回答(1件)
その通りです。ムガルというのは、実はペルシア語やアラビア語で「モンゴル」を意味する言葉なんです。 ムガル帝国の創始者バーブルは、父方の先祖がティムール、母方の先祖がチンギス・ハンという、中央アジアの征服王朝の血を引いていました。ティムール自身もチンギス・ハンの後継者を自称していたので、バーブルとその子孫たちは自分たちをモンゴル系の支配者だと考えていたんですね。 面白いのは、実際にはムガル帝国の支配層は、文化的にはモンゴルよりもペルシア・イスラム文化の影響を強く受けていたということです。バーブル自身も中央アジアで育ち、ペルシア語を話し、イスラム教徒でした。インドに入ってからも、宮廷ではペルシア語が公用語として使われましたし、建築や芸術もペルシア風のものが多かったんです。 だから「ムガル」という名前は、血統や出自を示すものであって、必ずしも当時の文化や統治スタイルを正確に表しているわけではないんですね。インドの人々から見れば、中央アジアからやってきたこの征服者たちは「モンゴル系の人々」として認識され、その名前がそのまま王朝名として定着したということです。 ちなみに、英語で「Mughal」と綴るのも、この「モンゴル」という言葉が変化したものです。日本語でも「ムガル」と「モンゴル」では随分印象が違いますが、元は同じ言葉だったというのは興味深いですよね。 モンゴル帝国の影響力がいかに広範囲で長期間にわたって続いたかを示す、一つの証拠とも言えます。16世紀のインドでさえ、チンギス・ハンの血統は正統性の源として重視されていたわけですから。
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