はてなキーワード: 未然形とは
私の出身地は関西地方のとある府県だが、幼少期に転出して地元が同じ人とも共通の話題などないので「〇〇府/県」出身ですと胸を張っては言えない。
徳島での生活が長いから「徳島出身だろ」と他所の人からは言われても、実際には首都圏育ちで最も長く過ごしたのもそこだから私の第一言語は標準語であって、徳島は標準語を受け入れてくれない。少なくとも「地元の人間」とは見なされていない。「将来徳島に戻ってくるか」という衰退都市にありふれた話題において、自分がいると決まって気まずそうにされる。
現在は関西在住である。自分は関西弁もマスターしている、と自認している。徳島で関西弁を身につけ、現在居住する関西での生活に完全に順応している、と思っている。
来年から首都圏に戻るんだけど、戻ったら戻ったで「地元の人間が帰ってきた」という扱いになるほど首都圏が地元って感じはないし……なんかもうざっくりと「関西出身」ということにさせてくれないか?どの府県だとか厳密にせずにざっくり「関西から来ましたよ」という気持ちで首都圏で生活したらアイデンティティの置き場所はうまくいかないか?
そのためには、現代の関西弁と阿波弁の差異を明らかにして、「徳島も関西弁である」ということを証明しなければならない。そうじゃなければ、私のアイデンティティはどうなるの!?
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Wikipediaによると「四国方言に属するが、四国方言の中では近畿方言の影響を最も多く受けた方言である。」らしい。県内全域が京阪式アクセントに統一されているのは中四国では珍しい。香川、ついで愛媛のアクセントは中国地方の影響が大きいように思う。これが最も重要だ。イントネーションが関西弁と同じなのだ。
「徳島県東部と高知県中部・東部のアクセントは、近畿中央部のものより古い時代の京都アクセントに近い。」ともいう。全体的に阿波弁は現代大阪が直面している「標準語化」をそれほど経験していない。「古い」というのは方言周圏論にも整合的で理に適う。古い時代に京阪から来訪した方言が、辺境ではいまだに残っているのだ。もっと鮮明にいうなら、阿波弁は現代関西弁よりも「厳密な」京阪式といったほうがいいかもしれない。東京式アクセントへの忌避も近畿圏より強い。文の一部であっても東京式アクセントが溢れることを嫌う。
ほぼ同じなので差異を挙げる。
語尾は「じゃ/だ/や」の3種類がある。「じゃ」は若者は言わない。「だ」の登場頻度が近畿圏よりは多いが基本的には「や」で関西弁と共通だ。
「中でも未然形、推量は「ダロ」が優勢」らしい。確かに「だ」は「だろ」の形で特に使われやすい。京阪式アクセントで語尾が「だろ」になる文はいかにも徳島らしい。
「「ヤロ」は沿岸部のごく一部地域だけであったが、近年は、鳴板地域、徳島市をはじめとした沿岸部を中心に「ヤロ」が優勢である。」とのこと。近畿に同化している側面が否定できない。
「じょ」という女性言葉の語尾も存在する。使う人は使う。現在では男女差は明確ではないと思う。男性も一部使うが、これは遊戯的な使用だろうか。
動詞の否定は「〜ん/へん」だ。「 〜ん」の頻度が大阪よりかなり高い。兵庫と比べてもやや高い。「へん」の頻度が近年高くなっているとしたら、近畿同化である。
「「動詞未然形+れん/られん」は禁止を表す。「あそばれん」は「遊んではいけない」」これは四国の他県にはあるが近畿にはない。
「五段動詞の連用形は、「て」「た」「とる」の前で音便形を取る。」ことによって「言った」「洗った」が「言うた」「あろおた」「あろた」のようになる。これは関西弁と共通。やや古い関西弁で観測できる。
山間部の高齢者を中心に「「さいた」(差した)のようなイ音便が用いられ」ることもあるらしいが、現在の徳島市内にはない。これは相当に古い京都弁と共通。
「「あそおだ」(遊んだ)「のおだ・ぬうだ」(飲んだ)のようなバ行・マ行ウ音便がまれに聞かれる。」らしいが聞いたことはない。近畿を含め、他県にもない。
「連用形 + とる・とお」で現在完了または現在進行、「連用形 + よる・よお」で現在進行を表す。「しとる」「しとお」「しよる」「しよお」などである。「とる」「とお」は兵庫県と共通。滋賀〜三重とも共通。まさに辺境に残る関西弁である。「よる」も古い関西弁。「よお」は県内では現代でも使われているが近畿ではもう聞かない。
「とる」に関していえば瀬戸内地域に限らず広く西日本で使われていて、一応関東にもある。広すぎて起源が同一かは不明。
「逆接の接続助詞には「〜けんど」が多く用いられる」らしいが、実際には「けんど」は残ってはいるものの、近畿同化して「やけど」も優勢である。
「「〜から」という理由・原因は「〜けん」である。これが関西弁との最大の違いだ。これさえ出さなければ関西圏で生活しても違和感はない。私は首都圏からの徳島県転入であったから、「〜けん」まではそもそも吸収していない。ふつうに言いにくいと思う。まあ中四国・九州など広く西日本で共通だ。
また、古い関西弁と共通の指示語「ほう」「ほれ」「ほな」(「そう」「それ」「それでは」)と重なって「ほなけん」「ほなけんど」「ほなけんな」が文頭で使われるのが特異的。「ほやけん」に変化するのは近畿同化か。徳島市外では「き」「さかい」も用いられるそうだが、「き」は高知のイメージ。「〜さかい」は古い関西弁である。
「「行かなかった」は「行かざった/行かなんだ」」で表されるらしい。「行かざった」は聞かない。「行かなんだ」は県内では現役。過去の否定を「なんだ」で表すのは古い関西弁と共通だ。
「北部で「よお〜せん」、南部で「ええ〜せん」の言い方がある。」という。「ええ〜せん」は市内では聞かない。「よお〜せん」は古い関西弁と共通だ。関西で「よお〜せん」といえば、遠慮など心理的抵抗からの不可能を表すイメージだが、徳島でもニュアンスは同じだろうか。
終助詞「え」「で」(ときどき「でか」)を文末に付して疑問文を強調する用法は関西弁にはあまりない独自のものとして多用される。「何しよんで?」など。関西弁の念押しの「で」が下降イントネーションであるのに対しこちらは尻上がり(しばしば伸ばされる)である。独自用法だが和歌山や南大阪とはある程度親和的であり、そこまでの違和感はないように思われる。もちろん近畿と同じく、念押しの「で」もよく用いられる。
「〜だろう」「〜ではないか」の意味の「で」もある。「あかんでぇ」は「ダメだろう」「ダメじゃないか」という決して深刻ではない軽い咎め。禁止の「あかんで」と同じく下降アクセントだが、発音は明確に区別されている。この差は禁止を「あかんでぇ」と伸ばしても埋まらない。咎めの「あかんでぇ」は「でぇ」の途中に下降が入る。
さて、この「で」は疑問文の「で」から来ているのか、あるいは語彙の章で取り扱う「あかんでないで」(ダメじゃないか)の一つ目の「で」から来ているのか。なお、「あかんでないで」の末尾の「で」は疑問文強調の「で」である。おそらく前者だろう。
三重〜滋賀では順接の接続助詞として「で」が使用されることも多い。「で」は日本語最大の多義語ではないだろうか。
おもしろくない→おもしろおない/おもっしょおない のような形容詞の変化がある。「おもしろおない」は古い関西弁と共通だがあまり使われない。「おもっしょおない」あるいは短縮されて「おもっしょない」は独自のものであり、かなり現役。肯定文でも「おもっしょい」が阿波弁のアイコニックな代表例として存在。
「仮定形は「書きゃあ」「起きりゃ(あ)」のようになる」らしいがこれはもはや残っておらず、近畿と同化して「書いたら」「起きたら」である。
助詞「よ」「よお」による「〜したんよ」のような用法は大阪よりは多用されているイメージ。
「終助詞「が」を用いる。軽い詠嘆・感動を表す。」と書いてあったがそんなのは現在の市内にはない。残っているとしたら高知だろう。
「疑問・反語の終助詞は、「か」「かい」「かいな」「かえ」などを用いる。」というのは関西弁と共通だ。「時計めげとんかいな。」など。「めげる」は「壊れる」
「終助詞「わ」は感動・強調などを表す。(例)あれが大鳴門橋やわ。」→ふつうの関西弁。
「いける」(大丈夫)は関西弁と共通語彙だが、頻度は近畿より高い
か(ん)まん【構ん】 …構わない
→近畿ではもう古いだろうが、県内では若者こそ低頻度だがそこまで陳腐化しているわけではない。
かく …持ち上げる。運ぶ
じゃらじゃらする …いい加減にしている。ふざけている。
→相当古い関西弁だが、県内では完全に現役。親が子に言うような教育場面の語彙だから継承されやすいのでは。
しんだい …だるい
せこい …しんどい(身体的な倦怠感を表現する)。食べ過ぎて苦しい時にも使う。
→「せこい」は他地域で通じない。
〜ちゅう …〜という。
つっかけ …ぞうり。
〜でないで …〜ではないか。(例:あるでないで→あるじゃないか)
→あまり聞かないが、疑問文の文末「で」による協調は多用される。「〜でないか」なら言う。
はさ(か)る …挟まる。
→「はさかる」は今も使われる。西日本では珍しい。
ほんに【本に】 …本当に、本真に。
わや …だめなこと。むちゃくちゃな様。
→四国他県のほうが使われる。
言語には南大阪〜和歌山〜淡路島〜徳島というグラデーションがある。兵庫、和歌山、南大阪、三重など近畿の辺境というのは、少しずつ違いはあるがなんとなく「大阪弁とは違う」を共有している。「辺境の関西弁」にアイデンティティを投じさえすれば、矛盾も自己矛盾も抱えずに済むのだ。なにより、エセではないということだ。ディープであればいいじゃないか。リアルに聞こえるし、リアルである。
(受身の助動詞「られる」ではなく)受身の助動詞「れる」に接続してるだけなので、文法的には問題無い。
ただ、最近は受身・可能・尊敬の助動詞「られる」について可能/尊敬を区別させるために、可能の場合は「れる」に変形する「ら抜き言葉」が普及しているので、「れる」の可能のニュアンスが強くなってるかもしれない。
それと、「れる」は「られる」より口語的ではある。
「られる」と意味・用法は同じであるが,未然形がア段となる動詞には「れる」が付き,それ以外の場合は「られる」が付くというように,接続のしかたに分担がある。サ変動詞に接続する場合,「出席される」のように,未然形のうち「さ」に「れる」が付くのが普通であるが,書き言葉でのやや改まった言い方では,「出席せられる」のように,未然形のうち「せ」に「られる」が付くこともある。の可能の意では,現代語では普通「行ける」「登れる」などのように,可能動詞で表すことが多い
まずは、用言の活用を覚えます。用言とは、動詞、形容詞、形容動詞のことです。活用とは下の語によって形が変わることです。
「咲く」に「ない」を付けると、「咲かない」になり、「咲く」が「咲か」になります。これを活用といいます。
動詞は、四段活用、ナ行変格活用、ラ行変格活用、上一段活用、上二段活用、下一段活用、下二段活用、カ行変格活用、サ行変格活用があります。
まずは、これらの活用をしっかりおぼえます。声に出してリズムで覚えましょう。繰り返すと意外と覚えられるものです。
☆四段
あ、い、う、う、え、え
☆ナ変
な、に、ぬ、ぬる、ぬれ、ね
☆ラ変
ら、り、り、る、れ、れ
☆上一
い、い、いる、いる、いれ、いよ
☆上二
い、い、う、うる、うれ、いよ
☆下一
え、え、える、える、えれ、えよ
☆下二
え、え、う、うる、うれ、えよ
☆カ変
こ、き、く、くる、くれ、こよ
☆サ変
せ、し、す、する、すれ、せよ
く、く、し、き、けれ、◯
から、かり、◯、かる、◯、かれ
(ラ変格に、かを足したもの)
なら、なり(に)、なり、なる、なれ、なれ
(ラ変に、なを足したもの)
たら、たり(と)、たり、たる、たれ、たれ
(ラ変に、たを足したもの)
☆第二ステップ
助動詞の種類を接続詞ごとに覚えていきます。接続詞とは、上が何形になるかのことです。
例えば、「ず」は未然形に接続詞するので、「咲く」は「咲かず」になります。
☆未然形
る、らる、す、さす、しむ / ず、じ、む、むず / まし、まほし
☆連用形
き、けり / つ、ぬ / たり、けむ、たし
☆終止形
らし、べし、まじ / らむ、なり、めり
☆残り
なり、たり、り、ごとし
☆第三ステップ
☆ず
ず、ず、ず、ぬ、ね、◯
ざら、ざり、ざり、ざる、ざれ、ざれ
(ラ変に、ざを足したもの)
☆まし
☆き
せ、◯、き、し、しか、◯
☆第四ステップ
☆じ
◯、◯、じ、じ、じ、◯
☆らし
◯、◯、らし、らし、らし、◯
☆第五ステップ
上でやった助動詞以外の活用は、最初に覚えた用言のどれかと同じ活用をします。そのため、何活用をするのか覚えることが出来れば、自分で導き出すことができます。
☆四段
む、らむ、けむ、
☆ナ変
ぬ
☆ラ変
けり、たり、り、なり、めり
☆下二
る、らる、す、さす、しむ、つ
☆形容詞
べし、まじ、まほし、たし、ごとし
☆形容動詞
なり、たり
☆まとめ
増田は存外いいところをついているよ。
この句は文法的に破綻していて直感的に意味がとれず、さまざまな手法で分析したところでたいしたものが出てくるわけでもない、ようするにしょせんは素人の不出来な句。選者はおびただしい素人の句からとにかくひとつを選ばないと格好がつかない。
で、選者は安西篤。平気で韻律を崩し単語どうしのせめぎ合いや唐突な比喩を楽しむ、ただし徹底的に描写の人。時にユーモアさえ帯びた言葉の奥に何かの意味があることもあればないこともある、そんな作風の人。この人はこういう句、好きかもしれない。
ではこの句はいいものかというとそんなことはない。しょせんは素人の仕事。日本語として文法的に破綻しているのがいちばんのネック。
「洗いて」というのはなんだ。意味は口語だが文語っぽく似せているのか、文語で活用を誤っているのか判然としない。
夕立や象を洗ってまたたく間
夕立や象を洗ひてまたたく間
どっちなのだろう。
どっちでもいいのだが、ともかく未然形や連用形が体言にかかって終わったら意味が通じない。わざと壊して余韻にする手法はあるが、この作品はレベルが低すぎて話にならない。ようするにただ単語を並べただけにしか見えない。ここについてはもっとましな表現があるのではないかと考えている。
「申す」の未然形「申さ」+尊敬ほかの助動詞「られる」が付いた「申される」は、現在は謙譲語と尊敬語の混用とされて、明確に(辞書的な意味で)誤りです。
しかし、「申す」は「言う」の丁寧語でもあった時代がありました。というか、そうであった時代の方が、謙譲語一択になった時代よりもよほど長いのです。
例えば、「平家物語」の巻一・鹿谷には「新大納言成親(なりちか)の卿もひらに申されけり」(新大納言成親卿も(欠員の左大将の職を)ひたすら(ご所望なさると)おっしゃられた)とあります。
その他にも用例は多々あり、つまり、中古・中世・近世を通じて、「申さる」は「アリ」な使い方だったのです。
近代になって、明治期の標準語政策が始まると、「日本語の統括的な文法」というものが必要になってきました。ここで初めて敬語には三つのカテゴリ(言うまでもなく尊敬・謙譲・丁寧ですね)があると定められ、「申す」は謙譲語であるとされたのです。
ことここに至って「申される」は規範文法的には誤りだということになり、戦後教育では教科書にも明記されるようになり、現代に至ります。
ですから、現在でも60代以上の方には、この言い方に違和感のない方も多いのです。数年前の「国語世論調査」で、「『申される』という“誤った”敬語を使っている人は高齢者層に多い」というリポートがありましたが
それはそうで、彼らの感覚にしてみればアトヅケで「間違ってる」と定められた使い方なのですね。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1496376054
だってよ
辞書で調べると"「乗ろう」は未然形「乗ろ」に、推量意志勧誘の助動詞「う」が付いた形。"つまり「池内は乗客が降車中に乗車した」と断言できる表現ではない。一度そう読んでしまうと他の読み方ができなくなるのかな
https://b.hatena.ne.jp/entry/4700518723222028386/comment/totoronoki
いやいや、
元ツイート見てみなよ。
私の乗り口は降りようとする人も2人。
https://twitter.com/ikeuchi_saori/status/1375318333776535553
池内氏、左側のスペースから「乗ろうとした」って、すでに行動に移してるやん。
たしかに言い切りの形が「イキる」である動詞として考えると行き詰まるね。
「イキり」を語幹と考えてみよう。
明らかに活用形があり、末尾が「い」で終わらないので形容詞ではない。これは形容動詞だ。
基本形 「イキりだ」
ワタシもまた イキりで ある(連用形)
妹も今や イキりだ(終止形)
イキりオタク は、強がりな男 → 強がり男 のように連体形の「な」を省略したものではないか。
命令形はない。「静かにしろ」のように「イキりになれ」とする。オタクよ、イキりになれ。
参考・http://国語の文法講座.com/xn--hhrt0sk4cxr6d.html
当然のことだけど、学校文法っていうのは数ある文法論(文法学者の数だけ文法があるとも言われる)の一つに過ぎない。
ある現象に対して複数の学説があるなんていうのは普通のことだ。
ところが、学校ではその中の一つだけが正解とされて、それ以外は誤りとされるようだ。
例えば助動詞『り』の接続は学校文法では四段活用の已然形及びサ変活用の未然形と教えられ、試験ではそう書かないと✕にされるらしい(さみしいリカちゃんと覚えろと言う教師も居るらしい)。
しかし、橋本進吉は上代文献から四段活用は命令形接続であると述べているし、サ変の接続についても大野晋氏のように命令形接続とする学者もいる。また小松英雄のように助動詞『り』を立てることに反対し、『詠めり』なら『詠めり』というラ変動詞として扱うべきだと主張する学者も居る。
こういう学問的に確定していないことを問題にして生徒に回答させ、ただ一つの回答だけを正解とするのはおかしくないか。文法は数学ではないのだから正解が複数あったって構わないと思うのだが。
あまり自信ないが、誰かが適当に書いておけば別の誰かが補足してくれるだろう。とにかくこの二つの動詞を混同している人が多すぎる。誰かが指摘しなければならない。
まず、原形の確認から。「間違った」の原形は「間違う」。対して、「間違えた」の原形は「間違える」。「間違える」は他動詞で、原形でも過去形でも連用形でも頻繁に使われる。なにかを正しく行わなかったときに使う。他動詞だから目的語がある。「言葉の使い方を間違える」とか。一方で「間違う」は、原形で使われることはあまりない。ほとんどの場合連用形か未然形である。「間違う」が原形で使われることがほとんどないことが混乱の一因であるように思う。
この二つの動詞、「間違う」と「間違える」の違いは大きく分けて二つある。自動詞か他動詞かと言うことが一つ。もう一つは、動作を表すか状態を表すかと言う違いだ。
まず、自他について。
「間違えた」は、他動詞であり、「なにを」の部分がなくてはならない。もちろん、なくてはならないというのは、必ず発音されるという意味ではない。「なにを」の部分は意味としてだけ存在していて口にはされないこともある。
一方、「間違った」は、主として自動詞であり、「なにを」の部分は基本的に存在しない。「なにが」のみが問題となる。ちなみに、「間違う」は、「間違える」の代わりに使うことができる。この場合はもちろん他動詞である。ただし、「間違う」の代わりに「間違える」を使うことはできない。この非対称性も混乱の原因かと思う。
「間違えた」と言ったら、過去の瞬間的な動作として、何かを間違えたと言う意味である。たとえば、「漢字の書き方を間違えた」と言うのであれば、漢字を書くと言う動作をしている瞬間に、その書き方を間違えたと言う瞬間的な動作を表している。
他方、「間違った」は、状態を表す語である。「漢字の書き方を間違った」とはまあ実は言えないわけではないのだが、それは先述したように「間違える」の代わりに使えるケースだからである。繰り返しになるが、「間違う」は「間違える」の代わりに使うことができるが、「間違える」を「間違う」の代わりに使うことはできない。例えば:
「あなたは間違ってる!」
とヒロインが悪役に言う時、きっと悪役は「なにかを」間違えたのであろうから、他動詞として「間違えてる」といえそうな気もするが、「間違ってる」というのは別に悪役が過去の動作について何かを間違えたということを言いたいのではなくて、現在の状態として、こいつは間違っているということを言いたいのだから、状態を表す「間違ってる」を使わなければならない。
まとめると、
「嬉しい」を「嬉C」,「卑猥」を「卑y」にしたりする表現方法ってあるよね。
これ,現代の文字ベースの意思疎通文化の特徴が如実に現われててすごく好き。
という訳で列挙してみる。
A: 知らん「良い」の口語変化「えー」を置換(「A(C)」など; b:id:type-100様より提供)
B: 知らん「乳首」の俗語「ビーチク」の「ビー」を置換(「B地区」; b:id:cj3029412様より提供)
D: 知らん
E: [:形容詞語幹:]−い(「可愛E」など)/「良い」(「E気持ち」など; b:id:nassy310様より提供)
F: 知らん。多分ない
G: [:形容詞語幹:]−じ(「饑G」など; 正直今考えた。誰も使わねーんじゃねーの?)
H: 知らん。多分ない
I: 「愛」を置換; Iしてる(ポケベル通信みたい? その世代じゃないけど)
J: 知らん。多分ない「自衛隊」の「じえい」を置換(b:id:mobile_neko様より提供)
K: [:形容詞連体形促音便:](「かK」(=「かっけー」←「格好いい」)
L: 知らん。ないでしょ準動詞「得る」(「ありL」など; b:id:yykh様より提供)
M: 知らん動詞「笑む」(「ほくそM」; b:id:sgo2様より提供)
N: [:下一段活用未然形:]+助動詞「ぬ」(「教N」など; b:id:wata300様,ありがとうございます)
O: “多い”,“大きい”の「多」,「大」を置換; 「Oきい」など
P: 無い。いや知らんけど
Q: 「球」を置換; 「Q団」,「野Q」など(「チョベリバ」/「アウト・オブ・眼中」っぽいナウさがある)
R: “である”の「ある」を長音化させつつ置換; 「でR」(これも“「チョベリバ」感”がある)
S: 知らん。多分ない
T: 知らん
U: 知らん「ゆ」または「いう」の口語変化「ゆー」(「醤U」,「そこまでU」など; b:id:savoy3様より提供)
V: 知らん。ないでしょ「大丈夫」を「大丈V」に(「ぶ」が「ゔぃー」なるのって不自然な気がするけど確かに見たことある)(b:id:kondoyuko様より提供)
W: 知らん。絶対ない
X: 寧ろ逆に英単語の一部を日本語にして「sex」→「せX」
Y: 「猥」を置換; 「Y談」,「卑y」など(「Y談」なんかは古くからある印象)/語尾「しいわい」を置換(「うれCY」; b:id:srgy様より提供)
Z: 知らん「抱腹絶倒」の「ぜっとう」を置換(b:id:sgo2様より提供)
(番外)
△: 「さんかっけー」を置換(「本田△」; b:id:madridNewyork様より提供)
(÷): 「かっこわる」←「格好悪(い)」を置換(b:id:kurotsuraherasagi様より提供)
意外と少ないね。僕の見聞が足りないだけかもしれないが
(追記)
「山P」や「阿Q正伝」を挙げてくれた人がいるけど,あれは固有名詞であってこの言葉郡とはちょっと趣旨が違うんじゃないかな。「山ピー」や「阿休正伝」という(これらはでっち上げ)元の単語がある訳じゃないから,〝置換した〟とは言えないと思います。
あとNを無視してすいません。ていうかN,「教えぬ」→「教N」っていう立派な置き換えがあるのに……。
(追追記)
反応が多めで嬉しい。こういう言葉遊びをみんなで共有するの,ほんとうに楽しいし,インターネットのいいところの一つだと思ってる。
この語呂合わせはABC文体と言うらしい(https://anond.hatelabo.jp/20180506021148)。結構起源が古いんですね,勉強になります。
「@で読む」(b:id:strow0343様)は笑った。@がゼムクリップに見えて一層〝栞/ストック〟っていう印象を受けるのも面白い。積極的に使っていきたい。
(追³記)
いつのまにか100ブクマを越えていて驚いた。みんなGW最終日をもっと有意義に過ごそうよ,というのは冗談,こういう言葉遊びが好きって人が多くて幸せです。
ところで,他の国ではどうなんだろう。少なくともアメリカではあまりなさそう。向こうは一種類しか浸透してる言語がない(間違ってるかも)のでto→2, you→Uといった同一言語内での置換しかできない。日本ではある程度英語という外国語が浸透してるおかげでこういう言葉遊びが生まれたんだというのは蛙の驕りだろうか? 韓国なんかは日本と似た状況(自分達の言語が基盤にあり,英語も大量に使う)を持っているので似たような文化がありそう。
あと固有名詞かどうかの判断はぶっちゃけると怪しい。上記した言葉のなかにもTV番組のタイトルにしか使われてないような言葉もあるし。そもそもABC記法自体,ある作家の独特の文体を指して呼んだものなんだから,〝固有〟とやらに拘るのは愚かなのかも。