2017年12月25日

芸術鑑賞 華風琉薫演奏会

 12月6日(水)に芸術鑑賞として、多方面で活躍している「華風琉薫」の皆様にお越し頂きました。
 「華風琉薫」(かふうりゅうくん)は、二胡(にこ)上地恵里紗先生、三線大城貴幸先生、箏(こと)池間北斗先生、ピアノ石塚詩穂先生の講師から構成されいます。
 プログラムでは、沖縄の民謡、楽器の紹介、クリスマスソングなどを演奏して頂きました。さらに体験コーナーもあり、短い時間で指導を受け、二胡、三線、三羽を数名の学生で奏で、最後に全体で合唱をしました。

 「華風琉薫」の皆様、貴重な演奏会ありがとうございました。

 学生の感想より(一部抜粋)

 初めて「華風琉薫」の公演を聞いて、二胡の美しさに驚きました。沖縄民謡から始め、中国の曲、三線、箏、二胡、ピアノの様々な組み合わせで演奏頂き、どの演奏も引き込まれました。
 また、奏でてくださった4名の方々もとても楽しそうに演奏しており一つ一つの楽器の音色がキレイでした。
 最後に、楽器体験コーナーでは、みんなで合わせて曲に乗って盛り上げることができて楽しかったです。
 沖縄の楽器の良さに改めて気づくことができ、機会があれば二胡を弾いてみたいと思いました。今回は貴重な機会をありがとうございました。




二胡(にこ)の説明をしている様子




箏(こと)を説明している様子




二胡(にこ)の弾き方を教わっている様子


三羽(さんば)の弾き方を教わっている様子


体験コーナーの様子












  
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Posted by 那覇看護専門学校 at 10:24Comments(0)講義

2017年12月22日

12月図書室

12月の掲示板とカウンター





図書司書から
   おすすめ本を紹介します



   

    劇場                      
    著    又吉 直樹
    出版社  新潮社     
 
 一番会いたい人に会いに行く。こんな当たり前のことが、なんでできへんかったんやろな。   本文より

 火花より先に取りかかっていたという作品。言葉の一つ一つがとても繊細であり、気持ちの描写が手に取るように理解できるようである。著者自身が長い間、書かずにはいられなかった、たった一つの不器用な恋。
 演劇をしながら、なけなしのお金で生活をしている永田と、服飾の学校に通っている沙希。二人とも夢を描いて東京にやってきた。沙希は学生の時に永田と出会うのであるが、その二人の出会いがなんとも衝撃的である。     

 本文より引用    
 画廊の作品を眺めていると、何人もの通行人が背後を通りすぎていった。その景色の中で、その人だけが動かなかった。僕は叫びたくなった。そして、理由もわからずに泣きたくなった。あるいは、ずっと前から感情を爆発させる合図を待っていたのかもしれない。その人は画廊の内部を覗きこむようにじっと見ていた。僕はその人をじっと見ていた。この人なら、自分のことを理解してくれるのではないかと思った。「靴、同じやな」いつのまにか僕は小さな声でへんなことを言っていた。「違いますよ」その人は言った。「あした、遊べる?」また僕は変なことを言っていた。「知らない人なので」その人が不思議そうな顔で僕を見上げる。「あの、暑いので、この辺りの、涼しい場所で、冷たいものでも、一緒に飲んだ方が良いと思いまして、でも、古着屋で服を買って、お金がないので、おごれないので、あれなんですけど、あきらめます。また、どこかで会いましたら」懸命に言葉をつないでいるうちに、自分が絶望的な状況にあって、どうにもならないということに気づいてしまったのだ。「どういうことですか?お金を貸して欲しいってことですか?」「ちがう」もう、僕からは子供の頃に覚えた言葉しか出てこなかった。結局、僕は近くのカフェでその人におごってもらうことになった。
                                    
沙希はその後、永田の恋人になるのであるが・・・。


 夢と現実のはざまでもがきながら、かけがえのない大切な人を想う。永田の奇妙な言動と、恋に対して不器用な所を笑って許せる沙希のやさしさは、切なくもあり、物語の展開に絶妙な隠し味を入れている。実に読み応え満載の恋愛小説である。あなたも又吉さんの第2弾、読んでみたいと思いませんか?      
12月吉日 図書室





  
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Posted by 那覇看護専門学校 at 15:44Comments(0)図書室

2017年12月20日

11月生け花


千年木
月桃
アップルジンジャー
ヘルコニア
ドラセナ


レッドウィロー
ストレリチア

カーネーション
ソリダコ
ドラセナ


トウゴマ
クルクマ
ケイトウ
千年木
ピペリカム


シマヤマヒハツ
花芭蕉
小菊
千年木



ヘルコニア
小菊
千年木
  
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Posted by 那覇看護専門学校 at 09:00Comments(0)生け花

2017年12月19日

第1回プレスクール

 推薦入学試験で合格した平成30年4月入学予定者を対象に、入学事前学習としてプレスクールを全4回にわたり実施しています。
 その第1回プレスクールを12月16日に開催しました。

 初めは、「シーン・・・」と静まり返った教室も自己紹介を行い、皆で協力して課題を作成するグループ学習(カードメソッド)を行っていく中で、徐々に笑顔も見られていきました。
 そして、お互いの考えを語り合い一つの作品を作り上げました。
 各グループの作品を発表し、全体で情報を共有し合いました。

 参加した皆様お疲れ様でした。

 第2回プレスクールは1月20日(土)に開催します。




自己紹介をしている様子(アイスブレイク)


私の目指す看護師像とは?


一人一人の意見をグループ内聞いている様子


個人のをグループ内でまとめている様子




グループでまとめた意見を図解にしている様子


全体の前で発表している様子











  
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Posted by 那覇看護専門学校 at 09:21Comments(0)その他行事

2017年12月11日

リレー・フォー・ライフ

平成29年11月11日、12日に、「リレー・フォー・ライフ・ジャパン2017沖縄うらそえ」が浦添市カルチャーパークてだこ広場にて開催されました。当校の学生、教職員が参加してきました。

 参加した学生より
 今回、那覇看護専門学校からは1,2年生合わせて約50名の学生が参加しました。24時間リレーをつなぐ事は思っていたよりも辛かったですが、皆で時間を分担し、交代でリレーしました。途中夜間に少し雨も降りましたが、皆で協力して最後までリレーをつなぐことができました。
 イベントには、がん患者さん(サバイバー)やその家族(ケアギバー)や医療関係者等他にも様々な方々が参加していました。このような貴重な交流を持てたことに感謝いたします。
 最後に、リレー・フォー・ライフを通して命の大切さや尊さ、そしてこれから命を救う職業に就くことの意味を改めて考える良い機会となりました。

2年 浦添和可子



 リレー・フォー・ライフとは
 1985年、一人の医師がトラックを24時間走り続け、アメリカ対がん協会への寄付を募りました。 「がん患者は24時間、がんと向かい合っている」という想いを共有し支援するためでした。ともに歩き、語らうことで生きる勇気と希望を生み出したいというこの活動を代表するイベントは、昨年はは世界30カ国、約6000ヵ所で開催され、年間寄付は470億円にものぼりました。2017年日本では49ヶ所に広がっています。






























  
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Posted by 那覇看護専門学校 at 09:00Comments(0)ボランティア

2017年12月07日

救急蘇生法

 二年生は、浦添総合病院救命救急センター看護師を講師として招き、一次・二次救命処置の実習を行いました。

 初めのうちは、うまくリズムに合わせて胸部圧迫ができなかったり、口対口の人工呼吸も「できているようでなかなか難しい」との意見もありましたが、2回ほど経験すると、だいぶ上達してきていました。
 人を集める声だしに関しても、講義だから、「照れくさい、恥ずかしい」といった感情があったのですが、講師の先生方の、動き、声だし、指示系統などを見学すると、今まで以上に声を出せたり、指示をうまく伝えられたり、自分から考えて、連携を取ったりと、わずかな時間ではありましたが、学生の吸収力、成長力には、日々驚かされることばかりです。
 学生も、「道で倒れていたとしても、これで少しは動けそうだし、自信にもつながった」などとの意見も聴かれ、有意義な時間となりました。

 講師の先生方ありがとうございました。
文責:成人看護学担当















  
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Posted by 那覇看護専門学校 at 12:12Comments(0)実習関係

2017年12月01日

クリスマスツリー

 沖縄でも朝晩は肌寒くなってきましたね。最近はクリスマスソングやクリスマスの明るい装飾をよく見るようになってきました。
 当校でも1階ロビーにて恒例のクリスマスツリー飾付けを1年生がやってくれました。。

 ご協力いただきました。皆様ありがとうございました。











 
 クリスマスのちょっと豆知識(諸説あり)

 今から450年以上も前の戦国時代、1552年に現在の山口県でカトリック教会の宣教師が日本人の信徒を招いて降誕祭を行ったのが最初といわれています。
 しかし、その後の江戸幕府において発せられた禁教令によって、キリスト教の信仰自体が禁止に追い込まれてしまい、以降は明治の初めまでの200年以上の間、公に認められることはありませんでした。
 明治時代になりようやく日本でもクリスマスが受け入れられるようになりました。
 クリスマス商戦も始まり、大正・昭和を迎えたころにはクリスマスは日本の習慣行事となりました。







  
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Posted by 那覇看護専門学校 at 11:08Comments(0)その他