログ2011年3月12日付記事参照)。
●岡田幹事長は53日後に「漁師がれき片付け日当」の補正予算を成立させた
その後岡田克也幹事長が与野党政策責任者会合を国会内で断続的に開催。発災から53日後に、補正予算を成立させました。当ブログ内の衆院通過を伝える2011年4月30日記事で「石巻漁港などのがれきの処理を休漁に追い込まれた漁業者の人にやってもらい、日当を払うという鹿野道彦農相の判断もあり、全漁連会長から民主党の岡田幹事長が、すべて取り入れてもらって感謝している」と言われたとのことです」と私は聞きました。休業を余儀なくされた漁師さんに所属漁協のがれきの片づけをすると日当が1万5000円払われることをわずか53日後に実現させたのです。
●岡田・安住・玄葉トリオと比べて、二階・岸田・鈴木トリオは首相支えず
もともと仲良しだった、岡田幹事長・安住淳国対委員長(宮城5区)・玄葉光一郎政調会長(福島3区)のトリオは「3党合意」という枠組みを構築しやがて、国を救い、民主党を分裂させました。菅首相の谷垣総裁に対する「大連立」の電話呼びかけは実現しませんでした。それに引き換え、自民党の二階俊博幹事長、岸田文雄政調会長、鈴木俊一総務会長に首相を支える姿勢は透けて見えません。自民党の国会、県会、市町村議会議員も見て見ぬふりか。
このように政治家としての姿勢について、今後も、2020年自民党と2011年の民主党との比較で、チクチク書いていく。これが私の役目だと考えております。
とりあえず、以上です。