球場の名前、なぜコロコロ変わる?
「最近、聞き慣れない野球場の名前があるな」。スポーツ好きの友人の言葉に、探偵の松田章司が反応した。「コロコロ呼び方が変わる施設もあるぞ。なぜだろう」。章司は近所の小学生、伊野辺詩音を連れて調査に向かった。

2人は今年3月に「千葉マリンスタジアム」から名前が変わった「QVCマリンフィールド」(千葉市)に向かった。詩音が「なぜ変わったのですか」と尋ねると、球場を持つ同市の石橋正孝さん(53)が教えてくれた。「市内に本社があるテレビ通販会社、QVCジャパンに名前を付ける権利を売ったからです」
「名前の売り買いって聞いたな。命名権、英語でネーミングライツと言ったぞ」。章司が辞書を取り出すと、施設を持つ自治体などが一定の期間、名付け親になれる権利を売ることとあった。売り手はお金が稼げ、買い手の企業は社名などを付けてPRできる。
「契約は10年で、市などに年間2億7500万円が入ります。人工芝の張り替えなど改修費にあてます」と石橋さん。QVCジャパンにも聞いてみた。「地元のためになり、社名も知ってもらえると考えました」
昨年は国内で225件
調べてみると、命名権を売って呼び方が変わった公共の施設は多かった。国内で契約中の命名権は、民間の施設も含め2010年で225件と、2年前の2倍。しかも、何度も変わった例まであった。プロ野球のオリックスがよく使う球場名は3回変わり、2月に「ほっともっとフィールド神戸」になった。札幌市の展示場「北翔クロテック月寒ドーム」も3つ目の名前だ。
「なぜ急に件数が伸びたんだろう」。疑問が浮かんだ2人は、2年前から命名権売買を始めた神奈川県を訪ねた。「県の借金が膨らんでおり、少しでも収入を増やそうと考えました」と応対してくれた高沢幸夫さん(49)。神奈川県では橋やトンネル、ヘリコプターなども名付け親を募った。

買い手も期待以上と満足げだ。05年にサッカー場に社名を付けた医療機器メーカー、フクダ電子の渡辺竜一さん(38)は「同じ費用で街に広告を出すよりPRできていると思います」と話す。ウェブサイトを見る人は以前の10倍。入社希望者も増え、優秀な人材を確保しやすくなったという。
「借金に苦しむ自治体が命名権の販売を進めたため、名前が変わっているんだ」。納得顔の章司に詩音が質問した。「でも、どうして何度も変わるの」
命名権を仲介するベイキューブシー(千葉市)に問い合わせると、盛光大輔さん(35)が謎解きをしてくれた。「命名権の契約は増えました。ただ、名付け親を募集する自治体がどんどん広がったため、実は半分が売れ残っています」
企業はPR効果を冷静に見極めようとしており、買い手を見つけたい自治体は、期間を短くして支払額を抑えた契約も用意するようになったという。これまで3~5年が多かったが、最近は2年も増えてきた。思うように売れずに、契約が小粒になったわけだ。
海外では大型取引
公園で2人が調査結果をおさらいしていると、「海外に比べても短いですね」とスポーツビジネスに詳しい早稲田大学教授の原田宗彦さん(57)が話しかけてきた。イチローが所属する大リーグ、マリナーズの本拠地は20年間の命名権が約30億円で売れていた。
「国内のプロスポーツチームは小規模なことが多く、身売りや本拠地の移転話がしばしば出ます。これでは、企業が安心して長期契約できません」。対照的に、米の野球やバスケットボール、欧州の強豪サッカーチームは世界中に視聴者を抱え、桁違いの効果が期待できる。
文化施設を使うオーケストラなども、経営の基盤は弱く、安定して観客を呼び込んでいるとは言い難い。「スポーツや文化のビジネスが海外のように広がらないことも影響しているのか」。章司はうなずいた。
標識書き換え面倒

「コロコロ変わると都合が悪いことってどんなこと」。詩音の質問を、命名権に詳しい経営コンサルタントの福元聖也さん(35)にぶつけてみた。「道路の標識や看板などを書き換える費用がかさみます」と福元さん。施設名に合わせて最寄りのバス停や駅名を変えないと、やってきた人は戸惑ってしまう。地図やカーナビゲーションのデータも更新が必要だ。
三菱UFJリサーチ&コンサルティングとマクロミルの調査では、約5割の人が「名前が頻繁に変わると覚えにくくなる」と不満を漏らしていた。福元さんは「安易に命名権を売るのではなく、人が集まるイベントを企画するなど、施設の魅力を高める工夫も考えるべきです」と注文をつけた。
「事務所でも命名権を売りだしたら」。詩音から提案された所長は、章司の方を見てつぶやいた。「もっと優秀な探偵を雇って力を付けてからかな」
(畠山周平)
<ケイザイのりくつ>厳しい自治体財政、収入増に躍起
国内の地方自治体が抱える借金(地方債と借入金)の総額は2010年度末で約200兆円と、20年前の約3倍に膨らんだようだ。個人所得の減少などで税収が落ち込む一方、社会保障費などは増加。懐具合が厳しい中で、自治体は新たな収入源を発掘しようと頭を悩ませている。
05年ごろから広がったのが、公式サイトや役所建物内などに掲載する広告枠の販売。ネット競売を利用して、使わなくなった公用車や未利用地などを売り出す取り組みも目立ち始めた。命名権の販売もこの一環。もっとも、大幅な収入増につながる妙案はまだ見つかっていない。
[日経プラスワン2011年4月30日付]