ネット戦略の要技術が消える 「クッキー」の功罪
スマートフォン(スマホ)普及で沸くネット業界。一方である難題が浮上し、業界全体が揺れている。コンテンツの内容を充実させネット広告の売り上げをアップさせるには、利用者一人ひとりがどう見たかを分析し、かつその人にあった内容の広告を配信しなければならない。そのために欠かせないのが利用者が誰なのかを高い精度で推定すること。ところがスマホの登場でコンテンツの主役がウェブからアプリ(応用ソフト)に移行し、これまでの利用者推定の常識が通用しなくなってしまったのだ。
利用者の推定はネット企業の全ての戦略を支える要の技術。それだけに経営の根幹に関わる重要な課題に各社はぶち当たっているともいえる。新たな手法を見いだそうと試行錯誤するネット企業の今を追った。
パソコン時代の常識がまったく通用しない

「若い世代がウェブでなくスマホアプリを好むようになり、戦略を一から見直さなければならなくなった」。ヤフーで広告事業を担当する加藤倫サービスマネージャーは、こんな悩みを打ち明ける。ヤフーは閲覧されるページ数(ページビュー)が平均で月間614億と国内で断トツ。パソコン時代の勝ち組とされウェブ業界に君臨するトップ企業も、スマホ革命の荒波にもまれている。
加藤マネージャーが最近優先的に変更に取り組む戦略の一つとして挙げたのが、コンテンツを使う利用者の推定だった。「ヤフーの屋台骨であるメディア事業と広告事業。いずれもスマホ向けでは利用者をどう特定するか決めないと質を高められない」(加藤マネージャー)。社長も早くから危機意識を持っており、経営上の重要な課題だととらえていたとする。
ヤフーはウェブメールを使う利用者などに「Yahoo! JAPAN ID」と呼ぶ個人を識別するIDを提供しているが、訪問する全員が保持しているわけではない。IDがなくても居住地を推測して天気予報を紹介したり、広告枠に本人がこれまでに検索して見たことがあるページの履歴を参考に興味を持ちそうなネット広告を表示したりしている。
こうしたネット上の「おもてなし」ができるのは、ウェブの世界には「クッキー」と呼ぶ標準的な技術があり、誰でも無料で手軽に使えるおかげだ。米アマゾン・ドット・コムや楽天など電子商取引(EC)サイトも、利用者が前回調べた商品などにすぐにたどり着けるようクッキーで工夫する。現在世の中にあまたあるウェブサービスの大半は、クッキーなしには成立しないといっても過言ではないほど多くの企業が頼りにしている。
ではクッキーとはいったいなんなのか。具体的にはウェブブラウザーに保管する微小なデータだ。ウェブサイト側が利用者のパソコンに自由に作ることができるもので、利用者がそのサイトで見たページの履歴や本人の属性などを記録しておける。どんな情報にするかはウェブサイト側で決められる。
クッキーの使い方はこうだ。ウェブサイト側は、利用者がアクセスしてくるたびにブラウザー内にあるクッキーをサーバー側へ送らせる。たいていは本人を識別するIDなどが含まれているので、サーバー側にある過去にアクセスしたことがある人物のリストと照らし合わせて、提供する情報を変える。クッキーが削除されてしまう場合もあるので、推測精度は8~9割程度といわれている。
語源は諸説あるが、子供向けテレビ番組「セサミストリート」にクッキーが大好きな人気キャラクターが登場することに着想を得て、キャラクターをブラウザーになぞらえたという説が有力だ。
相次ぐ代替技術開発、一歩リードするのは
ヤフーが悩んだ理由は便利なクッキーがアプリの世界では役に立たないことだった。「スマホでも多くの人がブラウザーでコンテンツを閲覧してくれればパソコン時代の延長でクッキーを使えば済んだ」(加藤マネージャー)。最近はタブレット(多機能携帯端末)も登場し、一人で複数台の機器を持つケースが急増。現在はアクセスの大半がパソコン経由だが、アプリ経由の閲覧がいずれ主流になるのは時間の問題。クッキーが通用しない世界が加速度的に広がりつつあるというわけだ。
スマホ時代にふさわしい、クッキーに代わってあまねく使える技術を発掘しなければ――。ネット業界の巨人として社会的な使命も担うという自負もあり、急ぐ必要があった。こうしてたどり着いたのが、米ベンチャーであるフォーティーファースト・パラメーターが開発した「アドトゥルース」という新技術である。
米グーグルや米マイクロソフトなど名だたるIT(情報技術)企業が、噂も含めてクッキーの代替技術の開発に相次ぎ乗り出しているなかで、技術的に先進的で米国での実績を着実に積んでいたのがアドトゥルースだったという。
フォーティーファーストの日本展開を担当する瀬戸晃介マーケティングディレクターは「クッキー代替技術のデファクトスタンダード(事実上の標準)の獲得を十分目指せるところまできた」と鼻息が荒い。米国を中心に60社以上が導入しており、日本でもヤフー以外にサイバーエージェントグループのサイバーZ(東京・渋谷)やネット広告アドウェイズ、GMOインターネット傘下のネット広告会社などが活用を始めている。

ヤフーが評価したのは、アプリとウェブの垣根を越えて利用者を高い精度で推測できつつ、個人情報に配慮していた点だった。アドトゥルースでは、スマホやタブレットに設定されている100種類以上の情報をかき集めて統計処理を行い、機器固有のIDを作り出す。40ケタの英数字で構成したIDがクッキーの代わりとして働く。どんなアプリにも組み込めるし、仮に利用者がコンテンツをブラウザーで見たとしても同一人物だとして隔てなく同じ内容を提供できる。
集めるといっても、一つひとつの情報は個人を特定できるものではない。スマホのCPU(中央演算処理装置)の種類、言語の設定、タイムゾーン、画面の解像度、フォントの設定など――。全てを組み合わせたとしても、名前や性別などを導き出せないよう配慮がある。
「現在はテストしている段階だが、クッキーの代わりに使うことを前向きに検討中。パソコンがあるのでクッキーがなくなることはないので、併用していくことになるはず」(加藤マネージャー)
個人情報保護とのせめぎ合いに悩む

スマホ向けの広告配信を手掛けるアドウェイズは、アドトゥルースを取り入れたサービスを昨年4月から開始している。同社はアプリ開発者が収益を得られるよう、アプリ内に設けた広告枠に対して広告を提供している。そこで広告を通じてアプリを宣伝した場合に、クリックした人物が実際にインストールしたかどうかチェックできるサービスを立ち上げた。アプリ内で利用者のIDを推定できるからこそ、クリックとインストールをひもづけられる。
実は同社は以前、効果測定のためにむりやりクッキーを使っていた。広告をクリックするとこっそりブラウザーを立ち上げてクッキーを保存。利用者がアプリをインストールし最初に立ち上げたら再びブラウザーを起動しクッキーを調べていた。「ただブラウザーの画面が一瞬見えてすぐ消える挙動が、ひそかに個人情報をかすめ取っていると誤解されてしまうことが多かった」。サービスを手掛ける横田雄士・新規事業開発室長は、苦労した過去を振り返る。結果としてインストールしてもすぐ削除されてしまう利用者がいて、広告効果を下げる一因になっていたという。
ネット業界がどれだけクッキーに頼ってきたのかは、米国のネット広告市場の様相によく表れている。2012年にクッキーを使った広告は年間3420億円に及び、その半分近くが利用者の属性や興味・関心に合わせて広告を配信する「ターゲティング広告」だった。フォーティーファーストの瀬戸ディレクターは「今後は代替技術が登場したことで伸び盛りのスマホ向けが加わる。市場はさらに急成長する」とそろばんをはじく。日本市場も例外なく成長するとみていい。
クッキーが消える可能性に向けて各社が動き始めた段階だけに、アドトゥルースが本当にデファクトスタンダードになるかは不透明だ。ほかにも競合技術が次々と出てくれば、広告主やアプリ開発者を取り込もうと獲得合戦が繰り広げられる可能性もある。実際アップルは独自のIDFAという技術を考案し、iPhoneやiPadでターゲティング広告がしやすいとアピールする。
いずれにしろプライバシー情報の宝庫とも呼べるスマホだけに、クッキーの代替技術の安全性については業界全体でチェックする体制が必要だろう。例えばアップルのiPhoneやiPadには1台1台にUDIDと呼ぶ端末識別IDが割り振られている。UDIDを使えば100%特定できてしまい個人情報漏洩の温床になりかねないとセキュリティー関係者の間で指摘されていた。アップルは昨年UDIDをアプリが使うことを全面的に禁止し、使っているアプリは審査の過程ではじくよう改めた。今月からはIDFAを広告目的以外の用途でも利用を禁じ、引き締めを狙う。
スマホが普及し、今更ながらようやく始まったクッキーの代替技術探し。実は遅れた背景にはウェブ標準言語「HTML5」が登場し、スマホ上でコンテンツを提供する基盤がアプリとHTML5のどちらが主流になるのか判断が付かない状況が続いたことも大きい。サイバーエージェントのように全面的にHTML5の採用に踏み切るところも現れたが、ここにきてアプリが勢いを取り戻しつつある。
ヤフーの加藤マネージャーは「タブレットもスマホ同様、アプリが中心役を果たすようになる」と見立てる。形勢がほぼ固まった今だからこそようやく各社が腰を上げることができたという事情がある。2007年にiPhoneが登場して7年。ネット業界がクッキーとの決別に動き出した事実は、いよいよコンテンツの主役がパソコンからスマートなデバイス群に完全に移ったことを如実に示している。
(電子報道部 高田学也)