中坊公平氏が死去 元日弁連会長
森永ヒ素ミルク中毒や豊田商事の被害者救済に弁護団長、破産管財人として尽力し、日本弁護士連合会会長や整理回収機構社長を務めた中坊公平(なかぼう・こうへい)氏が3日、心不全のため、京都市内の病院で死去した。83歳だった。告別式は親族のみで行った。喪主は妻、淳子さん。

京都大卒業後の1957年に弁護士登録。70年に40歳で大阪弁護士会副会長になり、73年に森永ヒ素ミルク中毒被害者弁護団と千日デパート火災テナント弁護団の団長に就任、被害者の救済などに奔走した。84年に大阪弁護士会会長。85年に金のペーパー商法で多数の被害者を出し破綻した豊田商事の破産管財人に選任され、従業員給与の所得税の返還を実現、被害者への配当を増やした。
90年に日弁連会長。瀬戸内海の豊島に産業廃棄物が大量に不法投棄された事件で住民らと、撤去など解決に尽力した。
96年、公的資金が投入された住宅金融専門会社(住専)処理に当たる住宅金融債権管理機構の社長に起用され、99年に改組された整理回収機構の初代社長にも就任。司法制度改革審議会や警察刷新会議の委員も務め、裁判員制度の導入や組織刷新などを引っ張った。
2002年に整理回収機構の不適切な債権回収を巡り、詐欺容疑で刑事告発され、東京地検から事情聴取を受け、03年10月に弁護士廃業を表明。同地検は「詐欺に当たる行為はあった」としたが起訴猶予処分とした。
懲戒請求もされ、大阪弁護士会は04年10月、懲戒事由になる「非行があった」と認定したが、請求期限が過ぎていることを理由に却下。登録抹消請求と退会届は05年11月に受理された。07年には弁護士再登録をいったん申請したが、取り下げた。