lounge SRG 見た目は大人、中身は子供!
日本全国津々浦々を駆け巡った485系特急型電車。
国鉄時代の特急電車の代表格のこの車両も、JR化後は新型特急に主役の座を譲り、一部の車両は改造されてお座敷電車に生まれ変わったりしましたが、その多くが廃車となって消えていきました。
第一線で残った車両もリニューアル改造などで、原型を留めないほどの姿に生まれ変わりました。
南東北エリアで臨時快速などで活躍してきた仙台所属の485系は、外観はほぼ原型のまま伝統の国鉄特急カラーを纏い、気が付けば「国鉄色の485系」はこれが日本で最後の存在となっていました。
そんな仙台の485系もついにリタイヤとなることが決まり、最後に南東北を代表する往年の国鉄特急の復刻運転で引退の花道を飾ることになりました。
私自身も幼少の頃に福島に住んでいたことがあったので、夏休みや冬休みに親戚の家に遊びに行く際には、485系の「ひばり」や「やまばと」や「つばさ」に乗せてもらい、それがとても楽しみでした。

今回のラストランでは、私が一番大好きな「やまばと」のヘッドマークを飾る列車の復刻運転はありませんでしたが、たぶん一番よく乗ったであろう「ひばり」号が仙台→郡山で運転されるというので、乗車申し込みをしました。
国鉄時代の特急電車の代表格のこの車両も、JR化後は新型特急に主役の座を譲り、一部の車両は改造されてお座敷電車に生まれ変わったりしましたが、その多くが廃車となって消えていきました。
第一線で残った車両もリニューアル改造などで、原型を留めないほどの姿に生まれ変わりました。
南東北エリアで臨時快速などで活躍してきた仙台所属の485系は、外観はほぼ原型のまま伝統の国鉄特急カラーを纏い、気が付けば「国鉄色の485系」はこれが日本で最後の存在となっていました。
そんな仙台の485系もついにリタイヤとなることが決まり、最後に南東北を代表する往年の国鉄特急の復刻運転で引退の花道を飾ることになりました。
私自身も幼少の頃に福島に住んでいたことがあったので、夏休みや冬休みに親戚の家に遊びに行く際には、485系の「ひばり」や「やまばと」や「つばさ」に乗せてもらい、それがとても楽しみでした。

今回のラストランでは、私が一番大好きな「やまばと」のヘッドマークを飾る列車の復刻運転はありませんでしたが、たぶん一番よく乗ったであろう「ひばり」号が仙台→郡山で運転されるというので、乗車申し込みをしました。
秋田新幹線「こまち」号で走っていたE3系新幹線車両には、1995年に製造された試作編成(量産先行車)が存在しました。
秋田新幹線開業前から高速走行や新在直通の試運転を行っていて、当時は試験用の非営業用編成として「S8」の編成番号が附されていました。
秋田新幹線開業後は、開業直前に落成した量産車に仕様を可能な限り合わせた改造工事が行われ、営業用の編成のひとつとして「R1」の編成番号が附されて「こまち」号で活躍していました。
「R1」編成は、他のこまち編成と比べて先頭車の顔が明らかに違っていたので、パッと見ただけでもすぐに「試作の車両だ」と、わりと誰でも分かるような違いがありました。
左:量産車の「こまち」 右:試作車「R1」編成の「こまち」

白銀にピンクの帯という塗装は同じですが、ヘッドライトの位置と形状が両者全く異なり、R1のほうは顔が丸くて細いスマートな印象でした。
2013年に後進のE6系が「スーパーこまち」で営業運転を開始すると、E3系は徐々に運用離脱・廃車が進み、R1編成も引退の時がきました。
JR東日本秋田支社では、R1編成の最終営業運転をわざわざプレスリリースにて告知を行い、沿線では見送りの式典を、車内では営業運転終了の記念品を配布するなどのイベントを計画。
列車そのものが廃止される、またはその形式で最後まで残った1編成が引退するといったことでこうしたイベントが行われるのは珍しいことではありませんが、R1編成が引退する時点でE3系はまだ多くが「こまち」で活躍中でしたし、そういう意味ではE3系のうちの1編成がただ引退するだけでここまでのイベントを行うというのは異例のことのように思われました。
(山形新幹線の400系の、同じく先行量産車の試作編成「L1編成」の最終運転では、新在直通運転を最初に実現した記念碑的な車両であったにもかかわらず、特にこうした告知もイベントも何もありませんでした)
秋田新幹線の線路が完成して全てが繋がった時、それはつまり東京と秋田が新幹線の線路で繋がったことを意味し、R1編成は秋田から東京へと直通する新幹線の第一号編成だったことから、秋田側ではR1編成に対する思い入れや感情移入の強さが他県民が思う以上に大きかったのではないでしょうか。
その思いの強さが、「R1編成引退セレモニーイベント」の開催に現れていたのだと思います。
秋田新幹線開業前から高速走行や新在直通の試運転を行っていて、当時は試験用の非営業用編成として「S8」の編成番号が附されていました。
秋田新幹線開業後は、開業直前に落成した量産車に仕様を可能な限り合わせた改造工事が行われ、営業用の編成のひとつとして「R1」の編成番号が附されて「こまち」号で活躍していました。
「R1」編成は、他のこまち編成と比べて先頭車の顔が明らかに違っていたので、パッと見ただけでもすぐに「試作の車両だ」と、わりと誰でも分かるような違いがありました。
左:量産車の「こまち」 右:試作車「R1」編成の「こまち」

白銀にピンクの帯という塗装は同じですが、ヘッドライトの位置と形状が両者全く異なり、R1のほうは顔が丸くて細いスマートな印象でした。
2013年に後進のE6系が「スーパーこまち」で営業運転を開始すると、E3系は徐々に運用離脱・廃車が進み、R1編成も引退の時がきました。
JR東日本秋田支社では、R1編成の最終営業運転をわざわざプレスリリースにて告知を行い、沿線では見送りの式典を、車内では営業運転終了の記念品を配布するなどのイベントを計画。
列車そのものが廃止される、またはその形式で最後まで残った1編成が引退するといったことでこうしたイベントが行われるのは珍しいことではありませんが、R1編成が引退する時点でE3系はまだ多くが「こまち」で活躍中でしたし、そういう意味ではE3系のうちの1編成がただ引退するだけでここまでのイベントを行うというのは異例のことのように思われました。
(山形新幹線の400系の、同じく先行量産車の試作編成「L1編成」の最終運転では、新在直通運転を最初に実現した記念碑的な車両であったにもかかわらず、特にこうした告知もイベントも何もありませんでした)
秋田新幹線の線路が完成して全てが繋がった時、それはつまり東京と秋田が新幹線の線路で繋がったことを意味し、R1編成は秋田から東京へと直通する新幹線の第一号編成だったことから、秋田側ではR1編成に対する思い入れや感情移入の強さが他県民が思う以上に大きかったのではないでしょうか。
その思いの強さが、「R1編成引退セレモニーイベント」の開催に現れていたのだと思います。
河口湖駅に到着した富士山ビュー特急は、乗客を降ろすとすぐに回送列車となって駅の北側にある引き上げ線へ。
河口湖駅は構造上、ホームと駅舎の間には踏切が存在するので、目の前ギリギリを富士山ビュー特急が走り去って行きます。

河口湖駅は構造上、ホームと駅舎の間には踏切が存在するので、目の前ギリギリを富士山ビュー特急が走り去って行きます。

下吉田駅からは、普通電車に乗って河口湖駅を目指します。
やって来たのはさっきと同じ6000系電車。この電車は、窓が「田」の字なので205系の初期型からの改造車です。
ちなみに、本来は「トーマスランド号」という電車で運転されている予定だったのですが、この日は「トーマスランド号」が検査で運休中でした。

やって来たのはさっきと同じ6000系電車。この電車は、窓が「田」の字なので205系の初期型からの改造車です。
ちなみに、本来は「トーマスランド号」という電車で運転されている予定だったのですが、この日は「トーマスランド号」が検査で運休中でした。
