lounge SRG 見た目は大人、中身は子供!
1999年9月18日で東海道新幹線での運行を終了した0系新幹線。
その引退を記念して発行されたオレンジカードセットです。
表紙は、ズラリと並ぶ0系の姿。 まだ100系も生まれていない、まさに「新幹線=0系」だった時代の頃の写真です。
0系末期の頃と違い、黄色味がかったアイボリーに、黄色い鼻がいかにも0系全盛期という感じがして、見ているだけでワクワクしてくる写真です。
(約30年前のネガフィルムをデジタルサルベージした画像で、当時の模様をお伝えする旅行記です。
一部の画像はフィルムの劣化や退色などでかなり見難いことをご了承ください。)
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ちょうど今から30年前の1991年7月14日に、東武鉄道の「5700系」引退記念ツアーに参加してきた時の模様です。
写真や手元にあるツアーグッズなどから、当時のことを思い出しながらできるだけツアーの模様を詳細に旅行記にしました。
しかし、なにせ30年前のことなので、もしかすると思い違いや記憶違いがあるかもしれません。
当時は、平成まで奇跡的に残った昭和の古豪として人気だった5700系。
このブログを読まれている方の中には、このツアーに参加したという方もいらっしゃるかもしれません。
もし、当時のツアーの模様を覚えているという方がいらっしゃいましたら、ぜひコメント欄で当時の思い出をお聞かせ下さい。
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前回からのつづきです。
いよいよ東武日光駅を発車する時間が近づいてきました。
東武日光から浅草へ、5700系さよならツアーの復路の旅が始まりです。
そして、5700系に乗れるのもこれが最後。
(約30年前のネガフィルムをデジタルサルベージした画像で、当時の模様をお伝えする旅行記です。
一部の画像はフィルムの劣化や退色などでかなり見難いことをご了承ください。)
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ちょうど今から30年前の1991年7月14日に、東武鉄道の「5700系」引退記念ツアーに参加してきた時の模様です。
写真や手元にあるツアーグッズなどから、当時のことを思い出しながらできるだけツアーの模様を詳細に旅行記にしました。
しかし、なにせ30年前のことなので、もしかすると思い違いや記憶違いがあるかもしれません。
当時は、平成まで奇跡的に残った昭和の古豪として人気だった5700系。
このブログを読まれている方の中には、このツアーに参加したという方もいらっしゃるかもしれません。
もし、当時のツアーの模様を覚えているという方がいらっしゃいましたら、ぜひコメント欄で当時の思い出をお聞かせ下さい。
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前回からのつづきです。
今日の主役の5700系が東武日光から下今市へと回送されて行きました。
5700系のさようならツアー電車が再び東武日光まで戻ってくるまで、40分ほどの時間があります。
その間は東武日光駅で東武電車の写真を撮っていました。
5700系が出て行くと、同じホームにすぐ「スペーシア」が滑り込んできました。
一部の画像はフィルムの劣化や退色などでかなり見難いことをご了承ください。)
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ちょうど今から30年前の1991年7月14日に、東武鉄道の「5700系」引退記念ツアーに参加してきた時の模様です。
写真や手元にあるツアーグッズなどから、当時のことを思い出しながらできるだけツアーの模様を詳細に旅行記にしました。
しかし、なにせ30年前のことなので、もしかすると思い違いや記憶違いがあるかもしれません。
当時は、平成まで奇跡的に残った昭和の古豪として人気だった5700系。
このブログを読まれている方の中には、このツアーに参加したという方もいらっしゃるかもしれません。
もし、当時のツアーの模様を覚えているという方がいらっしゃいましたら、ぜひコメント欄で当時の思い出をお聞かせ下さい。
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前回からのつづきです。
今日の主役の5700系が東武日光から下今市へと回送されて行きました。
5700系のさようならツアー電車が再び東武日光まで戻ってくるまで、40分ほどの時間があります。
その間は東武日光駅で東武電車の写真を撮っていました。
5700系が出て行くと、同じホームにすぐ「スペーシア」が滑り込んできました。
(約30年前のネガフィルムをデジタルサルベージした画像で、当時の模様をお伝えする旅行記です。
一部の画像はフィルムの劣化や退色などでかなり見難いことをご了承ください。)
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ちょうど今から30年前の1991年7月14日に、東武鉄道の「5700系」引退記念ツアーに参加してきた時の模様です。
写真や手元にあるツアーグッズなどから、当時のことを思い出しながらできるだけツアーの模様を詳細に旅行記にしました。
しかし、なにせ30年前のことなので、もしかすると思い違いや記憶違いがあるかもしれません。
当時は、平成まで奇跡的に残った昭和の古豪として人気だった5700系。
このブログを読まれている方の中には、このツアーに参加したという方もいらっしゃるかもしれません。
もし、当時のツアーの模様を覚えているという方がいらっしゃいましたら、ぜひコメント欄で当時の思い出をお聞かせ下さい。
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1990年6月。
東武鉄道に新型特急車両 100系「スペーシア」が誕生しました。
東武の特急に新型車両が登場するのは、1700系・1720系の「デラックスロマンスカー」以来、約30年ぶり。
時代は「平成」になって間もない頃で、まさに“待望”とも言える100系「スペーシア」の登場によって、東武鉄道の優等列車車両群は目まぐるしい動きを見せるようになります。
100系「スペーシア」の登場により、日光・鬼怒川線の1720系「デラックスロマンスカー」に余剰が発生
↓
余剰となった1720系「デラックスロマンスカー」の走行機器・主電動機類を流用して、200系「新型りょうもう」が誕生
↓
200系「新型りょうもう」の登場によって、伊勢崎線の急行「りょうもう」に使用中の1800系に余剰が発生
↓
余剰となった1800系を改造して、300系/350系日光・鬼怒川線向け急行用車両が誕生
↓
300系/350系の急行「きりふり」「南会津」「しもつけ」が登場し、6050系の快速急行「だいや」「おじか」「しもつけ」が運行終了
↓
快速急行への充当が終了して定期運用に余裕が出た6050系が、臨時列車・団体列車の運用に就くようになる
100系「スペーシア」の誕生を頂点として、非常に分かりやすい、「ここまできれいに段落とし的な格下げ・改造を普通やるか?!」と思うような車両のやりくりが、1990年6月から1991年7月までの1年間の間に行われました。
(↑は翌1992年1月発行の東武時刻表。1991年7月のダイヤ改正での優等列車のトピックスが表紙に羅列されていて、かなりのインパクトがある。表紙の写真も優等列車勢揃いだが、1992年1月時点では1720系DRCは全車引退している。そして一番奥にいるはずの5700系は、わざわざ切って編集されてしまっているのがファン目線からすると悲哀を感じずにいられない)
こうして、1960年生まれの1720系から1800系~6050系~100系~200系、そして1991年7月生まれの300/350系に至るまで、車両の引退と登場が次々に行われ、日光鬼怒川へのフラッグシップ特急からビジネス急行、観光特急補完列車、団体用列車の優等列車群が入れ替わる、まさに「一大スペクタクルドラマ」が繰り広げられたのでした。
そして、この「段落とし」的な車両の動きの最後に来るのが・・・・
「快速急行」の運行が終了した6050系の定期運用に余裕ができる
↓
臨時・団体運用に6050系が入るようになり、団臨専用だった5700系が余剰となる
↓
登場から40年が経っていた5700系が完全引退となる
この一連の車両やり繰りの、最後に行きつく先にあったのは、「5700系の引退」でした。
臨時列車・団体列車の専用編成として奇跡的に平成の世まで生き残った、あの「5700系」についに引導が渡される日が来ました。
2000年3月のダイヤ改正で、特急「かもめ」「みどり」「ハウステンボス」から485系が撤退した際に発行された、惜別記念カードセットです。
縦長の台紙で、485系の乗降ドア脇に掲げられた「かもめエクスプレス」「みどりエクスプレス」「ハウステンボス」の真鍮製エンブレムをあしらった、JR九州らしいデザインセンスに長けた表紙となっています。
2002年に上越新幹線の愛称に「とき」が復活したのを記念して、JR東日本新潟支社で発行された記念カードです。
上越新幹線の愛称は、速達タイプが「あさひ」、各駅停車タイプが「とき」の愛称が付けられていましたが、近距離タイプの「たにがわ」が登場したのと、長野新幹線開業で新しく「あさま」の愛称が登場したことで、上越新幹線の東京~高崎間で多数の愛称の列車が走ることになったため、停車駅別ではなく行先別に愛称を整理することになり、新潟行きは「あさひ」に統一されることになったため「とき」の愛称は1997年9月30日で消滅しました。
しかし、新潟側では在来線特急時代から「とき」の愛称に特別な愛着や郷土感を持っている利用者が多かったこと、「あさひ」と「あさま」が1字違いの愛称で紛らわしいことによる乗り間違えが多発したことから、5年後の2002年12月に新潟行きの上越新幹線の愛称が「とき」に変わることになり、それと入れ替わりに「あさひ」の愛称が消滅することとなりました。
この「とき」の愛称の復活に際して、新潟支社では在来線で183(189)系「懐かしの特急とき号」を運行。
それと同時にこの記念オレンジカードが発売されました。
1990年6月にデビューした、東武鉄道の新型特急100系「スペーシア」。
その就役を記念して、とーぶカードが発売されました。
シルバーの台紙に、メタリックに輝く印刷で「TOBU LIMITED EXPRESS SPACIA」のロゴ。