回答(3件)

周王朝の社会制度が息づいていました。 まず法があります。当時の法は貴族の占有状態だったのですが、孔子の少し前に鄭の子産がはじめて庶民にも開かれた形に成文化しています。 慣習的な決まり事も、細部にわたって作り込まれていて、これが礼です。偉い人同士が会うだけでもたくさんの決まりごとがあったりして、あまりのわずらわしさに廃れていたのが孔子の時代です。 庶民は周の井田制にみられるような、いくつかの「戸」が集住する農業共同体で暮らしていました。これが納税単位でもあります。 この共同体がたくさん集まって邑となり、貴族たちは邑を単位にして領地経営をしていました。君主が臣下に領地を与えるときも、邑が単位です。 諸侯は周王のもとに定期的に朝見するなどの国際ルールみたいなものもありました。春秋時代にはまったく廃れましたが、かわりに実力のある覇者のもとで、諸侯が定期的に会同するようになっています。 行政組織も周の六官を手本にして、各国にも民政、土木、軍事、裁判などの部門がありました。

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孔子の遥か前、中国最初の王朝と考えられている夏王朝、夏王朝を継承した殷王朝の頃にも、原初的とはいえ、社会制度は整っていたでしょう。

紀元前1000年ごろに周王朝があったのですが 春秋戦国時代になって乱れまくってたので 紀元前552年ごろに孔子が生まれて もう一度、周王朝の社会体制に回帰しようと儒教を作ったんです