笛吹けど踊らぬ国民、茶番劇を見抜かれた民主党代表選挙、(麻生解散辞任劇、その12)

 この1週間ほどのマスメディアでは、民主党代表選挙関連のニュースばかりが垂れ流しに垂れ流されてきた。他のニュースを見たいと思っても、出てくるのは同じ顔触ればかりで退屈極まりない。それに登場人物が言うことも同じで、「政権交代」、「政権交代」のオウム返しだ。テレビ番組で誰かが言っていたが、これでは「権力が欲しい!」、「権力が欲しい!」と言っているのとなんら変わらない。

 民主党ではオバマ張りの「チェンジ」を演出したかったのであろうが、鳩山氏が冒頭から「小沢氏の成果」を受け継ぐと言明し、かつ小沢氏を次期執行部の重要メンバーとして処遇すると「公約」した瞬間から、多くの国民は関心を失った。そのことを象徴していたのが、東京有楽町の街頭演説での人の集まり方だ。

 これだけテレビで大宣伝をしているのだから、通常なら街頭に溢れるばかりの聴衆が押し寄せても不思議ではない。ところがカメラが街頭演説の全景をなかなかうつさない。スポット的な映像を断続的に流して、あとは候補者の演説のクローズアップで終わりだ。

 知り合いのテレビカメラマンの話によると、こういう映像の撮り方は聴衆が非常に少ない時のものだという。全景を撮ると人の姿がまだらに散らばっていて、「様にならない」そうだ。本来なら、これだけの少ない人数しか集まらないこと自体がニュースであり、報道写真の対象になるのだが、これは民主党を盛り上げて2大政党体制を根付かせたいという思惑からすれば困るので、こんな編集画面になったのだろう。

 私の周辺には民主党支持者が沢山いる。政治学者の中にも結構いる。いや複雑な政治情勢を分析することに習熟している政治学者だからこそ、民主党を支持しているのかもしれない。しかしその人たちが民主党の政治姿勢や政策を全面的に支持しているわけではない。その言い分は「条件付き支持」であり、自公政権に比較しての「よりマシ論」である。

 民主党にスッキリした政策や政治行動を求めてもそんなものは得られない。でも自民党や公明党よりは「マシ」なので、彼らが政権交代をすることには意味がある。だから民主党を応援して一度は政権を担わせることが必要だ。民主党が自民党の方に行かないようにすることが、知識人や専門家の役割だ。まあこんなところだろう。

 私のような「単純系」からすれば、こんな「複雑系」の心理や行動は理解しがたい。しかし京都では民主党フアンは結構多い。それは京都選出の民主党議員が大学院出身など高学歴の若手議員が多く、一見知的でイケメンの雰囲気を持っているからだろう。彼らは弁舌も爽やかで、政策論議にも長けている。こんなところが「インテリ好み」の京都の学者や文化人たちに受けるのだ。

 たとえば、いま話題の鴻池元官房副長官のような薄汚い人物が京都の議員だったとする。これはもう間違いなく次回の総選挙では落選だろう(これまでも当選は難しい)。日教組攻撃の先頭に立ち、道徳教育の重要性や倫理の大切さを説きながら、「カネと女は父親譲りの遺伝子」だとうそぶくような人物は京都では一番嫌われるタイプだ。またそんな「盟友」を要職に就けた麻生首相が辞職を遺留しているのだから、これも「同じ穴の狢」として軽蔑の対象になること間違いなしだ。

 だが、そんな京都の民主党議員もだんだん「化けの皮」が剥がれてきた。近く背任横領罪で起訴されるといわれている「漢字検定協会」がらみの汚職事件で、福山・松井・前原などの民主党若手国会議員が軒並み政治献金を受け取っていたことが判明したからだ。なかでも数百万円を超える多額の「政治献金」を受け取っていた福山議員は、漢字検定協会の幹部と連れだって文部科学省をたびたび訪れ、いわゆる「口利き」行為を行っている。本人たちは事柄が判明してから「政治献金を返却する」と言っているらしいが、これでは西松建設役員が逮捕されたから「政治献金を返す」といった自民党ニ階経済産業相と同じで、自民党も民主党も金権体質はいっこうに変わらないことを図らずも証明したことになる。

 民主党は、今回の代表選挙を通して「小沢体質」をどう脱却するかを問われているとマスメディアから督促され、その代表選手として岡田氏が大いにもてはやされた。各紙の論調や記事をみると、どうみても岡田氏の「提灯持ち」としかいえない「ヨイショ記事」が目立った。京都の前原・福山両議員も「反小沢」の立場から岡田氏に投票したのだという。

 しかし京都の民主党議員をみる限り、「親小沢」とか「反小沢」とかいう区分は当たらない。今回の代表選挙でも民主党が「小沢体質」を前提とした「挙党一致体制」であることを証明したように、彼らも実質的にはまた小沢氏と手を組んでこれからの政治活動を展開するのであろう。そして「同じ穴の狢」の自民党と政権を競い合うのであろう。

 今回の民主党代表選挙では、国民は笛を吹かれても踊らなかった。小泉劇場で「踊ることの虚しさ」と「宴の後の惨めさ」を十分体験学習したこともあるが、それ以上に「何となく嫌な感じ」といった気持を拭いきれなかったのが最大の原因だ。それが小沢氏辞任にまつわる民主党の胡散臭い利権構造に起因していることは言うまでもない。

 次期総選挙では、自民党も民主党も国民の「嫌な感じ」を背負って戦うことになる。そしてこのことは如何なる景気対策によっても払拭することはできないし、如何なる政治マニフェストを掲げても克服することはできない。国民は本能的に両党に共通する「薄汚さ」を感じ取っており、これを打破することは不可能であるからだ。今後の政局の行方を注目したい。