復元めざす旧国立駅舎 三角屋根と左右非対称の謎
堤康次郎氏ら寄付、「住宅地」にヒント
三角屋根の旧国立(くにたち)駅舎はかつて東京都国立市のシンボル的存在として親しまれてきた。中央線の高架化に伴いJR東日本が解体してから今年で10年を迎えるが、当時の部材を保管する国立市が2020年にかつてあった場所に復元する計画を進めている。改めて注目を集める三角屋根駅舎だが、どのような経緯で生まれたのだろうか。
国立駅南口から広がる現在の街は一橋大学を中心とする通称「大学町」として大正末期から昭和の初めにかけて開発された。西武グループの創始者である堤康次郎氏が率いる不動産開発会社「箱根土地」(現プリンスホテル)が当時、関東大震災で神田にあった校舎が壊れ、移転先を検討していた東京商科大学(一橋大の前身)を誘致。一面雑木林だった国立の地に大学を核とする計画的な住宅地をつくろうとした。
ただ、都心へのアクセスとなる中央線は沿線を走っていたものの、最寄りの駅はなかった。そこで箱根土地自らが駅をつくり、当時の鉄道省に寄付した。この時に造られた駅舎が赤い三角屋根に白い壁という洋風デザインだったのだ。
なぜ、三角屋根にしたのか。確たる証拠はないが、欧風の住宅地を分譲しようとした大学町の「広告塔」となるようなデザインとして、ドイツなどで広まっていた三角屋根にこだわったのではと指摘する関係者が多い。国立市観光まちづくり協会前理事長の佐藤収一さん(74)もその一人。箱根土地の重役として大学町開発に中心になって取り組んだ堤氏の義弟が残した膨大な資料を調査。開発前に堤氏の命を受けて欧米の各都市を視察した際、数多く購入した建築関係の本の中に三角屋根の住宅が紹介されている事実を突き止めた。
屋根の左右がなぜ非対称形なのかはさらに謎だ。ただ、大学町の分譲区画図面を見ると、その理由らしきものが浮かび上がる。約100万坪ある分譲地の幹線道路は駅舎から南にまっすぐに延びる大学通りのほか、左右に放射状に延びる旭通り、富士見通りの2つがあるが、これら2つの放射状道路と東西に走る南側の学園通りを線として結ぶと非対称形の三角形が出来上がるのだ。このため、国立市職員として旧駅舎の復元事業に取り組む和田賢さんは「街路に囲まれた住宅地の形と駅舎の姿は関係があるのではないか」と推測する。
放射状道路の角度、富士山の眺めに配慮
放射状道路は当初、駅前広場から45度に延びる計画だったが、富士見通りだけは富士山を眺められるように角度を少し緩やかにした。このことが、街路に囲まれた住宅地の形が左右非対称の三角形になっている理由だ。
国立の計画的な街並みを象徴するのが大学通り。幅員は43メートルと広い。歩道の幅は左右各3.6メートル、緑地帯もそれぞれ9.1メートル、車道は18.2メートル。イチョウや桜の木が植えられている緑地帯は今でもプリンスホテルが所有している。
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