トヨタのために日本はあるの、麻生内閣が仕組んだゴールデンウィーク狂騒曲、(麻生辞任解散劇、その10)

 今日で4月末から続いた長いゴールデンウィークも終わる。今年は好天にも恵まれ、全国各地では空前の賑わいだったという。また史上最長・最悪の交通渋滞が発生したとも言われている。その背後には「ETC車なら1000円」という、高速自動車通行料減額の大盤振る舞いがあったことはいうまでもない。

 大勢の人出が嫌いな変わり者の私は、それでも期間中に1、2度は奈良方面に出かけたが、免許を持っていないこともあって、交通手段はいつも「電車・アンド・ウォーク」と決めている。今回は墓参りを兼ねていたので「電車・アンド・レンタサイクル」ということになった。

 かくいう私は、生粋の「アンチ・モータリゼーション派」である。1970年代に10年近く「京都の市電をまもる市民運動」をやった経験から、「自動車依存症」の都市は必ず滅びると確信しているからだ。事実、世界の各都市ではここ10年あまり路面電車の復活が相次いでいるし、自動車王国のアメリカでも最近流行の「サステイナブル・シティ」は、徒歩中心の「ノーカーシティ」を売り物にしている。

 国全体の交通政策にしても、エネルギーの節減や地球温暖化防止のために「モーダルシフト」(自動車交通から鉄道・船舶交通への移行政策)が大々的に推進されていることは周知の事実である。世界各国で高速鉄道の建設が相次ぎ、日本の新幹線鉄道が有力なモデルになっているのは、そのためだ。

 そんな時代に高速道路通行量を増やす交通政策を、鳴り物入りで打ち出す麻生内閣の気がしれない。ガソリンを無駄に消費して、地球温暖化ガスをまき散らすだけではないか。また一時下火になった道路建設に拍車をかけ、ふたたび土木公共事業の肥大化を招くだけではないか。

 聞けば、高速道路通行料を無料にするというのは、もともと民主党の公約だったという。自動車産業労組出身の民主党議員あたりが労使協調で働きかけ、民主党の公約にしたのだろう。これに追随したのが自民党であり、そのまた尻尾にくっついているのが公明党だ。これら3党の議員は、300人近い自動車議員連盟(正確な名前は忘れた)の大半を占めている。

 2年前から始まったアメリカ発の世界金融危機は、日本の製造業とりわけ自動車産業や家電産業を直撃した。なかでもガソリン高騰の影響もあって、自動車生産の落ち込みが著しい。かっては豊かな「アメリカン・ライフスタイル」のシンボルであり、憧れの的だったマイカーが、いまやその輝きを失っているのである。

 とりわけ自動車産業経営者の肝を冷やしているのが、「若者世代の車離れ」だろう。彼らの所得が低迷するなかで、「生活が苦しくて車どころか」という理由で車離れが生じているのであれば、景気が回復すれば自動車の売れ行きもよくなる。しかし「車を必要としないライフスタイル」、「車を持つことがカッコイイと思わないライフスタイル」が広がると、そうはいかない。

 いま自動車産業は「車離れをどう防ぐか」ということで必死になっている。その対策の第一弾が高速道路通行料の大幅ディスカウントだ。とりわけゴールデンウィークは「家族自動車旅行」の絶好の機会である。若者は友人や恋人と、ヤングカップルは子供連れで楽しい自動車旅行を満喫し、子どもたちは「車の魅力」に取りつかれるというわけだ。そしてふたたび「車と離れられないライフスタイル」を取り戻す、というのが自動車産業の狙いなのである。

 第二弾の対策は、自動車買い替え補助金の大盤振る舞いだ。「環境」を売り物にした「エコカー」なら1台あたり何十万円もの国の税金を惜しみなく注ぎ込むというのである。もともと「環境負荷」の大きい乗り物を「エコカー」とネーミングして売り出すなど偽装広告もいいところだが、でもこれが麻生内閣の景気対策の目玉だというのだから恐れ入る。

 だが、ゴールデンウィークが終われば、国民の熱もほどなく冷めるのではないか。いったい何のためにあんな所まで渋滞のなか遠出したのか、もっと近場でゆったりと過ごせる場所が沢山あったのではないか、ガソリン代と通行料そして諸々の経費を合わせると結構高いものについたのではないかなどなど、そのうちに「反省しきり」といった空気が広がってくるに違いない。

 結局のところ、基礎体力が衰えている国民生活へのカンフル注射は一時的な効果しかもたないというべきだ。国民の所得を保障し、生活を安定させることなくして、自動車だけを売ろう、自動車に乗らせようというビジネスモデル(トヨタモデル)は成立しないのである。

 加えて考慮すべきは、景気が回復すればふたたび「マイカーブーム」は復活するのかということだ。「車が進化すれば、永久に移動手段としての役割を失うことはない」というのが、目下の自動車産業経営者の考え方だ。だがしかし、地球環境の保全とサステイナブル(持続可能)な都市を両立させるためには、「自動車依存都市」からの脱却は不可避だということが、多くの都市計画専門家の共通理解になっている。

 「トヨタのために日本はあるの」ではない。「日本国民のためにトヨタはある」のである。この当然の考え方に麻生内閣は立ってほしい。でも、それは「森に魚を求める」ほど難しいことかもしれない。