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西暦300年くらいから1800年くらいまでならぶっちぎりで曹操。 司馬懿は三国志演義での役回りの関係でアンチがいるだけで実際にはそこまで嫌われていない。 孫権は晩年の老害具合でアンチもいるけど言うて嫌われているって程でもなくどっちかって言うと興味を持たれていない。 劉禅は先の回答にあるように幼名の阿斗がアカン子の代名詞みたいな扱いされていますし、蜀漢の正統性を主張する勢力がいた頃にはかなり嫌われていました。 劉備が聖人君子として扱われていた頃は劉禅はかなり嫌われており、劉備や孔明が命がけで築き上げた蜀をあっさりと捨てた無責任な人物とされていましたが、蜀漢の正統性がどうでもよくなった時代に再評価され劉禅の在り方にも一定の理解が示されるようになり嫌われ者と言うよりは愛すべきおバカに変遷しています。 今回は対象に入っていないけど実は劉備も意外と人間性否定されがち。 聖人君子として扱われる事が多い劉備ですが、時代が流れると優柔不断で頼りなく平気で嘘をつく信用に足りない人物って扱いになって来て中国の諺には『劉備が荊州を借りる』ってのがありその意味は始めから返す気がない、約束を守るつもりがないって意味で使われる。 とは言えこの辺も曹操が圧倒的で曹操のエピソードに纏わる諺も多くそのどれもがかなり否定的な扱いだったりもしてその代表的なものが『曹操が呂伯奢を殺す』 これは例え自分が間違っていても無理にでも押し通すって意味で使われます。
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その他の回答(7件)
劉禅かな やはり、阿斗=アホの代名詞が成立しちゃってるのは大きい 他3名には英雄としての側面を見れるのに対して、「劉禅=ああ、アホで有名な」と初見でマイナス評価が確定するのがかなり厳しい。 さらにダメ押しで 毛沢東「人民よ阿斗にはなるな」 と、中華人民共和国の創設者にも名指しで言われちゃうぐらいですし。
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後世の評価なら司馬懿がダントツです、 長生き、 魏の臣下の身として一族が皇位簒奪、 高平陵の変での約束を反故(司馬懿は尹大目に曹爽を説得させ、尹大目は洛水を指さして誓いを立てたので曹爽は信用して降伏した)、信義というものがない、(司馬懿がしたことは宋真宗が無能なのに泰山封禅したように、一つの伝統文化/行事?を完全破壊した) 君主にとっては最悪な部下です、 後の政権でも他人の進言で「あの人司馬懿と似てるかも」と言われただけで、 皇帝に権力を剥奪されだけでなく、死まで追い込まられた高官は数知れず。