「身を捨てない」ために、代表辞任を選んだ小沢代表の思惑、(麻生辞任解散劇、その11)

 昨日たまたま自宅にいたので、民主党小沢代表の辞任表明会見をテレビで見た。辞任の趣旨は、「政権交代を実現するためには、民主党が挙党一致しなければならない」、「挙党一致するためには、自分が一身を擲って(なげうって)身を引くことが必要だ」、「これからも政権交代のために第一線で頑張る」というものだった。

 「西松スキャンダル」に対する厳しい国民の批判によって代表辞任に追い込まれたにもかかわらず、そのことには一言も触れないで、「挙党一致のために身を引く」ことを強調した強引さ(議論のすり替え)には呆れたが、しかしよく考えてみると、今回の小沢代表辞任劇のキーワードが「挙党一致」にあることはよく理解できた。

 彼のいう「挙党一致」とは、「自分が今後も民主党内で権力を持ち続けることを党内に認めさせる」ことを意味する。公設秘書の逮捕・起訴後、世論は言うに及ばず、民主党内でもずっと「なぜ辞任しないのか」という声が渦巻いていた。しかし小沢氏がこれだけの逆風に耐えながら頑張ってきたのは、その段階では、代表辞任後の自分の党内ポストが確定しなかったからだ。

 代表を辞任した途端に党内での政治基盤を失うようなことでは、小沢氏が政権交代によって国家権力を掌握する道が永久に閉ざされる。それを防ぐためには、代表辞任と引き換えに「小沢氏も含めた挙党一致体制」を確約させる必要がある。「その約束を得るまでは代表は辞任しない」というのが、この間の小沢氏の一貫した行動原理だったのである。

 おそらく鳩山幹事長、管代行、山岡国対委員長あたりの執行部内で連休中に「ギリギリの取引」が集中的に行われた結果、小沢氏が代表辞任後も「然るべきポスト」を占めることについての政治的妥協が成立したのであろう。それが今回の小沢代表辞任表明劇の舞台裏だ。

 こうなってくると、民主党の新代表は「小沢とうまくやれる人材」に限定される。逆に言えば、小沢辞任と引き換えに「新代表」の人選も同時進行していたと考えるのが常識である。小沢氏は自分の手勢を引き連れて代表選挙に参加し、かねてからの約束通り「新代表」選出に協力する。そして「新代表」の「挙党一致体制」のもとで「然るべきポスト」に就くのである。

 民主党は「小沢色」を一新した「新代表」を選ぶことはできないだろう。「新代表」は「小沢ダミー」(身代わり)となり、自公政権と今国会のような妥協と裏取引を繰り返しながら国会運営を続けていくことになる。場合によっては「パーシャル大連立政権」が成立し、どちらが与党でどちらが野党だかわからないような政治体制ができあがるかもしれない。

 にもかかわらず、マスメディアは今後「政局一色」の報道になり、雇用確保、社会保障、日本経済の再建などの肝心かなめの政策課題は片隅に追いやられるだろう。麻生内閣の選挙目当ての「バラマキ予算」の内実が選挙戦を通して解明されることなく、「自民か民主か」の「2大政党キャンペーン」が性懲りもなく開始されるのである。

 くわえて、新型インフルエンザの政局に与える影響も無視できない。もし「水際作戦」が破綻して「国内感染」が広がるような事態になれば、もはや政策議論どころではなく、この非常事態をどう乗り切るかをめぐっての「危機管理問題」が選挙選の重要課題に浮上してくるだろう。危機管理体制化の選挙においては、権力を握っている政権政党が有利であることから、政権の行方は必ずしも民主党に有利に働くとは限らない。

 いずれにしても、次期総選挙は「政策転換なき政権交代」をめぐって争われる公算が大きい。小沢代表辞任劇などは、まさに「コップの中の嵐」にすぎない。国民が「2大政党制」の虚構を見抜くにはまだ当分時間がかかりそうである。