はてなキーワード: 黄斑とは
age 61
height 175.5cm
BMI22の体重 69kg
05/21 96.9 人生の最高体重、リーマン時代は80kgを超える事はなかった。
06/05 95.9 右目網膜静脈閉塞症、右目の視界が歪むので眼科を受診、即眼球にルセンティス注射(約3万円)
08/21 90.0 1日1食法で減量 トンカツ 冷奴 グリルパンで焼いた野菜 味噌汁、ダンベルとベンチ購入
09/22 86.7 1日2食法で減量 昼サツマイモ ゆで卵x2 納豆x2 夜トンカツ ブロッコリー 間食バケット+バター
10/22 84.5 昼食ゆで卵の数を2から4個へ、卵4個で夕食時まで空腹感無くなると発見
11/12 83.3 1日2食法で減量 間食のバケット+バターを止める
12/04 79.3 1日3食法で減量 1日に食べる量は2食の場合と同じにする、朝食無しは辛いので3食に分割
12/22 77.3 現在の食事、運動を継続して停滞期が来るまで減量継続の予定
2019-02に同居の母が倒れて以来、入院見舞い(約10ヶ月)、介護(約5年)を行っていたが、2025-12に再度入院となった。母(age 85)が骨折で入院して自分を振り返る時間が出来た。そこで、この記事を書いている。
2022に体重90kgを超えてからマズイと思いつつ遂に致命的な体の不調が訪れた。視界が見えにくいので6月に眼科を受診すると即注射、内科の受診を勧められた。右目だけでは視界が歪んで見えるのだ。視界が歪む原因は黄斑部の浮腫(むくんでいる状態)だ。注射の効きは凄まじく翌日には視界が回復した。そこで内科の受診は見送った。しかし、右目の不調が再発するのでは無いかと内心不安だった。
08/08に近所のクリニックで内科を受診。前週に受診した眼科で再度黄斑部の浮腫が発生し注射を打たざるをえなかったのだ。クリニックでは降圧剤を処方してもらい、日に2回の血圧モニタを開始した。最初の測定では167/119だった。最新の測定では98/78なのだが、薬が効いているのか減量が効いているのかどちらなのだろう?
目の不調で人生を絶望しかけたが11/20の眼科受診で医者から一生注射を打ち続ける訳では無いとコメントをもらった。この時体重81.6kgだが、停滞期が来ないか、どうやって減量を継続できるのかと五里霧中の状態。特に午前中に食事を取らず1日2食法での減量がキツイのだ。12時の昼食時間が来るの心待ちにしている自分を返り見て継続は難しいと感じていた。
12月に入り、1日2食で食べていた食事の一部を午前中に食べても体重が減少することに気がついた。と同時に夕食抜きが辛くなくなった。血糖値スパイクが食欲を誘発するのだと体感できる。今はサツマイモやジャガイモ、バケットを全く食べなくなったので満腹感が持続し、食後の眠気も襲ってこないのだ。
俺の減量の要点は、体脂肪率が20%を切るまではロカボ(ハイプロテイン、ハイファット)だ。とりモモ肉、とんかつ用肉、卵(4個/day)、納豆、木綿豆腐、サバ缶、ごま油、米油、大豆油と野菜(玉ねぎ、人参、青色獅子唐、しいたけ、枝豆、ブロッコリーを食べてる。油はコーヒーに垂らして飲んだり、湯豆腐用の肉味噌を作る際の味噌を溶かすのに使ってる。カロリーは気にしてない。
パラレルワールドから書いてるのか母体保護法になってからと勘違いしてるのか。
と女性の保護と同時に障害者が生まれないようにすることを目指していたし、
第三条 医師は、左の各号の一に該当する者に対して、本人の同意並びに配偶者(届出をしないが事実上婚姻関係と同様な事情にある者を含む。以下同じ。)があるときはその同意を得て、任意に、優生手術を行うことができる。但し、未成年者、精神病者又は精神薄弱者については、この限りでない。
一 本人又は配偶者が遺伝性精神変質症、遺伝性病的性格、遺伝性身体疾患又は遺伝性奇形を有しているもの
二 本人又は配偶者の四親等以内の血族関係にある者が、遺伝性精神病、遺伝性精神薄弱、遺伝性精神変質症、遺伝性病的性格、遺伝性身体疾患又は遺伝性奇形を有し、且つ、子孫にこれが遺伝する虞れのあるもの
ってのがある上に、
別 表
真性癲癇
痴愚
魯鈍
著しい性欲異常
分裂病質
循環病質
癲癇病質
脊髄性進行性筋萎縮症
神経性進行性筋萎縮症
進行性筋性筋栄養障碍症
筋緊張病
筋痙攣性癲癇
遺伝性震顫症
強直性筋萎縮症
先天性筋緊張消失症
先天性軟骨発育障碍
多発性軟骨性外骨腫
白児
多発性軟性神経繊維腫
結節性硬化症
色素性乾皮症
先天性表皮水疱症
先天性ポルフイリン尿症
先天性手掌足蹠角化症
遺伝性視神経萎縮
網膜色素変性
黄斑部変性
網膜膠腫
先天性白内障
全色盲
牛眼
黒内障性白痴
先天性眼球震盪
青色鞏膜
先天性聾
六 強度な遺伝性奇型
裂手、裂足
顔面披裂
先天性無眼球症
嚢性脊髄披裂
先天性骨欠損症
先天性四肢欠損症
に該当する場合は、
第四条 医師は、診断の結果、別表に掲げる疾患に罹つていることを確認した場合において、その者に対し、その疾患の遺伝を防止するため優生手術を行うことが公益上必要であると認めるときは、前条の同意を得なくとも、都道府県優生保護委員会に優生手術を行うことの適否に関する審査を申請することができる。
はてなのフェミが言ってるような性欲の強い男は去勢しろみたいなのもほんとに実現してた法律やぞ。
第十二条 都道府県の区域を単位として設立せられた社団法人たる医師会の指定する医師(以下指定医師という。)は、第三条第一項第一号から第四号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、任意に、人工妊娠中絶を行うことができる。
欧米の新聞社では、死亡記事部を設けて日頃から著名人についての経歴などの情報を収集し、各著名人ごとに死亡記事の準備稿を作成してその死去に備えているのが一般的とのことで、当然死亡記事を専門に書く記者も存在するそうです。死亡記事の多くは、死因や享年などの具体的な情報だけを列挙した無味乾燥なものではなく、その人の人生を振り返り簡潔かつ文学的にまとめた職人芸のようなもので、時には「作品」と呼びたいような読み応えのある死亡記事も登場します。
死亡記事部に配属された記者は、毎日のように死亡記事を執筆し数え切れないほどの人の死を見つめることにより物の見方や人生に対するスタンスも変わってくるのではないかと思われますが、配属3年半で800以上の死亡記事を執筆してきたボストン・グローブ紙の死亡記事専門記者Bryan Marquard氏によって、仕事を通じて得た人生の心得6つが明かされています。
詳細は以下から。
6 life lessons: from the dead - Boston.com
その1:人に優しくすること。
単純なことのようですが、「自分が死んだあと、人の記憶にどう残るか」という視点で「優しさ」について考える機会はなかなか無いのではないでしょうか?人生においてどんな偉業を達成した人でも、生前の人に対する接し方は、死後人々の記憶にどう残るかに大きく影響するとのことです。
その2:意地悪をしない。
死亡記事部に配属されて数カ月後にMarquard氏は非常に長生きした女性の家族にインタビューする機会があったのですが、成人した子どもの一人に「お母さんは天寿をまっとうされましたね」と話しかけると、「ああ。ボストン・イタリアンだったからさ。ボストンのイタリア系は殺しても死なないんだ」と切り返されたそうです。母を亡くしたばかりの子どもたちの言葉が通常予想されるような反応と違ったのは、どうやら生前お母さんがいわゆる「意地悪ばあさん」のような人となりだったためらしく、結果的に子どもたちのコメントの大部分は記事には引用されず、長い人生の割にとても短い死亡記事となってしまったそうです。
その3:長生きしたいなら、若いうちにリタイアすること。
親は人生の教訓を子に伝えたがるものですが、これもその一つで、Alfred Larkin Sr.氏が息子で元ボストン・グローブ副編集長のマイケル氏に伝えたもの。家族が集まった時にマイケル氏を脇へ引っ張り、「僕からのアドバイスは、可能な限り早くリタイアすることだ。この10年で、その前の50年分を全部合わせたより多く、楽しいことがあった」と伝えたそうです。Larkin氏は隠居生活を満喫し、92歳まで生きました。
その4:もしくは、生涯リタイアしないこと。
アーティストのPolly Thayer Starrさんは赤ん坊のころ、鉛筆を持てるようになるや否や絵を描きはじめ、緑内障と加齢黄斑変性により視力を失いつつあった80代のころにもまだ素晴らしい作品を描いていたとのこと。視力を失った後は、散歩中に友人たちが読み上げる詩を記憶し、常にクリエイティブであることにより、101年間の充実した人生を送ったそうです。Starrさんは彼女をかきたてる芸術的情熱について、「天の猟犬(Hound of Heaven)なのよ。いつも追いかけてくるの」とスミソニアン協会のインタビューで笑い混じりに語ったそうです。
その5:金持ちである必要はない、家すら持たなくてもいい。
Harold Madison Jr.氏、通称「Mr. Butch」はボストン大学付近のKenmore Square一帯やハーバード・ビジネススクールを擁するAllstonのハーバード・アベニューで30年間にわたり路上生活をし、学生を中心とした数万人の人々に親しまれている有名人だったそうです。飲み過ぎて酔っぱらった時には少し怖がられてもいたようですが、ファンによりWikipediaに項目が作られたり、MySpaceにページが作られ、YouTube に動画が投稿されるほどの人気者でした。2007年に交通事故により56歳で亡くなった時には盛大に追悼パレードが行われたそうです。
その6:今、行動に移すこと。
「800人もの死亡記事を書いていると、山の上で一人黙想する仙人のように、人生を変えるような深い洞察を得られるのではないかと人々は考えます。人生における答えのない深い問いに対する回答が得られたということはありませんが、確かにある意味人生が変わったかもしれません」と語るMarquard氏。「死について頻繁に考えるおかげで、去年、もし自分が父と同じ寿命を持っているのなら、残りあと25年だということに気付きました。そのひらめきは、ボストン都市圏からバーモント州の小さな町へと引っ越すきっかけとなりました。ボストンへの通勤時間は長いですが、今住んでいる町が大好きです。前々からやりたいと思っていたことを、いつまでも後回しにすべきではありません。死亡記事記者として自信を持って言える教訓です」
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20091220_memento_mori/