少女漫画のタブー破った 一条ゆかり、50年の軌跡
漫画家の一条ゆかりがデビュー50年を迎え、都内で原画展を開催中だ。メロドラマから学園コメディーまで幅広い作風で第一線を走り続けてきた画業をたどることができる。
「女性が仕事で生きていくとはどういうことか。仕事に対する女性のプライドを描きたかった」。弥生美術館(東京・文京)で9月下旬から始まった原画展(12月24日まで)。関係者向け内覧会に出席した一条ゆかりは初期の代表作「デザイナー」(1974年)についてこう話した。
同作はファッション業界を舞台に、主人公の少女が自分を捨てた実の母親とトップデザイナーの地位を巡って争う物語だ。父娘などの禁断の恋も盛り込み、小中学生を主な読者とする漫画誌「りぼん」(集英社)で異色の存在だった。
描きたかったのは仕事で成功するためなら娘さえ利用する母親の姿だ。女性が働くことが当たり前ではなかった時代。一条は「全てを犠牲にする覚悟がなければ、女性はのし上がれなかった」と振り返る。「女である前にデザイナー」と言い切る母親のせりふに、仕事に全てをささげた女性のプライドを込めた。
「有閑倶楽部」で読者層広げる
68年の「りぼん」デビュー以来、酒やタバコも登場する大人っぽい作品で知られた。「キスまで」が不文律だった同誌で裸の男女が重なり合うシーンを描くなど、少女漫画のタブーを打ち破ってきた。
「描きたいものを描いた」という「デザイナー」で不動の人気を確立すると一転、「描きたくないものも描けなければプロではない」と、主人公に苦手な女性像を投影したメロドラマ「砂の城」に着手した。81年にはお金と時間を持て余した裕福な高校生が、様々なトラブルを解決する学園コメディー「有閑倶楽部」の執筆を始めて読者層を広げた。
人気作を生み出し続けた理由について、弥生美術館の外舘恵子学芸員は「描きたい作品を描くことにこだわりつつも、読者にとって面白い作品を徹底的に追求するプロ意識を保ち続けた」と指摘する。一条自身も「描きたいものを描くためには読者の支持が必要だと思っていた」と語る。アンケートを分析し、流行の服装や職種を取り入れて読者をひきつけながら、描きたい主題を貫いた。
「ずっと読者を利用してきた」という一条だが、体調を崩して最後の大型連載になると予感した「プライド」(2003~10年)の執筆で初めて読者のことを考えた。同作は他人に認めてもらえなければ幸せを感じられない萌と、自分が納得できなければ満足しない史緒という2人の女性が主人公だ。
「デザイナー」を描いていた30年前に比べると女性の選択肢は飛躍的に増えた。対照的な二人の生き方には「女性は自分にとっての幸せが何かを考えるべき。自分を幸せにできるのは自分だけだから」とのメッセージを込めたという。
「新作は描きたくなったら」
「一つの作品が終わった時はいつも『これが限界』と思うが、次作はそれを超えなければ面白くない。編集者と話し合って相手が想像した作品が私にとっての最低レベル。相手の想像を超えた作品を描くと決めてやってきた」
現在は休養中だ。「デビュー以来ずっと"一条ゆかり"は私にとって聖域だった。商品としての"一条ゆかり"がどうすれば最も良く見えるかを考え、作品はもちろん、漫画家としての自分の外見や振る舞いも商品価値を傷つけないよう努力してきた。このあたりで(本名の)藤本典子に戻ってもいいのかなと思う。新作は描きたくなったら描く」と話した。
(岩本文枝)
[日本経済新聞夕刊2018年10月29日付]
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