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曹丕が四十歳、曹叡が三十五歳前後で急逝した原因は何だったのでしょう? 曹叡は袁煕の子だったのでしょうか? 曹丕は曹叡を疎んじていましたが、最終的に後継指名したことへ司馬懿は絡んでますか?

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回答(3件)

曹叡については、まあ、曹丕の子でしょう。 二人の寿命については、これはあくまで私の妄想の類ですが、薬害ではないか、と思います。 漢の時代(やや不明)ごろから、いわゆる煉丹術が芽生え始め、三国時代に理論ができ始め、西晋の葛洪が確立しました。 唐の時代くらいまで流行してます。 不老長寿の霊薬として、金丹だの神丹だのを皇帝が服用し始めたんじゃないか、と思ってます。 これらの成分には水銀・鉛・金といった人体に有害な重金属が含まれているわけで、とうぜん、不老長寿どころか寿命を縮めます。 で、後漢時代からの皇帝の死亡年をまとめると、 後漢 光武帝:62歳(即位30歳) 明帝:48歳(即位30歳) 章帝:32歳(即位18歳) 和帝:28歳(即位10歳) 殤帝:夭折 安帝:32歳(即位13歳) 少帝懿:在位200日余りで病死 順帝:30歳(即位11歳) 沖帝:夭折 質帝:夭折 桓帝:38歳(即位15歳) 霊帝:34歳(即位13歳) 少帝弁:即位後間もなく殺害 献帝:54歳(即位9歳) 魏 曹丕:40歳(即位34歳) 曹叡:34歳(即位23歳) 後略 まあ、魏はでも微妙ではあります。特に曹丕は単純に病死かな、とは思います。何の病気かまではわかりませんが。 後漢時代の歴代皇帝なんかは成人後即位している光武帝・明帝・乱世の皇帝だった献帝を除けばみんな早世。ちょっと偶然にしてはどうだろう、という感じ。 しかも、即位年齢と寿命がまあまあ対応しているあたり、アヤシイと踏んでます。 曹叡は成人後の即位なので微妙なところですが、なくはないかな・・・という印象。まあ、単純に病死かもですが。 あくまで妄想の域のお話です。

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(曹丕が四十歳、曹叡が三十五歳前後で急逝した原因は何だったのでしょう?) 曹丕が死亡した原因は、病気とのことです。 曹叡が死亡した原因は、病気とのことです。 (曹叡は袁煕の子だったのでしょうか?) 曹丕と甄夫人の子です。 三国志魏書明帝紀の36歳死亡は記載誤りで、曹叡は、34歳で死亡したとされているので、曹叡は、曹丕の子で間違いないと思います。 昔は、手で写本していたから、間違いが結構ありました。史記も結構書き間違いと思われる内容があります。 (曹丕は曹叡を疎んじていましたが、最終的に後継指名したことへ司馬懿は絡んでますか?) 「曹叡の母である甄氏に対する曹丕の寵愛は次第に薄れていき、郭氏や李貴人・陰貴人に移っていった。それを悲嘆した甄氏に死を賜っている。埋葬の際には振り乱した髪で顔を覆われ、口には糠が詰め込まれた。」 とのことなんですね。曹丕は頭がどうかしてる奴なんですよ。 自分が殺した女性の子は、自分の子でも、ひっかかるものがあるのが普通だと思います。それが、「疎み」に繋がったのでしょう。 曹丕が珍しく、曹叡と狩りに行った時、鹿の母子を見たそうです。母鹿を曹丕が殺し、子鹿が残ったところ、曹丕が曹叡に「子鹿を射よ!」と言ったら、曹叡は「母鹿を殺して、子鹿まで殺すことはないではありませんか」と泣いて抗議したとの故事があります。「母を殺すことはなかったのではないか?私のことも殺すつもりか?」という曹叡の当然の抗議ですよ。曹丕はそれを聞いて、「そうか。」と言って狩りの道具を放り出したそうです。 まあ、曹叡は優秀で、曹丕の他の子は曹叡より年下で優秀でもなかったから、曹叡が跡継ぎになれました。 曹丕が死ぬ間際、司馬懿・曹真・陳羣・曹休に皇太子の曹叡を託した、とのことですけど、曹叡が跡継ぎになったのに、司馬懿は関係ないと思いますよ。 曹叡が優秀で子の中では年長だったから、跡継ぎにしただけでしょう。

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曹丕と曹叡の急逝の原因については、史料に明確な記録がなく、以下のような諸説があります。 曹丕(魏文帝)の死因: ・病死説:『三国志』では病気により崩御したとされています ・過度の房事による体力消耗説 ・薬物(仙薬)の服用による中毒説 曹叡(魏明帝)の死因: ・病死説:『三国志』では病気により崩御したとされています ・過労説:政務に熱心で体を酷使したという記録があります 曹叡の出自については、正史『三国志』によれば曹丕と甄氏の実子とされています。袁煕の子という説は後世の野史や小説に見られる俗説で、史実としての根拠は薄いとされています。 曹丕と曹叡の関係については、初期には確かに疎遠な面があったとされますが、最終的に後継者として指名したのは、曹叡の才能を認めたためと考えられています。司馬懿が曹叡の後継指名に直接関与したという明確な史料はありませんが、当時司馬懿は重臣として朝廷に影響力を持っていたため、間接的な関与の可能性は否定できません。ただし、司馬懿が本格的に政権を掌握するのは曹叡の死後、曹芳の時代以降とされています。

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