東電福島第1原発の元所長、吉田氏が死去 58歳
2011年3月の東日本大震災の際、東京電力福島第1原子力発電所の所長として原発事故の収束作業を現場で指揮した吉田昌郎(よしだ・まさお)氏が9日午前11時32分、食道がんのため東京都内の病院で死去した。58歳だった。告別式の日取りなどは未定。
10年6月に福島第1原発所長に就任。原発事故では、現場のトップとして主に原発敷地内の免震重要棟で作業を指示した。原子炉格納容器が水素爆発するのを防ぐため窒素ガス注入を指示する本店幹部に対し「そんな危険なこと作業員にさせられるか」などと食ってかかることもあった。原子炉を冷却する海水の注入中断を東電本店から指示されたが、注水を続けた。
事故後初めて報道陣の取材に応じた11年11月には、「3月11日から1週間は死ぬだろうと思うことが数度あった。炉心溶融がどんどん進み、コントロール不能になる。終わりかなと思った」と語っていた。
一方、原子力設備管理部長だった08年、東電社内の検討で第1原発に最大15.7メートルの津波が押し寄せるとの試算が出たが、吉田氏らは「実際には来ない」と考え、対策は取られなかった。
食道がんと診断され、11年11月に入院。翌12月に所長を退任した。昨年7月には脳出血を起こし、療養を続けていた。
東電によると、吉田氏が原発事故後に浴びた放射線量は計約70ミリシーベルト。東電はこれまで「被曝(ひばく)が原因で食道がんを発症するには少なくとも5年はかかるとされており、事故による被曝が影響した可能性は極めて低い」との認識を示している。